つながりの糸(5)
何時間歩いたのだろう。
リードとハーミアの二人は何も会話をすることなく、ただひたすらに歩を進めていた。
やがて日も暮れ始めて休憩できそうな場所を見つけると、リードは野宿の準備をし始める。
ハーミアも適当な枝と枯れ葉を見繕い、火打ち石で火をおこす。
しばらくすると、炎から暖かい空気が流れてきた。
リードは小さな革製の袋から布にくるまれた干し肉を取り出し、黙ってハーミアに渡す。そして炎を挟んで、ハーミアの向かいに座った。
しばらく会話はなかった。
聞きたいことは山ほどあるというのに、何を話せばいいのか分からなかった。
「そう言えばさっき、俺のことをリードって呼んでたな」
重々しい空気を打破したのは、リードのほうだった。
ハーミアは落としていた視線を向けることなく、返す言葉を探す。
「船では黒髪に惑わされましたが……今はもう、あなたが幼馴染のリードだと思い出しています。教えて欲しいことが沢山あります」
黙って頷くリードをちらりと確認し、再び視線を落とす。
「あなたの本当の名前は? 今まで何をして……どうして、あの塔にいたのですか?」
一瞬の沈黙が生まれ、薪がパチンとはぜる音が森の中に響いていった。
「名は……あのころ名乗っていたリード・フィックスが本名だ。海でヨグに襲われてから、人魚たちに救われて……それから、とある神官に救われた。その後は身体の自由が効くまで、その神官の部屋に寝かされていた」
とある神官とは、ザナのことだろう。
海底都市から学院にあるザナの部屋まで、転移の魔法で運ばれたということだろうか。
ザナについて詳しく聞きたいところだが、今はぐっと堪える。
「それから、その神官に“ファールーゼスが俺を探している”と聞かされてな。会いに行ったんだ」
「ファールーゼスさんは、知り合いだったのですか?」
「あぁ……何度か冒険をともにしたことがある程度だ。ナインズが薬を強奪したことは知っていたし、塔の入り口に“銀毛の人狼”がいるのも調べ済みだった。いずれ上手く潜り込んで、盗み出そうと思ってたんだが……」
リードが火をくべながら続ける。
「ファールーゼスが、薬をもらいにナインズの塔へ行くと言うから……だが、どう考えても三人だけでは危険すぎる。そこで……まぁ、首尾よく手に入ればそれでよし……俺は不測の事態に備えようと考えた。その後は、昔の仲間にいろいろ頼んで、俺は俺で村に戻って、長からこの笛を借りてきた」
言いながら首からぶら下がっている、真っ黒な笛をつまんで見せる。
「魔獣を呼び寄せて、使役する笛だ。あのロック鳥は、魔獣使いの長が使役していたものだ。対価を払えば、俺でも呼び出せる」
対価……と、あの時の会話を思い出す。
「たしか命を削るとか……一年分とか……?」
「よく覚えてるな。まぁ……本当かどうかわからないけど、契約者以外が呼び出した場合は、それくらいの寿命を差し出しているって言い伝えだ」
事もなげに答える。
まるで他人事のような態度に、ハーミアは言い様のない怒りを覚えた。
「あなたは、またそうやって……」
「気にする必要はないよ。あの場で死ぬより、よっぽどマシだろ?」
「気に……? 気にしない訳がないでしょうっ!?」
思わず声を荒げ、リードのところまで四つん這いになって詰め寄る。
「あなたはどうして! そうやっていつも勝手に……私の知らないところで、傷ばかり増やして……」
溢れる情動に何を伝えればいいのか分からず、ボロボロと大粒の涙をこぼす。
「いや、船の上の時は俺が悪いんだし……今回のも、ブラン卿のためだろ?」
「そうじゃない……そういうことを言ってるんじゃないの!」
その左手のことだって、いまだに話してくれない。
「まぁ、こうやって久しぶりに会えたんだ。八年ぶりだぞ? もう少しこう、さ……楽しく」
優しく笑って話を濁そうとする態度が腹立たしく、思わず彼の頬を思い切りつねる。
「それなら船の時に、普通に話してくれればよかったでしょう!」
「痛い、痛いって」
「……バカ……なんで、こんなにまでしてくれるの……」
「そりゃあ、数少ない幼馴染だし」
幼馴染……実は許嫁だったことも話してくれない。
「隠し事ばかりで……何も話さないで勝手なことばかり……」
「そういえば、船でもすごく怒ってたな。昔もそうだけど……年下のくせに、よく噛み付いてきてたよな」
「好きで怒ってるんじゃ……もう……ほんとに、命を削るとか無茶なことばかりしないで」
どこか懐かしく感じるやり取りだった。
ハーミアが涙を拭うと、リードはやさしく頭に手を置き、ごめんなと謝った。
「俺がシェイプチェンジャーだってことは、船で言うべきだったのかもしれない。ただハーミアにとって、シェイプチェンジャーがどういう存在か知っているから、なかなか言えなかったんだ」
曖昧な表情で頷く。
「ハーミアの前では、獣化しないことにしていたんだけどな……こわかったろ?」
そこでリードは、もう一度ごめんなと謝った。
ハーミアは首を横に振って、その場に座り込む。
幾分気持ちも落ち着き、あらためて彼の表情を見つめる。
「本当は……もっと聞きたいことがあるんですよ。隠し事……いっぱいしてるでしょう?」
「……どうだかな」
リードの目はハーミアがどこまで知っているのか、ハーミアが知り得ない情報をどうやって手に入れたのか探っているようだった。
まさかザナからもらった魔水晶で魔力を増幅させて、無理やりプラティーン様の啓示を得て知ったなんて言えるわけもない。
今はまだ、リードは生まれながらの婚約者で、その腕を失った理由が自分を守るためだったことや、リードが身を引いたことを言わない方がいいと感じた。
「話しても私が困るだけだからとか……勝手な自己完結もしないでください。無理には聞きませんが……あなたは“あの”リードだもの。嫌ったりはしないですから」
これが今の自分が出せる精一杯の答えだった。
彼がいつか、自分から話してくれるのか……自分のこの胸の中にある不確かな気持ちは本物なのか……それを確認するには、まだ少し時間が必要に感じた。
「あぁ、すまない……」
「さっきから、謝ってばかりですよ?」
ハーミアは、そこで初めて僅かに笑う。
「パーティに加わってくれるのですか? みな、待ってますよ」
「俺なんかが入っても、いいのかな?」
「リードは、もう少し自信をもっていいと思います」
片腕の剣士は鼻先を掻くような仕草をして、少し戸惑ってみせた。
「なんですか?」
「いや……こうしてリードと呼ばれるのは、何年ぶりかと思ってさ。里にはほとんど帰らないし……あとは、ハーミアと一緒に過ごせた、あの村でしか呼ばれてなかったからな。本名なのに、新鮮な気分だ」
「じゃあ……リアさんで」
「いや、別に呼びやすい方でいいんだけどな……と言うか、なんで敬語にもどるんだ?」
「さっきは感情的になってしまっただけで、この話し方が普段の私なんです。あと、呼び方はやっぱり、リアさんにします」
少なくとも仲間達といる時は、そう呼んだほうがいいだろう。
いらぬ混乱を招くだけだし、町の中では彼は『冒険者リア・ランファースト』なのだ。
「なんか、距離がまた遠のいて感じるな。昔はもっとこう……おてんばで、ツンツンしてて……あぁ、今もしてるか」
「だから、それはリードが子供扱いをするからっ!」
と、言ったそばから馴染み深い名前を出してしまい、顔を真赤にしてしまう。
「そのままでも、いいのに」
「……二人の時は、リードって呼びます」
観念したように小声で答える。
それから今度はハーミアが、無人島に着いたあと何があったのかを、かいつまんで話し始めた。
──シェイプチェンジャーであることを、レシーリアにだけ話したこと
──ザナのこと
──そして、エヴェラードのこと
「ハーミアも、ザナに会っていたのか」
「リードが言う“とある神官”って、ザナのことでしょう?」
「あぁ……正直、あまり関わりあいたくない相手だな」
ハーミアも、それには同意する。
「少なくとも俺が世話になっている間、ザナの部屋にエヴェラードは来ていなかった。たぶん、今はもう会っていないんだろう。そうすると、あいつは今もどこかで彷徨っているのか……」
「できれば、救ってあげたいんです。あの人は私のことを斬りましたし……私の中で、あの時……あの人との繋がりも切れたんだと思ってます。それでも……ともに過ごした日々は確かにあって……そこには情もあって……できるなら……」
「あぁ……わかってるよ。なんとかしてみるさ」
リードはどこか寂しげな表情で、わずかに笑顔を見せて答えた。
ハーミアには、なぜかそれが心に刺さった。
しばらく沈黙が続き、リードは空気を換えるために、思い出したかのように言う。
「カーリャは、ベロナに行ったんだよな?」
ハーミアがはいと答えるが、なぜそれを知っているのか疑問に感じる。
リードもすぐにそれを察し、説明をつけ加える。
「代理決闘だろ? 俺にも依頼があったんだよ、もちろん新郎側でな。だが、俺も動けなくなっていたから、違う戦士を紹介しておいたんだ。で、そいつが『碧の月亭』のオヤジから、新婦側の代理剣士が誰だか聞いてな。俺の耳にも届いたのさ」
「そうですか。本当にそういう情報網は……レシーリアもそうなんですが、すごいですね。あとはサイ達ですが、今はレッチの祭にむけて荷物の護衛に行ってます」
「……レッチの祭? あぁ、そうか……そんな時期か」
そこで、なぜかリードの顔が次第にこわばっていく。
「どうかしたのですか?」
「いや……ザナからヨグが……テルミヌス・エストを、学院から盗み出したって聞いていて……金の満月……ライフ・ヒル……」
リードはぶつぶつと呟くと、やがて何かの考えにたどり着いたように顔を上げる。
「この先、半日ほど行ったところに馬を隠してある。そこから、レッチに向かうぞ」
「……あなたは……また、自己完結をしていますよ? せめて私には、ちゃんと説明してください」
よもすれば、また一人ですべてを背負って走り出してしまいそうなリードを、たしなめるようにハーミアは言う。
しかし言葉の厳しさとは裏腹に、その表情は優しい笑顔だった。
剣士は白い満月に照らされた草原で、馬を走らせていた。
その背には長く密かな思いを寄せていた許嫁が、ひかえめに腰へと手をまわしている。
許嫁といっても二人が生まれる前の話であって、スレイブが人間の女を襲い彼女が生まれた時点で白紙になった約束だ。
そこで途絶えるはずだった運命の糸も、一度は途絶えたはずの二人の道も、今は確かなつながりとなって感じられた。
彼女は人間になることを望んでいる。そうなればこの糸もすぐに消えてしまうかもしれない。
それでも……それまでは彼女を守ろうと、片腕の剣士は白い満月に誓うのだった。




