円環と螺旋(2)
部屋の中の音楽が、にわかに大きくなる。
いよいよ舞踏会が始まろうとしているのだろう。
獅子の柄を持つ男を見つけられずいたハーミアは、ちらちらと声をかけようとしてくる貴族の男たちから逃れるようにしてテラスに出ていた。
空には大きな満月が赤い光を放っている。
町全体を赤く染めるその光景は、何度見ようと圧巻の一言だった。
もしも今日イセリアの想い人が見つかり、二人がともに歩む決意をしたならば、イセリアは人間になる薬を飲むだろう。
そしてイセリアは声を失い、ザナが声を取り戻す。
ザナが声を取り戻せば、リードの傷を癒やしレーナに転移の魔法でもどってくる。
心のどこかで、リードが戻ってくることを願う自分がいた。
会って何を話すのか……それすら浮かばないけど……
9歳の頃、確かにそこにいたあの人は、何を思って私に接していたのだろう。
自分にとってあの人は、外の世界を知っている優しいお兄さんだった。
あの頃の私は、すでにエヴェラードのことを憎からず想っていた。
エヴェラードは村長の息子で、私より2歳年上の幼馴染だ。
剣の先生を持ったこともあり村一番の剣の使い手で、何度かオオカミを追い払ったこともある。
そんなある日、村長の知り合いの子という紹介でリードがやってきた。
リードは外の世界に詳しく、何より強かった。
エヴェラードも思わぬライバルの出現に、何度も剣の勝負を挑んでいたのを覚えている。
いつも、三人でいた。
ずっと続くものだと思っていたけど、リードは突然姿を消した。
あの時、私が人間じゃないことをリードが教えてくれていたら、私はその事実を受け入れられただろうか。
あるいは、そんな酷いことを言うリードに対し激しく罵っただろうか。
それでも、あの人が私を守ろうとしてくれた事実は変わらない。
その感謝は伝えねばならないだろう。
「会いたい……」
自然に出た言葉が、信仰する神に届いてしまう気がした。
「そうだね、だから会いに来たよ。ハーミア」
突然の言葉に、心臓が鷲掴みにされたような感覚を覚え、声の方に顔を向ける。
「……あの時の続きをしよう」
テラスの奥で赤い満月を背負い、彼はいた。
忘れるわけがない。
その目、その声……あの時、私を斬った……あの人。
「エヴェ……どうしてっ!?」
ハーミアのうつろな瞳にも、相手の顔がうっすらと映る。
黒髪……変わらぬ冷たい青の双眼……そこにいるのは、エヴェラードに間違いなかった。
「まだ、エヴェと呼んでくれるのかい? 殺しにきてあげたよ……ハーミア」
エヴェラードは、静かに腰の剣に手を伸ばす。
「君は、僕の思い出の中で生きればいい。一瞬で終わらせるてあげるから、その美しい姿のままでいてくれ」
エヴェラードはそこまで言うと、突如、苦悶の表情を浮かべ額を両手で押さえる。
「……エヴェ?」
「違うよ……いや違わない……俺はエヴェラードでもあるけど……僕はエヴェラードじゃない。僕の名はシラセ。ヨグより生まれた者だよ」
「ヨグ……そんな、有り得ないわ!」
「ひどいな、ハーミア。ずっと僕のことを心配してくれてたじゃない」
ハーミアの中で、なにか糸が繋がる感じがした。
そして、無人島からずっと目を覚まさなかった船員を思い出す。
「町まで運んでくれてありがとうね。そんでもって、次のいい体も手に入れたし。この人さ、わざわざ君を殺しにきたらしいよ? 君の泊まっている宿まで調べて、部屋に侵入してきたんだ。でもさ、そこで寝てたのは僕の前の体でしょ? この人、なんか勘違いしてさ、もうすごく怒っちゃって」
エヴェラードが無邪気に笑う。
「嫉妬だよね~。で、前の体はそのまま首を絞められて殺されちゃったから、この人の体もらったんだよ。この人さ、嫉妬と怒りの感情が凄くてね、居心地が良すぎるから、本格的に融合しようと思うんだ。だから僕はシラセであり、エヴェラードなんだよ。ちゃ~んと、彼の意思も感情もあるからね。だから、僕が殺してあげるよ、ハーミア」
自嘲するその顔は、どちらのものか判別できなかった。
ただただ、絶望感だけがハーミアを支配していく。
「全部、あんたが言った通りになったね~」
シラセの後ろから、“そうね”と返す言葉が聞こえる。
ハーミアはその声に聞き覚えがあった。
それは──
それは、イセリアの美しい声に間違いなかった──
心臓を槍で貫かれるような衝撃を受けながらハーミアが振り向くと、そこにはイセリアではなく黒髪の女性が立っていた。
彼女の顔を忘れるわけがない。
──赤と蒼の瞳の魔導師、ザナ。
「どうして……?」
「答えは簡単よ。私がここに居るということは、イセリアが薬を飲んだってこと。あのね、ハーミア。あなたがイセリアに提案した内容は、私にとって不利益なものなのよ? なぜその行為が、私に予測されると気付かなかったの?」
ザナはシラセの隣に並ぶようにして立ち、ため息をする。
「プラティーン様は、あなたがあの島に来る以前から、こうなることを教えてくれていたわ。だからヨグを植えた船員を、あなた達に運ばせたの。より計画を成功に近づけるためにね。まぁお仕置き程度に、あなたを追ってやってきたこの剣士も利用させて頂いたけどね」
イセリアの声を得たザナが冷たく笑う。
「……なんてことを……ザナ、お願い。エヴェラードは関係ないわ」
「いいえ、彼はもう歯車の一つなの。それとね、彼も喜んでヨグの力を得たのよ?」
「そうだよ。この力はいいよ。それに、ザナにもらったこの魂食いの剣『テルミヌス・エスト』で、ハーミアの魂を食えば、僕らはずっと一緒にいられるんだよ?」
そう言いながら、シラセは青白く輝く両手剣を鞘から抜く。
「どうして、どうしてこんなことを……ザナ、あなたの望みは声を取り戻すことじゃなかったのですか?」
「それも一つの望みよ。でもね、私は欲張りな女だから、手に入れたい物がたくさんあるのよ。あとね、確かに私はシラセを少し利用するけれど、これがあなたを殺そうとするのは私の管轄外よ。私にとってこれの役目はもうほとんど終えてるの。あぁ……それと、私は約束はちゃんと守る女よ?」
ザナはそう言うと、転移の月魔法を唱える。
たちまち赤い光が溢れ、光が引いた頃にはザナの姿もなくなっていた。
「さぁ、やろうか」
シラセ=エヴェラードが、あの時……結婚式の時と同じように剣を構える。
ハーミアは、すでにあきらめたかのような表情を浮かべていた。
「ハーミア!」
その思わぬ救いの声は、口元をマスクで隠したルーのものだった。
イセリアの意中の男を見つけ、ハーミアを呼びに来たのだ。
『赤の月よ、魔力の水面に跳ねる雫を今ここに!』
ルーが月魔法の月光弾を発動させるべく印を切り、指輪をかざす。
すると指輪の先で赤い光弾が生まれ、目では到底追えない速さでシラセに襲い掛かった。
光弾はシラセの体に当たると、バチィンと激しい音をたてて弾けた。
『赤の月よ、魔力の闇を全ての理の彼方へ解き放て!』
さらに印を切ると、今度は闇そのものが広がりシラセを飲み込む。
昼夜問わず闇を生み、相手の視界を奪う月魔法だ。
ルーは戸惑うハーミアの手を取ると、室内に駆け込んだ。
室内ではすでに、ダンスパーティーが始まっていた。
ルーは人を避けるよう壁沿いに走り部屋から出る。
「……はぁ、はぁ……あれ、なに?」
訳も分からずに攻撃魔法を使ってしてしまったと、ルーは悔やんでいた。
「……あれは……シラセ……船員にとりついていたヨグの気配が、あの人に乗り移ったみたいで……」
顔面蒼白なハーミアの説明に、ルーがとりあえずそれで納得する。
「とにかく、レシーリアのところに行こう!」
いまだにヨグの悪夢から逃れられないことに対し、二人は恐怖していた。




