第五話:ソフィーとララ
目が覚めたらそこは草原だった。
赤と黒の点滅は収まり、視界は真っ白色から徐々に焦点が定まっていく。
一面に広がる草原はまるでアルプス山脈放牧地のようだ。少し肌寒い。実際にこのあたりの標高が高いのかもしれない。斜面の下り先には幾らか木が林立している。と、あたりを観察していると後ろから声がかかった。
「やはり、予言の時間と場所通り……」
「間違いないわよソフィー! こいつビカッと光っていきなり出てきたわ。それに魔力反応なし、移動魔法じゃなさそうね」
「もし、あなたは<転移者>の方でしょうか?」
振り返るとそこには絶世の美女が二人いた。いや、美少女といった方が正しいだろうか。なんとなく俺よりも年下に見える。二人ともずいぶんスタイルは良いが、顔立ちの感じは中学生から高校生くらいだろう。
一人目、ソフィーと呼ばれた方は豊かな金髪で白と水色を基調とした服装をしている。いくつか不可思議な幾何学模様のアクセサリーを纏い、まるでゲームで見た<ハイプリースト>のような格好だ。
もう一人の茶髪の編み込みの方はいかにも<魔法使い>といった感じの黒いローブを着ている。こっちの方はなんかもう、いきなり生意気そうだな……。
「ええっと、ん? 俺は確かバイクにふっ飛ばされてたはずだけど……」
「お尋ねしますが、もしや死の記憶がおありでしょうか?」
「う、そう、そうだ、俺は死んだ……はずだけれど、よくわからない。いつの間にかここに居たんだよ」
「間違いないようですね、あなたはこの世界に転移されたのです」
突然、訳の分からないことを言われて混乱が加速する。
「やっぱりこいつが<転移者>かぁ。それにしても冴えない面してる奴ねぇ。ソフィー、ホントにこいつを頼るつもり? 改めて言うけど、たかが<転移者>なのよ」
「……ララ、たしかに予言は外れることも多いけれど、もはや魔王の攻勢は深刻よ。我々はこの方にすがるしかない」
「あの、転移……ってことはここは異世界? 別世界ってこと?」
「えぇ、言い伝えによると<転移者>は元の世界で死を体験し、こちらの世界に飛ばされた者のことです」
「……?……?」
いくら考えても紐解けない混乱が続いているところに、金髪の方が自己紹介をしてきた。
「ここは<エルトリア>と呼ばれる世界です。私は<巫女>のソフィー、こちらは<魔法使い>のララです。あなたのお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「う、あぁ、俺はシュウタ。鈴木シュウタだ」
実は女性に対する免疫があまり多くない俺は、器量の良いソフィーの問いに少しドキドキしながら返答する。
あのユキのように性格が悪いと分かれば、こんなことにはならないのだが。このソフィーという子はなんだか柔らかな態度で、かえってこちらが緊張してしまう。
「シユタさん…ですか」
「シユタ? 変な名前ね」
こっちの<魔法使い>のララって方は仲良くなれなそうで、まあその分緊張しなくて済みそうだが。こいつさっきから俺のことをあまり信用していない様子だ。それにしても発音が少しおかしいな……。
「ええっと、シユタではなくシュウタだ。シュウタ」
「シユタ?」
「シュ・ウ・タ」
「シ・ユ・タ?」
うーむ、うまく伝わらない。この<エルトリア>とかいう世界では普段使わない発音だからかもしれない。そういえばアメリカ人は『ツ(tsu)』を『トゥ』と発音してしまうらしいがそういう感じだろうか。
『ユ』と発音するときのソフィーの美しい唇にドキマギしながら、俺は名前を変えてみるのも面白そうだと考えた。まぁ、せっかく異世界に来たんだ。ちょっとくらい名前を新調して、気分を変えるのもいいだろう。ハンドルネームみたいなものだ。
「ああ、シユタだ。よろしくなソフィー、ララ」
――
取りあえずこの世界<エルトリア>とやらについて、色々と聞いてみることにした。情報収集は大切だしね。
どうやら、この世界には魔王という圧倒的な<魔法使い>が長年存在し、魔王幹部を各地に配置して住民たちを支配しているようだ。
かつては原住民と<転移者>が力を合わせて戦い、魔王を長期にわたり封印することに成功したことがあるとのこと。
「言い伝えでは過去の<転移者>は非常に強力な存在だったのですが、それも千年以上も前のこと。ここ数百年では転移する方もすっかり魔力の素養がなくなり、それに伴って魔王の封印もほどけてしまったのです」
「ところが今回の転移はちょっと事情が違うのよね」
「ええ、シユタさん。精霊より我々<巫女>に与えられる予言、その中の一つに新たな<転移者>が予言されていました。今この時、この場所に訪れる者こそ魔王を打ち倒す<救世主>になるのだと」
「<救世主>……? それが俺ってわけかい……」
詳しく聞くと<転移者>は一世紀に一度か二度訪れるのだが、その法則はあまり明らかになっていない。今回たまたま俺の転移を予期できたのは<巫女>のソフィーの仲間の予言によるもので、非常に珍しいことらしい。
徐々に<転移者>の魔法の素養とやらが衰えていったのは、近代化で人々が魔法なんて存在しないと思ったからだろうか。彼らはこちらの魔法を目の当たりにしてもほとんど受け入れられず、真似することもできなかったようだ。
と言うことは、言い換えればこの世界は近代化をしていないということか……?
「ふーむ、魔法の素養ねえ……こっちの人は魔法を普通に使えるのかい?」
「えぇもちろん。こんな風に」
ソフィーがぐっと杖を握りしめるとすぐそばの草原に一陣の風が巻き起こる。
パタパタと舞い上がるソフィーのスカートにドギマギしながら視線を竜巻に移す。移す。なんとか、最大の精神力をもって、なんとか視線移す。移せない。フッといきなり風が絶えたと思ったら、そこにあった花が一輪だけ大きく生長していた。これがミスディレクション(視線誘導)ですか。手品かな?
「ただし、戦闘用にうまく使いこなすほどに素養のある者は五人に一人程度の割合でしょうか」
「す、凄いな君! ……ええと魔法か、それって俺にも使えるのかな」
「どうかしらねぇ~、衰えまくった<転移者>には無理だと思うけど?」
もう一人の小娘、ララが挑発するように口を挟んできた。
ララの方に視線を向けると、こちらも杖を握り光らせている。杖の先には氷の塊の中に火が灯り、パキリと氷が割れたと思ったら火の中から氷が膨れ上がってきた。氷と火が入れ替わるように何度も割れ、灯っていく。
それにしてもこの生意気なガキ、厚着をしていると思ったら意外とローブが透ける。そんなにくるくると杖を振り回すな。火をつけたまま振り回されると腰回りが透ける。またしても目線をどこに置いていいのかわからない。
「うお、こっちも凄い……」
俺は確信した。この魔法の力は是非とも手に入れなければならない。今までの<転移人>がこれを信じられず、習得が出来なかったことなんて関係ない。
魔法を使える奴が何人もいる異世界で、外様の俺がこれ無しで生きていくには非常に難しいはず。
「お願いします! 俺にもそれ、教えてください!」
「まぁ、いきなりの魔法習得ですか……それではまず、<意志の力>を取得されるのはどうでしょうか?」
「<意志の力>……? それは入門編の魔法みたいな感じかい?」
「えぇ、初歩魔法の一つです。イメージした内容を結果に落とし込む術式、使い魔を呼び出したり、様々な現象を呼び起こしたり。結果そのものは効果が小さく戦闘には向きません。ただし、そういうイメージの訓練によって他の魔法の早期習得にもつながるのです」
「ふむふむ」
「まずは、こう手の平の上に呼び出したいものをイメージして……像を結ぶ感覚で……」
するすると影が形を結び、ソフィーの掌の上に<カエル>が生み出された。ぴょこんと手の平から跳ねた<カエル>は、ぽよよんと豊かなどこぞを中継しながらソフィーの肩に乗った。うらやましか。
そんな感じでソフィーは手際よく魔法の手ほどきをしてくれる。ちなみにララは側で生意気なことを言うばかりだった。
「ま、<転移者>はそもそも魔法の素養がほとんどないのよね。今までの奴らだって初歩魔法のほとんどが使えずに結局野たれ死んだ奴しかいなかったし」
「シユタさん、まずは使い魔の初歩に<カエル>を呼び出してみましょう。特に能力を付与せずに、普通の<カエル>をです」
「<意志の力>……イメージ、こうか?」
ブゥン
と力をこめるとぼんやりとしたカエルっぽい影が手の平に浮かび上がる。さらに念じ方を強くするとドンドンその形が実体化していった。実体化が終わった<カエル>が、手の平の上で「げろり」と鳴いた。
「おっ、出来た」
「!?」
「えっ!? いきなり<意志の力>を使いこなしているじゃない!」
ソフィーとララが揃って驚いている。これってそんなに凄い事なのか? ちょっと集中しただけなんだが。
「す、凄い! いきなりこれほど実体がある<カエル>を呼び出せるなんて。シユタさん、これをできるのは魔法学校でも最上級難易度の入学試験を潜り抜けた者だけですよ!」
「ふ、ふーん、まぁ、ちょっとはやる<転移者>もいるのね」
見目麗しい二人に褒められて、俺は少し気をよくしてしまった。ついつい調子に乗ってこの力を鍛えたくなってくる。これをうまく使えれば、この世界での生活もなかなか順調なものになるかもしれない。
「この魔法、他には何ができるんだい? まさか<カエル>だけってことはないよな?」
「いえ、イメージできることならなんでもですよ。例えば鳥を呼びだして手紙を運ばせたり、しかも<意志の力>が強ければ鳥の速さを加速して、――速達にできるのです!」
速達にするだけ……いや、他にも使い道はいくらでもありそうな気はするけれど。まあ試してみるか。この時点で俺は、イメージできることはなんでもというこの能力の広い汎用性に薄々気づき始めていた。
「とは言ってもねぇ、<意志の力>なんて初歩魔法を使えても<大火球>とか上級魔法が使えなければ、手強い相手の戦闘では役に立たないわよ。私たちは魔王の軍勢を相手にしないといけないんだから」
ララが先ほどの驚きを隠すような平静な口調で言ってきた。
その嘲りを聞き流しながら、俺は手の平で<ハト>のイメージを結ぶ。ふーむ、何かを生み出すと少しばかり疲労感がたまるらしい。<カエル>と<ハト>で大体ラジオ体操の種目一個くらいか、大したことはない。
「<大火球>って要は炎を生み出すってことかな? それって<意志の力>で炎をイメージすればいいだけじゃないのか?」
「結果は同じですが効率が段違いなのです、シユタさん」
「そーいうこと。人間のイメージの力には限界があるでしょ? それを補助するためには複雑な術式と長い修業、最適な装備が必要なの。<意志の力>だけだとどんなに級位の高い魔法使いでも、石つぶてくらいの火球がせいぜいね。ましてや装備無しの素手なんて、火打石使った方がマシ」
「ふーん……?」
ものは試しに、右手に<ハト>を結び飛び立たせる。
続いて左手にはこぶし大よりは一回り以上大きい、バスケットボールほどの<火球>をイメージ。三メートルほど離れた先の草原に飛び降りた<ハト>に向けて撃ち放った。
灼熱の<火球>は草原を焼き、軌跡を残しながら<ハト>に直撃する。が、<ハト>は銀色に輝きその火力を受けてもビクともしなかった。きらりと輝く<ハト>は再び俺の肩の上に舞い戻ってきて、さらに少し念じると銀色の煙を立てて消滅した。
「なるほど速く飛べる特性と同じように、耐火性を高めた<ハト>を呼び出すこともできるわけか。しかも出すのも消すのも自由自在。便利だね、この<意志の力>って魔法は」
「……す、素晴らしいお力です……! 間違いなく過去最高の魔法素養です!」
「ウソよウソよウソよこんなの……今の熱量の塊はまるで<大火球>の……」
「えっ、これそんなに凄い事なのか?」
ソフィーはコクコクと頷いている。ララは目を背けながらブツブツと何かつぶやいている。いや、ほんの少し集中して念じてみただけなのだが。
つまり、俺の<意志の力>は史上最大に桁違いに強いらしかった。
やっとヒロインを出せました。
<巫女>ソフィー <魔法使い>ララ <転移者>シユタ 暫くはこの三人のパーティです。