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カンスト・ウィザード vs 超獣ベヒモス

作者: 谺響

 峡谷を覆い尽くしてなお余りある曇天。岩肌をそのまま薄めたような灰色の空は、されど重く、濃密で、僕らを取り囲む空気は更に重苦しかった。

 峡谷の向こう側の入り口、一同の視線が交わる先で、そいつはのっそりと気怠そうに首を持ち上げ、こちらを向く。彼我の距離は充分確保してあるはずなのに、その姿ばかりか仕種までもはっきりと見て取れた。

 全長50mにも及ぼうかという巨大な獣――超獣ベヒモス。

 その大きさは並の(ドラコン)をゆうに上回り、高位の悪魔デーモンにも劣らぬ威圧感も具えている。そして一度ひとたび本気で暴れ出せば天変地異にも勝る被害をもたらす。

 ベヒモスは深紅の瞳をこちらに向けたままゆっくりと立ち上がった。と、同時に視界が揺れる。大地を踏みしめる音が、重い。単に十分な休息が取れたから移動を再開しただけなのか、それとも視界の片隅で蠢く僕らのことが気になったからなのか。そのどちらとも知れないが兎も角、ベヒモスは行動を開始した。

 今ならきっと、まだ間に合うのだろう。あの巨体が遥か彼方に小さく見えているだけの今なら、きっと。すべてかなぐり捨てて逃げ出せば、歩みの遅い巨獣の視界から、或いはそれが巻き起こすであろう破壊の嵐から逃れることは可能な筈だ。正直に言えば、そうしてしまいたいという気持ちがこの胸に沸々と湧いてきて抑え難い。しかしそれはならない。ベヒモスがこちらに向けて動き始めたことで他の撮影スタッフにも動揺が走っていたが、これも仕事だ。僕らにはあれと戦う必要はなくとも、逃げることは出来ない。これから始まる戦いを僕らは見届け、記録せねばならない。言ってみればそれが僕らの戦いだ。


対象と(タ ゲ)られた?!」

「報告よりも二回りはデカイぞ?」

「これは出直した方がいいのでは……」


 そんなざわめきが巻き起こる中、彼は立ち上がった。


「んじゃまぁ、行ってくるわ」


 その声と共にシャキンッ!と堅く乾いた音が小さく響き渡り、視界に透明な膜が掛かる。

 水晶の防壁(クリスタル・ウォール)――高い硬度と魔法耐性を誇る防壁の向こう、先の折れた尖り帽子を押さえながら、彼は歩みを進める。進みながら杖を持った右手が宙空に紋を刻み付けてゆく。一見無造作に書き殴られた魔法陣は3、4回明滅を繰り返した後で魔力の光を激しく溢れさせる。


「現状、未だ人的被害はゼロとは言え、踏み潰して来た進路上の都市、集落、大小合わせて20余り――人間のことなど歯牙にもかけないというか、眼中にないというか……まぁ、悪気はないんだろうが……」


 振り回した杖が描き出した輝跡はその場でターンして背中に背負う。再び正面――ベヒモスの方を向くと同時に背中の魔法陣から薄い4枚の氷の翼が生えてくる。生成された反重力場に支えられて、彼はゆっくりと高台から峡谷の底へと舞い降りて行った。

 世界に4人しかいないLv99賢者(カンスト・ウィザード)の一人、薄氷の黒刃(アイシィ・エッジ),ペリッシュ。氷系統の魔法を得意とするという彼は案外、その二つ名に似合わずホットな男なのかも知れない。鋭く射抜くような眼光と共に、宣戦布告が叩き付けられた。


「ご退場頂こうか」


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


貪り喰う大地ディヴォーリング・グラウンド!」


 ペリッシュが呪文を唱えると、ベヒモスの足元の岩盤が棘となって襲いかかる。右から左から十余りの岩の柱がベヒモスの太い前肢を喰い千切らんとばかりに挟み込む。突き立てられた岩の牙はしかし、ベヒモスの分厚い皮を貫くにはまるで足りない。当たった岩の方が砕けて散る。かすり傷くらいは負わせられたのかも知れないが、攻撃を受けた当のベヒモスは一向に意に介していない様子だ。


「流石にキングサイズにもなると防御力も半端ないか」


 呟くペリッシュの眼前では同じ魔法が更に二度、三度と繰り返される。しかし一向にダメージを与えられないのも変わらない。ならば何故同じ攻撃を繰り返すのか?その答えは直ぐに出た。轟音と共にベヒモスの前肢が大地に呑まれる。


「ぐおおおおおんんっ!?」


 体勢を崩して流石のベヒモスも驚きの声を上げた。ペリッシュの魔法で操作され脆くなった岩盤ではベヒモスの巨体を支えることができず、前肢が大地を貫いてしまったのだった。


「そのまま足掻くなよ?マジック・ミサイル!穿つ氷柱(アイシクル・スパイク)叩き付ける戦槌(スマッシュ・ハンマー)悪魔光線(デモニック・レイ)!!」

 尾を引いて空を飛ぶ光弾が、鋭く尖った氷柱が、巨大な戦槌の形をなした氷塊が、紫色の怪光線が続けざまにベヒモスを襲う。その後も何か発動タイミングでも計算しての組み合わせなのか、それともただ単に思い付くままに魔法を並べ立てているだけなのか、多種多様の攻撃魔法が間断なく乱れ飛ぶ。なんとも景気の良い大盤振る舞いだった。もちろん、手加減の出来る相手ではないのは始めから分かってはいるが、それにしても遠慮というものがなかった。舞い上がる粉塵で目視こそ出来ないが、峡谷中に響き渡る怒気を孕んだ絶叫からして相応のダメージを与えられていると判断できた。


「るおおぉぉあぁぉん!!」


 唐突にペリッシュの攻撃の手が止まり、その前方に小さな氷の障壁が現れる。直後に大小無数の飛礫がペリッシュを襲った。ベヒモスが大地に埋まった前肢を力任せに蹴り上げたのだ。瓦礫を撒き散らしながら前肢が引き抜かれる。飛び散った瓦礫はことごとく斜めに構えた氷壁に弾かれ受け流されていった。

 咆哮に吹き散らされた土煙の向こうから、ベヒモスの頭部が現れる。その額は裂け、片側の角は根元から折れ、ドス黒い血を大量に流しながらもなお、闘志に陰りはない。それどころかむしろ、増しているようにしか見えない。怒り心頭。深紅の瞳はその輝きを更に強め、今は間違いなくペリッシュのことを排除すべき対象として見定めていた。


「ぐおるぉぉぉぉん!!」


 激昂の咆哮を上げながらベヒモスが振り上げた前肢は、真横の岩壁を抉り、再び瓦礫の雨をペリッシュへと降り注ぐ。耐え切れずに砕けた氷壁の裏にもすぐさま次の氷壁が現れて飛礫を防ぐ。透けて見えている氷壁の向こう側にまで攻撃が届かないことにベヒモスは業を煮やし、遂には歩を進める。

 ベヒモスは知っているのだ。自分がその腕で直接打ち据えれば弾け飛ばぬものはなく、その足で踏みつければ潰れぬものはない、と。そんな岩の礫などではなく、この巨体こそが己の真の武器である、と。

 突進(チャージ)、と呼ぶにはあまりにも緩慢な動きだったが、それでもその一歩一歩が大地を揺らす。立っていられないほどの振動がベヒモスの重量を改めて認識させると同時に、そこから繰り出される一撃の破壊力をいやというほど意識させた。


「させると思うか?」


 そう呟くとペリッシュは体を横に開き、弓を引き絞るように構える。右の手のひらから生じた一片の雪の結晶が差し伸ばした腕を伝い、白く尾を引いてベヒモスの方へと流れてゆく。


「流れ落ちる不動の大河よ、固く結んで永久(とこしえ)に阻め!氷河の塁壁グレイシャル・ランパート!」


 遥か古の賢者がモンスターの大群から人々を守るために氷河を召喚して城壁の代わりとしたという。およそ人間業とは思えないほどの超大規模防御魔法。おとぎ話でしか聞かないような魔法が今、この峡谷で、僕らの眼前に展開されていた。間違っても一対一で使われるような魔法ではないが、それを差し置いても間違いはまだ2つあった。

 一つはその材質。氷は岩石よりも脆い。岩壁を易々と抉るベヒモスの腕力に氷の壁で耐えられるわけがない。実際、現れた氷塊はベヒモスの鼻先に迫ったその端から易々と打ち砕かれている。削られた分を補うように追って氷が生成されていくが、いささか間に合っていないように見受けられる。

 そしてもう一つの間違い。そんな大規模魔法をこんな狭い峡谷で展開すること自体がそもそも間違いだった。おとぎ話では都市を一つ丸々すっぽりと囲ったというのだから、それは少なく見積もってもキロメートル単位の幅を持つ氷壁だったのだろう。ここにはそれだけの横幅はもちろんない。ペリッシュ自身もそれはもとより承知の上だったはずだ。

 だから彼は、氷壁を自分の前方ではなく、真横に配置していた。それにより氷壁は左右ではなくて前後、つまりベヒモスの方へと向かって伸びてゆく。峡谷を埋め尽くす勢いで。結果として彼とベヒモスの間には厚さが1㎞を超える氷壁が生成されていた。

 ベヒモスの剛腕の前に氷壁は易々と削り取られていくが、傍で見ている分にも無意味な掘削作業にしか思えなかった。自分だったら迂回するか、諦めるか。しかし獣には迂回なんて思いつくような知恵もなく、代わりに諦めることを許さない自尊心(プライド)だけがあるようで、ただひたすらに氷壁を殴り続ける。


「……もう少し角度があった方がいいんだが…………」


 対してペリッシュの方は余裕綽々だ。真っ直ぐに伸ばした指先を猛り狂うベヒモスに向け狙いを澄ましている。

 ふと、ベヒモスの視線が上に向く。低い唸り声を上げてその前肢が随分と溜まっていた氷河の残骸を踏みしめ、更には氷壁へとかけられる。どうやら遂に、氷壁を登ってそれを超えていくことを思いついたようだ。だがそんなベヒモスの動きにもペリッシュは焦る素振りすら見せない。むしろそれを待っていたかのような声を上げる。


「うっし、いけっ!破城槌ランパート・ブレイカー!!」


 ペリッシュの両腕から発せられた白い光が氷河を伝い、駆け抜けていく。それを追って旋風が氷雪の欠片を纏って氷河を包み込む。その覆いが解かれたところには、氷河の代わりに一本の巨大な氷柱が横たわっていた。流石に一回り小さくなったが、それでも元の氷河とそう大差ない氷柱は勢いよく飛び出し、ベヒモスの口内を撃ち抜いた。

 断末魔の叫びが峡谷を揺らす。最期の足搔きがまた、幾らか峡谷の地形を書き換えたが、夥しい量の流血と共にベヒモスの瞳からも憤怒の赤はすぐに失われていった。

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