塔の役割(7)
探索、五日目とされる日──
一行は十六層目に足を踏み入れようとしていた。
「ここも扉が開いているわね〜」
アニヘイムが扉の前でペロリと親指を舐める。
ついで鼻をスンスンと鳴らせて、匂いを嗅ぎ始めた。
扉が開いていたのは三日目に探索をした十四層目以来で、これで二度目になる。
あの時は、狼の逃げ出した痕跡があった。
つまりここも何かが逃げ出した可能性が、あるということだ。
ルーが怯えるルナールを両手で抱き抱える。
やはりルナールは、何かを感じ取っているようだった。
部屋の構造は、もちろんドーナツ状だ。
長い廊下のような部屋は、弧を描いて先へと伸びている。
しかし、これまでとの違いは一目瞭然だった。
生物が保管されているはずのシリンダーが、全て壊されていたのだ。
「あらら〜、これはまた派手に逃げちゃったわね〜」
「逃げ……え、これ全部って、全部が逃げちゃったってこと?」
カーリャの問いに、アニヘイムが肩をすくめる。
「とにかく生き残ってるシリンダーがないか、皆さんで見てきて。私はシリンダーの修復をしていくわ〜」
そう言って、アニヘイムが魔導器具のひとつを操作する。
魔導器具の再起動が始まると、地面に落ちていた無数のガラス片が宙に浮き上がり、パズルのピースを埋めるようにシリンダーを形作っていった。
やがて割れ目が綺麗に消えると、シリンダーの中が謎の液体で満たされ、新たな生命が生成されていく。
しかしこの調子で、全ての魔導器具を再起動するのは大変そうだ。
ハーミアがその様子を見つめながら、アニヘイムに話しかける。
「アニヘイムさん。ここから逃げ出した生物は、どんな種類のものなんですか?」
「この階層はぁ、下位の魔族ばかりね〜」
「魔族って……」
思わずハーミアが眉を顰める。
魔族は冒険者にとって、最も出会いたくない魔物だ。
神官である彼女には、邪悪であり嫌悪すべき対象でもある。
「大丈夫、もう魔族の匂いはしないから。既に塔から逃げ出したのか、魔界に還ったのか……どちらにしても魔族は死体を残さないから、ここにはもういないと思うわよ〜」
アニヘイムは、魔族すら恐れていないようだ。
笑顔のまま、淡々と作業を進めている。
「それに〜下位の魔族なんて怖くないない〜♪ 皆さんは、ささっと見てきちゃって〜♪」
たしかにアニヘイムの作業を見ていても仕方がない、とカーリャは頷き、最後尾のサイに呼びかける。
「私とハーミアは右回り、サイとルーは左回りで確認しよう。アニヘイムさんは“ああ”言ってるけど注意して。何かあったらとにかく音を出して知らせて、それからアニヘイムさんのいる場所に集まること。戦闘は合流してからね」
まるでレシーリアのような指示の出し方に、サイが少し驚く。
レシーリアやリアが『カーリャはリーダーに向いている』と言っていたのは、どうやら間違いではないらしい。
判断の正確性は未知数だが、決断の速さは認めるべきところだろう。
「了解だ。ガラスの破片に気をつけろよ。転んだだけでも大きな怪我になる」
サイはそう付け加え、ルーに行くぞと目で合図を送った。
「本当に、向こうは大丈夫なんでしょうか」
この異様な光景を前にして不安を感じたのか、ハーミアがポツリと呟いた。
向こうとは、リアたちのことだろう。
きっとユーンのことを心配しているのだ。
「まぁね。でも、リアさんとレシーリアがいるんだもん。こっちよりも安全でしょ。きっともう、塔の攻略も終わってると思うよ」
カーリャは、熟練の冒険者である二人に絶対の信頼を寄せていた。
心配するなら未熟なこちら側なのだ。
「ねぇ、カーリャ」
ハーミアが何かを読み取ろうと、カーリャの表情を伺う。
「カーリャは、もしかしてリアさんのこと……」
「待って」
カーリャがハーミアの言葉を遮る。
その表情には緊張感が走っていた。
「何かいる」
カーリャは小声でそう呟くと、無意識のうちに姿勢を低くし、右手をザイルブレードの柄へと伸ばしていった。
ザイルブレードは、青き月の鍛冶師ザイルが鍛えた大業物だ。
リアから弟子の証として受け取った銘刀も、今はすっかりカーリャの手に馴染んでいた。
だからこそ、カーリャの動きに無駄はない。
次の瞬間──
カーリャが音もなく大きく前へと飛び、ザイルブレードを引き抜く。
ザイルブレードは青白い線を閃かせ、何かとぶつかって火花を散らせた。
「なっ!?」
奇襲である“一の太刀”を弾かれ、思わず驚きの声を上げる。
そして相当な手練だと判断し、即座に後ろへとステップを踏んで距離を開けた。
「あなた……何者?」
カーリャが向けた言葉の先には、フード付きのマントに身を包んだ黒ずくめの剣士が立っていた。
剣士は真っ黒な剣を逆手で握り、ゆらりと後ろへと距離をとる。
シルエットこそ人の形をしているが、暗闇に溶け込むマントのせいで視認しきれない。
もしかしたら魔族かと、緊張感が高まっていく。
「下がろう、ハーミア!」
カーリャはそう叫ぶと、鞘を壁に打ち付けながら、アニヘイムの元へと一気に駆け出した。




