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幸福であるとはどのようなことか

作者: みてくら

 その街の人々は時の過ぎ去る早さについて大いに嘆き、また、その嘆くための時間さえも無駄であったと、更に深い嘆きを眠りに落ちる寸でのところで覚えた。

 しかし、再び目覚める頃になると、そうした後悔は悪夢の一端として思想の淵に沈み込み、容易には思い返せない小さな染みのように意識の外へと逃れ、けれど、確かにその場所に残り続けた。

 彼らは沸き上がる希望によって、そうした染みを美しい壁紙で覆い隠すように忘却できる人間だった。朝、窓辺から射し込む日の光は、彼らの心を明るく照らし尽くし、その全貌をひどく朧気なものにした。誰もが訪れる日々の輝きを享受し、深く心酔する中で、不安だとかそれに対する予防策だとかは、一切が無用の長物であった。


 ある朝、ヘペテが目覚めると、左手に鈍い痺れを感じた。掌は思うままに動いていたが、それを認識できなかった。まるで、自身の肉体から左手だけが切り離されたような錯覚に陥ったが、それは寝る態勢が左手を圧迫したせいだろうと思った。ほんの些細な、それすらも悦楽と感じることのできる問題だった。小さな不幸こそ、誰もが幸福な世界ではもっとも誇るべき喜びだった。

 陽射しに目の慣れ始めると、左手の痺れさえも眩しさによって生じた幻覚であったのだろうと感じた。朝と共に、全ての苦悩は消え去った。

 ヘペテはベッドから這い出て顔を洗い、珈琲を飲みながら新聞を読み耽った。世に溢れる不幸の一つ一つにヘペテは涙を流しながらも、珈琲に口をつける度、そうした祈りは濁流に呑まれ、消えていった。トーストの焼きあがる音を聞くと、いよいよヘペテは新聞を投げ捨て、バターとジャムのどちらを塗るかという、決して避けられぬ難問を心行くまで楽しみ、その両方を塗りたくった。まるで想像もできぬ不幸など、所詮はその程度だった。

 開け放たれた窓枠で、小鳥が囀っていた。また、いよいよ本格的に活動を始めた人々の声も、同様に聞こえた。ヘペテは二杯目の珈琲を入れようとしていた手を止め、トーストを無理やり押し込んで食べ終えると、陽光に急かされるようにして、街へと繰り出していった。


 市場に出向くと、活気に満ち溢れていた。幾種もの芳醇な果実の香りが、トーストで渇いたままの口内を爽やかにさせた。

 誰もが笑みを浮かべながら、或いは、感涙を浮かべながら――その誰もが悲しみとは無縁だった。

 ヘペテは市に並ぶ果実の中から、林檎を一つ手に取り、それを齧りながらカフェへと向かった。市は完全に開放されており、一切の貨幣的な取引を経ずとも、求めるものを手に入れることができた。

 少なくとも、街にある限りあらゆるものが手に入るのだ。それは食品や娯楽、或いは、いかにも厳しい苦難にまで至った。

 望むとき、望むままの苦難に行き当たり、それを克服することが約束されている。なんと素晴らしいことだろう! まさしく、神は真実な方であるのだ。少なくとも、その都市においては試練と共に逃れる道も存在していた。

 ヘペテもまた、その生涯に苦難を知らぬ男だった。


 アルノ老人はテラスで本を読んでいた。ヘペテは専ら、週の三、四回をカフェで過ごした。とりわけ、アルノ老人と語らうことが多かった。ときには共に哲学し、ときにはチェスを指した。何を賭けるでもない勝負に意味などなかったが、その結果は都度記録され、何よりも両者の心に深く刻まれた。


 ヘペテが席に着いても、アルノ老人は本から顔を上げなかった。それは習慣だったので、気にも留めなかった。一度読み始めた本は、ある程度の区切りが付くまで読まねば気が済まぬ人だった。

 店員が注文をとり、やがて珈琲を持ってきてから、ようやくアルノ老人は本に栞を挟み、ヘペテを見やった。アルノ老人は「申し訳ない」といい、ヘペテは首を振った。そうした一連の流れは、カフェテラスにおける必然だった。何を急ぐ理由もないヘペテに、そうした行いを咎める気はなく、互いにそれを知っているからこそ、二人は長らく気の合う友人でいられた。

 二人の間に沈黙が流れた。常々、話題を切り出すのはアルノ老人であったので、ヘペテは何を言うでもなく、珈琲に口をつけ、辺りを軽く見回した。店内では見知った顔がカード遊びに興じていた。


 暫く黙っていたアルノ老人が、私たちは幸福であるか、とヘペテに尋ねた。

 もちろんだ、とヘペテはいった。疑いようもなく、それは街の全てを取り巻くものであると思った。大路に目をやれば、誰もが笑みを浮かべながら行き交っていた。


 アルノ老人の眉間の皺が、一層深まった。「今日はどうだ? なぜ、幸福だといえる?」

 「空は晴れているし、珈琲も美味い。それは幸福なことじゃないか」とヘペテはいった。アルノ老人が何もいわないので、そして、とヘペテは付け加え、街に広がる笑みや夜空に星の煌くさまは、それらの全てが幸福の象徴であり、それを幸福であると感じられる心根こそ、私たちを幸福たらしめているのだといった。


「一年も晴れ続けたらどうだろうか。雨を求める者もあるかもしれない」――「仮に晴れが三日続いたとしても、そう思う者はいる。雨もまた、恵みであるのだから悲観すべきものではないだろう」


 あらゆる天候にも楽しみがあった。たとえば、ヘペテは新雪の降り積もった道を踏みしめながら歩くことも、強雨が窓を叩きつける音に耳を傾けることも日々の彩りであると考えていた。なにより、再び晴天の空を仰いだときの清清しさが好きだった。

 アルノ老人は肯いた。同様の喜びを知っているが故だった。


「だが、人はときに悲しみを求める。幸福を幸福であると知るには、不幸を知らねばならぬのだ。幸福とはどういうものか、今一度、考えてみようじゃあないか」


 ヘペテは生まれてから一度たりとも、そんなことを考えたことがなかった。幸福について考えることは無意味であると思ったが、それを口に出しはしなかった。今日までの幸福の間に、意味のあることなど一つもなかった。なので、ヘペテはアルノ老人に同意して「そうしよう」といった。どんな話題であれ、閑暇の癒しになればよかった。


「幸福とは恵まれることばかりではない。いかにも知識人らしく言葉を交わすとき、そこに浮かぶのは顰め面であるが、断じて議論は不幸なことでなく、そこには友と語らう喜びがあるのだ。ある困難な問題に対し、共に思考する時間は歓迎すべきものである筈だが、果たして、私や君はそのとき笑顔を浮かべるだろうか」とアルノ老人がいった。事実、アルノ老人は日頃から笑みを浮かべるような人物ではなかった。それでも足しげくカフェテリアに通うのは、それが幸福であるからに他ならなかった。

 ヘペテは「それは我々が議論を求めているからだ」といい、アルノ老人が小さく肯くのを確認してから、「求めもせず、互いに何を譲るつもりもない議論ほど空虚で苛立たしいものはなく、仮にそのような場に行き会えば、その不運を嘆くこともあるだろう。だが、そうしたとき、議論の場から逃げ出す権利も、全ての人が有している」といった。


 アルノ老人はその言葉を否定せず、納得した様子だった。しかし、その上で「避けられぬ不幸はどうか」と尋ねた。


 ヘペテは黙っていた。それはアルノ老人の意見を理解できないわけでも、興味がないわけでもなく、真摯に向き合わんとするためだった。

 絶対に避けられぬ不幸というものが、ヘペテには想像ができなかった。けれど、アルノ老人の生真面目な表情を見ると、いつでも、荒唐無稽な議題について真剣に考えなければならないような気分になった。

 辛いことや苦しいことも確かにあったが、それは更に大きな幸福のための前段階でしかなく、また、時おり訪れる変化は歓迎すべきものでもあった。ヘペテ自身が、望んだために訪れる苦難でしかなかったのだ。きっと、その問いに答えはないのだと思った。


 その間、アルノ老人は一言もいわず、胸元のポケットから煙草を取り出して火をつけた。沈黙が流れたが、不快感はなかった。

 くゆる煙が宙に消えていくさまを見るうち、ヘペテは思考が鈍っているのを感じた。気付けば、カップの珈琲は既に飲み干されたあとだった。

 ヘペテは店員を呼ぶと、珈琲とサンドイッチを注文した。アルノ老人は煙草をもう一本取り出し、既に短くなった煙草の火をそちらに移した。そして、短くなった方の煙草を灰皿に押し付けると、新たな煙草を咥え、その肺いっぱいに煙を取り込んだ。

 ヘペテが結論を出したのは、アルノ老人が五本目の煙草を咥えてからだった。或いは、それより早くから自身の内に答えを出していたのだが、どうにもそれが正しくないと、そうした議論に正答などないことを知った上で、長らく思案に耽っていた。ヘペテは「不幸と呼ぶに値する事象など知らない」といった。また、そこまで考えた上で何も思い浮かばぬのであれば、それが自分という人間なのだろう、と自己弁護にも似た言葉を添えた。


 アルノ老人は幾度となく、小刻みに頷いた。それがどういう感情からくるものか、ヘペテにはわからなかった。そうしているうちに、老人はふと、笑い始めた。珍しいことだった。いたく満足した様子で、「そうだろうさ」といった。また、呆気にとられているヘペテの顔をまじまじと見つめ、「不幸も幸福も、誰の知ったことか」と嘲った。そして、嗚咽交じりに笑みを浮かべながら、「不幸でないことを、幸福であるとはいわないものだよ」と強い口調でいった。

 その議論というよりかは意見の押し付けじみた語気の強さが、ヘペテには不思議でならなかった。まるで、そうあることに確信を持っている風だった。だが、空を見上げれば、陽の光は痛いほどに燦燦と降り注いでいる。やはり、それが幸福であるのだろうとヘペテは思った。

 ヘペテはどちらでもよかったので、そうかもしれないし、そうでないかもしれないが、日々を生きるには、それで十分だろうといった。自身の幸福を、自身のみが知っていればよいのだ。


 アルノ老人は些か口ごもりながら、「結局、幸福とは心の機微なのだろう」といった。先ほどまでの笑みは鳴りを潜め、どこか疲れたような表情をしていた。

 それはヘペテの考えと同じだった。当然だとも思ったし、反面、意外であるというような気もした。けれど喜ばしいことであったので、ヘペテは得意になって、そうだろうとも、と返した。二人の行き着く答えはまるで同じものであった。

 それから、奇妙な沈黙を経て、まるで異なる話題へと移った。一度終わった話題を掘り返すというようなことはなかった。


 二時間ほどそうしていると、ヘペテは急にそれが退屈なことのように思え、欠伸が漏れたが、他に何をする気にもならず、アルノ老人の煙草が尽きるまで、緩慢な首肯を続けた。

 煙草が尽きるとアルノ老人はめっきり喋らなくなった。普段であれば、煙草の空き箱をくしゃりと潰し、すぐさま立ち上がる。それが終わりの合図なのだ。

 だというのに、その日ばかりは灰皿の中に捨てられたシケモクのうち、もっとも長いものを拾い上げて火をつけ直そうとする有様である。なんとも必死なざまだった。

 小さく冷たい風が吹き、街灯が点いた。カフェからは幾人かの若者たちが騒ぎ立てながら去っていった。彼らにとっては、街灯の輝きが合図であるのだろう。それでも、未だ合図の訪れぬヘペテは冷め切った珈琲を口にした。

 その冷たさがゆっくりと下っていき、肌だけでなく内側からも熱を奪っていくような感覚があった。


 吐く息が小さく白ずみ始めた頃合になってアルノ老人はようやく、空になったマッチ箱を握り潰し、「そろそろ行くよ」といって立ち上がった。ひどく疲れた顔をしていた。しかし尚、立ち去ろうとはせずに、ヘペテの目を見つめた。そこには一抹の寂寥感のようなものが見えた。それは夕暮れ時から夜へと移り変わるとき、誰もが抱く郷愁によるものとは異なり、演劇の終わった後、客席を振り返るときのような昂ぶりと虚しさの入り混じったものだった。


「私たちは無知であるが故に幸福だ。今の私は幸福だと思うかね?」


 ヘペテは自らが無知であるとは思わなかったが、実際のところがどうかはまるでわからなかったし、無知が幸福であるのならば、それは歓迎すべきことだった。幸福とは他者からの賞賛によって得るものでなく、自身の内から湧き上がるものである。議論とは他者の心を制圧するために行われる儀礼であるべきでない。それは自身の心を納得させるためにあるのだ。そこに怒りの、決して介入する余地などない。


 ヘペテは自身が無知であるかどうかも、また、アルノ老人が無知であるかどうかもわからなかった。何も知らぬし、知る必要はないことだった。幸福であるためだった。

「それはわからないが、けれど、貴方は幸福であるべきだろうと思う」とヘペテがいい、アルノ老人は「きっと、幸福なのだろう」といってゆっくりとした足取り立ち去った。特段に別れの言葉はなかった。大路に出る寸でのところで、アルノ老人は一度だけ振り返ったが、辺りを照らす薄ぼんやりとした街灯ばかりでは、その瞳の色を判別することは叶わなかった。

 やがて行き交う人々の、昼よりも少しばかし控えめになった喧騒の中にアルノ老人も消えた。灰皿には、微かに燻るシケモクが小さく揺れていたが、再び風が吹くとそれも消えた。

 ヘペテはその日がおおよそ楽しい一日であっただろう、と考えた。しかし、大半を費やしたアルノ老人の語らいのうち、その殆どの事柄は近いうちに忘れ去るものだった。

 どうでもよいと唾棄すべきほどではないが、決して記憶に留めるようなものでもなく、ときおり、微睡みの淵で想起し、翌朝には再び何もかもが消え去っている。そうして、清々しく一切のない朝を迎えることが幸福なのだ。

 ヘペテは立ち上がり、自らも雑踏の中へと溶けた。誰もが幸福であった。



 二日後、ヘペテは再びカフェへと赴いた。快晴であったが、風の冷たさは昼時にまで及んだ。慢性的に繰り返される腕の痺れと、冷えてゆく空気ばかりが時間の進んでいることを証明した。

 寒さのせいかテラスに座る人は誰もいなかった。店内を覗いてみるもアルノ老人はおらず、しかし、カード遊びをしている若者たちに誘われ、いかにも怠惰で充足した一日を過ごした。

 ヘペテはまた次の日もカフェに訪れたがアルノ老人はおらず、その日は友人に誘われて劇場へと足を運んだ。

 そうした日が幾度か続き、七日を数える頃になるといよいよ奇妙に思え、ヘペテはアルノ老人の自宅へと向かうことにした。寒さに老体が耐え兼ね、部屋に籠もって本でも読み耽っているのだろうと考えた。

 

 アルノ老人の家は大路からわき道に入り、また二度ほど曲がったところのアパートメントだった。入り組んだ迷路のような道は狭く、日中であろうと薄暗かった。居並ぶ小窓から漏れ出る微かな明かりだけが、格子のように向かいの壁面を照らし、殊更に退廃的な雰囲気を演出していた。

 路地を進むごとに、耳に入る表通りの喧騒が小さくなっていく。アルノ老人はそうした閑静な立地を好んだ。喧騒の中に日常を見出すのは若者だけであるといい、カフェにいないときは専ら自宅で過ごした。


 そうしたアルノ老人の下を気紛れに訪れると、いつもと変わらぬ顰め面でもって、インスタントの珈琲を出した。それっきり、ヘペテの存在などまるで無視して、一人で本を読み始めるのだ。ヘペテもまた、棚の本を手に取り、まるで興味もない難解な学術書や哲学書を眺めてみるのだが、あまりに静けさのために気付けば眠りに落ちている。

 次に目覚めると、アルノ老人はいつの間にか本を読み終えており、一人でチェス盤を睨めつけてながら唸っている。その対面にヘペテが座り、ようやくぽつぽつと言葉を交わし始めるのだ。

 やはり、取り留めのない話ばかりであるが、喧騒の中に生きるヘペテにとって、その時間は猥雑な日々を尊ぶ一種の儀礼であった。

 決まって日暮れ前にはアルノ老人に別れを告げ、人の温もりを求め、色街にでも繰り出そうという気になった。


 ヘペテはその日も、女を買うために少しばかり多めの紙幣を懐に入れていた。情婦のところに行けば、金銭など必要なかったのだが、ヘペテはまるで知らぬ女に温もりを求めた。それは自分という存在を知られたくないがための自己中心的理由によるものだった。

 道具のように女を抱き、確かに温もりを覚えるのだけれど、相手にはそうした情を一切与えぬような行為をヘペテは好んだ。

 アルノ老人の宅を訪れるのは、女を買う理由付けに静寂という非日常を利用するために過ぎなかった。肉体を重ね合わせることに、純粋な快楽以上を求める意味などないのだ。


 ヘペテは足早に階段を昇った。一日中付けっ放しになっている電球は、その大半が切れており、踊り場の隅に積もる埃すら誰の目に留まることもなかった。極めて陰気で、いかにも不衛生なアパートメントであったが、そうした環境を不都合だと感じる人々は、誰も住んでいなかった。住居を選ぶ権利というのは、誰にでも平等であるのだ。

 ヘペテがドアをノックしたとき、反応はなかった。何度かそうしていると、隣の部屋から一人の老婆が出てきて、訝しげにヘペテをじっと見つめた。

 ヘペテは何かを言われるのだろうと待っていたが、老婆は年寄り特有の人好きのしない表情を浮かべるばかりで、一向に口を開こうとしなかった。アルノ老人は留守にしているのか、と聞いたが、老婆は長らく口をもごもご動かすばかりだった。何かをいったのかもしれないし、いっていないのかもしれない。どちらにせよ、意味のないことだった。

 視線を老婆に向けたまま、試しにドアノブを捻ると、鍵はかかっていなかった。錆びのせいかひどく軋む音を立てながら、ゆっくりと扉は開いた。それっきり、ヘペテの世界から老婆の存在は消え、記憶の欠片にさえなりはしなかった。


 卵の腐ったような異臭が、微かにヘペテの鼻をついた。

 アルノ老人はベッドの上で仰向けに横たわっていた。乾ききった皮膚から、なにやら血液とは違う液体が漏れ出ており、布団は黒く変色していた。

 はじめ、ヘペテは状況を理解できず、アルノ老人を何度か揺さぶってみたが、その冷たさによって、それが悲しむに値する不幸のうちの一つだと知った。傍らには、開かれたままの本が伏せっていた。

 異臭が、殊更に深まった気がした。死を死と認識したとき、腹の奥から競り上がってくる倦怠感にも似た吐き気があった。

 辺りには、なんの変化もない。全てが以前訪れたときのまま静止していた。ただ、アルノ老人ばかりが失われただけだった。


 ヘペテはすぐにでもその場を離れたかった。物言わぬ死体は気味が悪かった。けれど、どういうわけか伏せられたままの本が無性に許せず、逡巡した挙句に微かに黒ずんだ本を指先で摘み上げて閉じた。

 そして、逃れるように駆け出し、喧騒の一部となろうと決めたが、あまりにそこは静かだった。誰もが死を待つため、或いは、その死を隠匿しようと息を潜めているのではないかと思った。

 階段を駆け下り、薄暗い裏路地を足早に過ぎた。ヘペテの世界は、少しずつ喧騒を取り戻した。

 しかし、そうしたことに意味はなかった。大路に入り、人の波に呑まれて尚、静寂は脳裏にこびり付き、眼前の死を捉え続けた。

 静寂と死臭が、今のヘペテの知る全てであった。その死の冷たさは、決して人の熱で取り戻せる類のものでなかった。


 流れ行く群衆のうちで、ヘペテは疑問を抱かずにはいられなかった。

 果たして、アルノ老人に訪れた死が幸福なものであるのかわからなかった。ヘペテには孤独な老人が惨めに死んだようにしか思えなかったが、それはアルノ老人が不幸であったことの証明ではないのだ。

 今日まで孤独であることを望んだのは他でもない老人自身である。他者の持ちうる幸福の尺度などで量れようはずもない。

 けれど、その死のもたらされたとき、ヘペテは確かに不幸というものを知った気がした。


 ヘペテは自らに振りかかる不幸というものに、まるで無知であった。生まれたての子供が痛みを知らぬように、街の人々も皆、精神的瑕疵を知ることなく日々を過ごしている。

 避けられぬ不幸などないと信じ、喪失について思い至ることもない。街には全てで溢れていた。

 人も物も湯水の如く現れては消え、あらゆる娯楽は日々回るのだ。

 それは市に並ぶ果実と同様に、人もまさしく消費されることを、誰も知らずに生きている。それぞれの個を勘定に入れることなく、不条理なまでに満たされ、溢れた傍から新たな幸福が注ぎ足されていく。


 ヘペテには両親がなかった。おそらくは死んでいるのだろう。その記憶はまるでなかった。加えて、友人の死というものも、それが始めて経験する類の苦しみだった。

 おおよそ、記憶というものはおぼろげなものなのだ。けれど、そうでなければ人は生きていけず、その繊細さをひた隠す図太さばかりが幸福の条件であって、感受性だとかの優れていることは何の自慢にもなりはしない。そのような足枷は、確固たる病として心を、周囲を蝕む害毒となる。

 我らは皆、まるで無知な、果実ほどの価値しか持たぬ。腐りを待つ、無味無臭の果実であることを幸福と呼ぶ。なんと愚かなことだろうか。




 左腕の痺れが、治まらなかった。ヘペテは眠りに落ちるとき、左手を圧迫せぬように右側を向いて寝るよう心がけた。その程度のことが、堪らなく不自由だった。眠りとは、何よりも自由でなくてはならず、肉体に課されたあらゆる制約からの解放であった。

 夢の世界では、海底も空も、あらゆる境界を無視して旅をすることができた。

 それらは幸福などとはまるで無縁の、求めることすら憚られる空想でしかなかった。決して目覚めているときには訪れず、唯一、自身の内にのみ許容されるのだ。

 しかし、ここ数日の間、ヘペテは夢を見なかった。決して、夢を見ないことによって現実に影響を及ぼしはしない。しょせん、夢は夢であって現実ではないのだから、そこに一切の価値はない。

 それでも、ヘペテは毎夜訪れる無価値な幸福が嫌いではなかった。そこが安らげる場所であることが自覚できた。

 もはやヘペテにとってそこは安住の地ではなかった。陽射しから逃れるように布団を出た。

 始め、愉快がっていた痺れが、ひたすらに忌まわしかった。


 トーストを口にしながらも、アルノ老人の死を想わずにはいられなかった。そして、それは誰かに語らねばならぬ事象であると思った。老人を知る者はカフェに多くいた。その社交場に居合わせる人々のうち、誰もが一度はアルノ老人と語らったことがあるだろう。また、同様にヘペテと語らったことも。

 アルノ老人の喪失は、大勢で共有し、悲しむべきに相違ない。そうすることが自身にとっての慰めになるのだ。


 いつものように新聞を読みながら珈琲を口にしようとしたが、左腕はひどく痺れ、持ち上げたカップはくびきが外れたように滑り落ちていった。

 テーブルの上には、零れた珈琲が染みを作っていた。それはちょうど、横たわるアルノ老人から漏れ出る死のようであった。

 カップを拾い、再び珈琲を満たそうという気にはならなかった。その香りが、死と静寂を運んでくる気がした。

 窓枠からは向かいのところにあるアパートの打ちっ放しの壁が見えた。ヘペテは孤独であることが恐ろしくなって、零した珈琲も拭かずに部屋を出た。

 カフェへ赴くと、若者たちがテーブルの上にカードを広げ、カード遊びに興じていた。ヘペテの姿を認めると、半ば強引にその輪に迎え入れ、卓につかせた。

 始め、ヘペテはいかにも神妙な面持ちで誘いを断ってみせたが、まるで引かぬ若者たちに流され、さして時間もかからぬうちに配られたカードを手にした。

 ヘペテは遊戯に興じている間に、アルノ老人の死は口にすべき事象でないと考え始めていた。それを告げたところで、彼らの人生には影響を及ぼさないし、どころか幸福を奪い去ることであるように思えた。


 誰もが幸福であるが、飽くまでそれは目に見える真実でしかなかった。人の心も体も、どのような働きをしているのかを知る術はないのだ。

 ヘペテは痺れる手でなんとかカードを替えた。終ぞ、アルノ老人の死について語ることはできなかった。また、それを語らねばならないという焦燥じみた使命感もまるきり失せていた。

 ヘペテは大きく勝った。しかし、それが幸福な出来事であるかはわからなかった。ただ、少なくとも、そうした時間は幸福である、と思った。

 煩わしいばかりの痺れも、ヘペテの死も、眠りに落ちるときには忘れ去っていた。


 朝、目覚めると痺れの不快感に襲われる。その痺れは昨日までの苦悩を想起させた。

 肉体的な痺ればかりが、ヘペテに幸福と不幸を知覚させる総てであった。

 無知とは幸福である。また、忘却によって、人は不幸と訣別するのだ。


 手の痺れは、変わらずにあった。唯一の悩みの種であった。それはやがて、幸福を蝕み、不幸を運ぶ兆候である。けれど、ヘペテはその痺れがどういう類のものかまるで知らなかったし、一時を経れば消え去るだろうと確信していた。

 ヘペテはカフェへと向かった。若者たちとカード遊びでもしようという気分だった。

 毎夜忘れ、また、目覚めと共に知る。

 彼は無知であり、また、幸福であった。

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