書きたかったヒューマンドラマがなぜか異世界ものとして投稿されていた件
『これは俺の人生に再び光を灯すための、ほんの1ページ目でしかない。俺の人生はここから動き出すんだ。俺の震えるような決意はあの太陽のように熱く燃え盛っていた。』
深夜1時、電気を全くつけていない部屋。視力の低下など気にしない俺は真っ白な背景の編集画面にかじりついていた。本日分の執筆完了。あとは推敲して明日投稿だ。近所をひとっ走りしたかのような気持ちで、魂を込めて『上書き保存』をクリックした。
『リベンジ ー失った人生を取り戻せー』。ジャンルはヒューマンドラマ。先月から俺が小説投稿サイトにて連載している小説だ。過去の挫折から夢を諦めていた男がひとりの若者に出会って再び夢を追い求めるという、まあ比較的王道なストーリーになっている。
周りの流れに身を任せるようになんとなく大学生になった俺は目標もなく、ダラダラと授業に出るだけの毎日を送っていた。そんな時、スマホをいじっていてたまたま見つけたのがネット小説だった。その読みやすさからは想像もできない内容の濃さに、俺はたちまち虜になった。
自分には夢はない。でも誰かの夢を応援することならできるかもしれない。そう思った俺は勢いに任せて筆をとった。別に読書が趣味というわけではない俺の文章は贔屓目に見ても酷いものだったかもしれないが、それでも脳内に展開されたストーリーを書き起こしていくのはとても楽しかった。
だけど、俺はすぐさま現実を知った。サイトにはその小説がどれだけ閲覧されているかが分かるシステムがある。書き溜めてストックした物を週に数回投稿しているのだが、週末に閲覧数をチェックしてもせいぜい20PVほどなのだ。感想、評価はほとんどないし、ブックマークも1件のみだ。
たくさんの人に見てもらいたいと思っていたわけではない。けど、PV数が多いと嬉しいのは事実だ。全然見てもらえてないのに、俺は何のためにこれを書いてるんだろう。そんな気持ちが日に日に増していた。
とはいえまだ投稿を始めたばかりだし、明日の投稿でようやく序章が終わる。まだまだ伸び代はあるだろう。何とかなるという楽観的な気持ちもないわけではなかった。
さて、明日も授業だしそろそろ寝るとしますか。獣の咆哮のように大きなあくびをした俺はPCの電源を切って布団に潜り、今後の展開を考案しながら眠りについた。
翌日の夕方、大学から帰ってきた俺は早速推敲作業に取り掛かろうとPCの電源を入れた。ゼロから何かを作るのはとても大変だ。それに比べて1度作り上げた物に手入れを加えるのは楽な方だ。勢いで作った物を見直すことで気づかなかった欠点なども発見できる。
一種の宝探しのようなその作業に胸を躍らせながら俺はサイトを開いた。しかし、その瞬間に背中を冷や汗が伝う。ない……。『執筆中小説』の欄にひとつも小説がないのだ。
そんな、間違えて投稿してしまったのか?昨日書いていたのは『男がまだ夢を捨てきれていないことに気づいて再起を試みる』という重要なシーンだ。大筋だけをサッと書いて、推敲時にしっかり肉付けをしていこうと思っていた。つまり、内容ペラペラの状態で投稿してしまったということだ。
俺は急いで『投稿済み小説』の欄を確認した。やはりそこに昨晩保存したはずの小説はあった。まあ、データが消えてしまうよりはマシか。静かに胸を撫で下ろした俺は改稿して再投稿するために『編集』をクリックした。しかし――。
「な、なんじゃこりゃ……」
『――俺の震えるような決意はあの太陽のように熱く燃え盛っていた。』
確か俺はその一文を最後に小説を保存したはずだった。だが、投稿された小説にはまだスクロールの余地がある。恐る恐る下に続く文を覗いてみると……。
『かつての勢いをこの心に取り戻した俺は、いてもたってもいられずに夕日を背に走り出した。そう、そこに迫る大型トラックに気づくことなく。』
……え?
『気づけば俺の身体はぐちゃぐちゃに潰されており、腕や脚は訳の分からない方向に曲がっていた。そんな……俺の人生は……これからだったのに……。悲痛な想いが涙となって頬を伝うが、やがて俺の意識は俺のもとを離れてどこかへ飛んでいってしまった。』
……は?なんで死んじゃってるの?
『喉が干上がるような熱気を感じ取って俺は目を覚ます。確か俺はトラックに轢かれて……。訳も分からずとりあえずのそっと起き上がった俺の眼前で、ゴツゴツとした岩盤のような皮膚で覆われる深紅のドラゴンが鋭い目線をこちらに向けていた。』
……ねえ。これ、主人公どっかに転生してるよね。ねえ!!何これ!!怖いんだけど!!
俺は自分の想定とは全く異なる展開を突っ走っている小説に思わず驚嘆の声を上げた。もう一度遡ってみるが、終盤までは俺が昨晩書き上げた物と何も変わらない。最後の最後で唐突にトラックに轢かれた主人公がなぜか異世界に転生している。
その後は、『窮地に陥った主人公が咄嗟に手をかざすと、超強力な黒魔術でドラゴンを一瞬で葬り去ってしまった』という展開になっていた。……なんだこれ、誰かのイタズラか?
小説の展開と同様に訳の分からない現実に呆れつつマウスをクリックしてブラウザバックする。その時、投稿された小説のタイトルが目に入り、俺は思わず身震いを起こした。
『リベンジ -失った人生を取り戻そうとしたらなぜか異世界に転生していた件-』
ジャンル:異世界転生
俺が書こうとしていた硬派なヒューマンドラマは、なぜか異世界ものとして投稿されていた。
後日、俺は友達と授業終わりにファミレスに寄った。このモヤモヤを誰かと共有せずにはいられなかった俺は友達にこの不可思議な現象について相談した。
「ははははっ。お前、最近ちゃんと寝てるか?身体には気をつけた方がいいぞ」
彼はその話をまるで信じる様子はなく、氷を山ほど入れたアイスティーを口に含んでひたすら呆れていた。実は彼も同じサイトで小説を書いている。授業でたまたま隣同士になり、それをきっかけに仲良くなった。趣味を聞かれた時に思い切って「ネットで小説を書くこと」と打ち明けると、「俺もなんだよ!」と見事に食いつかれた。どうやらお互い仲間を探していたようだ。
「寝ぼけて夢でも見ながら編集したんじゃないのか?でもまあ、それまでの展開を覆していきなり非日常に突入するっていうのはなかなか面白いと思うけどな」
謎の上から目線で彼は勝手に書き換えられた小説を批評した。だがそんな彼に俺は言い返すことなどできない。
彼は『清掃員として働いていたら、異世界で王宮の掃除を任されることになりました』という異世界コメディを書いている。独特の表現技法と笑えて少し泣けるストーリーが人気に火をつけ、強豪ひしめく異世界もののランキングにおいて月間4位に位置している。1日あたりの閲覧数も俺なんかと比べるのもおこがましいほど多い。
彼自身はそれを特にひけらかすようなことはないのだが、やはり自分と比べると雲の上の存在に思えてしまう。底辺作家の俺が彼にどうこう言える筋合いはないと、本能的に感じていたのだ。
「最近は異世界ものがアツいからなー。いつもよりPV数増えてるんじゃねえの?」
「見てみろよ」と目で促す彼に従い、俺はスマホからサイトに飛んで閲覧数を確認した。すると――。
「ごっ、500PV!?」
日間の閲覧数を示す棒グラフが今日だけ勢いよくずば抜けていた。経験したことの無い3桁の世界に、俺は身体を震わせて胸を熱くする。あまり読んだことなかったけど、異世界ものってこんなに人気だったんだな……。
だが、驚くのはまだ早かった。なんと昨日まではほとんど無いに等しかった評価ポイントが10倍、20倍、いやそれ以上つけられている。さらに感想まで2件届いていた。
『王道の最強系異世界ファンタジー!これからに期待大です!』
『1度挫折を経験した主人公が異世界でどんな活躍を見せるのか楽しみです。』
俺は初めて聞く『読者の声』に「ほぁ〜」と間抜けな声を出しながら鼓動を高鳴らせていた。読まれてる……俺の小説が読まれてるんだ!!小説が誰かの目に止まっていることをはっきりと認識することができた俺は小さく歓喜の声を上げた。
その夜、俺はPCの前で冷静さを取り戻していた。まあ嬉しいけど、勝手に編集されてまるで違うものとして投稿されていることに変わりはない。異世界ものなんて自分には書けないし、元に戻そう。
『投稿済み小説』から小説を選択して、『編集』をクリックした。何度見ても、ヒューマンドラマから流れるように異世界ものに移行している。そのヒューマンドラマより遥かに読まれていたのは確かなので、惜しみながらも俺は異世界転生のパートを全て削除した。その後、本来やるべきだった推敲作業をコーヒー片手に済ませた。
次はいよいよ主人公の夢の再スタートとなる第1章だ。再び夢を追いかける決意を固めた男はかつての仲間たちに会いに行くが、皆それぞれが昔とは違う人生を送っておりなかなか上手くいかない……といった感じになる予定だ。俺はさわりの部分だけ集中して執筆して、早めに寝床についた。
俺の書く小説もあんなに多くの人に読まれたらなあ……。淡い期待を心の片隅に抱きながら俺は夢の中へ飛び込んだ。
バイトを終えて帰宅した俺は、PCの前でフリーズしていた。こんなことがあるものなのか。
序章の最終回が昨日削除されたパートを綺麗さっぱり復元させた状態で投稿されていたことは、5000歩くらい譲ってまあ良しとしよう。問題は昨日書き始めたばかりの1章第1話だ。大幅に加筆修正を施された上で投稿されている。肝心の内容をざっくり説明すると、
『主人公の天才的な黒魔術のセンスに目をつけた王国の護衛隊隊長が主人公をスカウト』
『そこでもっと黒魔術の技術を磨くために魔術学校に通うことになり、ヒロインと運命的な出会いをする』
ちょっと待てーい!!ぬぁんだよこれ!!なんでまだ異世界での話が続いてんだよ!!
主人公はもともと高校球児で、天才的なピッチングセンスを持ってるって設定なんだよ!!彼は王国の護衛隊じゃなくて球団にスカウトされたいんだよ!!ヒロインは高校時代のマネージャーなんだよ!!なんだよ黒魔術って!!なんで転生したら天才球児から天才黒魔術師になってんだよ!!
心の中で若手漫才師もビックリなほどツッコミを連発した。全く予期せぬ方向へ進んでいく自作を前に俺はもはや笑うしかない。
そんな想いとは裏腹に、閲覧数を覗いてみると驚異の800PV越えを記録していた。累計でもいつの間にか2000PVを超えている。評価ポイントも何十件と頂き、感想に加えてなんとレビューまで来ている。
悪評が飛んでくることもある感想と違い、レビューはいわば作品のプロモーションであり、基本的に良い点や特徴が書かれて最後に一読を勧める言葉で締められていることが多い。底辺作家の俺はまるで天国にいるような気分でその一字一句を目に焼き付けた。
ここで俺の脳内にひとつの疑問が浮かび上がった。このままヒューマンドラマを書いていても一生この光景を見ることはできなかったのではないのか?この異世界転生話に身を任せてみるのもいいかもしれない。甘い蜜のような疑問にすぐに答えを出すことはしないものの、俺の心にはどこか偽物じみた喜びが住みつき始めていた。
その不可思議な現象ーー異世界ものとして投稿される現象はその後も続いて行った。
かつて甲子園で競い合ったライバルとの再会を書けば、『魔術学校でナンバーワンの実力を持つ魔術師と対決』。
鈍った身体にカンを取り戻すためにトレーニングを開始したことを書けば、『王国を支配しようとする強敵に勝つために特別な修行を始める』。
俺は今間違いなくヒューマンドラマを書いている。何度もそれを確認しながら上書き保存をしても、次の日には全て異世界に舞台を移した状態で投稿されていた。
友達が言っていた通り、今ネット小説界では異世界戦国時代とでも言うほど異世界ものが日々乱立している。その中でランキングに入ることは至難の業と言えるだろう。だが先日、日間ランキングではあるがついに10位にランクインした。嬉しすぎてつい彼に自慢したら「本当の戦いはこれからだぜ」とまた上から目線で返された。
自分の小説がこんなにもたくさんの人に見られて、評価されて、満足度は俺の心のキャパシティをとうに超えていた。本当に毎日が充実した気分で、今までなんとなく怠惰に生きてきたのが嘘みたいだった。
だけど、仮初の幸福というのは脆いものだ。内容よりも目に見える結果ばかり気になるようになり、前日より閲覧数が減っていたりブックマークが解除されていたりすると無性にイライラしてしまうようになった。
だから文章もいい加減に書いてしまう。結局俺がどう書いたって投稿されるのは手直しされた文章なんだ。そしてそれを受けた読者の反応に一喜一憂しながら、俺は段々と大切なことを忘れ始めていた。
友達と晩ご飯を食べに行った後、夜遅くに帰宅した俺はさっさと入浴を済ませてPCの前にドカッと座る。電源を入れてサイトに飛び、閲覧数を確認。もはやルーティンだ。
昨日より少し減っている。ため息をつきながら評価欄を見るとそこそこ増えていたので、わずかな苛立ちはひとまず相殺された。
続いて感想欄を覗いた。今日は3件か。『1周回ってやっぱり王道っていいなって思った』、『主人公とヒロインの今後が気になって仕方ない』。誰もいない部屋でふふんと自慢げに笑いながら、何気なく3件目の感想をクリックする。しかし、そのタイトルには『失礼を承知で言わせていただきます』と書かれていた。俺は食い気味にその全文を覗く。
失礼を承知で言わせていただきます。
私は数ヶ月前、この小説が初投稿された日に本作に出会いました。主人公と同じく夢やぶれた経験を持つ私は自然と感情移入させながら読み進めていきました。
読みやすい文章に細かい人物描写。そして何より諦めた夢をもう一度見てもいいのか葛藤する男の姿が目に浮かぶほど、魂が込められたその内容に私は年甲斐もなく興奮していました。
ですが、ある日のことです。仕事に疲れ、この小説を読むことだけを楽しみに家に帰ってきました。しかし、私は目を疑いました。ようやく情熱を取り戻した男が突然トラックに轢かれて死亡し、異世界に転生したのです。
大変驚いたのは事実です。しかし物語はその作者が考えるもの。私がどうこう言うべきことではありません。だから今日までずっと読んできました。
でもとうとう我慢ができなくなりました。ここからは私個人の勝手な意見です。不快であればどうぞ閉じてください。
今あなたが書いている小説は本当にあなたの書きたかった小説ですか?あなたはこの文章に魂を注ぎ込んでいますか?
主人公は再び夢に目覚めるまでに様々な出会いをしてきましたよね。あの出来事を全て無かったことにするおつもりですか?きっかけを与えてくれた河川敷の若者は、背中をそっと押してくれたヒロインはどうなるんですか?
もしこの小説が本当にあなたの書きたいものなのだとしたら、私の意見など場違い極まりないでしょう。だけど、どうしても伝えたくてここに書かせていただきました。
私は、あなたが本当に書きたい小説を応援します。
PCを置いた机の上にポツポツと落ちていく雫。おそらく俺より年上の見知らぬ人の感想に、俺の涙は留まることを知らなかった。
俺はいつの間にか見失っていたんだ。自分が本当に伝えたかったこと。夢を持てなかった自分が人の夢を応援すること。
なのに俺は目先の数字や結果だけに捕らわれて、この訳の分からない現象を放置して胡座をかいていたんだ。
誰が読んでいるとか、何人が評価しただとか、そんなのは二の次だ。俺が本当に書きたいものを書いて、それを見て何かを感じてくれた人が1人でもいる。少し下手くそでも一向に人気が出なくても構わない。俺はその人のために夢を届け続けるんだ!!
涙を荒っぽく腕で拭った俺は今日までに投稿された小説を序章を除いて全て削除した。
「ありがとう。大切なことを思い出させてくれて……」
よく晴れた次の日の朝、俺はゆっくりと目を覚ました。恐る恐るサイトを確認すると——。
『――俺の震えるような決意はあの太陽のように熱く燃え盛っていた。』
『執筆中小説』の欄には確かにその一文を最後にした文章だけが残されていた。不思議なことに、あんなにあった閲覧数も評価ポイントも元に戻っていた。感想やレビューも俺を夢から覚ましてくれたあの感想も含めて全てなくなっていた。
でも、これで良かったんだ。また1から始めればいい。誰かの夢を応援したい。そんな俺の夢は、ここから始まるんだ!
最後までお読みいただきありがとうございました。
小説を書くこと以外でも、何かを頑張っている人は時に「自分は何のためにこれをしているのだろう」とか「自分のやっていることは正解なんだろうか」と悩んで自分を見失ってしまうこともあると思います。そんな人の背中を押せたらなと思い、この話を書きました。
まあ「書きたいもの書こうぜ!」って話です。悩むこともあるかと思いますが、頑張っていきましょう。