第30話「神降ろし」
新たに構えた陣の中心で、神功皇后とヤマトの大臣である武内宿禰、そして連と呼ばれる部隊の指揮官が数人集められ、軍議が行われた。
武内宿禰は、これまで起こった出来事について連たちに自由に語らせることにした。
「まさか皇后様の新羅征伐を前に、取るに足らなかったはずのクマソが羽白熊鷲と組んで我々に楯突いてくるとは!」
「クマソは一度は我々に恭順していたはず。それも我々を誘い込む策略であったか。謀られたな」
「再びクマソと戦うのは良しとしても、問題はあの天狗の妖怪でございます。弓の名人でいらっしゃる皇后様が放った矢を軽々と避けるのであれば、我らの弓ではかすり傷一つ負わせることはできないでしょう……」
連たちの意見を一通り聞いたところで、武内宿禰が神功皇后に上申した。
「皇后様、ここはもう一度……」
「……ええ。アマテラス様のご神託を授かる必要がありますね」
神功皇后は一旦、橿日宮(現在の福岡県東区)まで戻り、体勢を立て直すことにした。
翌日、神功皇后は身をきれいに清めてから、祈祷所で武内宿禰の立ち会いの下、神降ろしの儀式を行った。
儀式を初めて間もなく、神功皇后の意識は身体を離れ、別世界へと移っていく。
夜明け前の大海原の海岸、神功皇后は浜辺に一人立っていた。
やがて朝日がほんの少し顔をのぞかせた。
だんだんと皇后の周囲に優しい光が満ちていく。
朝焼けの空が白光に包まれた時、太陽と重なるようにアマテラスが顕現した。
皇后は両膝を砂浜につけて、頭を下げてお祈りした。
「……アマテラス様にお尋ね申し上げます。ヤマトに服属したはずのクマソが裏切り、あろうことか羽白熊鷲と徒党を組んで我々に兵を向けました。我々の力では羽白熊鷲を討ち取ることはできません。我々が取るべき道を教えて下さい」
光に包まれたアマテラスは、ゆっくりとした口調で語り始めた。
『気長足姫尊よ。羽白熊鷲なる不浄は討ち取らなければならないでしょう。しかし皇子をお腹に抱えた今のそなたでは、十分に力を出し切ることは難しい。ならばそなたの代わりに、相手を凌駕する者を味方に引き入れればよいのです』
「恐れながら、あの羽白熊鷲のような力を持ち合わせている人間など、もはやこの地上にはおりませぬ」
『では明後日の決戦の地、層増岐野(そそきの、現在の福岡県朝倉市)において貴船神、力の神、そして弓の神に祈り、その力を借りなさい。羽白熊鷲を退治してくれるでしょう。しかし人の子であるクマソに神が直接手を下すことはできません。鎮めるのは、そなた達の役目とします』
アマテラスの神託を得て神功皇后が深くお辞儀をすると、視界が一瞬のうちに暗くなる。
再び目を開けた神功皇后の視界には、揺らめくろうそくの火だけが映っていた。
神功皇后の意識は、神の領域から再び祈祷所の内部へと戻ってきたのだ。
その額からは一筋の汗が流れ落ちた。
「いかがでございましたか、天のご神託は……」
武内宿禰がその成否を尋ねると、皇后はふうと一息ついてからゆっくりと語り始める。
「まだ動ける者で戦の準備を整えてください。クマソとの決戦は明後日、場所は層増岐野。そこで再び、神の御力をお借りします」
神功皇后はアマテラスの神託通りに行動し、二日間を掛けて層増岐野へと軍を率いた。
休憩のため見晴らしの良い高台に陣を取ると、先んじて野に放っていた斥候から報告が入った。
「報告! これから南に行軍する山道の途中に、羽白熊鷲が待ち伏せをしてございます! そして我々護衛軍の後方から……クマソの大部隊が近づいてきております。おそらく近くの山裏にずっと隠れ潜んでいたものかと……」
「何い!? それを見逃していたとは! 奴ら、我々を前後から挟み撃ちにする腹づもりか!?」
その地には羽白熊鷲と徒党を組んだクマソの軍がすでに展開していたのだ。
斥候の報告が終わり、武内宿禰そして連たちの視線が神功皇后に集まった。
「羽白熊鷲、そしてクマソを恐れることはありません。すべては太陽神アマテラス様がお示しになっていたこと。私は今から再び神の御力をお借りするため儀式を行います。兵士たちには、後方から来るクマソにだけ集中するようにお伝えなさい」
「かしこまりました、皇后様」
「御意にございます!」
神の御加護が得られることを聞き、連たちは士気を落とすことなく部隊へと戻っていった。
しかし、ヤマト軍の命運を託された神功皇后にかかる重圧感は。生半なものではなかった。
皇后は神託で授かったアマテラスの言葉を反芻し、目を閉じて心の底から天に祈りを捧げる。
「貴船の神様。力の神様。弓の神様。ヤマトの安寧のため、どうかこの神功にその御力をお貸しください」
『うん、いいよ?』
緊張感のない声に神功皇后が目を開けると、おでことおでこがぶつかりそうな距離で大きな眼が視界に入ってきた。
「きゃああっ!?」
思わず神功皇后は突然のことに驚いて悲鳴が漏れてしまう。
慌てて口をふさいだ皇后はその姿をよく見てみた。
最初に皇后に話しかけてきた相手は、黄金色に光る髪をした少女……ではなく女神だった。
その後ろには双子のようにそっくりな二柱の女神、白髪長身で筋肉質の男神、そして長弓を手にした銀髪の女神が立っている。
黄金色の髪の女神はニコニコとして神功皇后に語りかけた。
「驚かせちゃってごめんね。私は単に付き添いだから気にしないで。あなたがアマテラス様に妖怪退治の助力をお願いした巫女、神功皇后で間違いないかしら?」
「はい、仰せの通りにございます。地上を荒らし回る羽白熊鷲という空を飛ぶ妖怪を倒すため、アマテラス様の信託に従い、招請いたしました」
「じゃあ、天から一緒に降臨した神を紹介するね。こちらから貴船の水神様、クラオカミ様、タカオカミ様。そして弓を扱わせたら天界イチの彩雲ちゃん。そして私は七星だよ!」
七星は神功皇后に神たちを紹介したのだが、そこに漏れた唯一の男神がツッコミを入れる。
「おいおい、その子が力の神って直々に指名してくれたのに、呼ばれた俺の紹介が入ってないの、おかしくない!?」
「ああ。タジーもいたんだ……って冗談だよ! そんな顔しないで!」
自身に対する七星のぞんざいな扱いに、力を象徴する神タヂカラオは半泣き顔を作ってみせた。
七星とタヂカラオの日常的な掛け合いであったが、当の神功皇后はただあ然とするばかりで言葉が出てこない。
「今回はタジーが活躍するまでもないかなって思ってたけど、なんかウズウズしてるみたいだね?」
「そうそう。妖怪ならこの俺様に任せとけって。それに……神功ちゃんだっけ? 妖怪なんてこの筋肉で一発さ!」
「はっ、はい。どうかよろしくお願い奉ります……」
神功皇后に力こぶしを作って見せつけるタヂカラオに、クラオカミ、タカオカミが出発を促した。
「ほれ。余興はその辺にしておいて、そろそろ参ろうかの」
賑やかしい神々の集いが終わり、それぞれの神が淡い光に包まれた。神力がみなぎった証しだ。
その温かく柔らかい光に武内宿禰が感嘆の声を上げる。
「おお、この光こそ……!!」
「間違いありません。神の御業、神力の宿りです」
神功皇后も初めて見る神々の姿に、例えようのない安心感を覚えた。
神々が出発した後、神功皇后は武内宿禰に伝えた。
「これであとはヤマトが成すべきことを成し遂げるだけです。軍の指揮は頼みましたよ、大臣」
「畏まりました、皇后様! あとはこの武内宿禰にすべてお任せください」




