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満月のハナシ  作者: Ni:
白い月 さまよえる白亜の都市

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55/110

王の咆哮(5)

 膝上ほどの高さの乾いた草を掻き分けるようにして、傾斜のある丘を足早に下りていく。

 幸いにも丘を抜ける風が草を揺らしてくれているおかげで、草を掻き分ける音もかき消されていた。

 リアは目を凝らして丘の下を注視してみるが、気配の主はまだ見えない。

 獣化をしてしまえば夜目も効くのだが、まだそこまでする必要もないだろう。

 しばらく丘を駆け下り、やがて後ろを気にするようにスピードを緩めた。

 ハーミアが呼吸を整えながら後ろに着くのを確認すると、さらに頭を下げるようにと自らの姿勢を下げて伝える。

 眼下では獣の声がわずかに聞こえていた。

 辺りを見渡し身を隠せそうな大きな岩を見つけると、ハーミアの手を取り低い姿勢のまま岩の影まで移動する。


「リード、下で何かが……」

 ハーミアが耳元で息を切らせながら言う。

 リアはそれに頷き、やはり小声で答える。

「狼だな」

 岩にもたれるようにし、(ユング)を抜いて岩陰から刀身だけを出す。

「7匹か……兎か何かを狩っている最中のようだが……よほど逃げ足が速いのか、苦戦しているようだ」

 さらに刀身に映る影を、注意深く観察する。


「どうするんですか?」

 リアはしばらく黙っていたが、やがて刀を鞘に戻しハーミアの頭に手をやった。

「ただの狩りなら放っておいていいんだけど、腹が満たされなければ丘の上まで来るかもしれない。すこし痛めつければ追い払えるだろうから、行ってくるよ」

 でも、と食い下がろうとするハーミアに笑顔を見せる。

「少しは信用してくれ。あれくらいは、本当に大丈夫だから」

 ハーミアとしては、彼の強さに対し何の疑いもない。ただ、だからと言って心配しないというのは、また別の話だ。

 しかし彼が、そんな女心を察してくれないことも理解していた。

「危なくなったら私も出ます。気を付けて」

 リアはもう一度笑顔を見せて頷くと、刀を握って身をひるがえす。


 眼下では数匹の狼が、草むらから見えていた。

 襲われている生物が何なのか分からないが、あの数で組織だって襲っているのに、捕らえられないのは少々不可解だ。回避能力の高い小動物なのだろうか。


 深い呼吸を一つし、さらに身を沈め、狼の群れに向かって草の中を移動する。

 狩りに集中しているのだろう、気づかれる様子はない。

 今の自分にとって狼自体は敵ではないが、相手は連携を取って狩りをすることを得意としている。

 もし5匹以上いるとなると、油断はできない。


 慎重を期すため、もう一度ユングを抜き夜空に突き出す。

 そして刀身に映る狼の影を、一つひとつ数えていく。

 やはり数は7匹だ。


 しかし、そこから少し離れたところにいる1匹の大きな影に目を奪われる。

 草むらに身を沈め、隠れるようにしているその影は、他とは明らかに異質の存在だった。

 その眼は確かに知性を感じさせていた。


 思わずごくりと唾をのむ。

 自分の冒険者として培ってきた知識の中で、当てはまる怪物を探し出す。

 馬よりも大きい真っ黒な毛並みの巨狼……あれは、恐らくワーグだ。

 有名所では『魔神狼フェンリル』や、その子らの『スコル』と『ハティ』がワーグの頂点に座しているが、幸いにもそこまでの迫力は感じない。

 それでもワーグであるならば人並みの知能も持っているし、そう簡単に倒せる相手ではない。


 ふとハーミアのいる岩の方を見上げる。

 そこには不安げにこちらの様子を伺う彼女の姿が、ちらちらと見えていた。

 あの位置からでは、草陰に身を落とすワーグを確認できていないはずだ。

 彼女が加勢に入ったり、逆にワーグに見つかったりしたら、ただではすまないだろう。

 危険を及ばせないためには、時間をかけず圧勝しなくてはならない。


 まだ気づかれていない……背後から奇襲をかけるしかないな……


 大きく息を吐き、ユングを鞘に収めて集中力を高める。

 そして草むらの中に完全に身を沈め、ワーグの背後に向かって円を描くように移動していく。

 ワーグは狼たちをけしかけて、高みの見物でもしているのだろうか……こちらに気づく様子もない。

 うまく背後にまわる頃には、すでに自分の居合の間合いにまで入っていた。


 息を殺しながら、もう一度大きく息を吐く。


 そして溜めた力を解き放ち、ワーグに襲いかかった。

 折れたユングは鞘から音もなく抜き放たれ、瞬間後にはワーグの左目から頬にかけて深く切り裂いていた。

 ワーグは、斬られてから初めてリアの存在に気づいたのだろう。

 ガァァァァァァッと大きな雄叫びを上げ、怒りと苦痛から裂けんばかりに口元を歪ませて低い声で威嚇しはじめる。

 同時に狼達もそれに気づいて、リアの方に体を向ける。

 完全に敵として認識されただろう。

 しかしリアは、動きを止めることなくワーグの喉元を斬りつけた。

 それは鮮やかな連撃だったが、巨狼が体を起こしたせいで手応えは浅かった。


「くそっ…だめか!」

 もはやワーグのものなのか、それとも狼達のものなのか判別のできない鳴き声が、四方八方から聞こえてくる。

 その中でも一際大きな咆哮が辺りに轟くと、それを口火に切って狼達が一斉に襲い掛かってきた。

 リアはたまらず車輪のように身体を回転させながら、群れる狼をユングで斬りつける。

 ザンっと切り裂く音とともに竜巻のような一閃が放たれると、狼を草むらごと巻き込んで吹き飛ばす。

 カーリャにも教えた弧月という剣術だ。

 何匹の狼を巻き込めたのか確認はできなかったが、今ので絶命に追いやれたようだ。


「あいつは…?」

 狼達がひるんだことを確認し、一瞬足を止めてワーグの位置を探る。

 狡猾な黒いワーグはその瞬間を逃さなかった。

 咆哮とともに大きく口を開けて、リアの右手を食いちぎろうと襲いかかる。

 そしてばくんっと口を閉じるが、手応えはなかった。

 リアはとっさにユングを空に投げて、そのまま手を引っ込めて寸前のところで回避をしたのだ。


 しかしワーグの優位性は変わらないままだ。

 武器が落ちてくる前に剣士の頭を噛み砕いてやろうと、狼達とともに一斉に襲いかかってきた。

 絶望的な状況の中、リアの頭の中で“獣化”という言葉が強くよぎった。

 本来シェイプチェンジャーが、今から獣化をしても間に合わない。

 獣化のプロセスは、まず獣化するという意思を持ってから獣人化するのに、五〜十秒の時間を要する。

 しかし、リアには奥の手があった。

 それは人前では見せたくない切り札であり、それ故に獣化自体を何年も禁じてきていたものだ。

 その切り札を使うとしたら、今だろうと自分に言い聞かせる。


「行くぞっ!」

 まるで狼の咆哮のような声を上げ、“奥の手”とも“切り札”とも呼べる『猛る剣術』を繰り出す。

 その数秒後、ワーグは自身に何が起きたのかも理解できないまま、圧倒的な剣撃によって昏倒してしまった。

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