災いの痕跡(5)
「ひどい……」
ユーンが口元を抑えながら、思わず呟いた。
そこには、血の海に沈む獣らしき生き物の肉片が無数に散らばっていた。
「戦闘の形跡はないな。一方的にやられたか?」
リアが片膝をついて注視する。
それにしても、なにか不自然だ。
「……みたいね」
レシーリアもリアの隣で片膝をつくと、ダガーの剣先を器用に使って肉片を調べ始める。
「罠の形跡もなしね……ねぇ、この毛……」
リアに答えを求める。
どうやら、リアも気づいているようだ。
「狼だな……俺と戦ったやつと同種かもしれないが……さすがに偶然か」
「あいつに聞けないの?」
レシーリアが言うあいつとは、 黒の巨狼のことだろう。確かに確認すれば早いが……と、あの戦闘のことを知らないであろうユーンの方に目を移す。
あの出来事を今から説明するのも面倒に感じ、首を横に振る。
「ここじゃ無理だな。狭すぎる」
そう、とレシーリアが肩をすくめながら頷いた。
おそらくは察しているのだろう。
「……で、どう思う? これでもかってくらい不自然なんだけど」
リアが顎に手を当てて、再び肉片に目を移す。
「そうだな……レンジャーの知識に鑑みて、この切り口は刃物というよりも大きな爪によるものだろう。だが、動物がこんな風にバラしたりしない。切り方に法則性を感じる」
「残虐性……必要性……目的はなんにしろ、人並み以上の知性がある生き物にバラされたってことね。虫唾が走るわ」
「まったくだな。ユーン、一応マップに印をつけておいてくれ」
はい、と健気な返事が後ろから聞こえる。正直、彼女にはあまり見せたくない光景だ。
「印? 何でよ?」
「前にちょっと、な。似てるんだよ……どこぞの祭壇でみた光景に」
血肉の生贄か……と、レシーリアも理解する。
しかし、この都市には人がいない。
自分たちの他に、外部からの侵入者もいないはずだ。
それなのに真新しい儀式の跡があるとか、それはもう不気味を通り越している。
「今日の探索はもうやめて、少し前の部屋で休もう。さすがに疲れただろう?」
レシーリアもそれに同意する。
ユーンの疲れもピークだ。
一度安全を確保して休むべきだろう。
何よりもこの光景の先には、どんな危険が待ち受けているのか想像できなかった。
空き部屋を確保すると食事を簡単にすませ、朝まで休憩となった。
マントにくるまり目を閉じていると、ものの数分でユーンが寝息を立て始める。平気そうにしていたが、やはり疲れていたのだろう。
リアはユングに手を掛けたまま扉にもたれている。見張りも兼ねた眠り方だ。
窓際ではレシーリアが壁に身をあずけながら、ぼんやりと外を眺めて睡魔の到来を待っていた。
やがて、リアが小声で伝える。
「ちょっと、ここを任せていいか?」
レシーリアは、月から目をそらさずに黙って頷いた。
まるで、その言葉を待っていたかのようだった。
「ローグを呼ぶんでしょ。いいわよ……だけど時間は十分。それ以上かかったらユーンを起こして、そっちに行くわよ」
白い月明かりに照らし出されたその表情は、妙に穏やかなものだった。こうしてみると、彼女もただ佇んでいるだけで十分に幻想的な美しさを持っている。
「気をつけなさいよね」
月に目を向けたままの言葉だが、不思議と気持ちがこもって感じられた。
あぁ……とだけ返事をし、音を立てないように扉を開ける。
廊下は相変わらず人気がなく、血の臭いもうっすらとしていた。
入口の方に向かって扉を3つほど通り過ぎると、とくに確認することもなく部屋に入る。
やはり部屋の作りはどこも同じで、中には何もない。
いったい、誰のための部屋だったのだろう。
リアは魔獣の笛を取り出すと、ゆっくりと低く鳴らすように息を吹き込んだ。
魔獣の笛は、基本的に音が聞こえない。
音が届くのは契約した魔獣に対してのみといわれている。
しばらくすると部屋の隅で影がうねるように歪み、闇の中で大きな目がひとつ見開かれる。
ほどなくして影の中から 黒の巨狼が現れた。
“呼んだか……我が王よ”
片目のブラドゥが低く唸るように話す。
「昨日寝る前に、魔力はおくったはずだぞ。なんで目が治っていないんだ?」
“これは王に与えられた戦士としての勲章だ。命令とあらば治すが……そうでないなら、このままだ”
古強者然としたその態度に苦笑する。
もしもブラドゥが人であるならば、さぞや頑固で老練な剣術家なのだろう。
「戦闘で支障がないならかまわないけどな……少しばかり聞きたいことがある。お前はなんでルナール……あの金色の動物を追っていたんだ? あの狼どもは、手下か何かか?」
ブラドゥは低く長く唸り、やがてそれを声にする。
“……王よ。俺の魂には呪いにも似た忌々しい楔が打ち込まれている。その元凶を排除すれば全てを話せるが、その者は今も現存している。今の問に対する答えも、楔が邪魔をするのだ。言葉を選ばなくては話せぬ”
「楔? 俺との契約下でもか? そいつは何だ?」
“……何か……と問われれば……災いだ、と答えられる。魔獣の笛による契約は、因果の強制そのものだ。そこには「従属する」という、すでに確定された結果が生まれる。如何な楔で俺を縛ろうとも、確定された結果の前では無意味だ。あるいは、それによりイーヴォルの楔も消えようかと思ったのだが……王との契約後も、いまだに楔は刺さったままなのだ”
つまり、制約のある中で答えられる質問を探すしか無いのだろう。
いかにもレシーリアの得意そうな分野だ。
連れてくるべきだったか、と後悔してしまう。
「質問を変えよう。お前はどこからきた?」
しかし、ブラドゥは黙して語らない。
その答えが災いに関係することなのだろう。
「では、あの狼達はお前の仲間か? この先に惨殺された狼がいたんだが、それは関係あるのか?」
ブラドゥが、何か答えられないか深く考慮する。
“王よ。あれは、俺の配下の狼だ。そしてこの先の狼もまた、俺の配下の狼だ”
「なるほど……お前と手下の狼は、イーヴォルに関係しているのか?」
楔のせいで、ブラドゥが答えられずにいた。
つまり、そうだ、ということだ。
「じゃあ……お前と手下の狼、それからイーヴォルと、この都市は関係しているのか?」
やはりブラドゥは黙して語らない。
関係しているということである。
「じゃあ、最後の質問だ。あの金色の動物、あれもこの都市と関係があるのか?」
“王よ。それについては、わからぬ……と答えられる”
つまりこの都市とイーヴォル、ワーグ、手下の狼は何らかの関係があり、イーヴォルの命令でルナールを追っていたことになる。
ルナールと都市の関係性を答えられたのは、そこについてはワーグも知らないところだからだろう。
「ありがとう、心に留めておこう。もしかしたら、そのイーヴォルってのと対峙する時が来るかもしれないな。その時は、イーヴォルにかけられた首輪を外してやるよ」
“王よ……油断するな。イーヴォルは、日に日に力をつけている。だが、王ならば……と期待もしている”
「まぁそいつの首輪は外せても、俺がつけた首輪は外れないけどな」
“王よ……これは首輪などではない……戦士の絆と言うのだ”
ワーグはそう答えると頭を垂れるようにし、そのまま影の中に消えていった。
去り際まで古強者然としている奴だ。
しかし……ルナールが狙われているとなると、ハーミア達のほうが危ないのかもしれない。
そう考えると、自然と顔が強張っていく。
「さっさと片付けないとな」
そう自分に言い聞かせるように、つぶやく。
部屋に戻ると、レシーリアが変わらず窓際で月を眺めていた。
しかし、今度は目線をこちらにじっと向けてくる。
「わかってる、話すよ」
レシーリアは、そう……と素っ気ない返事をして、リアの方に体を向けた。
説明をしている間、レシーリアは一言も声を発せず頷きもしなかった。
ただ黙って考えを巡らせているようだった。
聡明な彼女の意見を聞きたかったが、彼女は自分の考えに確証がとれるまでなかなか話さない。
話し終えてもそれは変わらず、何らかの答えを待つように彼女に視線を注いだ。
やがてレシーリアも、その視線に気づいて目をすぅと細めて返す。
「なに? 見惚れてんの?」
「おまっ……あのなぁ……」
「冗談よ……半分だけね。私の考えよね。これだけじゃ、判断はつかないけど。この都市が突然現れた理由。ローグ達がイーヴォルに命じられて、ルナールを追っていたこと。私達がここに転移したこと。青い竜が、私達を見逃したこと。この先で死んでいる狼達も、イーヴォルに関係していること。これら全てが繋がってると仮定して……結論を言うなら、完っ全に巻き込まれているわ。一刻も早く、この遺跡から出るべきね」
お宝を目の前にその判断が出来るのだから、彼女がいかに優れた冒険者なのか再認識させられる。
リアも、それに同感だった。
「俺も同じ考えだ。だが、脱出方法がわからない。とにかく今は、あの青い竜のもとに行って話を聞くべきだろう」
レシーリアが頷く。
その目に宿るものは、危機感を持った冒険者のそれだ。
それはリアにとって、不安を払拭させるほど頼もしいものだった。




