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第11話「北斗の光」

「ああ、なんということだ……。イザナミが黄泉国に堕ち、子どもたちの永遠の命が削られ、ワカヒコまでもが……。これではあの悪夢の時代の繰り返しではないか……!」


 神々たちの悲哀を月の上で嘆く神がいた。

 そして、もはやその表情をはっきりと見ることは誰もできない。

 全身が透明で淡く光る神の名を、天之(アメノ)御中主神(ミナカヌシノカミ)という。

 しばらくすると、一柱の美しい女神がミナカヌシに近づいてきた。

 真っ白な長い髪をたたえたその姿は、アマテラスにどことなく似ている。

 女神はミナカヌシに寄り添いながら尋ねた。


「ミナカヌシ様、教えて下さい。ワカヒコの娘が討ち取ったとはいえ、あの鬼のような悪しき存在がなぜ葦原中津国にいたのでしょう?」


 ミナカヌシは眼下で青く光る星を眺めながら、つぶやくように答える。


「残念だが、私はその答えを持ち合わせておらん――ツクヨミよ」


 ツクヨミの本名は月読命(ツクヨミノミコト)という。

 アマテラス、スサノオ、ツクヨミの三柱は、国産みの神であるイザナギから生まれた三貴子とよばれる兄弟だ。

 ツクヨミはミナカヌシに語り始めた。


「私は、父イザナギから夜の世界を治めるように仰せつかってから、これまでずっと葦原中津国を見てきました。しかし神々同士の諍いは絶えず、時には神が神を殺し、黄泉の国は勢力を増すばかりです……」


 そこまで話して悲しげな表情を浮かべたツクヨミに、ミナカヌシは答える。


「……ツクヨミのいうとおりだな。国を『固めた』ときには、あのような存在は微塵もなかった。それに、我々の力の及ばない黄泉国が作られる要素などなかったはず……」


 ミナカヌシはしばらく考え込んでいるうちに何かを思い出したのか、顔を上げてツクヨミに尋ねた。


「ツクヨミよ。私とタカミムスビ、カミムスビの三柱が、別の時空からこの世界に転移してきた存在であることは覚えておるか?」


「勿論です。太古の昔、ミナカヌシ様は時空の壁を超える際、存在するすべての力を使い果たし、その影響でお姿すら見えなくなってしまったことも」


「ああ。しかし、私たちがなぜこの世界に移ってこなければならなかったのか。その理由については説明していなかったな」


 ツクヨミはコクリと頷き、黙ってミナカヌシの話を待った。

 表情をうかがい知ることは出来なくても、話の内容が深刻であることは感じ取れた。


「我々が元々いた世界には、神と敵対する存在がいた。その圧倒的な力に対抗することが出来なかったから、逃げてきたのだ。絶対に奴らと交わることのないよう、異なる時空の扉まで開いてな」


「まさか! ミナカヌシ様は八百万の神々の中でも最強の力を持ち、究極神と讃えられるお方。負けることなど、万に一つもない偶然でございましょう」


「いや、本当のことだ。私に万能の力があったならば、その力を振るい困難な敵も払えたであろう。しかし、あ奴らは違った。私の技、戦略、思考、そのどれもが一歩及ばなかった。すべて手の内を見透かされていたように、ことごとく先回りされたのだ」


「……ミナカヌシ様がそこまで仰る敵とは、一体――」


「うむ。そのことを話す前に、やるべきことがある。私の予測が正しければ、あのワカヒコの娘、彩雲もそう遠くない未来に命を落とすことになるだろう」


 ミナカヌシは両手を広げ、美しく輝く数千億もの星々の中から特に強く輝く星に強く願った。


「この宇宙で最強の光をもたらす北斗の星々よ。どうか私たちに力を与えてほしい。そしてあの子が困難に打ち克つための、希望の光を――」


 そう伝え終わると、北極星を中心に周囲の星たちがミナカヌシの願いに応えるように強く光り輝いた。

 光はミナカヌシの両手にだんだんと集まりはじめ、ゆっくりと神の姿へと変貌を遂げていく。

 そしてついに一柱の幼い女神が誕生した。

 髪は星々の光をたっぷりと蓄え、落ち着いた金色に輝いている。

 ツクヨミが幼い女神のために神力で衣と袴、足袋を作ってあげると、女神はすぐに元気よく立ち上がり、愛くるしい表情で挨拶した。


「ありがとー! お父様ぁー、お姉さまぁー!」


「お、父様……?」


 ツクヨミが首を傾げてつぶやくと、幼い女神は答えた。


「そうだよ。ちなみにお母様は、あの北斗星なんだよ?」


 幼い女神は遥か彼方、北斗の星々に指を向けると、天空が幼い女神の誕生を祝うようにより一層、力強く光り輝いた。

 ミナカヌシも誕生したばかりの女神を抱え上げて喜びを隠そうとしない。


「独り神であった私にもこうして子供ができるとは。ほおら、高い高いー!」


 ミナカヌシは性別を超えた究極の神。

 本来であれば孤高の存在であるが、望外に子供が出来たせいか、急にでれでれとし始めた。

 その変貌ぶりにツクヨミは呆気にとられながらも確認する。


「ミ、ミナカヌシ様。その子は一体……?」


「私の子ども……だけど、なんて呼んだらいいのか……」


「いや、名付けないと。まだ名前がありませんし」


「そうだな。えーっと…………。よし。この子はあの北斗の星々にちなんで、七星姫命(ななせひめのみこと)と名付けよう」


「七つの星と書いて七星……。うん、今から私は七星だよ!」


 名前ができて喜ぶ幼い女神、七星を見つめながらツクヨミは尋ねた。


「生まれたばかりなのに、どうしてこんなに言語理解が早いの……?」


「それはな、私の知識と記憶すべてをこの子にも与えたからだ」


「ええっ!?」


 ミナカヌシの説明にツクヨミは心底驚いて七星を再び凝視する。

 しかし当の七星はどこ吹く風で、眼下の青い星を指差した。


「七星は遠い宇宙から、ずっとこの星を見てきたんだ。だって青くてすっごくきれいだし、いろんな事が起こるんだもん。それに、お父様の考えているとおりだよ。あの忌まわしき存在はお父様たちが訪れるより早くこの星にたどり着き、そして取り憑いた。ワカヒコ様を苦しめていたモヤモヤ、天邪鬼の呪詛で岩に宿ったあの紫色の光は、お父様たちが穢悪(あいあく)()と呼んでいた存在で間違いないの」


「え!? 七星、それは…………本当か!!?」


 ミナカヌシは、自らを七星と名前で呼ぶ我が子の説明を聞き、衝撃のあまりにうまく言葉を紡ぐことが出来ない。

 ミナカヌシの心に、信じられない、信じたくないという思いが交互に去来する。

 混乱するミナカヌシを横目に、ツクヨミが七星に尋ねた。


「穢悪の徒……? それこそが忌まわしき存在の根源なの?」


「うん、そーだよツクヨミお姉ちゃん。それに七星、知ってるよっ」


 七星はそういって、今度はツクヨミに思いっきり抱きついた。


「お姉ちゃんはずーっとこの月で、人間こどもたちが夜に迷わないように太陽の光を照らしてくれてたんだよね。本当にありがとうね!」


「まあ……この子は……」


 相手は子供だというのに、ツクヨミは例えようのない安心感に包まれた。

 ツクヨミの母イザナギは黄泉国(よみのくに)で穢れてしまい、ツクヨミが生まれてから一度も会えていない。

 しかし今七星を抱きとめている自分は、なぜかまだ見ぬ母親に抱かれているような暖かい温もりを覚えた。これまで父イザナギの命に従っていただけで、母イザナミの愛情に飢えていたツクヨミは、幼い神の精一杯の感謝に思わず涙を流した。


「お姉ちゃん、お父様。早速なんですけど、七星はあの子の力になってあげたいの。これからすぐに地上に降りて、あの子の願いが叶うように手伝ってくるね?」


 ミナカヌシとツクヨミは、七星が突然地上に降りると聞いて驚く。


「ええええ! もうちょっとお父様と遊んでもいいんじゃない!?」

「もう行ってしまうの!? お姉ちゃん、とっても寂しいわ……」


「えへへ。七星もそうしたいけど、早く行かないと間に合わなくなりそうだから……。母なる北斗の星たちよ。敵はいまだかつてなく強大。なので、七星にさらなる力を与えてちょうだーい!」


 七星姫命の願いに応えるように、天に一筋の流れ星が走った。

 その軌道上から流星をかたどった一丈の杖が七星の手元に運ばれた。

 七星は振り返りミナカヌシに告げる。


「お父様。散り散りになっちゃったお父様の身体の粒子を集めてもらえるよう、七星から北斗星に頼んだから。数万年はかかるかもしれないけど、ここで七星たちを見守ってちょうだいね。また寂しくなったら会いにいくからね!」


 七星はそういってミナカヌシに再び抱きついた後、手を降って地上へと飛び立っていった。

 ミナカヌシはしばらく固まっていたが、突然月面に寝転んで手足をじたばたとし始めた。


「七星に会いたいよー。もうお父さんはさみしくなっちゃったよー!」


「親バカ始まった! もー、ミナカヌシ様。しっかりして下さいよー!」


 駄々をこね始めたミナカヌシを見て、ツクヨミは呆れ顔で突っ込む。

 そして青い地球に向かって降りていく一筋の流星を見てつぶやいた。


「七星ちゃん。彩雲姫のこと、頼んだわよ」


 光球に包まれた七星は、だんだんと近づいてくる水と緑に溢れた星を見て、喜びと期待を隠しきれないでいた。

 幾星霜もの気の遠くなるような時間を、ただ見ているだけしかできなかった星の記憶。

 決して辛かったわけではなかった。それが当たり前だったから。

 しかし、アメノミナカヌシの知識を持って生まれたときから、同じ位置に留まり続けることはもうできなくなった。

 七星の脳裏には美しい自然の映像が次々と浮かび上がる。

 自分も早くあの地に立ちたい。


「――あそこね」


 神の目を持ってしても見破ることが出来ないほど精巧に作られた高天原全体を覆う迷彩。

 彩雲が悪意を敏感に察知できるように、七星もまた光の変化に鋭敏な感覚を有していた。

 微妙な光のゆらぎで高天原の位置を特定した七星は、また一段と降下の速度を上げた。

 その日、流星の尾は地上からもよく見えたという。

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