第14話「高天原」
乗り雲は彩雲が体験したことのない速度で美しい空を駆け抜けていく。
彩雲は風にたなびく美しい銀髪を左手で押さえながらオモイカネに尋ねた。
「私でもこういうふうに雲を呼べるようになるんですか?」
「そうだね。雲の神として名高い豊雲野神が高天原にいらっしゃるから、あとで紹介するよ。彩雲ちゃんから直接お願いするといいよ」
「はい! ありがとうございます」
彩雲を乗せた雲は空に浮かぶ真っ白なわた雲をも突き抜け、青い高みを目指してどこまでも進んでいく。
大地が遠のき、自分が居た場所がどのあたりか正確に示すことができなくなったあたりで、オモイカネが宙を指差して彩雲に教えた。
「この方向にもうすぐ見えてくる島が高天原だよ」
すると、今まで何もなかった場所に突然、空に浮かぶ大きな島がうっすらと見えてきた。
島に近づくにつれて、その巨大さが顕わになってくる。
彩雲にはそれを島と呼ぶより、空に浮かぶ大地と形容したほうが合っている気がした。 それと同時に、彩雲には一つの疑問が浮かぶ。
その質問を先読みするかのように、オモイカネが彩雲に説明をした。
「高天原は外部から見えないよう、普段はその姿を隠しているんだ。こうして近づかないと分からないようにね。そのせいで、天からもまた地上がよく見えないのが難点だね」
オモイカネの話を聞いて、彩雲はなぜ高天原が姿を隠さなければならないのか不思議に思った。
だが、父の故郷である高天原の美しい景色に目を奪われてしまい、オモイカネに聞きそびれてしまった。
雲はそのまま高天原の上空を飛び、二柱を立派な宮殿の前へと運んだ。
朱に美しく塗られた大きな鳥居の向こうでは色鮮やかな服を着重ねた宮仕えが行き交っている。
彩雲にはすべてが初めて目にするものばかりで、思わず立ち止まってキョロキョロとしてしまう。
「さあ、奥に進もう」
オモイカネに誘われて、彩雲は神弓を背に掛けたまま歩を進めた。
宮殿の中は外から見た時よりもはるかに広く感じられるほど奥行きがあった。
壁には華美な装飾の蝋燭台が一定の距離を保って並べられ、明かりが途切れることはない。
長い廊下を歩いている途中、オモイカネが彩雲に話しかけた。
「ここまで来てなんだけど、彩雲ちゃんに会いたいという神は、あのアマテラス様なんだよ」
「そうなのですね。よくお父様から……いえ、お名前だけは……」
話している途中、彩雲は言葉をうまく繋げられなくなってしまった。
昔は事あるごとにアマテラス様のことを話していた父が、いつの日からかその名前を全く口にしなくなったことを思い出した。
彩雲は、父とアマテラスとの関係が微妙に変化したことを子供心にも理解していたのだ。
「……それじゃあ、入るからね」
案内された先の部屋はかなり広く、入り口から入って正面奥には二つの高御座が鎮座している。
彩雲が立ち止まると、それぞれの高御座から神が姿を現し彩雲を見下ろした。
向かって左側の一柱は女神。彩雲の母シタテルヒメとはまた異なる美しさを秘めていた。見上げる彩雲とはかなり距離が離れていても、他の神とは明らかに異なる威厳と神力が伝わってくる。
次に彩雲は向かって右側、もう一柱は男神に目を向けた。
無表情のままじっと彩雲を見つめているその鋭い眼差しが、彩雲には全身に針が突き刺さってくるかのように感じられた。
男神とは初対面のはずなのに、なぜか自分をいぶかしんでいると本能的に感じ取った。
彩雲と男神との間に限界まで張り詰めた空気をまるで読まないかの如く、女神は涼しげな声で彩雲に話しかける。
「よく来てくれましたね。私がアマテラスです。あなたのお名前を教えてちょうだい?」
高天原を統べる統治神、アマテラスの名前は八歳の彩雲でも当然知っている。
優しく語りかけてきたアマテラスに対し、感受性の強い彩雲にはまるで太陽のように眩しく映った。
同時に偉大な存在であることを再認識しながら、彩雲は緊張することなく答えた。
「私は彩雲姫命といいます」
「そう、とてもいいお名前ね。あなたの父はアメノワカヒコ、で間違いはない?」
「はい。そうです。私の母はシタテルヒメです」
「そうなのね。あなたの父ワカヒコに関しては、あなた達ご家族にはお気の毒な結果となってしまったわ」
アマテラスはワカヒコの死に心から哀悼の意を表し、彩雲に質問を続けた。
「彩雲、あなたに聞きたかったの。父ワカヒコは地上……葦原中津国でどのように振る舞っていたのかを」
「どのように……って、どういうことですか?」
「例えば、地上で他の国に攻め込んだり、部下を従えて訓練したり、とか……?」
アマテラスは父のことが気がかりだったようだが、父と共に長い時間を過ごしてきた彩雲にはアマテラスが例に挙げた行動など思い当たるフシはなかった。
なぜアマテラスがそのようなことを聞いてくるのか彩雲ははっきりとは分からなかったが、父に対して何らかの疑念を抱いていることは理解できた。
そして、父が疑いを持たれているようなら、自分が無実を証明しなければならないとも考えた。
「そんなことはしていません。父は毎日毎日、地上を荒らす化け物をたった独りで退治してくれました。私はそんな父が大好きです、今でも……」
彩雲はアマテラスの疑惑をきっぱりと否定した。
父のことを思い出すと、まだ少し目が潤んでくる。
彩雲が指で涙を拭っている途中、隣で話を聞いていた男神が続けて質問をしてきた。
「アメノワカヒコは高天原を裏切り地上を征服しようと企み、領土を拡大していった。そうではないか?」
「――違います! 父はそんなことをするはずがありません!」
彩雲は男神の尋問を気丈に否定した。
しかし、なぜか男神はなおも食い下がってくる。
「ならば、なぜワカヒコは我々が遣わした神使……神聖なキジを撃ち殺したのだ? この血のついた天の羽羽矢が何よりの証拠だろう!」
男神が差し出した右の手の平には、間違いなく天の羽羽矢であった。
彩雲はその時のことをはっきりと覚えている。
「お父様はサグメの言うとおりにしただけです。サグメは不吉な鳥だから撃ち殺して、と言っていました。私は建物の影からその様子を見ていたから知っています! 本当です!!」
「……そうだとしても、でもワカヒコは邪な心を持っていたに違いない。私の誓約を施した矢によって、討たれたのだからな」
彩雲は目の前にいる男神の言葉に絶句した。
そして言葉の意味をもう一度咀嚼し、結論を得た。
「……あなたが……お父様を撃ったのは、あなたなのね…………!!」
彩雲の感情の昂りは頂点に達し、すさまじい神力は高天原の宮殿内部を瞬時に覆い尽くした。
「何なの!? この神力の波動は……!!」
「幼き神がここまでの力を持っているとは!?」
アマテラスとオモイカネは彩雲の発する神力に驚いた。
しかしそれだけでは収まらなかった。
父を奪われた彩雲の怒りは神力の放出をますます加速させていく。
宮殿内を吹きすさぶ風の中で、男神は彩雲に警告を発した。
「お前が父ワカヒコと同様、この高天原に背くと言うなら父と同じ道をたどるであろう。その神弓は返してもらう」
タカミムスビが右手を掲げると、彩雲が背中に掛けていた神弓・天之麻迦古弓がふっと空中に浮き、右手に吸い寄せられていく。
「それはお父様が私に託してくれたもの! あなたなんかに渡さない、絶対に!!」
彩雲が弓に向かって左手を差し出すと、弓はタカミムスビと彩雲とのちょうど真ん中で方向を変え、再び彩雲の手に戻ってきた。
「馬鹿な。造化三神である我の力が及ばぬだと!? 危険なり、この娘は今ここで討つべし!!」
「タカミムスビ、あの子を刺激するのは止めて! 私達が聞いていた話とは違うわ!!」
タカミムスビの宣戦を諌め、アマテラスが仲裁を試みた。
しかし、時すでに遅し。
彩雲とタカミムスビの二柱の凄まじい神力のぶつかり合いに、アマテラスとオモイカネはとても間に入っていけない。
うかつに割って入ろうものなら、神といえども全身がバラバラに切り刻まれてしまうだろう。
「あわわわ。大変なことに……!」
宮殿全体が神力の奔流を受け、ミシミシと音を立てて軋む。
その時、タカミムスビがついに動いた。




