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7.夜

 嵐と紅珠の二人が禾峯露の街に戻った頃には、既に村では怪異が治まっていた。街の者たちの言によると、蝙蝠――それが三眼飛鼠という幻獣であるということは、街の主だった者と戦士たちだけには知らされたが――は急に何かに打たれたように動きを止め、そして地面に落ちて動かなくなったという。恐らくそれは術が切れたためであろう、と嵐や紅珠は判断した。それらは既に蘇生する様子はなく、完全な死骸になっていた。もう心配することはない、と彼らは不安げな人々に告げ、安心させた。


 事件の詳細は、街の主だった者と戦士たちにだけは知らされた。そしてそこから先の判断は彼らに任せられた。なんといっても事件の犯人である外法士二人は既に命を落としており、その死体も確認された。それ以上のことは嵐や紅珠が立ち入らなくても彼らに処理できるであろう。


 嵐と紅珠は当然のことながら感謝され、是非お礼をさせて欲しいと言われた。紅珠には特に不足しているものはなかったが、嵐はしっかり遠慮なく礼を受け取ったらしい。それでは紅珠も全く固辞するというわけにはいかない。結局紅珠も僅かばかりの謝礼を受け取ることになった。


 街では日が暮れるまで後片付けに追われた。そしてそれもほぼ終わり、日が落ちた頃には、人々の日常の生活が戻っていた。家々の窓には暖かな灯が点り、煙突からはゆっくりと夕餉の支度の煙が立ち上っていた。

 嵐は『棗の木』で夕食を摂っていた。陽気な店主はその夜は一層陽気で、客に愛想を振り撒いて回っていた。ジョッキを持って客の間を回り、乾杯して回っていた店主が、カウンターの嵐の側にやってきた。

「やあ、お客さん、呑んでますか?今夜はいい日ですからねえ、楽しまなきゃいけませんよ!ささ、飲みましょう、飲みましょう」

 やけに景気のいい店主の様子に苦笑しつつ、嵐はコップを店主のジョッキと触れ合わせ、飲み干した。店主が笑って、カウンターの中の店員に声をかける。

「おおい、このお客さんにお酒を差し上げて」

「いや、わしはもう…」

嵐がそれを遮ろうとする。今回の件で謝礼をもらったとはいえ、懐具合はそんなにいいわけではないのだ。今後のことを考えればそんなに一気に大盤振る舞いするわけにはいかない。しかし店主は嵐を振り返り、手を振りながら気にすることはないですよ、と言った。

「これは私からのおごりです。お気になさらず飲んでください…それともお酒はお嫌いですか?」

嵐がそんなことはない、と頭を振ると、店主は満足げに笑って改めて店員に指示をする。おごりならいいか、と嵐はありがたくその厚意を受けることにした。

「それにしても店主よ、ここの飯は旨いのう。魚肉抜きでここまで旨い飯を作れる店はなかなかないであろう」

 嵐の言葉に、店主が相好を崩した。

「いやあ、お褒めにあずかりありがとうございます。しかし肉も魚も召し上がらないというのには何か訳がおありなのですか?」

「いや、大した理由ではない。ただ、どうにもあの生臭さが駄目なのだよ。もう長いこと喰っておらんから既に体が受け付けぬしのう」

からからと笑うと、嵐はくいっとグラスを傾けた。嵐の豪快なのみっぷりが嬉しかったのか、店主も大口を開けて笑い、ジョッキを空けた。

「…それにしても、いいのか?こんなに大盤振る舞いをして」

 嵐が異様な盛り上がりをみせる店内にちらっと目をやりながら言う。

「いやいや、たまにはいいでしょう。人間、時には発散しないとやってられませんからな」

「店長は普段すっごいしまり屋ですからね。時にはいいんじゃないですか?皆も喜びますし」

カウンターの中で忙しく調理をしている店員が言って悪戯っぽく笑った。

「…それに、今日のような日はこうやって騒いで嫌なことは忘れてしまうに限りますからな」

やや神妙な顔で店主がぽつりと言った。嵐は店主の顔を見直した。

「幸い死人は出ませなんだが、嫌な事件でしたからなあ。恐怖や不安は楽しいことで忘れるのが一番です。それでこそ、私たちはこの土地で暮していけるのですからねえ」

「…そうだのう」 

嵐は頷き、静かに笑った。

 乾いた砂の土地で、乏しい土地で、時にはならず者に襲われる辺境の街。このしたたかさと柔軟さがあってこそ、生活が成り立つのであろう。それは間違いなく無法地帯との境、フロンティアーで暮す人々の強さであり明るさであった。

「今日は本当にありがとうございました。楽しんでいってくださいね」

店主はそう言い、再び客の中に戻っていった。

「そういえば紅珠さん、今夜は見えないですね」

 カウンターの中の店員が誰にともなく言った。その言葉に嵐は改めて店内を見回した。確かに紅珠はその中にいなかった。いかに店内が客でいっぱいであろうとも、あの目立つ美貌が目につかないわけはなかった。

「あああ、残念だなあ。悪党をやっつけたときのこと、詳しく聞きたかったのになあ」

嵐の隣で酒を呑んでいた若者がやや調子外れの声で言う。随分酒が回っているようであった。

「なあ、あんた、紅珠さんと一緒にいたんだろう?どうだった?かっこよかっただろう?」

「おお、そうだのう。かっこよかったぞ。惚れ惚れするほど強いしのう。さすが砂漠地帯に知られた戦士だけのことはあると思ったぞ」

「だろ、だろう?くう〜〜っ俺も見たかった〜〜〜っ!ってゆーか、何で紅珠さん、今夜こねーんだよーう、そんときの話、聞きたかったのによ〜う。なあ、あんた、なんか聞いてねえ?」

陽気に酔っ払っている若者に詰め寄られ、嵐は苦笑するしかなかった。

「ほんとにねえ、ほんとは紅珠さんにも今夜はおごってやれって店長に言われてるんですよ」

「何しろ今回の事件の一番の功労者だからのう」

嵐が笑う。

 今回の事件はほとんど紅珠の働きによって解決したのだということになっている。紅珠はそんなことはない、と否定しているようだが、彼女に「同行」していた(ということになっている)嵐が積極的に紅珠を誉めて回っているので、すっかりその事実が定着しつつある。

(まあ、間違いではないしのう。あやつがおらねばわし一人では手に余る事件であったし)

 嵐は自分一人でも不可能だったとは思わない。しかし厳しかったのは確かであり、正直、紅珠が来てくれてよかったと安堵している。

(煽ってみた甲斐はあったということか)

そんなことを思い、嵐は一人くすくすと笑みを洩らした。



 たらふく食事と酒を馳走になり、ついでにかなり酔っ払った店主から土産だと酒の満たされた皮の水筒までもらった嵐が『棗の木』を後にした頃には、かなり夜も更け、ほとんどの民家の明かりは落とされていた。広場に焚かれた火の側で数人が酒を酌み交わし談笑していたり、遠くで賑やかな歌声が聞こえたりもしていたが、街には大分夜の静けさが下りつつあった。

 ぶらぶらと宿への道を辿っていた嵐は、ついでに散歩でもしてみようかと適当に道を外れた。ちなみに今夜の嵐の酒量はほぼ同じペースで飲んでいたカウンター客二人が酔いつぶれ、それよりもかなりおさえたペースで呑んでいた店員一人に強制的に休息を必要とさせるものであったが、本人の様子にはほとんど変化はなく、足取りもしっかりとしていた。

 裏通りをぶらぶらと歩いていた嵐は、大きな木の根元に人影を見つけて立ち止まった。月影に照らされて夜闇に白く浮かび上がる整った顔に艶やかな長い黒髪。

「なんだおぬし、こんなところにおったのか」

嵐が声をかけると驚いたようにその人影が振り向いた。そして嵐の姿を捉えて、ぱちぱちと瞬きをした。

「あなたこそ。どうしてこのようなところにいるのです?」

「いや、わしは偶然だ。ちと宿に戻る前に歩いて帰ろうと思うてのう。月もきれいだし。

それにしても今夜の主役がこんなところで一人月見酒か?紅珠」

にこにこと笑いかけながら嵐が紅珠のいる木の根元に歩み寄る。紅珠は手にしたグラスと側に置いた料理を盛った皿に目をやり、微かに笑った。

「別にそんな洒落たものじゃないです。宿のおかみさんの作るご飯は結構おいしいんですよ。それに…」

紅珠の笑みが苦笑に変わる。

「…宿ではどうにも騒がしくて落ち着いて食べれませんのでね。まったく誰かさんのお陰で…」

「よいではないか。嘘ではないのだし。そうそう、『棗の木』の店主もおぬしを待っておったぞ。今夜なら酒が呑み放題だそうだ。ファンもおぬしを探しておるようだったがのう」

軽く恨めしげな目付きで睨んでくる紅珠に、嵐は飄々と答える。紅珠はやれやれといったように小さく息を吐いた。

「まったく大した狸ですこと。私もとんでもない人と係わり合いになってしまったものだ」

相変わらず紅珠の口は悪い。しかしその言葉にはほとんど棘がなくなっている。

「お互い様であろう」

だから嵐の口調にも棘はない。ぽてぽてと歩み寄った嵐は、紅珠の側にどっかりと腰を下ろした。

「まあ、ちょうどよいところで会うた。『棗の木』の店主が土産をくれたのだ。わし一人では多いからおぬしにもくれてやる」

 嵐が『棗の木』の店主からもらった皮の水筒を差し出した。中にはたっぷりと酒が満たされている。これからの旅にも必要なものとはいえ、確かに一人で持ち歩くには少々多いようである。紅珠はでは一杯だけ、とグラスに酒を受けた。



 暫く二人は取り留めのないことを話していた。主に話しているのは嵐であり紅珠はどちらかというと聞き役であったが、どうもそれが自然な成り行きのようであった。

「…ところで少し、訊きたいことがあったのですけど」

 話が途切れたとき、ふと、というふうに紅珠が口を開いた。ん?というように嵐が視線を向ける。

「あのとき…外法士たちが自決したときのことですけどね」

嵐が僅かに眉を寄せる。紅珠はできるだけさりげないふうに言葉を継ぐ。

「あなた、あのとき彼らを助けようとなさってましたね」

「…死なせては厄介であろうと思ったのでな。事情も訊けなくなってしまうし責任をとらせることもできぬ。…まあ結局は何もできんかったが」

「…それだけですか?」

 紅珠が真っ直ぐ嵐を見つめる。その視線の揺るぎ無い色に、嵐が僅かに視線を逸らす。

「あなたは本当に、助けたいと思っていたでしょう?彼らの命を助けたいと、そう思っていたのでしょう?――打算抜きに」

紅珠は淡々とした口調で続ける。

「何故ですか?」

「――と言われても、のう」

 嵐がぽりぽりと頭を掻く。彼らしくもなく些か動揺しているようである。紅珠の口調が淡々としたものであることも、彼の居心地を悪くしているようである。

「――理由を言えというのなら、理由などない、と言うしかない、のう…」

そこで一旦口を閉ざして酒を一口含み、ゆっくり視線を上げる。

「助けたい、と思った。命を捨てることはない――それだけだのう」

言って、嵐は肩を竦めた。

「何も考えておらぬよ。結局な」

「…甘いですねえ、やっぱり」

紅珠の口調は相変わらずあっさりとしている。

「……おぬし、今まで生きてきて何人敵をつくった?」

「さあ?」

 それでも嫌味を感じないのは、紅珠には含むものがないからなのであろう、と嵐は思う。彼女の言葉には嘘はない。正直、というには一筋縄ではいかないが、求めて人を傷つけようとか誑かそうということはないのであろう。彼女は確固とした自分の信念を持っていて、それに正直に生きている。ただそれだけのことなのだろう、そう嵐は感じた。嫌いでは、なかった。

「甘いかのう?」

 少し間をおいて会話が続けられる。

「ええ、甘いですね」

紅珠も静かに返す。

「そんなに甘くては生きていけないですよ。この世界」

「それでもそう生きていきたいのう、わしは」

紅珠がじっと正面から嵐の瞳を見据える。嵐も臆することなくその視線を見返した。月影の下、紅珠の瞳がきらきらと光って、きれいだな、と嵐は思った。

(ああ、紫色だったのだな)

ぼんやりとそんな考えが頭をよぎる。ふっと紅珠が目を伏せた。

「…あなた、いつか死にますよ」

(…だからそういう断言はよせと言うに)

がく、と力が抜けそうになる。

「でも」

嵐が思わず突っ伏しそうになる前に、紅珠の言葉が続いた。

「あなたは、それでいいのかも、しれない」


 一瞬、沈黙が下りる。どこか遠くの歌声が聞こえてくる。嵐の緑玉石色(エメラルド)の瞳と紅珠の紫水晶色(アメシスト)の瞳とが月に照らされ、視線が重なる。

「…いつ、発つのですか?」

 ややあって、紅珠が僅かに瞳を伏せて尋ねた。

「明日…もう今日になるのう。早朝、陽が昇る頃には発つよ。」

「どちらへ?」

「東へ」

「何をしに?」

その言葉にふっと嵐の表情が変わった。

「――星を堕としに」

紅珠が目を上げた。

「――多分、命を賭けるよ」

 嵐の言葉はとても静かに紅珠の耳に響いた。静かで、力強い響き。嵐の瞳に宿る光が強まったように紅珠は感じて、一つ瞬きをした。


 再び沈黙が下りる。それを破ったのはやはり紅珠の言葉であった。

「明日は早く発った方がいいですよ。明日も変わらず天気が良いようですから。昼までには水飲み場に着くようにした方がいいです」

 嵐が頷いた。既に表情は元に戻っている。外見に相応しい悪戯っぽい笑み。

「おぬしはいつ発つのだ?」

「私はもう少し後になるでしょう」

 ゆっくりと紅珠が目を上げ、ふわりと微笑んだ。

「お気をつけて」

「おぬしもな」

 それを合図としたように、嵐は立ち上がった。一つ手を振って歩き去る嵐の後姿を、紅珠は木にもたれて見送っていた。











 翌朝、地平線に赤い光が満ちる頃、禾峯露を出る旅人たちの中に嵐の姿があった。

 乾いた大地に風が吹き始める。ゆっくりとその中に踏み出して、嵐は歩き始めた。





     ― 1.始まりの風・完 ―


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