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2.禾峯露

 禾峯露(カホウロ)の街は砂漠の外縁に造られた街であった。

 砂漠といってもこの辺りの地形は北と南に峻険な山が迫り、その囲まれた部分に水の少ない高地が広がる、どちらかといえば岩沙漠と呼ばれるものであった。北と南の山の頂は常に雲に覆われ、その全容すら望めないほどであったが、対してその間の高地は却って山に水を取られ、枯れた土地となっていたのである。そのような地形であったため、人の住む所は山の麓につくられることとなる。結果、沙漠をぐるりと囲むように街ができ、その間の行路は商人や様々な物資・情報の行き交う通商路として発展するようになっていた。

 この沙漠地帯の東と西は、豊かで広い平地が広がっており、大きな都が繁栄していた。砂漠の通商路はその間にあって、人や文物、情報など、様々な文化を繋ぐ橋となっていたのである。当然その間の村や街には多種多様な文化が雑多に入り乱れ、様々な人種が行き交い、生活していた。東の都はやや北寄りに首都を構えていたため、砂漠の通商路は北の方がやや重視されていた。対して南は海からも近く、商人や個人の旅人が主に利用していたのである。また砂漠を抜けた西側では、西の都の他に、南に一大商業都市があった。そのため、砂漠の西の縁では北も南も同等に賑わっていた。

 その中にあって禾峯露の街は砂漠の南西の小さな街として、主に商人や旅人の休憩地としてそこそこの賑わいを見せていた。街の中央を貫く通りの両側には旅人相手の宿や商店が並び、また建物の影では筵を広げて商売をする旅人などもいた。通りの喧騒を一歩離れると、山へ向かって階段状に畑が作られ、さらにその上には家畜の放牧場などもあり、細々と生活が営まれていた。

 その日、日が暮れて半刻ほどしてようやく禾峯露の街についた嵐は、とりあえず最も値段の安い宿を探して泊まることにした。旅費はさほどたくさん持っているわけではなかったし、更にこれから先も長い旅になることが分かりきっていたため、なるべく出費は抑えねばならなかったのである。

(我ながらけち臭いのう…)

多少情けなくはあったが、贅沢は言っていられない。嵐は小さな銅貨一枚で一泊の宿と一食を出してくれるという、それでもこのような宿としては破格にいい条件の宿の一室で旅装を解き、ほっと一息ついた。破格の値段の条件は共有の大部屋ということであった。嵐が入ったときには既に20人近くがその部屋にいた。誰も彼も砂漠の旅人らしく、よく日に焼けた顔と砂まみれの荷物を持っていた。

 当然男の多い部屋の中で、嵐はいささか場違いなものを見た。

 おそらく今夜最後の客となるであろう嵐は、入り口付近にしか居場所がなかったためその辺りに旅装を解いたのだが、そのちょうど反対側、やや大きな窓のある壁側の一角に、それはいた。夜の灯火のもとでもそれとわかるほど美しい艶のある長い髪がまず目を惹く、細身の人物。顔の造作の細かいところまで分かろうはずもなかったが、一目で女だということが――しかもとびきり容姿のいい――分かる。

 当然大部屋は男ばかりいるわけではない。家族連れで一緒に泊まっているものもいるので、何人か女子供もこの部屋にはいた。しかしどうみても「女一人」でこの部屋にいるのは、彼女だけであった。無防備なのか、よほど豪胆なのか、それともただ何も考えていないだけなのか――

(なんなんだ、あの女は――)

興味を持つというよりも半ば呆れて、嵐はその女を見ていた。女はそんな嵐の視線も、周囲の関心も全く意に介していないようで、壁に凭れてじっと目を閉じていた。



 情報を求めるならば町を歩くこと。これは何処の場所でも同じことである。例えどんなに情報規制がしかれていたとしても、人の口に完全に封をすることは不可能なのである。特に市、酒場、宿屋などは情報の宝庫と言ってもよい。そのような場所にはしばしば情報屋などもいるものである。

 一夜明けて翌朝、嵐は市の人波の中にいた。禾峯露は砂漠の入り口に程近い街であるため、長居する旅人は少なかったが、人の入れ替わりは早く、物資も豊富であった。人も物も入れ替わりが早いということは、情報もまた最新のものが揃いやすいということである。位置柄、西の大国バルジャや南の商業都市カジャルのものが多いが、それと同程度には東の情報も入ってくる。その中でも最も多いのはやはり東の大国、吐蕃(トゥバン)のものであった。

 吐蕃は大陸の東一帯に勢力を持つ皇国である。東は起伏に乏しい地形で、南と東は海に面している。北は寒冷な土地で、なだらかな山地を隔てて草原と森が広がっていた。ただし農耕には向かない土地柄で、気候も極端に変化する。従って定住するには向かない土地ということになる。そのためか、東や南には強大な勢力を誇る吐蕃も北にはさほどの力を持たない。南は温暖湿潤で土地が非常に肥えている。また広い河川も多い。東は良港に恵まれていて、海上通商路の一方の終点でもあり、海の恵みの恩恵にも与っていた。自然、支配の中枢はその方面に向いてしまう。事実、先代の皇帝のときには都は南東の大河沿いにおかれていた。それが現在の都である大都(ダイト)に移ったのは、現皇帝の代になってからである。

「大都…っといえば北の大河の側の町であろう?かなり吐蕃の勢力ぎりぎりの辺りではないか。何故今更(オウ)はそのような場所へ遷都したのだ?」

 通りの外れで数匹の山羊を繋いだ荷車の番をしている老人と話し込んでいた嵐が、首を傾げてみせた。

「さあのう、そんなことまではわしには分からんよ。ただ、昔はいざ知らず、現在の大都は北辺の町とはいえ、さほど不便でも辺鄙な場所でもないということじゃ。何しろ先皇(センオウ)の御代に水上交通網が完成しておるからのう」

「物資も人も運河を伝って幾らでも入ってくる、というわけか」

立て膝の上に頬杖をついて、嵐が頷く。

「それにのう…これはあまり都では声を大にして言えんことなんじゃが…」

誰が聞き耳を立てているわけでもないのに、老人が声を潜めて嵐の方に身を屈めてきた。嵐もつい耳をそばだてるようにして老人を見る。

「皇は先皇を嫌っておられるのだそうな。よくしたもので先皇も皇をあまり好いておられぬらしいがの。じゃから皇位を継いですぐに皇は都を北に移したというのが本当のことらしいぞ。なるべく先皇の跡のないところにいたい、ということじゃの。そこで新たな都を造っておるのじゃ」

「都を造っているのか」

「そうじゃ、…おぬし、知らんのか?そのために今各地から人手と物資がかき集められておるんじゃよ。各公国ごとに供出額まで決められてのう。どこも大騒ぎじゃよ」

「でもある意味、賑わっていていいのではないか?いつだって新たなものをつくるのは人を沸き立たせるものだからな」

嵐の言葉に、しかし老人はかぶり頭を振ってみせた。

「ついこの間運河を造るという大事業が終わったばかりじゃ。その上、今まで見たこともないほど大きな都を、しかも二つも造るなど、わしらにとっては迷惑でしかないよ」

「二つ…?」

溜息をついた老人の言葉に、嵐が眉根を寄せて反問する。

「ああ、わしもよう知らんのじゃが…そういう噂じゃ。なんでも各地から集められた労働力が二ヶ所に振り分けられて送られているのだそうな」

「いっぺんに二つの都を造る…なんでそんなことを皇は…」

「さあのう。所詮は雲の上の御方。わしらのような凡人には皇の御考えなぞ分かるわけがないよ」

深い息と共にそう呟いて、老人はすっかり灰になった煙管を吸い、眉をしかめた。嵐は老人が地面に灰を落とすのを見るとはなしに見つめながらなにやら考え込んでいた。

「……おお、そうじゃ。で、なんじゃったかいのう。馬が欲しいと言うておったか、おぬし」

 思い出したように老人が顔を上げた。難しい顔をしていた嵐もふと表情を変えて老人を見た。

「おお、そうそう。砂漠の旅に向いた馬が欲しいのだが…見たところおぬし、北の遊牧民であろう?馬を手に入れるあてなど知らんかのう」

嵐の言葉に老人が皺深い顔の中で細い目を見開いた。

「ほう、おぬしよう分かったのう。何故わしを北の者と知った?」

確かに老人の様子を見れば旅慣れた者だということは分かる。顔こそ深い皺が刻まれ、老いの様子は隠し様もないが、その日に焼けた肌色や細身ながらも頑丈な体付き。そして身につけた装備や荷物も長旅のためにあつらえられたものばかりである。しかし老人の服装は基本的に吐蕃の一般的な庶民のものであり、それに多少手を入れている程度であった。老人は特に民族的な衣裳を纏っているわけではなかったのである。

 対する嵐の返答には特に気負ったものはなかった。

「ああ、ただなんとなくそう思っただけだが…強いて言うならおぬしのその髪。布を巻いておるからはっきりとは見えんがかなり短くしておるであろう?それは吐蕃の人間としてはあまり一般的ではないからな。それからおぬしが連れておる山羊。あれはかなり小柄で毛の質の良い種だ。あれは一般的に遠く北の山岳地帯の野生種に近いものだ。大分改良が加えられてはおるようだが。…まあ、そんなところで北の方から来たものと判断したのだが…」

何か不都合でもあったか?と続けた嵐を老人はまじまじと見つめ、それから白い歯を見せて笑い出した。

「いや、たいしたもんじゃ。それだけでようわしを北のもんじゃと見抜いたものよ」

「いや、深く考えて言ったわけではないのだがな…」

「勘にしても嬉しいものよ。たいした観察眼じゃ。そのくせ妙に世事には疎いようじゃし。おぬし、面白い奴じゃのう。」

老人の皺の深く刻まれた浅黒い顔は一見いかめしいが、笑うと妙に温厚な、親しみやすいものになった。おそらくそれが彼の本来の性質なのであろう、と嵐は思った。

「そうそう、それで馬のことじゃが…すまん、わしは確かに遊牧の民じゃが馬は扱っておらんのよ。もっぱら羊と山羊と共に歩くものでのう…馬は移動用のみでわしらにとっても貴重品での。他人に分けてやれるものはないんじゃ」

 すまんことじゃが、と言う老人に、嵐はあっさりと頭を振ってみせた。

「いや、気にすることはない。また他をあたるさ…それよりも山羊や羊を扱っておるということは、乳製品も扱っておるということか?」

嵐の問いに、老人は頷いた。乾し肉や毛糸と共に乳を固めた保存食であるチーズも扱っている、と聞いた嵐は、多少の交渉の末、チーズを一袋手に入れた。

 老人に別れを告げた嵐は、ぶらぶらとした足取りで通りに向かい、人込みの中に消えていった。

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