銀の人狼(3)
2階が宿になっている酒場、『碧の月亭』は、夕方にもなると席の空きがなくなるほどの賑わいをみせていた。
その活気たるや、引っ込み思案なユーンや、人との交流が苦手なサイでは、店内を覘くのもためらうほどだ。
もちろん、レシーリアにとってはここもまた日常で、店先でどうしたものかと困っている二人の精霊魔法使いを引っ張っての入店となった。
好奇心旺盛なカーリャとルーは終始目を輝かせていてる。ルーに至っては昼間の経験に比べれば何も怖くないといった感じだ。
ハーミアはいつも通り静かで、表情も冷めたままだ。
……まぁ、無理もない。
ざっとこの店内を見回しても、彼女より美人などいないわけで、こんな酔っ払いの巣窟にいては、好奇の目に晒されて当然だ。
それでもレシーリアの連れというだけで、常連客ほど声が掛けづらいようで、ハーミアにはそれが救いだった。
一行はとりあえず、今日一日の出来事を報告しあった。
「思ったより、いい人みたいねぇ、ブラン卿。どうりでリアが、町にもどったら最初に会いに行け、って言うわけね。冒険の援助とか、これは是非もない話だと思うわよ、リーダー?」
「うん、そうだよね。これは、お願いしちゃおう。それでハーミア、その……」
ずっと、うつむき気味だったハーミアが顔を上げる。
「養女の話ですか?」
うん、とカーリャが頷く。
リアとブラン卿のつながりはわかったのだが、なぜハーミアが……と、どういった経緯でそんな話になるのか、カーリャにはさっぱり理解できなかった。
「私自身、帰る場所があるわけでもないですし。無下にはできませんので……明日から少しの間、お部屋を借りて住もうと思います。と言っても、住み込みで家事とか何か仕事をしながらで……返事についてはゆっくり考えます」
拠り所が欲しかったわけではない。
それでも、すべてを知った上での厚意に、ほんの少し寄りかかりたくなったのかもしれない。
「いいんじゃない? 頼れるものは頼るべきよ。で、そのついでにさっきの話ね。あたしとルーがギルドで仕入れた情報で、四日後の赤の満月に行われる舞踏会なんだけど。それの招待状とか、もらえるか聞いといてもらえる?」
ハーミアは、わかりましたとだけ答える。
「……で、具体的にどうするんだ?」
「どうすんのよ、りーだー」
ぐっ、とカーリャがたじろぐ。
「じゃあ、招待状はハーミアからブラン卿に頼んでもらうとして……えっと……赤の満月の日に舞踏会に行って、イセリアの意中の人を探して、うまく説得して、イセリアのところに連れていくのよね」
「ねー、カーリャ。満月の夜に探すしかないのなら、イセリアを人間にして連れて行ったほうが早くないかな〜? 満月の夜になれば、薬の効果出るんでしょ〜?」
おお……ルー、ナイスアイディア! と、カーリャが手をたたくが、ハーミアが首を横に振ってそれを否定する。
「その男の人には、ありのままを話しましょう。それでも会いたいと言ってくれたなら、イセリアのもとに連れていき、人魚の姿のイセリアを見ても気持ちが変わらなければ、で。人間になる薬を飲むのは、それからでも遅くはないと思います。そうすれば、受け入れてもらえなかった時に、薬を飲まず人魚のまま故郷に帰れますし」
どうしても、自分の結婚式の時のことを思い出してしまう。
私がシェイプチェンジャーだと知っていれば、あの人はきっと、結婚を申し込むどころか、最初から村から追い出そうとしただろう。
「人間は……特に責任ある地位にいる人ほど、他種族に対して寛容的だとは言えません。時に、とても冷たくもなる。だから、せめてそれくらいの配慮はしたいんです」
そうなれば、ザナの声は取り戻せなくなるわけだが、今はそれよりもイセリアの安全が大事だと思えた。
「……あの……私もそれに賛成です」
ここまで黙っていたユーンも、ハーミアの考えが正しいと思えたようだった。
「決まりね。じゃあ当日は舞踏会に潜入、獅子の剣の男を説得、イセリアのところに連れて行く。イセリアのもとには、サイとユーンが待機。舞踏会にはルー、ハーミア、カーリャで行くってことで。あたしは屋敷外で待機しとくわ」
「またそうやって、自分は楽する……」
ジト目を投げかけるカーリャに、レシーリアがため息で返す。
「あのねぇ、ハーフエルフが貴族の宴になんて行ったら、何されるかわかったもんじゃないわよ」
「そういうことだ。ハーフエルフなんぞ、そもそも入れてもらえないだろ」
口を揃えるハーフエルフコンビに何も言い返せず、カーリャが複雑な表情を浮かべた。
貴族は、差別的な考えの持ち主が多いと聞く。
この二人も、そういうことには、敏感なのだろう。
「う~。じゃぁ、それで……明日からは舞踏会に出るための準備と、当日のための打ち合わせを、すすめるということで……」
カーリャは一同が頷くのを確認すると、力なくエール酒の入ったコップを掲げるのだった。
その日の夜。
結局ハーミアの部屋に寝かせていた船員は、目をさますことがなかった。
本格的な治療も明後日からとなったため、ハーミアはそのまま『碧の月亭』の2階の宿の一室を借りることになった。
ルーはいつも通り学院に戻り、サイはイセリアが心配という事で入り江に向かっていった。
男手が少ないこのパーティで、サイにかかる負担が大きい気もするが、彼もとくに文句を言わず、当然のように行動していた。
レシーリアは、もともとこの宿が根城で、カーリャとユーンもそれに倣う気でいるようだった。
「……ふぅ」
ハーミアは薄暗い部屋の中で小さなため息をして、ベッドに身を預ける。
明日にはもう一度ブラン卿のところに行き、招待状の件と、とりあえず一緒に住むということを、相談に行かねばならない。
正直、いまだにそれがいい事だとは思えないが、ブラン卿の人となりを知らないことには、何も判断ができないのも事実なのだ。
……これは、そのための一歩。
養女になるとか、あまり興味はないのだけれど……何も知らないまま判断はしたくない……
そう、自分に言い聞かせる。
そしてザナから渡された、あの魔水晶を右手に握る。
……知らない事には、何も判断できないもの。
私が、自分のことをシェイプチェンジャーだと知らなかったみたいに。
もう、何も知らないまま過ごすのは嫌なの。
私だけ知らないとか、もう嫌なの。
もう一歩踏み込むために、また自分に言い聞かせる。
そして目を閉じ心の中で、信仰する神の名前を呼び、こう願うのだ。
“リードの、左腕がなくなった時のことを知りたい”
心の中でそれを連呼し、右手に握る魔水晶を両の手で握る。
すると、魔水晶がハーミアの神聖なる魔力を、加速度的に何倍にも増幅させていった。
やがて魔水晶が塵のように消え、ハーミアは生まれてはじめて、プラティーンの啓示を得たのだった。
白い光に包まれ、少しずつ視界がはっきりとしていく。
“……体が浮いている?”
見えてきたのは、見覚えのある景色だ。
たしか、村の近くの川だったと思う。
“これは……あの時の?”
たしか、あの時……
私は暑さに当てられて気を失っていたと、後から聞かされていたのだけれど。
「なんで今更、彼女にかまうんだ! スレイブ!」
叫び声が聞こえる。
声のほうに目をやると、三つの影が見えた。
川辺で倒れているのは……9歳の頃の私だ。
声の主は、優しい瞳をした銀髪の青年。
腰には、赤と蒼の光を放つ二本の刀を差している。
……覚えている……あれはリードだ。
いつも優しく笑う……兄のように慕っていたリードだ。
“そう……やっぱり、リードがリアさんなのね”
そして、リードに対峙するように立つ、真珠色の髪をした山のように大きな男がいた。
「こいつはな、俺様が犯した人間の女が産んだ子供なんだよ。聞けばあれじゃねぇか、俺達と人間の間の子供ってのは、珍しいらしいじゃねぇか。しかも、なかなか将来有望な顔つきをしている。高く売れると聞いて、捨てられたこいつを探し回ったんだぜ?」
男は下卑た笑みを浮かべて言う。
“……あれが私の父親……”
「坊主、お前は何か? 例の婚約者か? 物好きにも、会いに来てたのか?」
「俺は……俺の婚約者になるはずだった人が、どんな人か見に来ていただけだ。でも、俺の婚約者はもう死んだ。そこにいるのは、ただの人間の女だ」
「ちがうな、こいつは俺の娘だ。変身の方法を忘れた、間抜けなシェイプチェンジャーさ」
男はそう言って、倒れる私の横で片膝をつく。
「月長石の首飾り、か。これで、変身を封じていたのか。あのじじいの考えそうなことだな」
「……長は、傷心の母親の願いを聞き入れて、人間の村に彼女を預けることを決意したんだ。それはその時の、はからいだそうだ」
「くだらねぇ。変身を忘れさせて、何になる。俺達は人間より、はるかに優れた存在だぜ?」
「違う! それは傲慢な考えだ! それに……今の彼女は、自分のことを人間だと思っている。そして、人間の男に想いをよせているんだ! それなら、そんな事実は知らない方がいい!」
「そんな理由で身を引くのか? そんな理由で、一人で生きていこうというのか? そんな生ぬるい考え方だから、俺達の種族は数が減っちまうんだよっ!」
ひどく悲しげなリードの眼が、心をえぐる。
苦悩の色がはっきりと浮き出ていた。
「子孫を残す権利を、自ら放棄しやがって。親も腑抜けだったが、仇討ちすらしに来ない、お前はもっと腑抜けだぜ!」
「黙れ! お前が俺の両親を殺したことと、これは関係ない。力ずくでも彼女のことは諦めてもらうぞ!」
リードの体が、びくんと波打つ。
小刻みな痙攣とともに、銀の毛並みが全身から現れ、筋肉が隆起し、口がどこまでも裂けていく。
「いいねぇ、力ずく。好きだぜ、そういうの……」
身震いをしながら、スレイブもまた変身をしていく。
その姿は真珠のように美しい毛並みの人狼。
それは何よりも気高く、誰よりも邪悪だった。
リードは強かった。
明らかに自分よりも大きな体の相手に、いかに戦えばいいのかよく理解していた。
しかし成熟しきっていない牙や爪では、力押しをする大人の人狼に、たいした傷を負わせることもできなかった。
ガアアアアアアッッ!
スレイブが吠えると、大きくあけた口でリードの左腕に噛みついた。
リードは痛みのあまり狂ったように暴れる……が、鍛え抜かれたスレイブの顎により、その鋭い牙はみるみる食い込み骨を軋ませていた。
……噛み千切られるのは、時間の問題だった。
スレイブが勝利を確信した瞬間、リードの左腕から血しぶきが飛び散り視界を奪う。
リードはその瞬間を逃さずに右手を振り上げ、左腕に噛みついたまま離れないスレイブの頭に、渾身の爪を落とした。
スレイブが、たまらずリードから離れてしまう。
片目を奪われたスレイブは、苦痛に顔を歪ませながらも不適な笑みを浮かべ、森の中に消えていった。
左手をだらりとつるしたリードはその場で獣化をとき、朦朧とする意識の中、倒れている私の横に座る。
「……エヴェラードと幸せになってくれ……」
そう言って、いつものように右手を私の頭に置く。
「ハーミアは泣き虫だからな……俺はこのまま行くよ」
リードはそう言うと、寂しげな笑顔を浮かべ、そのまま去っていった。
そこでハーミアは目を覚まし、がばっと体を起こした。
「……あ……」
気がつけば、頬に熱いものがつたっていた。
あの人は、ずっと昔から私の全てを知り、ずっと昔から私を見守ってくれていたのだ。
リードは許嫁の私に、会いに来ていた。
私が人間のまま暮らせるように、見守ってくれていた。
そして私は、生まれてからずっと身に着けていたあの首飾りを、結婚式の夜にはずしてしまった。
あの日、私が月長石の首飾りさえ身につけていれば、変身もしなかった。
リードのそれまでの苦労を、すべて無駄にしてしまったのだ。
「本当に、どうして何も話してくれないのですか……どこまで勝手な人なの……」
せめて船の上で、話してくれてもいいのに……と、溢れ出る涙を拭いながら呟く。
私は、彼に会わなければいけない。
会って話をしなくてはいけないと、再び強く思えていた。
次の日、ハーミアは再びブラン卿を訪ねた。
“赤月の仮面舞踏会”の招待状の手配と、養女とは別でブラン卿邸に住み色々と手伝いをしたいことを伝えるためだ。
もちろん、ブラン卿が快諾したのは言うまでもなく、その後は、少ない手荷物を宿から運び出し、状況の説明をしに仲間のもとに向かった。
船員は、部屋にもどった時には姿を消していた。
もしかしたら、そのままリディシアに運ばれたのかも知れない。
とくに確認する方法もなく、部屋はそのまま引き払った。
さらに次の日。
ブラン卿が招待状を2枚、ルーは実家から自分の分を用意し、“赤月の仮面舞踏会”への潜入が可能となった。
それからは、各自の準備となる。
ブラン卿邸では、カーリャとハーミアが、潜入で使用するドレスづくりをし、ルーは実家に帰って準備を行った。
レシーリアは、イセリアのもとまでの移動手段として馬を用意し、サイとユーンが待つ入り江までのルートを、入念に調べていた。
そして、『赤の満月の夜』がやってきたのだ。




