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第5話「悪鬼襲来」

 シタテルヒメは父・オオクニヌシへの手土産として近くの山に桃の実を取りに向かった。

 当然、シタテルヒメの護衛役を買って出たワカヒコは告白のタイミングを狙っていた。


「結構、山深くまで来ましたね」

「はい。桃が取れる場所まではもうすぐですよ」

「ところでヒメ殿が差している剣は?」

「ああ、これはですね……」


 シタテルヒメは鞘から剣を半分ほど引き抜いてワカヒコに見せた。


「これは私の母、タキリビメより預かった神剣・十拳剣とつかのつるぎです。私の兄が持っている剣とお揃いなのですよ」

「ほほう、これは見事ですね!」


 きらびやかに輝く刀身には、清らかな白い光がまとっている。

 どのような術式によってかは分からないが、その神剣には邪悪を消し去る神力が込められているように感じられた。

 ワカヒコは感心して礼を伝えると、シタテルヒメは慣れた動作で剣を鞘に収め腰に差し直した。

 再び歩きだしてしばらくすると、ワカヒコが違和感を抱いた。


「んん? ヒメ、少し待ってください」


 二柱がじっとしていると、かすかに地面が揺れはじめた。

 その振動はドンッ、ドンッ、と一定間隔でしかもだんだん大きくなってくる。

 地震などではなく、なにか巨大なものが自分たちの方に近づいてきているのを感じた。


「ヒメは私の後ろに回ってください。おそらく化け物のたぐいでしょう」


「分かりました。ワカヒコ様……お気をつけて!」


 ワカヒコはヒメに笑みを見せ、すぐに下手から自分たちを追いかけてくる何かを睨みつけた。


 ――フヒューッ、フヒューッ!


 鼻息を荒くして現れたのは、巨大な鬼。

 わずかに腰巻きだけを身に着けた体躯は筋肉の塊とも形容できる。

 さらに鬼の身の丈はワカヒコの倍ほどもあった。

 数多くの化け物と戦ってきたワカヒコであったが、それほど大きな体躯の鬼を相手にするのは初めてだった。

 しかし鬼は少し様子がおかしい。

 すぐに襲いかかってくると思っていた鬼が、ワカヒコたちから距離を取って立ち止まり叫んだ。


『その弓を、返せええー!!』


 ワカヒコは驚いた。話す鬼と出会ったのは初めてだったからだ。


「お主、しゃべることができるのか……。この弓はアマテラス様から賜ったもの。お前に返してやるものではない。今すぐこの場から立ち去れ!」


『返さないなら、潰すだけだーっ!!』


 鬼は握りこぶしを振り上げ、そのまま力任せに叩き落とす。

 地面は激しい衝撃音を伴い、石の破片が散弾となって周囲の木々をへし折っていく。

 ワカヒコはシタテルヒメを抱えて空中にひらりと舞い上がり、はるか後方に距離をとって音も立てずに着地した。

 しかしヒメは戦慄していた。

 あの鬼を見た瞬間、いかに神剣を持っていようとも自分には太刀打ちできる相手ではないと悟ったからだ。

 ワカヒコはかすかに震えるヒメを気遣って声をかける。


「ヒメ、大丈夫ですか?」

「ええ。私は大丈夫ですが――」

「そこで少しだけ待っていてください。すぐに済みます」


 シタテルヒメが逃げましょう、と口にする前にワカヒコは遠方の鬼に振り返った。

 神弓の弦を引き絞り、自らの強大な神力を練り上げて光の矢を紡ぐ。

 ワカヒコにとって一直線に自分に向かってくる鬼の獲物に狙いを定める行為は容易いことだった。

 そしてシタテルヒメは間近でワカヒコが矢を放った瞬間を背中越しに見た。

 その一挙一動を確かめようと瞬きもせず見ていたはずだった。

 だが、巨鬼を射抜く矢の軌道は全く見えなかった。

 ピカリと一瞬だけ光ったと思ったら、こちらに駆け寄っていた鬼が前のめりに地面に倒れていく。

 鬼は受け身も取らず巨躯を地面に叩きつける。

 ドォンと轟音のような地鳴りを響かせると、先ほどまで荒々しく生命の躍動にあふれていた鬼は、もう二度と動くことはなかった。

 なぜだかは分からないが、ワカヒコに狙われた瞬間からあの鬼はもう死んでいたのではないか。

 シタテルヒメがそう感じるほど、それは一瞬のできごとだった。

 ヒメは助けてくれたワカヒコに礼を伝えるが、声が少しまだ震えていた。


「あのっ、ありがとうございます……」


「いえいえ。今の相手も体は大きかったけど、大したことは有りませんでした。しかし、葦原中津国を平定するまで、やらなきゃいけないことが多そうです」


 強敵と思われた鬼を難なく退治し、ワカヒコは余裕の笑みを浮かべてみせた。

 シタテルヒメの緊張もほぐれ、ようやく笑みが戻る。

 そこでワカヒコはシタテルヒメと正対すると、真剣な面持ちとなった。


「シタテルヒメ殿、私は天からの遣いとしてオオクニヌシ殿にお会いしなければなりません」

「はい。存じております」

「そのときには……あなたを妻として紹介したいのです。私と婚姻の契りを結んでいただけませんか?」


 シタテルヒメはワカヒコの求婚に喜んで応えた。


「……あなたが夫になってくださるのなら、これ以上心強いことは有りません」


 天の神と地の神の、夫婦神の成立である。

 だが、神代においては神といえども本人同士の合意だけでは婚姻は成立しない。

 正式に認められるためには、妻となるシタテルヒメの父・オオクニヌシの承諾が必要なのだ。

 これからオオクニヌシと国譲りの交渉をすることになるワカヒコは、この件が弱みを握られることになるかもしれない。それに……。

 ワカヒコは神弓・天之麻迦古弓をきゅっと握りしめた。


(あの鬼はなぜ、この弓を欲しがったんだ? しかも、弓を「よこせ」ではなく「返せ」といった。ならばこの弓は…………)


「ワカヒコ様、どうかしましたか……?」


「……いいえ。なんでもありませんよ!」


 天と地。アマテラスとオオクニヌシ。弓と鬼。

 ワカヒコの頭を去来する様々な不安は、シタテルヒメの眩いほどの笑みがすべて吹き飛ばした。

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