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熊猫パンチドランカー  作者: 藍澤ユキ
9/18

喀血少女冷凍鮪ノ地獄

 ※ ※ ※


 大きく息を吐いて、鏡に映った自分の眼を覗き込む。

 なんのことはない、自分は嫉妬のバケモノだ。


 ※ ※ ※


 超満員のライブハウスは異様な雰囲気に包まれていた。


 観客の多くがゴシックロリータファッションで着飾っていて、晶良たちは完全に浮いていた。


「薫ちゃん、こんな感じだなんて聞いてないよ……」


 晶良が困惑しながらぼやくと、薫が周囲を見回しながら答えた。


「わたしも知りませんでした……すごいですね」


「シーナ、辰生さんとユージさんは?」


 人混みの中、かろうじてシーナの姿を見つけると、晶良は他のメンバーの行方を訊いてみた。


「えっ!? あぁ、あの二人なら、早々に断念してバーカウンターにいるわよ」


 シーナもこの状況には戸惑っている様子で、めずらしくどこか落ち着きがなかった。


 今日、熊猫パンチドランカーの面々は、薫に誘われて原宿にあるライブハウスを訪れていた。最近、急激に人気を集めているという、とあるバンドのライブを全員で観にやって来ていた。


 知り合いが衣装の製作を担当しているという縁から、薫は以前からこのバンドの存在を知っていたが、まともに観るのは今日が初めてだった。


「前にチラッと見かけた時は、こういう雰囲気じゃなかったんですけどね」


 薫がすまなそうに肩を竦めながら、晶良へと話しかける。しかし、その声は、超満員の観客のざわめきに遮られて、途切れ途切れにしか晶良の耳には届かなかった。フロアのあまりの混雑ぶりに、気を抜くとすぐに全員が離れ離れになってしまいそうだった。


 そんなフロアに大音量で流れているSEは『オーメン』のサウンドトラックで、観客の装いとも合わさって、なんともゴシックホラーな雰囲気がすでに醸成されていた。


 すると突然、SEが鳴り止み、観客が絶叫しはじめた。晶良にはまだ見えていなかったが、どうやらバンドが登場したらしい。


「こんばんわ。今日はわたしたち『喀血少女冷凍鮪ノ地獄』のライブへようこそ」


 大仰な抑えた声が響き渡ると、観客のボルテージが一気に上昇する。悲鳴かと思うような物凄い絶叫がフロアから次々と響く。


 そして、照明が煌々とステージを照らし出すと、観客たちと同様のゴスロリファッションに身を包んだ四人の少女たちの姿が浮かび上がった。


 彼女たちの顔は一様に青白く、睫毛とアイメイクによって異様に大きく見える眼を瞬かせながら、紫色の唇に怪しい光沢を湛えていた。


 そのうちの小柄な一人がドラムセットへと向かい、腰を下ろすとバスドラムを踏み鳴らした。そうして準備が整うと、女の子は小柄な体躯からは想像もできないほどのヘヴィなフレーズを叩きはじめる。


 すると、すぐに鳩尾(みぞおち)に響くような重低音のベースが後を追いかける。大きな紅いリボンを頭に付けた娘が、しなやかな指の動きで弦を(はじ)いていく。


 リズム隊がグルーヴを生み出すと、白いフェンダー・ジャズマスターを肩から下げた金髪の娘が、スピーカーの前で愛器をフィードバックさせはじめた。


 そんなステージの中央で、チェリー・レッドのギブソンSGを構えたピンク髪の女の子が、片手でテディベアを高々と掲げてみせる。


 サイドテールに結ったピンク髪がゆらゆらと大きく揺れる。


 その途端、観客の少女たちが絶叫のトーンをさらに高くする。その様子は見るからに異様で、狂信的でさえあった。


 周囲のあまりの熱狂ぶりに、晶良たちが目を丸くしていると、ピンク髪の娘がフロアに向かって呼びかける。


「さぁ、はじめるわよ」


小女子(こおなご)ぉっ!」「こおなちゃーんっ!」


 観客から小女子と呼ばれたピンク髪の娘は、テディベアを両手で掴むと、突然、大きく口を開いて、ぬいぐるみに荒々しく噛み付いた。


 すると、テディベアから勢いよく真っ赤な血が噴き出し、眩い照明の中で飛沫を上げた。顔や衣装に血が飛び散るのも構わずに、彼女は何度も執拗にテディベアへと噛み付く。その度に、観客たちからは嬌声が上がる。みんな何かに魅入られたように、虚ろな目をしてその様子を見つめていた。


 そして、テディベアにいくら噛み付いても血が噴き出なくなると、小女子はぬいぐるみをフロアへ投げ捨てた。口の周りを血塗れにしながら、彼女は金色の瞳をギラつかせる。


 リズム隊のパワフルな演奏は激しさを増していき、ジャズマスターからは不安定な音が(はじ)き出される。そして、小女子は不敵な笑みをその青白い顔に浮かべると、思いきりSGを掻き鳴らして叫んだ。


 その声は、先ほどまでの声とは似ても似つかないデスボイスだった。


 繰り出されるヘヴィなリフの嵐。喉が潰れんばかりの絶叫。


 タイトな演奏は、バンドのサウンドを重厚で揺るぎないものにする。


 とにかくその音は重量級で、女の子四人が生み出している音とは到底思えないものだった。


 晶良が呆気にとられてステージを眺めていると、真剣に見つめるシーナの横顔が目に入った。小女子のパフォーマンスには、同じポジションを務める者として何か思うところがあるのかもしれない。晶良にはそんな風に思えた。


 ライブはどんどん進んでいく。バンドにはミドルテンポの曲が多く、リフとキメが何度も繰り返される展開は、なぜか不思議とソウルミュージックを彷彿とさせた。


 しかし、フロアに溢れているのはディスコカルチャーではなく、狂気すら感じさせるポゴダンスにモッシュやダイブの嵐だった。


 そんな中、ステージ上で激しくリフを弾いていた小女子が、何かに気が付いたような素振りをみせた。すると、小女子はリフを弾く手を止めて、マイクに向かって呪文を唱えるように「語り」を呟きはじめた。


 そして同時に、腰の位置に下げられたSGの裏側へ、ゆっくりと両手を差し込んでいく。正面からは、ギターのちょうど裏側、下腹部あたりに指を這わせているように見えた。


 淀みなく時折ライムを踏みながら、小女子が「語り」を続けていると、その下腹部ではSGが激しく揺れはじめる。裏側へ差し込んだ手が、指先が、怪しく蠢いていることが容易に想像できた。


 激しい手の動きに、小女子は切なげな表情を浮かべながら、もどかしそうに内股を擦り合わせる。段々と「語り」のリズムが怪しくなりはじめ、合間に熱っぽい吐息が混じるようになる。そして、その声がついに喘ぎ声に変わると、小女子は全身を震わせて痙攣を起こした。


 そんな小女子の様子に、フロアからは歓声が沸き起こり、様々なぬいぐるみが一斉に投げ込まれる。いつの間にかバンドの演奏は、これまでのリフの嵐から、クラシカルでメロウなものに変わっていた。


 ステージの上で仰け反る小女子。すると、突然、小女子は弾かれたように身体を起こしてSGを肩から乱暴に外すと、そのまま足元に手荒に放り投げた。そして、勢いよく助走をつけると、なんの躊躇もせずにフロアへ向かって大きくダイブした。


 ライブハウスを満たしていた絶叫が、さらに激しさを増して響き渡る。


 小女子はフロアの観客たちにしっかりと受け止められると、すぐにゆらりと人の波の上に立ち上がった。よくあることなのか、観客は誰もが協力的で、掌を突き上げ、肩を差し出し、どうすればいいのか皆わかっているようだった。


 そのまま小女子は人の波の上をゆっくりと歩きはじめる。


 厳かに歩みを進める彼女の姿は、ある種の宗教的な行事を行っているかのようで、神々しささえ感じさせた。


 その様子を息を飲んで見つめていた晶良は、小女子がこちらに向かって歩いて来ていることに気が付いた。そして、彼女は晶良の頭上までゆっくりやって来ると、立ち止まって悠然と見下ろしてきた。


 晶良が視線を上げると、金色をした小女子の眼が捉えているものが、何なのかがわかった。


 ――隣りにいるシーナだった。


 小女子はシーナと視線を合わせると、ニヤリと酷薄そうな微笑を浮かべて、黒いネイルの指先で紫の唇をなぞってみせた。そして、その四肢に力を込めると、その場で飛び上がって、シーナの眼の前に静かに降り立った。いつの間にか靴のなくなった脚先は、柔らかく床を捉える。


「……っな」


 シーナが驚いて言葉を詰まらせていると、小女子が紅い舌をちろりと出して唇を湿らせた。そして、小女子は素早く腕を伸ばしてシーナの頭を抱きかかえると、噛み付くようにして唇を重ねてきた。


 それを見た周囲の女の子たちが絶叫の声を上げる。


 突然のことにシーナが面喰らって対応できずにいると、さらに小女子は強引に舌をねじ込みはじめる。


 ここでさすがにシーナも抵抗をみせたが、小女子の押さえつけてくる力はとても強く、なかなか離れることができない。


 ようやく唇が離れると、ちゅぱっという淫靡な水音が響く。ぬらぬらと艶めく唇同士は、一本の光の筋が垂れるように糸を引いていた。二人の間近にいた晶良や薫たち数人だけが、その一部始終を目撃することになった。


 ようやく解放されたシーナが、肩で息をしながら口を拭うと、紫の口紅と血の赤色で顔がどろどろになっていた。


 そんなシーナの様子を見て、薫が慌てて二人の間に半身を割り込ませた。すると、小女子は薫を一瞥したかと思うと、彼女の顔を押さえつけて無理やりその唇に覆い被さった。


「んふぅっ!? ふぅっ!?」


 薫が慌てて手脚をバタつかせるが、小女子は一向に離れようとしない。シーナの時と同じように、深々とねっとり吸い続ける。


 すると、ようやく調子を取り戻したシーナが、薫から力ずくで小女子を引き剥がした。


「っんぱぁっ!」


 薫がゼェゼェと荒い呼吸をして喘ぐ。


 その顔は、シーナと同じように紫と赤色に(まみ)れていた。


「あんたねぇ、余興にしちゃあ、気持ち悪いよ」


 再びシーナが口を拭いながら、鋭い目つきで小女子を睨む。


 すると、小女子はふんっと鼻で笑いながら、青白い顔にニタリと不遜な微笑を浮かべてシーナを見据えた。


「綺麗なものは好きよ」


 そして、シーナから薫へと視線を移す。


「可愛いものも好き」


 そう言って小女子は口元を手の甲で拭うと、くるりと身を翻し、ステージへと向かって脚を踏み出した。すると、モーゼの前で海が割れたという十戒のように、観客の群れが一直線に割れ、小女子のために道は開かれた。


 晶良たちはただ呆然としながら、ステージへと戻る彼女の背中を見送るしかなかった。

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