第18話「彩雲の決意」
「……なんで七星ちゃんがそのことを……!?」
彩雲は心の底から驚き、反射的に七星の真意を確かめる言葉がついて出た。
しかし七星はいつものふわりとした雰囲気そのままだ。
「そのことは地上に降りてからゆっくりお話ししよ。それよりもねー、オモイカネ様ぁ!」
にこやかに微笑み返した七星は、彩雲の質問を躱わしてオモイカネに話し掛けた。
「なんだい七星ちゃん?」
「オモイカネ様には、タカミムスビ様が持っていた天の羽羽矢を彩雲ちゃんに返してほしいの。それくらいは、今日のしょく罪として当然よねー?」
「うう……そういわれると逆らえないよ。分かった、あの矢はなんとかするから。その代わり教えてほしいんだ。どうしてミナカヌシ様や僕の父上タカミムスビが、穢悪の徒っていう連中から逃げることになったのか。その経緯を」
「オモイカネ様は、本当はそれが聞きたくてここまで私達を追いかけてきたんだね?」
「……正直にいうとその通りだよ。だってこんな話、どんな神の前でも気軽に話せることじゃないから……」
オモイカネは至って真剣な表情を崩さない。
それを確かめた七星はふうと一息ついてオモイカネの質問に答えはじめた。
「お父様の記憶では、敵はとにかく総じて卑怯な手を使っていたわ。愛する者をさらい、盾にして逆らえないようにしたり……。だけど、腑に落ちない点があるのよね」
「腑に落ちない?」
「うん。それはね、お父様たちの行動が全部筒抜けになっているんじゃないかってくらい、穢悪の徒に先回りされていたこと。なぜかは分からないけど、神が使う占術よりも高度な……未来を予知する能力を持っていると思う」
「それは例えばじゃんけんで、相手が何を出すか常に分かっているってこと?」
「まさにそれね。もし本当にそんな事ができるのなら、卑怯な手を使わなくてもいいと思うけれど。まあ、たとえ未来が予知できたとしても、勝機が消え去ったわけじゃないから」
七星が口にした勝機について、オモイカネがピクリと反応した。
オモイカネがそのことを尋ねようと口を開いた瞬間、七星は小さな両手でその口をふさいだ。
「これ以上は内緒だよ。オモイカネ様は知識の神なんだから、話を聞くだけじゃなくって自分で色々調べてみて。葦原中津国の最前線で何が起きているのか知るのは大事なことだから」
「……うう。七星ちゃんには頭が上がらないなぁ」
「じゃあ七星達は地上に戻ってますからね。行こう、彩雲ちゃん」
七星は話を切り上げると、トヨクモノから授かった金雲を呼ぶ。
彩雲も空に呼びかけて虹色の雲を呼び寄せた。
「じゃーまたねー!」
「オモイカネ様、天の羽羽矢のこと、よろしくお願いします」
知識の神オモイカネは、雲に乗って地上へと降りていく二柱の女神の帰還を、手を降って見送った。
そしてその姿が遠く見えなくなった時、オモイカネははっと気付いた様子で思わず顔をしかめた。
「しまった、もう一つ大事なことを聞きそびれちゃった!」
オモイカネの父であるタカミムスビの最強神技、終光。
それを難なく止めた七星は、ミナカヌシと北斗星の記憶を合わせ持っていると言った。
先程の話がタカミムスビの語った穢悪の徒の特徴と一致していることから、記憶の件は確かだろう。
では彼女が口にした「ワカヒコを救いに行く」とは何を意味しているのか。
オモイカネは思案をめぐらせる。
(ワカヒコさんがいくら強い神だったとはいえ、一度死の床についた神が復活するなど本当にあり得るのだろうか……だが、さっき彩雲ちゃんが驚いていたところを見る限り、その言葉も嘘ではないのだろう。ではミナカヌシの特殊な力、それとも北斗星が関係しているのか……)
「うーん、七星ちゃんの考えが読めないんだよなぁ。僕ももっと洞察力を身に付けないと。とりあえず宮殿に戻らなくっちゃ。うーん、お父上になんと言えばいいのか……」
オモイカネは自問自答を繰り返しながら登ってきた山道を降りていった。
一方、七星と彩雲が地上に降りたのは夕暮れ時。夏の太陽は水平線の向こうに隠れようとしている。
二柱の影が大人のように背を高く伸ばした時、彩雲は話を切り出した。
「七星ちゃん、さっきの続きだけど。なんで私の考えていることが分かったの?」
「うん、オモイカネ様の前では話さなかったけれど、その神弓・天之麻迦古弓は元々【穢悪の徒】の幹部が使っていたの。敵と、父上ミナカヌシとの凄まじい闘いの末、その弓を偶然手にしたんだ。その弓は威力もすごいけれど、本当の能力は……過去を改変することだわ」
背中から父の形見の弓を取り回した彩雲は、じっと弓を見つめる。
「そう、だったのね。私がこの弓で鬼を倒した時、お父様の声が聞こえたの。この弓は真の過去を取り戻すことができる弓だって」
悲哀を隠すことが出来ない彩雲に、七星は優しく語りかけた。
「ワカヒコ様も気付いていたはずよ。この弓だけが持つ究極ともいえる力と、それを悪用された場合の恐ろしさが。だからワカヒコ様は他の誰でもない、あなたに弓を託したと思うの」
「………………」
「過去にさかのぼってワカヒコ様の死を回避するには、ワカヒコ様をそそのかして神使を撃たせた張本人……過去のアマノサグメを討ち取るしかない。それができるのは、あの時、屋敷の影でその現場を見ていた唯一の存在――彩雲ちゃん、あなただけよ」
「私……サグメさんを討つ……覚悟はあるよ。でも、私が遡れるのはほんの僅かな過去の時間でしか無いの。もう試したから……。あれから八日も経ってしまってる。もう私じゃ、お父様を助け出せないよ!」
彩雲は話している内に父を取り戻すことが出来ない絶望感に襲われ、涙を流しながら地面に座り込んでしまった。
「なーんだ、そんなことで悩んでたんだー!」
「え……?」
七星は彩雲の左肩に手を乗せて優しく語りかける。
「その弓は遡る時間が長ければ長いほど、消費する神力は膨大になっていくの。足りない神力は七星が補うから、彩雲ちゃんは狙いを外さなければ大丈夫なんだよ」
彩雲は七星の手を通じて圧倒的な神力が流れ込んでくるのを感じた。
「す、すごい! こんな神力、お父様からも感じたこと無いよ……!」
「えへへー。北斗星の光と加護は、常に七星を守ってくれるんだ。だから、任せておいて!」
「ありがとう……ほんっとうにありがとう、七星ちゃん! 今日、天で助けてもらったばかりなのに、また次も助けてもらうことになるのは申し訳ないわ。私が七星ちゃんにできることがあれば、なんだってするから!」
彩雲はすぐに立ち上がり、七星の手を握って何度もお辞儀をした。
「そうねえ。ワカヒコ様救出作戦がうまくいったら、今度は七星のわがままを聞いてもらおうかなー。何をお願いするかは考えておくから。その時まで、この弓のことは二柱だけの秘密にしようね?」
「うん。分かった、絶対に約束するよ! 絶対に、絶対だよ!」
彩雲が家路に向かう途中、何度も七星に振り返りながら手を振る。
その姿が見えなくなるまで七星も手を振って見送った。
太陽が地平線の向こうに沈んでいく。
七星は独りその場に残って、草原の上で寝転がっていた。
雲ひとつ無い夜空には美しい星たちが散りばめられている。
その中でもひときわ強く輝く北斗の星を見つめながら、七星はつぶやく。
「うん。心配してくれてありがとう、お母様。七星は大丈夫だよ。お父様やあの子のためだけじゃない。このままだと、あの存在はきっと多くの災厄をこの地にもたらすわ。今まではずっと見ていることしかできなかった。だから、こうして動けるようになれた今、七星は少しでも多くの命を救いたいの」
刹那、北斗星の方角から流れ星が一つ、こぼれるように落ちていった。
「……うん、七星は助からないかもしれない。その時が来る前に、七星はもう少しだけこの世界を楽しんでみるよ」




