決意
いてもたってもいられず、涙を拭いて身体を捻り、駆けだした。
「え、ちょっと未央、どこ行くの!?」
春奈の声に返事もせず、また階段を昇り続けて屋上へと飛び出す。
広がる青い空の下、思い切り息を吸い込み、力いっぱい喉を震わせた。
「テッラ! 聞こえてるんでしょう? 保留にしてた返事、いまからするから!」
“お願い、届いて”と、祈るように両手を組んで目をつむる。
恐る恐るまぶたを開けていくと、そこには青空はなく、どこまでも広い白の神殿があった。
「未央も、決めてくれたのね?」
澄んだ声が聞こえて、振り返る。
半年前と何一つ変わらない、柔らかく微笑む女神テッラがいた。
「だけど、怪人退治をするための条件が一つだけ」
「ものによるけど、いいわ……言ってみて?」
私も、大樹みたいに嫌われる存在になるのかもしれない。
それを恐れながら、口を開く。
「チートの他に、クローチマンを嫌わないでいられるようになりたい」
私の言葉に、テッラはくすくすと笑う。
「大好きなのね、あの男の子のことを」
「す、すすすすす好き!? アイツはバカだし、アホだし、スケベだし、そんなんじゃ……!」
一気に顔が熱くなり、必死に否定した。
「はいはい、わかったわ。緊張しなくて大丈夫よ、あの子みたいに大げさな願いじゃないぶん、代償は大きくない」
テッラはごそごそとカバンの中を漁りだす。
恐らく、また薬を探しているのだろう。
代償は大きくないという言葉にホッと息をつくと、テッラはわずかに厳しい顔を覗かせた。
「だけど、ウサギやネコみたいな可愛らしい力じゃないってことだけは覚悟しておいて。どうやら貴女、相当クローチマンのこと嫌いみたいだから」
「わかりました」
こくりと頷き、差し出された墨汁のように黒い液体を手に取り、ためらいつつも飲み干した。
不思議な液体だが、味は何もしなくて、口当たりもまるで、水のようだ。
身体の中の何かが変わったような気も一切しない。
本当にこれで、チート能力が手に入ったのだろうか。
そんなことを考えながら、両手をグーパーと動かしてみる。
「はい。これ、連絡スマホよ。常に身につけておいてね」
テッラに手渡されたスマホを見ると、大樹が見ていたのと同じような画面が表示されていた。
「中央の赤マルをタップすると……って、ああもうせっかちなんだから」
テッラが言い終わる前に、中央の赤い丸を押すと、微かに意識が薄れていき、テッラの声が遠くに聞こえた。
――・――・――・――・――・――・――・――
消えかけた意識がだんだんと戻ってくる。
まるで、夢から覚める時みたいだ。
ハイスピードで身体が運ばれ、行く先には真っ白なトンネルの出口が見える。
手元と足元を見ると、まとっているのは制服ではなく、テレビでよく見る戦隊モノのようなグレーと褐色のスーツで覆われていた。
顔もマスクで覆われているようで、これがとれない限り、正義の味方が私だと、誰にもわからないだろう。
眩いほどに光射す出口を睨みつけていく。
あの向こうにはきっと、大樹と地球を侵略しようとする怪人たちがいるのだ。
ぐ、と拳を握りしめて宙を強く蹴り、光の向こう側へと飛び出した。
あたりを見渡してみるが、大樹も怪人もいない。
少し離れた所に出たのかもしれない。
突然現れた私の存在に人々は驚いたのか、腰を抜かしていたり、目や口を丸く見開いたりしていた。
「お姉ちゃん、誰?」
小さな男の子がやってきて、尋ねてくる。
「クローチマンと一緒、正義の味方ヘテロトリア! クローチマンはどこにいる?」
マスクで表情はわからないだろうと思いつつ、にこりと微笑む。
「あっちのほうに移動したよ! クローチマンと一緒に、絶対勝ってね、カッコイイお姉ちゃん」
キラキラと輝く瞳を向けられて、うなずく。
「心配ないよ」と、頭を撫で、風のように駆けだした。
身体が異様に軽い。
運動は苦手なはずなのに、走る速さは信じられないほどに速い。
あっという間に移り変わる景色に、心は高揚する。
試しに路地の壁に向かって走ると、壁に足をつけることができ、アニメに出てくる忍者のように壁をかけることもできた。
これなら、クローチマンも助けられる!
待ってて、大樹!
路地を抜けて公園へと出ると、そこには三体の怪人がクローチマンを痛め付けている姿があった。
集合フェロモンを出せばいいのに、それができないのはきっと、大樹自身が悪夢のようなあの光景を思い出したくないからだろう。
蹴られても殴られても、鳴き声一つあげようとしない。
今までの私ならきっとあの害虫たちを見て“気持ち悪い”と思っていただろう。
特に一番嫌いなG……つまりはクローチマンを見るたびに、不快な感情が沸き起こっていたはずだ。
だけど、今私の心の中にある感情は、不快というよりも、むしろ……
いけないいけない。
ごくりと唾を飲み込んで、にやりと笑う。
正義は必ず勝つに決まってる。
さぁ、ヒーローショーの始まりだ。