第28話「神から人へ」
彩雲と七星、そして多くの神々の尽力により葦原中津国を荒らし回っていた穢悪の徒は討伐された。
ワカヒコが高天原でアマテラスに謁見し、事の成り行きと結末を丁寧に説明した結果、ワカヒコに掛けられた嫌疑は無事に晴れ、その行動の一切を不問に付されることとなった。
こうして彩雲の一家は、葦原中津国で落ち着いて暮らせるようになった、と思えたのだが。
黄泉国で死闘が繰り広げてから、早くも一週間が経過した日の朝。
――カケーッ、コッコッコッ!
彩雲たちの住む邸宅に、高天原から遣わされた神使の鶏が舞い降りた。
鶏は大きな声で宣託を告げる。
(アマテラス様からの伝言。ワカヒコ、今日帰る。今日帰る!)
「お母様、聞いて! あの鶏の神使が、お父様が今日帰ってくるって!」
慌てて母シタテルヒメにそのことを伝えた彩雲は、父を待ちわびながら家の周りをぐるぐると回った。
そして父の乗り雲が遠くに見えると、すぐに母を呼び出してワカヒコを出迎えた。
「お父様、おかえりなさい!」
「あなた。よくご無事で……」
笑顔の彩雲とは対照的に、シタテルヒメは感涙しながら出迎えた。
ワカヒコは腰をかがめてシタテルヒメを右手に、彩雲を左腕に強く抱きしめる。
サグメの呪術にかかり長く床に伏せていたワカヒコも、しばらくぶりの家族の温かさに触れて感が極まったようだ。
「ヒメ、これを返しておこう」
ワカヒコは腰巻きから神剣・十拳剣をシタテルヒメに渡そうとしたが、ヒメは首を横に振った。
「その剣はあなたがお持ちになってください。お気に入りの弓はこの子が使いたいといって、ずっと離さないのです」
彩雲は神弓・天之麻迦古弓を胸に抱きしめていた。
再び家族に危険が迫ることがあればこの弓を使って救いたいという思いからだったが、彩雲は母シタテルヒメを心配させないようにそのことは伏せて伝えていたのだ。
「お父様。この弓、私が使ったら……だめ?」
遠慮がちにワカヒコに尋ねた彩雲の本心は、ワカヒコには見透かされていたようだった。
「そんなに気に入ったのなら、この父を超えるくらい、うまく使えるようにならないとな!」
ワカヒコの返答にぱあっと表情が明るくなった彩雲は、何度も父に礼を言った。
その日の夜、オオクニヌシが大勢の国津神に呼びかけてワカヒコの生還を祝う盛大な宴を催した。
お酒が大好きなオオクニヌシは頬を赤らめて、ワカヒコの盃を満たしていく。
「しかしワカヒコ殿、本当によく生きて帰れたものだ。ワシも二回ほど死んだことはあるが、親切に助けてくれた神々のおかげで、今でもこうしてピンピンしていられる」
「私もまったく同じで、助けてくれた神々には感謝しかありません。しかし私は今回のことで、嫌というほど学びました……」
「ほう。それは……?」
「何事も独りで抱えてはいけない、ということです。私は葦原中津国の平定のため、毎日化け物と戦いました。しかし、独りでなんとかしてやろうと入れ込みすぎてしまった。周りが見えていなかったのです」
「そのことについては、そなたへの気遣いが足りなかったワシにも落ち度はある。これからはお互い、手と手を取り合って葦原中津国の安定を図ってまいりましょうぞ」
「もう、お父様ったら。お酒を飲んでるときだけ調子がいいんだから!」
シタテルヒメは父のオオクニヌシを諌めた。
ワカヒコは遠くの山を眺めながら、思い出すように続ける。
「サグメが穢悪の徒につながっているなどとは夢にも思いませんでしたが、もしかしたらあの巫女が一番の被害者だったのかもしれません。もし私が、サグメと同じように、彩雲の命運を奴らに握られてしまっていたらと思うと……」
「うむ。確かに同情はできましょう。しかし、いくらそそのかされたとはいえ、あの巫女がしたことは決して許されることではない。それに、崩壊してしまった黄泉の国を放置しておけば、穢れと死が地上に溢れて第二、第三の災厄が起こる。今後このようなことが再び起こらないよう、国譲りが無事にすみましたらワシの手であの地を立て直そうかと考えております。そこで……」
オオクニヌシの話をすべて聞き終える前に、ワカヒコはオオクニヌシの両手を取って賛同した。
「ぜひ、私にも手伝わせてください。それはこの地上を平和にするために絶対に必要です!」
そんな大人たちの会話を、彩雲はただ黙って聞いていた。
翌日。今度は高天原から遣わされた神使の燕がワカヒコの邸宅を訪れた。
(アマテラス様からの伝言。彩雲ヒメ、七星ヒメと一緒に高天原に来て、キテ!)
神使の声を彩雲とともに聞いたシタテルヒメは心配し、ワカヒコに相談した。
「アマテラス様は彩雲に話があるようです。子供たちだけで高天原に行かせるなんて……私は心配です」
「なあに、大丈夫さ。彩雲はすでに私と同じくらいの力を備えている。アマテラス様にはなにかお考えがあるのだろう」
ワカヒコはシタテルヒメをなだめ、彩雲を高天原に送り出した。
父と母が見送る中、虹色の乗り雲を呼び高天原へと向かった彩雲は、その途中で神使の伝言を思い出す。
(確かあの燕は、七星ちゃんと一緒に来てって言ってた。でも七星ちゃんはここ数日見かけてないし……どこに行っちゃったんだろう?)
「ここだよー!」
「わああ!?」
突然後ろから声をかけられた彩雲は、驚きのあまりバランスを崩して乗り雲の上で尻餅をついた。
声をかけたのは七星だった。
驚かされた彩雲は振り向いて口をとがらせた。
「もー七星ちゃん! いきなり驚かせないで」
「あはは、ごめんねえ。たった今宙から降りてきたら、ちょうど彩雲ちゃんがいたんだよ」
「え? 七星ちゃん、今までどこに行ってたの?」
「うん。ちょっと月まで父上とツクヨミお姉ちゃんにお礼を伝えにね」
七星は平然と答える。
「月って……まさか、夜にお星さまと一緒に浮かんでる、あの月!?」
「そうだよー。お父上の見舞いも兼ねてねー。今度、彩雲ちゃんも一緒に連れて行ってあげるね?」
「……月、に…………?」
七星は彩雲の質問には答えようとせず、にっこりと笑うだけだった。
二柱が高天原に到着すると、すぐに宮仕えの者たちが謁見の間まで案内した。
アマテラスは二柱をずっと待っていたようだ。
「二柱とも、よく来てくれました。今日はなにも怖いことはないから、安心してね」
そういって、アマテラスはニコニコと語りかける。
「ワカヒコや国津神の協力も得られたおかげで、ようやく国譲りが成就することになったわ。もちろん、あなたたちの活躍があってこそ、ですよ」
「いえ。私はお父様を救いたかっただけです……」
彩雲は謙遜しながら頬を赤らめる。
アマテラスはうなずき、国譲り後の世界について話し始めた。
「これから葦原中津国はヤマトと名を変え、神の直系の子孫たちが人間と一緒に……いえ、人となって世を治めていくことにします。神はこのヤマトの統治には直接かかわりません」
アマテラスの説明を聞き、七星が尋ねた。
「どうして神は関わらないのですか?」
「神の力が人と比較にならないほど強いことは確かです。そして神はこれまでずっと人の願いをかなえてきたわ。だけど、そのせいで人の子たちの成長は止まった。困難なことは全部神に頼めばいい、と。そこにつけ込み、人の心を惑わそうとする妖怪まで現れはじめました。今までと同じでは、人はその過ちを繰り返すことになってしまいます」
「神が地上から去れば、同じ力を持つ人間同士で争ったりしませんか?」
「そうですね。時に争うこともあれば、神のように全員で集まって相談しながら決めることもあるでしょう。どうするべきか、それは人の子たちが自分たちで答えを見出さなければなりません。だから今後、八百万の神が直接人間に対して神力を行使することは、禁止しようと思っているの。その代わり、といってはなんだけど、こういうものを作ったわ」
アマテラスは二柱に御守と御札を見せた。
「これにはほんの少しだけど、神力の加護を付与することができます。これを『御利益』として、神に祈り救いを求める人間にだけに授けようと思うの」
彩雲と七星は御札と御守を手に取ってみると、アマテラスの言う通り、僅かだが神力が込められているのが分かった。
「アマテラス様。今日、七星たちをここにお呼びになったのは、このことに関係しているんですね?」
七星がそういうと、アマテラスの眼がキラリと光り輝いた。
「前置きが長くなってしまったわね。彩雲姫命、七星姫命にお願いがあります。葦原中津国は人が生きていくにはまだまだ厳しい世界です。そんな環境で何も支えがなければ、人の心は荒み、他者の不幸を願うようになるかもしれません。あなた達にはこれから全国を周遊してもらい、困っている人たちがいたらその御札とお守りを授けてほしいの。地上の人々の心が穏やかになるように」
「はい。多くの人が心安らかに生きて暮らせるよう、私たちが全国を巡ります」
「まだ行ったことのない場所も多いし、彩雲ちゃんと旅ができるなら、よろこんで!」
彩雲と七星は二柱揃ってうなずいた。
「ありがとう。多くの人は、まず自らのために御利益を願うでしょう。家族を想う人は、その幸せも祈るでしょう。でも、他者のために御利益を願う人は、心が満たされている人にしかできません。そんな思いやりがあふれる世に変えていくため、あなた達の力を貸してほしいのです」
「子どもたちがお互いの幸せを願うって、素敵です」
「心が満たされたら、かー。そのためには子どもたちにも努力してもらわないとね」
こうして彩雲と七星はアマテラスの願いを叶えるため全国を周遊することになった。
二柱が高天原を後にして一週間が経った。
アマテラスはオモイカネと八百万の神に相談し、国譲りを実現するため新たに二柱の神を地上に遣わすことにした。
その神とは、建御雷神と、天鳥船神だ。
この二柱とオオクニヌシとのやり取りがあり、一悶着あったのだが、最終的には国津神から天津神への「国譲り」は無事に成就した。
オオクニヌシはその大きな功績を称えられ、出雲に大きなお社が建てられた。
その後オオクニヌシは、自身が話していた通り、黄泉国を立て直し管理する役目を果たしている。
国譲りを機に、葦原中津国はヤマトと呼ばれるようになり、太陽神アマテラスの子孫が人間となって国を治める時代が始まった。
一方、黄泉国で現在に生還したワカヒコの生活であるが……実はこれまでとさほど変わりはなかった。
「それじゃあ、行ってくるよ」
「あなた、お気をつけて。彩雲もね?」
「はい、お母様。七星ちゃんと一緒ならどこでも平気です!」
ワカヒコは神剣二振りを腰にくくりつけ、今日も地上のどこかで魑魅魍魎や化け物たちが悪さをしていないか探し回っている。
彩雲と七星は、乗り雲で全国を駆け回る日々が続いた。
しかし、二柱がいかに優れていようとも、アマテラスの望んだ世界を実現する主役は人間なのだ。
神々からヤマトの執政を託された人間たちは、神と違って特殊な力を持たない。
絶対的な力を持つ神がいなくなったことで、ヤマトの為政者の座を競って、人間の部族同士の争いが長く続いた。




