第21話「黄泉国」
イザナギが増えて五柱となった神の一行は、その日の夕刻に黄泉比良坂までたどり着いた。
数百年ぶりの景色を確かめるように、イザナギはしっかりと目を見開いて顔を上げる。
先程までふさぎ込んでいた弱気な姿はもうそこにはなかった。
一方、黄泉国に近づくにつれて彩雲は口数がめっきり少なくなっていた。
そんな彩雲にあえて七星は話し掛ける。
「彩雲ちゃん、なにか感じるの……?」
「……悲しみ……憎しみ……怒り……。負の感情がずっと荒波のように押し寄せてきてる」
「そうなのね。ここから先は不測の事態になるかもだから、作戦通りでいきましょう?」
七星がそういうと、彩雲は無言で首肯して応えた。
一行がしばらく道なりに進んでいくと、山肌の右手に大きな岩が見えてきた。
「ここだ。黄泉国の入り口は、その岩の裏にある」
過去に訪れたことがあるイザナギが入り口を指し示すと、タヂカラオが前に出て気合いを入れた。
「穴に入るのにこの岩は邪魔だ。俺が遠くに投げ飛ばしますぜ!」
「いや、その岩は~千引の岩といい、この現し世と隠り世を隔てる大事な扉でもあるのだ。今は入り口を少しだけ広げてくれ」
「わかりました! なら少しだけ、せーの……」
タヂカラオは巨岩に片手を当てると、そのままズルズルと押しのけていく。
いとも簡単に千引の岩を動かすと、七星が笑顔でタヂカラオを称えた。
「タヂカラオ様って強いんだねー、力だけは!」
「そうなんだよ、力だけはね……って、ひどくないか!?」
「きゃははっ。その調子で、緊張せずに行ってみよ~」
「この子、ここまで来ても本当にのんびりだな……」
眼を丸くするタヂカラオを横目に、七星は広がった洞窟の穴へと真っ先に入っていく。
そして再び神術を使って洞窟の中に明かりを灯した。
視界が奥の方までゴツゴツとした岩肌が続き、奥からは底冷えするような霊気が漂ってくる。
その異常なまでの不気味さに、オモイカネは思わずつばを飲んだ。
「ここから先には……入ってくるなと言ってるみたいですね」
「この先は不浄なものがいっぱい。清めなくちゃ」
七星は金色の腕輪から光り輝く錫杖、【八星杖】を実体化させた。
この杖は七星が生まれたばかりの時に、母なる北斗の星から呼び寄せられたものだ。
先端の流星を象った星には、七星だけが授かった清らかな光の力が蓄えられている。
「さあ、タジーの出番よ。もうすぐ亡者が現れるわ」
背の低い七星がタヂカラオの背中を押して最前列へと駆り立てた。
その様子を後ろから見ていたオモイカネが大幣を取り出し、すぐに祓詞という神聖な言葉をタヂカラオの背中から唱えた。
「祓い給え、清め給え。黄泉国の不浄なるモノから、天津神・アメノタヂカラオを守り給え!」
オモイカネの言葉の力が加護を与え、タヂカラオの全身が白く薄く光り輝く。
それが開戦のきっかけとなった。
子鬼が洞窟の奥からワラワラと飛び出してきたのだ。
その数、数十体。その全てがタヂカラオに飛びかかり、腕や太ももに取り付いて鋭い牙で噛みつこうとする。
しかし加護を与えられたタヂカラオの体には傷一つつけられない。
「――ハアアッ!!」
タヂカラオは気合いだけで子鬼たちを吹き飛ばした。
激しく岩壁に衝突した子鬼は、そのまま紫色の煙となって消え去っていく。
しかしタヂカラオには生気を吸われたような脱力感を覚えた。
「なんだ、今の!? オモちゃんの加護が一瞬で解けてしまった。それになんというか、あの子鬼たちは異常に軽かった。生者を相手にしているという感じが全く無いぞ」
「死体が襲ってきたっていうこと……!?」
タヂカラオの説明にオモイカネは青ざめる。
そんな二柱に、七星がめずらしく表情を殺して説明した。
「神力を吸い取られたのね。あの子鬼たちは元々幼くして亡くなった人間の子供。本来は無へと帰るはずだった。それを誰かが……いえ、黄泉国の何者かが無理やり押し留めているの」
彩雲の鋭敏な感覚は、七星の静かな怒りと悲しみを感じとった。
そしてその悪行の報いを受けるべき対象は、洞窟の奥に確実にいる。
そう思うと、神弓を握る彩雲の左手にも自然と力が入った。
◆
一方、黄泉国を統べる王、天と地を治める神と双璧を成す大魔王は、神たちの来訪を待ち構えていた。
大魔王の石碑のある居間に、幹部たちを召集していたのだ。
『我がしもべたちよ、よく聞け。あの神ですらも死に抗うことなどできぬ。この世界はすべてが死につながっている。我ら黄泉国の繁栄は、死がもたらす永遠の静寂。ならば過程などどうでも良い。手段など知ったことか。どんな手を使ってでも、奴らを黄泉国に引きずり込むのだ!』
大魔王の言葉に大勢の黄泉国の軍団が奇声のような歓声を上げる。
その先頭に立つ三つの巨大な化け物の姿がうごめいていた。
『ギギギ……神を、食える……なんて、ウレシイ……』
多足を震わせながら拙い言葉で喜びを表現したのは、人の身長を遥かに超えるムカデであった。
その名を黄泉大百足といった。
その全身には人間が触れればたちどころに絶命してしまうほどの猛毒が巡っている。
鋭い牙からは、強い粘性を持った緑色の毒液がとろりとこぼれ落ちた。
いくら神でも、この牙に噛まれれば決して無事で済むはずがない。
『フシュルシュル……ワシは幼き子供が食べたいのぉ……固くてマズい大人は喰い飽きたわい』
ヨモツノオオムカデに続き、地中からにゅっと不気味に現れたのは、巨大な赤い大蛇だ。
この蛇は、かつて天津神の使いとして葦原中津国に寄越された、真っ白な蛇の神使だった。
しかし白蛇は神の命を受けて要件を済ませたあと、天に帰る道の途中に人間に毒蛇と間違われてなぶり殺されてしまったのだ。
白蛇は人間への恨みから黄泉国で化け物となってしまい、再び葦原中津国に戻ると他の動物には目もくれずに、人間ばかりを狙って襲い始めるようになった。
ヨモツノオオムカデのように牙に毒はないが、赤い体表面は猛毒を吸着させたものであり、触れたものを必ず麻痺させる。
これを利用して人間を生きたまま片っ端から食べ尽くしてしまうのだ。
多くの人間を襲うようになってから、白蛇の体はどんどん肥大になっていき、今では口を開ければ立ったままの人間がすっぽりと入るほど巨大化していた。
そして三体目。
全身を鎧のような筋肉で固めた鬼が、かろうじて暴走の一歩手前で踏みとどまっていた。
『……天邪鬼の……弟分の敵は、必ず取る……小娘共、ぐちゃぐちゃに潰してやる』
この鬼こそ、神弓・天之麻迦古弓を奪うために彩雲を追いかけ、水神と対峙した悪鬼・天邪鬼の兄貴分、名を天魔雄という。
マユウの全身からみなぎる呪力は、天邪鬼のそれは次元が異なると言っても過言ではなかった。
人間よりも遥かに力が強い鬼族は、国津神に代わって地上を制覇しようとし、あちこちで動乱を起こしていた。
勿論、神が鬼たちの横暴を黙って見過ごすはずがない。
天神地祇によって討伐された鬼たちの生き残りは、マユウを筆頭として復讐を果たすため黄泉国で大魔王に忠誠を誓ったのだ。
「――御前である、静まりなさい!」
いつしか化け物たちの前に立っていたアメノサグメが一喝すると、化け物たちは不満げな表情を浮かべた。
しかし、大魔王の筆頭幹部であるこの女神には従わざるを得ない。
場が静まり返るとサグメは石碑に振り返り一礼し、今度は穏やかな口調で報告を行った。
「大魔王様。言付けのとおり黄泉国三将、ここに参集いたしました」
『ご苦労であった、サグメよ。短期間の内に、全国に散らばっていた軍勢を集めたそなたに、褒美を取らせよう』
「ありがたき幸せ。しかし、褒美……でございますか?」
『そうじゃ。そなたが待ち望んでいたもの、といえば分かるか?』
「――――!!」
大魔王の言葉に、サグメはもしやという期待を寄せる。
そして目前の光景がにわかには受け入れられず、眼を大きく見開いた。
『今しがた、ようやくお前の息子を腐食の連鎖から救い出すことができた。約束通り、お前に返そう』
「あ、あ、あ、ああああ――!!!」
石碑から布にくるまれた赤ん坊が姿を現し、そのまま宙を浮かんでサグメの方に移動してきたのだ。
その姿を見たサグメは軍団の前にもかかわらず、歓喜の叫び声をあげずには居られなかった。
十年以上前のあの日、我が子が息を引き取ってから絶望しつづけた毎日がようやくここに終わる。
「わだじの、赤ちゃんっ、大魔王っ、様あっ、ありがとうございますっ、ありがとうございますうううう!!!」
泣きじゃくったサグメは赤ん坊を抱きかかえたまま、ありったけの声量で感謝を述べると、へたへたと座り込んだ。
『そう大声を出すでない、赤ん坊が目を覚ましてしまうではないか……クックックッ』
大魔王は不気味な声でサグメをたしなめるが、サグメにとって大魔王の言葉はこの上なく甘美な旋律を奏でるようにしか聞こえない。
そして、改めて大魔王に忠誠を誓う。
――どんな神でも成し得なかった、我が愛する息子の「黄泉がえり」を果たしたのだから。
その代償として、高天原を、八百万の神を、ワカヒコを、その家族を裏切ったのだ。
『もうじき五柱の神々がここにやってくる。よいな、私の手筈通りに抹殺するのだ――』
大魔王の下命が、黄泉国全軍に下された。




