円環と螺旋(4)
イセリアが、ゆっくりとした動きで手を伸ばす。
今のイセリアに武器はない。
オケアニデスも、イセリアがヨグ=アセライアに意識を乗っ取られる前に召喚したものだろう。
なぜならば今のイセリアは、プラティーンの奇跡による代償で声を出せないはずなのだ。声が出なければ、オケアニデスは呼び出せない。
イセリアが指示できない以上、オケアニデスは主を守るという判断基準のみで動いている。
それでもヨグ=アセライアの力で、イセリアは声を取り戻しつつある。これも、ヨグという神の力がなせる奇跡なのだろう。
いずれにせよ、魔法の使えないイセリアに脅威はない。
あるとすれば……ヨグ=アセライアによる、相打ち狙いの憑依攻撃だけだ。
「カーリャ。あの時と同じ作戦よ。気絶させたら距離をとるわ。まずはそこまで……」
こいつはヨグであっても、ヨグ=シラセではない。同じ作戦で行けるはずだ。
ただ、その後どうするか……レシーリアには思い浮かばなかった。
それでも、対策を考える時間は稼げる。
例えば、馬を走らせて退魔魔法を習得している太陽神アデスの神官を呼んでくるとか……なにか手段はあるはずだ。
「うん! もう油断なんてしないからっ!」
眼光が鋭くなり、蒼のザイル・ブレードの鞘を少し引き出す。
重心が下がり、空気が張り詰めていく。
剣士が生み出す独特の空気……周りをもヒリヒリとさせる緊張感……抜刀直前のカーリャの集中力は相当なものだ。
レシーリアは左手にじりじりと移動しながら、投擲用ダガーを3本抜く。
イセリアは動かない。
カーリャが近づくのを待っているのだろう。
ちらりとカーリャのほうを見る。
しかしそこで初めて、音もなくカーリャに忍び寄る影に気づいた。
「カーリャ!」
思わず叫んだが、少し遅かった。
影は後ろからカーリャに掴みかかると、さらに後方へと投げつける。
それは無人島でレシーリアが、ヨグ=シラセに仕掛けた技と似ていた。
ハーミアが急いでカーリャに駆け寄り、抱き起こす。
そして治癒魔法の準備を行うが、カーリャはすぐに首を振った。
「ごめ……大丈夫」
心配させまいと笑顔を見せるカーリャに、ハーミアも安堵する。
そして影……シラセのほうに目をやった。
「あのさぁ。同じ作戦ってのは、見てても楽しくないんだけど?」
「あによ、あんた……邪魔しないんじゃなかったの?」
「そんなことは一言も、言ってないよ。”君たち“とは戦わないってだけで」
「じゃぁ、その右手に持ってるものは何よ」
シラセの右手には、いつの間にか赤月のユングが握られていた。
その刀身が途中で折れていることから、カーリャが持っていたものだとすぐにわかる。
「なっ……返して!」
「ちょっと借りるだけだよ。自分の弱点を晒すとか……まったくもって、不本意だけど。まぁここまでが、ザナとの契約だからね」
シラセが、アセライアの方へと体を向ける。
「あのね、ヨグを倒すには、ユングじゃないと駄目なんだよ。それとね、今日は赤の満月だ。なのに、ユングを使わないとか呆れて笑っちゃうね」
狂気そのものの歪んだ笑みに、ハーミアは困惑していた。
それが最早、エヴェラードの言葉なのか、ヨグ=シラセのものかわからなかった。
「キさマ……同じヨグ様に……従ズる者ナ……の二邪魔ヲする……ノか」
「随分と、声が戻ってきたね、さすがヨグ様の力だ。だけど、やめてほしいな。あのつまらない海域で、ただゆらゆらと漂い、運よく誰かに憑依できてもヨグ様のために働く駒になるとか……まったくもって、不本意でつまらないじゃないか。君と僕は違うんだよ。僕は円環の輪から抜け出したんだ。君たちみたいに、同じところを犬みたいにぐるぐる回って喜ぶような存在じゃなくなったのさ」
「裏……ギル……ノか」
「僕は自由を得たのさ、ヨグ様とは別の神の力でね。僕は円環の輪から抜け出し、螺旋の道にたどり着いたんだ。これからは、このエヴェラードって奴の悪意のままに、好きなことをするのさ」
シラセはそう言うと、赤い満月に向けて折れたユングを掲げる。
「残心し──名残れ──ユング」
ゆっくりと、その手を下ろす。
するとユングの折れた切っ先から、赤い光が伸びていった。
「……それが、月の鍛冶師が鍛えた武器の力?」
「ご名答だよ、盗賊のお姉さん。言っとくけど、チャンスは1回しかあげないからね?」
シラセはニヤニヤと笑いながら、イセリアに向かって駆け出した。
そして、迷わず折れたユングを振り下ろす。
その刀身はイセリアを傷つけることなく、赤い光の刀身のみが体を擦り抜けていった。
「お……おぉおおおヲおォォおおぅぅぅッ!」
瞬間、ヨグ=アセライアは叫びともならない声を発し、イセリアの体から抜け出す。
数日ぶりにあの赤い霧が、再び姿を現したのだ。
「さ、僕はここまで。あとは君たちでやってね。……ハーミア、また今度ね」
シラセは戸惑うハーミアに冷笑を浮かべ、ユングを無造作に投げ捨てる。
そして、転移の魔法を唱え消えてしまった。
「……あ……れ? みなさん……なにが……私は?」
ヨグ=アセライアから解放され、我を取り戻したイセリアが力なくその場に座り込む。
レシーリアは、憑依がとけた瞬間だけ力が入らなかったことを思い出した。
「大丈夫、すぐに回復するはずよ」
しかし、あの赤い霧がいま一度、憑依をしようとイセリアに近づく。
「イセリア! 危ない!」
カーリャが慌てて、投げ捨てられたユングのもとに駆けよろうとした。
……が、これは間に合わないと直感し、反射的にイセリアのほうへと視線を移す。
そこには今まさに、イセリアに憑りつこうとする赤い霧と、赤い満月を背負うようにして空高く跳ぶシルエットがあった。
「はっ……盗賊に後ろを取られるとか、間抜けな神様ね」
レシーリアはアセライアの背後から飛び掛かるようにして、持っていた武器で両断する。
霧は見事に二つに分かれ、わずかに消えていく。
「……レシーリア、それ……」
ふふんと笑うレシーリアの指先には、船で拾った折れたユングの“刀身”があった。
「リア、あんた最高よ!」
レシーリアは、さらに赤い霧を両断する。
赤い霧はそれでも再び集合し、今度はレシーリアに憑りつこうと蠢くが、レシーリアは不敵な笑みを浮かべたままだ。
「お馬鹿さん。あんたが必死に声を治してくれたおかげで、あんたは滅ぶことになるのよ?」
レシーリアの視線の先では、目を閉じて両手を組むイセリアがいた。
赤い満月の下……再びあの夜と同じ精霊語の歌が響くと、ヨグ=アセライアはあえなく霧散し消滅してしまった。
それから数日後。
レーナの港には、一行の姿が揃っていた。
「まぁた、この港に戻ってくるなんてね。しかもここ、同じ場所じゃない」
レシーリアが、心底嫌そうにつぶやく。
「そうだね〜。出港したのも2〜3週間前なのに、僕はもう懐かしく感じるよ〜」
しみじみとルーが言うが、お子様の懐かしむ姿は滑稽でしかない。
「イセリアはまだ来ないの?」
カーリャの問いに、レシーリアが肩をすくませて答える。
「あぁ〜なんかあの娘、ユーンと仲良くなっちゃったみいでね。出港する前に、いろいろ買い出しに連れて行ったみたいよ」
「ははは、こっちとしては嬉しいよ。それだけ彼女が魅力的だってことだからな」
さわやかに笑うのは、獅子の剣を持つ男、ローグだった。
彼は、財産をはたいて買った船を目の前に、いずれ妻になるであろう女性の帰りを、今か今かと待っているところだった。
レシーリアから見ても、この男は中々に肝が座っている。
「で? とりあえずバリィに行くの?」
「あぁ、色々と買い付けのための契約をしてくるよ。何度か行き来することにはなるが、落ち着いたらこっちで店を開くつもりだ。そん時は来てくれよ?」
「安くしてくれるならね」
レシーリアの冗談にローグは当たり前だろ、と笑い飛ばす。
「あの……ローグさん」
ハーミアが少し迷いながら声をかける。
「いま聞くことではないのですが……どうして、イセリアを受け入れられたのですか?」
「どうしてって……そりゃあ奇麗だし、あんな恥ずかしい歌を謳われたらな……男なら応えるしかないだろ?」
「あ~、あの恋文をそのまま歌ったやつねぇ。あれは恥ずかしいわ」
レシーリアが手をひらひらとして冷やかすが、ローグはそれをも笑い飛ばす。
「ああ、でも本人はひとつも恥ずかしがらないんだ。それって素晴らしいことだろ? あんな、純粋で真っすぐな女はいないさ」
「……では、もし人魚のまま人間になれなかったら?」
無粋な質問だが、ハーミアはどうしても聞いておきたかった。
ローグは顎に手をやり少し考えていたが、やはり笑う。
「まぁ、確かに形式的な意味での結婚は難しいかもしれないが……とりあえず、一緒に航海はしただろうな。そのまま海で好き勝手に暮らして、最終的に、そのまま添い遂げてもらえるのも、いい人生だと思うぜ?」
その答えに、ハーミアは自分の願いは間違っているのでは……と初めて考えていた。
もしそれが本当なら、イセリアは人間になったから幸せになれたわけではなく、イセリアとローグだからこそ幸せになれたのだ。
そこに、種族の壁はない。
「あんたが、生粋の貴族や騎士の家系じゃなくて、心底よかったと思うわ」
レシーリアがつぶやく。
人間族の爵位持ちは、総じて亜人種に対し差別意識があるからだ。
「まぁ俺は、ハーフエルフとかも気にしないしな。綺麗で寿命が二倍でって、結婚相手には最適だろ」
「……あんたが馬鹿でよかったと、いま改めて思ったわ」
ため息をするレシーリアに、しかしローグは笑い飛ばす。
「大事なのは、想われることだろ? それは、どっちが先だったかってだけで、それが嬉しいと思えたなら、倍にして想いを返せばいいのさ」
その笑顔は、少し前まで感じていた絶望を忘れさせるほど眩しく輝かしいものだった。
二人の旅立ちは、一行にとって最初の冒険の終わりでもあった。
あのつまらなそうな依頼が、こんな事になってしまうのだから冒険者家業はやめられないのだ。
イセリア達を乗せた船が、見えなくなるまで手を振る仲間たちを見て、レシーリアは満足気に微笑むのだった。




