第六話:エルトリアと鬼面蜂
取りあえず、俺たちはソフィーとララが拠点にしている町<エレナ>に向かうことにした。
転移した草原から山の斜面を下り、町の途中にある林に差し掛かる。この世界<エルトリア>の木の見た目は、俺――シユタが元居た世界とそれほど違いが無いように見える。
ただ、先ほどソフィーやララが見せてくれた魔法の力、魔法の気配のようなものが木々から少し感じられる。よく目を凝らすと、枝の一部が青緑色に輝いているような気がした。隣を歩いているソフィーが、「精霊の隠れ家です」と説明してくれたが、……うーんよくわからん。
こうして三人で歩きながら、ソフィーはこの世界の成り立ちを説明してくれる。可愛らしいソフィーの口元に夢中になっていると、ついつい話を聞き逃しになってしまう。なかなか集中力と忍耐力が居る道のりだ。
「シユタさん、この<エルトリア>の人間世界は数十か所かの町で構成されています。それぞれの町の規模は差がありますが、お互いが食料や工芸品のやり取りで支え合って生きています。町の外には魔王の手勢やモンスターが多く、生き残るには町の防壁と相互支援が必要不可欠で……」
「なるほどね、ポリス(都市国家)のようなものが幾つも成立しているのかな」
「ポリス……?」
ソフィーにはピンと来ていないらしいが、モンスターに対する防壁付きの町という説明から俺は古代ギリシアの都市国家を連想した。
恐らくだが、この防壁が無ければ人々は安心して暮らしていけない状況なのだろう。人が居れば安心を求め壁を作り、その壁の安心がさらに人を呼び発展していく。一塊になった民家は町となり別の塊、例えば鉱山の近くの町は海の町と交易を行っていることは想像に難くない。
どうやら俺達の向かう先は海側、港町なのだろうか。この世界だけでなく行き先についても尋ねてみよう。
「それで、ソフィーやララはその町の一つに住んでいるのかい? 今から行く……<エレナ>って言ったっけ?」
「ええ、<エレナ>の町は始まりの町。この世界の人類発祥の地と言われています。我々<巫女>の集団もそこにルーツがありますし、私は小さいころからずっと<エレナ>で暮らしてきました。比較的規模の大きい町ですが、それでも特別栄えているわけでもない普通の町です。良い場所ですよ。ララの方は――」
「私は<魔法使い>の一族の一人よ。<魔法使い>は町から離れた所に里があって、そこに暮らしていることが多いの。ただ、今は魔王に対抗するために派遣されてて、ソフィーに協力がてら<エレナ>に住んでるの」
なるほど、なんとなくだけれど<エレナ>の町のこと、この<エルトリア>の世界のことが分かってきた。
こっちの編み込み娘のララは生意気だが、金髪のソフィーは少し一緒にいただけでも非常に良い子だということが分かる。
この子を育てた<エレナ>という町の居心地の良さが、まだ訪れていないのに想像できる。転移してきたばかりの身としては、取りあえずこの世界での根拠地として腰を下ろすのも考えておこう。
「ふむ、だんだんこの世界のことが分かってきたよ。ぜひ、他にもいろいろ教えてくれ。例えば、うーんそうだな、魔法以外の技術はどんなものがあるんだい?」
「魔法以外? そんなことに興味があるの? 変わってるわね」
ララは少し意外そうに尋ね返してくる。俺も出来れば<意志の力>以外の魔法をガンガン習得したいところだったが、全く知らない分野では教えてもらっても理解できない可能性がある。
それよりも先に自分が少しでも知っていることと関連づけて知識を収集していった方がいいだろう。もちろん、魔法についても追って勉強していく必要はあるが。
が、ここでやや的外れな返答が戻ってきた。
「魔法以外って言うと、農業とか鉱業とか漁業とか……そういうこと? そういうのって、魔法だと効率悪すぎるから仕方なく使うのよね、ソフィー」
「えぇ、小麦の収穫に例えるなら、無理矢理小麦を生長させるのは使う魔力が大きいのです、シユタさん。育った小麦を食べても賄いきれないくらいに。ですからお日様の力を借りて育てる農業が発展しました。川の氾濫を抑えたり、逆に干ばつが続くときは雨ごいをしたり……」
農業だって……?
技術を聞いて、農業が発展したと説明するのは違和感があるな……。農業だって立派な技術分野だし、最新の農業は長い年月の積み重ねの結晶だ。だが、先ほどの口ぶりだと、あまり高度な農業ではなようだし……。少し切り口を代えてみることにする。
「じゃ、じゃあさ、魔王に対抗するための武器や軍備はどうやって整えているんだい? 銃や兵隊を国家が運営しているの?」
「じゅう……? とは特別な剣のようなものでしょうか? 国家はつまり、町の意味ですよね?」
「この世界の装備はほとんどが魔法の力を付与した杖や剣、槍なんかよ。私のこの<ヒイラギの杖>は火力魔法の威力を底上げしてくれるの。部隊は町の有力者、主に指導者とかや土地をいっぱい持っている奴とかが組織していることが多いわね。<魔法使い>の里からは長老が指示を出して、強力な支援火力魔法部隊を組織できるのよ。ちなみに私はその長老の一族! どう? 尊敬した?」
ソフィーやララがやはりいまいちピンと来ていない様子で答えてくれる。
間違いない、この世界の技術レベルは火薬未満、鋳造以上。権力構造もまだ王制に至っていない可能性が高い。王政が無いということは、既得権益がまだまだ成熟していないということでもある。
……どうやら成り上がるのは簡単そうだ。これなら、元の世界の知識でかなりの『無双』が出来るだろう。俺は高揚を何とか抑えつつ、しかし少しの後悔を感じていた。
もっと、もっと知識を得ていれば、この世界を征服することも出来たかも知れないのに……。出来ることなら一度元の世界に戻り、改めてこちらの世界に再転移したい。
――
三人で林の中を通り抜けていると、
ブーーン
と恐怖を掻き立てる異音が聞こえてきた。
ビクリとソフィーやララの肩が震える。なんだろう……? と振り返ると後には恐ろしい顔をした蜂が飛んでた。
紅色の体色、顔に二つの角、それよりも長い毒針、そして何よりも大きな体躯。十センチメートルはある。こんなデカい奴の針に刺されたら、アナフィラキシーだとか二回目だとか関係なくショックで死んでしまうに違ない。
この世界の生き物はみんなこんなに凶悪な造形をしているのだろうか。
「シユタさん、危険ですので下がってください! <鬼面蜂>です!」
「な、なんだこいつは……?」
「<鬼面蜂>、こいつは最も凶暴な蜂よ。一匹でも魔法無しじゃあ手を焼くのに、こいつらは集団でしつこく追ってくるわ!」
「しまった……このあたりは新しくできた<鬼面蜂>のコロニーのようです」
ララが教えてくれた通り、凶暴な<鬼面蜂>はガチガチ、ガチガチと威嚇のように牙を鳴らしている。
どこからともなく大きな蜂たちが何匹も、何十匹も俺たちに向かって集ってくるのが見えた。近くに巣があるのだろう。
一部の蜂はまるでこれから始まる狩りを楽しむかのように、近くの木をガリガリと食い始めた。バキっと大きな音をたてて、大木がなぎ倒された。
「ひぃ! 蜂が何でこんなにデカくて強いんだよ!」
「シユタ様、もっと後ろに! 我々が迎え撃ちます!」
「<鬼面蜂>だって虫の一つなんだから、追い払うには火が一番よ! <大火球>!」
二人とも若い割にかなりの手練れのようで、まずはソフィーが素早く魔法による防御陣を形成する。次にララが呪文を唱えると杖の先に、こぶし大の火の塊が灯り、次の瞬間それは蜂の群れへ飛び込んだ。
が、落とせた<鬼面蜂>の数は二匹か三匹程度。どんどん集まってくる蜂の数に比べれば微々たるものだ。そう手をこまねいている間に、蜂たちは三人を包囲し始めた。ますます一撃で打倒することが難しくなる。
「くっ、こう散らばれると一発でほとんど減らせない……このままだと残りの魔力が先に尽きる!」
「シユタさん、さっきのように<意志の力>を経由した火球でララを手伝ってください! 私は防御魔法をかけ続けます!」
ソフィーはさらに魔法陣を展開しながらそう促してくる。
が、俺は少し違う方針に思いを巡らせていた。確かに虫に対して火をぶつけるのは正しい。観察してみると<大火球>が通った側の奴らは明らかに嫌がってるようだ。少しの間追い払うくらいはできるだろう。
だが、飛び回りこちらを狩ろうとする集団に対して、点の火力をぶつけるのは効果が薄い。それは今ララが試して確認済みだ。効果が薄いことを繰り返すのは方針として間違っている。
俺はそう頭を回転させながら、早速先ほどソフィーが教えてくれた<意志の力>を活用することにする。
「単純に火力をぶつけるだけだと、蜂の群れ全体に対処することは出来ないな……それならば!」
先ほどのソフィーの手ほどきのおかげで、ハトが良いヒントになった。俺は”鳥類”を呼び出し、<鬼面蜂>への対抗を図る。
ほんの一瞬の間に呼び出す種類の検討、――鷹や鷲では大きすぎて<鬼面蜂>を捉え切れない。ハトでは性格の落ち着きが過ぎて対抗し切れない可能性がある。いや”ハトは平和のイメージが強すぎる”。俺のイメージの、<意志の力>が不足する可能性があるという漠然とした直感がある。
ここは――俺は、強く念じて<カワセミ>の群れを呼び出した。
俺達三人の周りに翠色と青色の輝きが五十個ほど像を結ぶ。まばたきの間にそのカラーリングが翠から青に、青から翠にグラデーションがかかって変わっていく。尾羽からくちばしまで、像を結び終わった<カワセミ>たちが羽ばたきを始める。
ズババババッ
とまるでガトリングガンのような強い、連続した羽ばたき音。その強烈な音圧の割に、<カワセミ>は一切姿勢をブレさずにホバリングを続けている。
「よし、これならいける……いけ! <カワセミ>たち!」
いきなり五十羽召喚は多すぎたか、ガクンと肩に疲労感がたまっていく。それに構わず俺は全体に突撃を念じた。
ホバリング態勢から飛行態勢に切り替え、<カワセミ>たちは<鬼面蜂>の群れに突っ込んでいく。バツン、バツン、と音がするたびに青色と翠色の煌めきが蜂を撃墜、首を跳ね飛ばしていく。
<鬼面蜂>の針も角も、首の後方死角に回り込む<カワセミ>相手には無用の長物である。どんなに三次元的に飛び回る蜂でも、<カワセミ>の飛行能力と滞空能力にはとても太刀打ちできない。
召喚からたったの一分。あっと言う間に俺は<鬼面蜂>の群れを全滅させた。
緊張からほとんど止まっていた呼吸を取り戻すと、先ほど感じた疲労感がドッと襲ってくる。動けない、と言うほどではないがとにかく休憩がしたい。
「やれやれ、これでいわゆる雑魚モンスターか……なかなか手強いじゃないか。これは<意志の力>をもっと使いこなせるようにならないとな」
「す、凄い……」
ララがぼそりと呟き褒めてくれるが、初陣とはいえ反省点の多い戦いだった。
初手から<カワセミ>を全力で生み出さず、ララの支援で<鬼面蜂>の群れを牽制すればもっと効率的に追い詰められた。呼び出した<カワセミ>の数も多すぎだ。
ただ、別の視点で切り取ってみれば、過大な<意志の力>は負荷が大きいということを、一度は体感出来た収穫もある。簡単に例えるならばMPの使い過ぎというのが分かりやすいだろう。ふぅと一息ついて、木の根元に腰を下ろしているとソフィーが近づいてきた。
ソフィーが俺の手を握り、きらきらとした碧眼でじっと見つめてくる。細く柔らかい指先の感覚にドキリとするのもつかの間、ぐいっと顔を近づけてくるソフィー。えっ近い、近い、近い、柔らかい、いい匂い。
「シユタ様……今確信いたしました。あなた様こそ、予言にあった救世主様です。ぜひ、ぜひ我々この世界の人間をお導き下さい……!」
どうやらソフィーの俺に対する尊敬は、まるで敬虔な教徒のようにすっかり固定してしまったらしい。
主人公の才能が桁違いなので、こんな感じでガンガン無双します。
しばらくはRPGチックなお話です。