第26話「つむいだ希望」
彩雲は瀕死の友を救うため、今一度大きく息を吸った。
これまでに無いほど充実した神力の波動が、化け物たちを、黄泉国全体を震え上がらせる。
『――馬鹿な、こんな図抜けた力をなぜ子供が……!? ええい、雷神よ、鬼女よ。あの娘を今ここで始末するのだ』
石碑の声は黄泉国の化け物たちを彩雲へと駆り立てる。
ワカヒコも彩雲の邪魔をさせまいと化け物たちに立ちはだかった。しかし。
『弓も持たぬワカヒコなど敵ではない、娘ともども引き裂いてしまえ!』
武器を持たず明らかに分が悪いワカヒコを狙って、化け物たちが一斉に飛びかかった。
その刹那、ワカヒコが開けた大穴から十拳剣とよく似たもう一振りの神剣が空中の化け物を次々と貫き、ワカヒコの元に舞い降りてきたのだ。
この剣こそシタテルヒメの兄、そしてワカヒコの親友でもあるアヂスキタカヒコネの持つ神度剣という神剣だった。
「ありがたい! 化け物どもよ、俺が弓しか使えないと思ったら大間違いだ!」
ワカヒコは白く光り輝く長剣を手にして、次々と鬼たちを斬っていく。
倒れた鬼たちは、そのまま黄泉国の地面に吸収されるように消えていった。
一方、彩雲は神弓・天之麻迦古弓を使って再び過去に遡っていた。
過去の七星は、もうひとり自分、過去の彩雲の背中に手を当てて神力を送り込んでいた。
笑みを浮かべる七星は、自分が狙われていることを承知していたのだと理解した。
(七星ちゃん……今度は、私が助ける番だからね!!)
彩雲は、姿を見せない悪意の根源に、全神経を尖らせた。
ねっとりと絡みつくような視線を送る相手は、七星を貫いた黒い雷が発生した場所……空中からは感じられない。
先ほどから化け物に命令を下している石碑からも反応はない。
しかし真の敵を必ず射抜く、という決意を持って彩雲はますます集中を高めていく。
それに呼応するように彩雲の神力もまた膨れ上がり、高天原でタカミムスビと対峙したときよりもさらに大きくなっていった。
強大な神力のうねりによって地面が小刻みに揺れ、天井からは岩がボロボロと落下し始めた。
地面までが割れ始めたとき、彩雲は地の底から強い悪意を感じた。
「……見つけた! 姿を見せない卑怯な者よ。私の神力のすべてを、この一矢に――」
彩雲は先程父が討ってみせた神技【穿岩光矢】を、足元から地面に向かって放った。
神剣は大地に大穴を開けながら、その標的――黄泉国大魔王をついに捉えた。
『ギャアアアッ!!!』
地中深くから叫び声が聞こえ、地面の震動が収まる。
その過去の改変が、再び現実の結果を書き換えていく。
時間が元に戻ると、瀕死でぴくりとも動かなかった七星がむっくりと起き上がった。
七星の受けた傷はもちろん、破れた血だらけの羽織もきれいに元通りになっている。
彩雲の一撃は確実に過去の相手を捉え、そして七星を貫いた雷の攻撃を未然に阻止することができたのだ。
七星は彩雲に微笑み、ゆるやかに話し掛けた。
「おはよー、彩雲ちゃん。彩雲ちゃんなら、きっとこの未来にたどり着いてくれるって信じてたよ」
彩雲は七星に駆け寄り抱きつくと、大声で喜び泣いた。
七星は赤ん坊をあやすように彩雲の背中をポンポンと叩く。
「おー、よしよし。もう大丈夫だよ――」
しかし、これですべてが終わりではなかった。
地の底で邪悪を斬り払う神剣に貫かれたはず黄泉国大魔王、その本体がついに姿を現したのだ。
人の形を模したような姿だが、その体躯はゴツゴツとした岩で構成されている。
そして全身に浮き出た血管のような模様からはドロドロとしたマグマが溢れ出していた。
『きさま、らぁぁぁ!』
大魔王は怒りの声を上げながらも、苦悶に満ちた表情で胸部に突き刺さった神剣・十拳剣を無造作に引き抜くと、地面へと投げ捨てた。
胸に空いた大きな傷跡からは血のように溶岩が吹き出した。
だが、それも束の間だった。
溶岩が固まると傷口だった穴がふさがり、身体を構成していた岩が再び膨張を始めたのだ。
『神の末裔どもっ! 全員、生かして地上には返さぬ!!』
怒りの台詞を発した大魔王の巨体は、さらにみるみると膨れ上がっていく。
その身長は優に七星や彩雲たちの十倍ほどにまで巨大化した。
震えているのは黄泉国だけではなかった。
この怪物が地上に出れば、葦原中津国そのものが崩壊しかねない。
そのあまりの巨大さに、さすがのタヂカラオとオモイカネも圧倒される。
「あれで死ななかったのかよ……!」
「もしかして――これ、やばいかも?」
この状況の中で、七星だけが冷静に大魔王の力の根源を見抜いていた。
「この星が蓄えている膨大な熱量を吸収して回復してるのね。その供給源を断ち切らない限り、ずっと回復し続けるわ」
「――ならば、我に任せておけ」
その時、別空間に閉じ込められていたイザナギがその枷を切り裂き、イザナミを連れて七星たちの前に現れた。
「イザナギ様! それに……イザナミ様まで!!?」
タヂカラオとオモイカネは究極の神器ともいえる天の沼矛を持ったイザナギと、慈愛あふれるイザナミの姿に目を奪われた。
「我はもう下を向くことはない。我ら夫婦を引き裂いたあ奴には、一矢報いねばならぬ」
イザナギは手にした槍を地面に深く深く突き刺した。
すると黄泉国大魔王は再び苦しみだし、その傷口からは再び溶岩が流れ出てきた。
「神槍【天の沼矛】で地脈を止めた。今だ!」
イザナギが作り出した反撃の機会。だが、黄泉国大魔王も黙ってはいない。
呪力を操り、四方八方から岩石をイザナギにぶつけてきたのだ。
イザナギは傷だらけになりながらも、決して矛から手を離さない。
その必死な姿を黄泉国大魔王は侮蔑する。
『怯えながら消えてしまえばよかったものを。この王に楯突くから、そう痛い目を見るのだ。さあ、楽になれ!』
「あの時の思いに比べれば、この傷など痛いうちには入らない! そして私は再びイザナミを悲しませたりしない。貴様は、闇は、今日ここで終わるのだ!」
その時、巨岩はことごとく光の矢に撃ち抜かれ、空中でバラバラに砕け散った。
彩雲が神弓で大魔王が放ったすべての弾岩を、過去のうちに破壊したのだ。
そのおかげで、イザナギが受けた傷はすべて消え去っていた。
「彩雲ちゃん、ありがと! さっきの雷撃は結構痛かったから、大魔王には百倍で返してあげるね――【終光・連環】」
七星は大魔王に対峙し、錫杖を振りかざして神技を発動した。
最高能力者ミナカヌシは、一度相手の技を受けそのまま相手に反射する技【連環】を得意としていた。
七星は父の技を応用し、高天原でタカミムスビが彩雲に向けて放った終光を含め、あの場に展開していたすべての神力を八星杖に吸収していたのだ。
しかもこの八星杖は七星の母なる星、北斗星とつながっている。
杖に吸収された技は北斗星の熱量を吸収しながら、威力をずっと増幅しつづけていた。
七星が杖から放った神技・終光連環は、本来の威力を遥かに超える出力で黄泉国大魔王の全身を捉え、覆う岩鎧を真っ赤に溶かし蒸発させた。
跡形もなく消え去った大魔王の身体から、黄金に眩しく輝く金色水晶だけが転がり落ちた。
「ついに……大魔王を倒したか!」
「ちょっ、タジーさん! それ言っちゃダメなやつ!!」
タヂカラオが余計な一言を発したせいだろうか。
金色水晶から闇の波動が周囲に拡散していく。
石碑の間にいた様々な魑魅魍魎の中から、蛇が次々と金色水晶に吸い寄せられていった。
多くの蛇に包まれた金色水晶は急速にその姿を変化させ、ついには八つの頭を持つ巨大な多頭竜へと進化してしまった。
多頭竜の膨張は黄泉国には収まりきらず、天井にあたる山を粉々に破壊し、地上へと躍り出た。
かつてスサノオが退治したという八岐大蛇が、再び現実のものとなったのだ。
『宇宙の盟主たる我が力量との絶対的な差を噛み締めろ。絶望と苦悶に歪んだ表情だけが、我の生きがい。貴様ら、神が居なくなればあとはひ弱な人間だけだ。永遠の長きに渡って我が奴隷、いや、食料としてやろう!』
怒り狂った大魔王の究極形態、ヤマタノオロチは七星に狙いを定めて口から灼熱の火炎を吐き出した。
「七星ちゃん、危ない!!」
彩雲の叫びとほぼ同時に、七星の背中の帯から星が飛び出し、空中で台座へと変化した。
七星は台座から台座へと次々に移動していきながら火炎を避けるが、かすめて通り過ぎていく火炎の熱風が七星の輝く髪を不規則に揺らす。
オロチの吐き出した火炎はそのまま森を焼き、地面をどろどろに溶かしていく。
葦原中津国は今、黄泉国よりもはるかに酷い地獄へと書き換えられようとしていた。




