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第10話「ワカヒコの死」

 神使を撃ち抜いた神聖の矢はなんと高天原、天安河の河原近くにある宮殿にまで届いた。

 神弓で放たれた矢の衝撃は凄まじく、宮殿内に居たアマテラスとタカミムスビは驚いて音のした場所に駆け寄った。

 血で真っ赤に染まった矢が柱に突き刺さっているのをタカミムスビが見つけ、さらに驚愕することとなった。


「この矢は……アメノワカヒコに授けた天の羽羽矢に間違いない!」


 アマテラスはタカミムスビの証言を聞いて決心する。


「急いで神々を招集してください――」


 この喫緊の状況に対処するため、アマテラスとタカミムスビは再び天安河の河原に八百万の神を集めた。

 タカミムスビは神力を行使し、神々の前で矢に誓約を施す。


「もしワカヒコが命令に背くことなく、地上の乱暴な神を射抜いた矢がここまで届いたのであれば、この矢がワカヒコに当たることはない。だが、ワカヒコが邪な心を持っていたならば、この矢はワカヒコを貫くだろう!」


 そう宣言したタカミムスビは、葦原中津国から天の羽羽矢が通って来たときにできたと思われる地面の穴に矢を投げ返した。


   ◇


 空が薄らと明るくなりかけた早朝。

 前日の夜に駄々をこねた彩雲姫は父ワカヒコの隣で一晩を過ごし、いつもよりも早く目覚めた。

 大好きなワカヒコは長らく体調が思わしくないようだったが、今は落ち着いて眠っているようだ。

 だが、目には見えないもののやはりモヤモヤとした悪い空気が父をまとっているように感じる。

 彩雲は生まれつき邪悪な存在に対して過敏とも言えるほどの超感覚を有している。

 なにか悪いことが起きなければいいけれど。

 そう願いながら彩雲が父の寝顔をじっと見つめているうちに、ワカヒコも目を覚ました。

 彩雲は嬉しくなって父に呼びかける。


「おはようございます、お父上!」


 ワカヒコが彩雲に向かって微笑みを返したその時だった。

 刹那、雷のように屋敷の天井を突き破ってきた一筋の矢がワカヒコの心臓に突き刺さった。

 それこそがタカミムスビが放った天の羽羽矢だった。

 破邪の効果を持つ矢はワカヒコを包んでいた邪な呪術をも消し飛ばした。


「むぐっ――!!?」

「お父様!?? お父様あぁー!!!」


 ワカヒコは自らの胸に突き刺さっている矢が天の羽羽矢であるのをみて、それが天津神による「攻撃」だと瞬時に理解した。

 呼吸もままならない自分がもう助からないことを察知し、しがみついて泣き叫ぶ彩雲に最期の言葉を託す。


「――彩雲、これを持って……逃げ……なさい。遠く、遠くに…………!」


「いやぁ!! いやぁだぁ!!!」


 ワカヒコは枕元に立て掛けていた神弓・天之麻迦古弓を彩雲に託し、そのまま息を引き取った。

 父が死んだことを受け入れられない彩雲は泣きながら父を呼び起こそうとする。

 だが自分の力では父を救うことが叶わないと悟ると、彩雲は弓を抱えて邸宅を飛び出した。

 母シタテルヒメから、祖父に当たる大国主神は他の神たちの力で何度も生き返ったことを聞かされていた。

 母ならば父を生きかえらせることができるかもしれない、と考えたのだ。

 昨晩は離れの邸宅に泊まった母の元へ急ぎ走り出そうと通りに出たところで、向こうから今まで感じたことのないほどの悪意が近づいてくるのを感じ、彩雲は戦慄した。

 そしてその悪意こそが父にまとわりついていた悪しき存在を濃縮したものだ瞬時に分かった。


「……なんで……!?」


 彩雲に近づいてくる悪意は暗い霧から手、足、頭と徐々に姿を現した。

 それは彩雲の身長の三倍以上もある、大きな、とても大きな異形の鬼であった。


『――ギヘッ! この時をずっと、ずーっと待っていた。その弓を……ワシによこせえええええっ!!』


 鬼は彩雲を捕まえようと両手を伸ばしてきた。


「いやああああ!! 誰か、助けてえぇぇー!!!」


 彩雲は泣き叫びながら鬼に捕まらないよう必死に走って逃げた。

 ドンドン、ドンドン!

 朝日が見え始めても、鬼は大きな足音を立てて自分を追いかけてくる。

 幼少とはいえ神たる彩雲の走る速度は人間の数倍にも達していたが、全力で追いかけてくる巨体の鬼を振り切ることができない。

 ――父ワカヒコが逃げるように自分に伝えたのは、この鬼のことだったのか。

 ――今からでも母に頼めば、父は助かるのだろうか。

 ――いや、なんとしてでも助けなければならない。

 彩雲はそう考えるうちに鬼そのものに対する恐怖が次第に薄れていき、冷静な思考を取り戻しつつあった。

 彩雲が父ワカヒコの強さを背中から見てきたおかげだった。

 とにかく弓を落とさないよう両手で握り、一目散に逃げていった。


(ああっ、行き止まりだ!)


 途中、大きな川が彩雲の行く手を遮った。

 ここまで来たのは初めてで、どちらに行けばいいのかわからない。

 でもグズグズしていると鬼に追いつかれてしまう。

 川下に降りればやがて海にたどり着く。砂浜から先には逃げ場がなくなる。

 彩雲は川沿いの道を川上へと向かうことにした。

 しかし、彩雲の体力も限界に近づきつつあった。

 川は上流に向かうにつれて段々と細くなっていき、周囲には木々が目立ち始める。

 彩雲は山を伝う渓流から未開の森に入ると、遠くから滝の音が聞こえてきた。


 ――ザーッ、ザザーッ


 豊富に水を蓄えた滝下から先は行き止まりになっていた。


「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ――」


 ついに体力の限界を迎えた彩雲は弓を抱えたままその場に倒れ込んだ。

 まだ鬼の足音は近づいてくる。


(お父さん、お母さん、助けて――――)


 息が荒く口に出すことは叶わなかったが、それでも彩雲は心から助けを求めた。

 それは山の神に届いたのであろう。

 滝の中から二柱の、容姿がそっくりな女神が現れたのだ。


「おや」

「おや」

「こんなところに」

「おなごの神が」

「まだ生きているようじゃ」

「確かに、生きている」


 予め示し合わせたように息の合った二柱の女神は、闇淤加美神クラオカミノカミ高淤加美神タカオカミノカミ

 この二柱は、かのイザナギが火の神カグヅチを剣で斬ったときに流れた血から生まれた水神だ。

 二柱はちょうどこの滝に修行に来ていたところだった。

 彩雲は涙を流しながら二柱に助けを求めた。


「おにっ、大きな鬼が来てるのっ…………」


「大丈夫よ、安心しなさい」


 クラオカミは彩雲を抱きかかえて大きな岩の陰に隠れるように優しく横にして寝かせた。

 鬼と聞いても、水神の二柱に動揺はない。


「ここは山と谷と水がある」

「つまり我らに地の利がある」

「鬼ごときに」

「負けはせぬ」


 クラオカミとタカオカミは流暢に言葉を紡ぐ。

 彩雲には二柱の並々ならぬ神力が伝わってきたが、一抹の不安がよぎる。


(だけど、あの鬼の力は……!)


 ここでようやく鬼が追いついた。


『ゲハハッ、予定外の次もまた予定外か!』


 あれだけ走ったというのに、なぜか軽口も叩けるほど鬼は元気だ。

 クラオカミとタカオカミはいっそう警戒しながら訝しげな表情で鬼接触を試みた。


「邪な者、汝はどこから来た」

「邪な者、汝は一体何者じゃ」


『ワシは天邪鬼(アマノジャキ)。その娘が持ち去った弓を今すぐ差し出せば、命だけは助けてやるぞ!』


 名乗った鬼は近くにあった大きな岩を片手で掴んでみせたが、二柱は鬼の威嚇に怖じ気づくことはなかった。


「鬼が天の姓を名乗るとは」

「この娘は天津神の子」

「お前には何も寄越さぬ」

「今すぐ立ち去るが良い」


 水神にとって、滝壺に蓄えられた豊富な水はこの上なく有利な環境だ。

 天邪鬼は命令に従わなかった水神二柱に対し、その怪力を持って巨岩を投げつけた。


「「――水竜壁!」」


 水神が神力を使って発現した奇跡、神力術によって水の分厚い壁が立ちふさがる。

 岩は神力を帯びた水の壁にぶつかると、激しい衝撃音とともに粉々に砕けちった。


『こしゃくな術を。ならば、これはどうだ!?』


 なんと、巨大な鬼は今度は山肌から岩をもぎ取って両手で抱えあげた。


『滅びの力よ。岩に宿りて、あの壁をぶち破れ!!』


 鬼が発した呪いの言葉に呼応するかのように、岩にもやとした紫の霧がまとう。

 先程の攻撃を余裕で防いだ水神の二柱は、神力ではない別の強い力が岩に込められたのを感じた。


「あれは――脅威なり!」

「――重ね水竜壁!!」


 天邪鬼が全力で投げつけた岩に対抗するため、クラオカミ、タカオカミが力を合わせて二重の水壁を作り出した。

 しかし巨岩は一枚目の水壁を簡単に貫き、二枚目の壁に衝突すると鋭利な破片となって周囲に飛び散っていく。

 クラオカミ、タカオカミはその破片を全身に浴び、深く傷ついてその場にしゃがみ込んだ。


「鬼が呪言を使うなど」

「あり得ぬ。聞いたこともない」


『カカカッ! これが俺の新しい力……もう貴様ら、神を恐れる必要は無くなったぁ!!』


 高笑いする鬼を見上げて、二柱の水神は傷つきながらも再び立ち上がった。

 こうして水神二柱と鬼の壮絶な戦いが幕を開けた。


(起きなさい。起きなさい、彩雲……)


 倒れ込んでいた彩雲に、最愛の父の呼ぶ声が聞こえてきた。


「え……お父様……!?」


 声の方向に目を向けても父の姿はない。

 だが、淡く光る神弓から父・ワカヒコの強い神力が伝わってきた。


(――今からあの鬼を討つ。彩雲、さあ、立ち上がりなさい)


 父の声の指示する通り、彩雲は気力だけで立ち上がった。

 彩雲の体力は空だったが、父の声が聞こえるだけでなぜか力が湧いてくる。


(教えたとおりに構えなさい。そして弓を通じてあの鬼を視てごらん)


 彩雲が精神を集中すると、弾んでいた呼吸は一瞬で静寂を取り戻した。

 弓から伝わってくる父の神力がこれまでにないほど伝わってくる。

 そして弦に指をかけてゆっくりと引くと、雷で出来た矢がぽっと浮かび上がった。

 彩雲は現実の鬼を見据えながらも、もう一つの世界の鬼を視ていた。

 高笑いする鬼の時間が過去に巻き戻っていく。

 水神に投げつけたバラバラの石つぶてを岩にまとめ、岩をもぎ取った山壁に戻そうとしたところで時間が止まった。


(天之麻迦古弓――時を遡り、あるべき未来を取り戻す奇跡の神弓)


 彩雲が弦から右手を離すと、雷の矢は恐るべき速度で正確に天邪鬼の中心を捉えた。

 そして時は再び動き出す。


『これで、終わりだ――!』


 天邪鬼が再び手にした巨岩に呪詛を込めて、クラオカミ、タカオカミに投げつけようとしたその時だった。

 鬼の巨体には突然大きな穴が空き、そしてその穴から全身に黒焦げが広がっていく。

 生命力にあふれていた鬼から紫のもやが消え去り、自ら抱え上げていた巨岩で押しつぶされた。


「何が起きた?」

「強大な神力を感じた」


 クラオカミ、タカオカミが振り返り、彩雲の残心をみてつぶやいた。


「鬼を討ち取ったのは、あの少女なり」

「――あの少女の弓なり」


 神力を使い切った彩雲はその場で両膝を地に付けた。


「お父様。私、やりました……!」


 しかし父の声はもう返ってこない。

 うつ伏せに倒れ込んだ彩雲はすぐに意識を失ってしまった。

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