蛙の子は蛙 M-26
懐かしい言葉の海を急ぎパパの待つ病院へと向かう。気持ちはその場所へと逸るけれど、電車はそれに呼応しては走ってくれないなと思いながら。目的の駅に着いた私は、タクシーに乗り込んだ。
「〇〇総合病院へ……」
行き先を告げた私がいらいらとしている様子なのに気付いた運転手さんが、
「どなたかご病気ですか? それとも怪我?」
と私に聞いた。
「父なんです。でも、倒れたと聞いただけで様子が判らなくて。ずっと外国で暮らしていて、14年ぶりに日本に帰って来たものですから……」
「そりゃ、ご心配ですね。大したことがなければ良いですね」
「ええ……」
運転手さんの言葉に相槌を打った後、私は窓の外の風景をぼんやりと眺めた。運転手さんもそれ以上話すことはせず、車内のラジオのパーソナリティーだけが、楽しそうにおしゃべりを続けていた。
やがて、タクシーは病院に着き、私が受付で「飯塚雅彦」の病室を聞こうとした時のことだった。
「未来ちゃん!」
懐かしい声に振り向くと、そこに……志穂さんが立っていた。志穂さんは悲しそうに私の肩を抱くと、
「未来ちゃん……遅かった……」
とだけ言った。わざわざ私を待っていてくれたらしいことと、その言葉で、私はパパの最期に間に合わなかったことを悟った。
「あなたの乗った飛行機を聞いて、待ってたのよ。とにかく、行きましょう。マーさんが、待ってるわ」
私は志穂さんの言葉に黙って頷くと、志穂さんに連れられて病院の駐車場に向かった。車には既にヤナのおじさんが乗っていて、
「未来ちゃん、お帰り」
とだけ言って私たちを乗せると、パパの待つセレモニーホールに向かって走り出した。
そして、セレモニーホールに着いた私は、そこでもう怒鳴ってはくれないパパと対面した。
私が14年の間日本を離れていて、体格の大きい人々の中で暮らしてきたせいもあるのかもしれないけれど、再会したパパはすっかり痩せてしまっていて、大きな大きな私の知っているパパではなくなっていた。
「パパ、ゴメンなさい! 私、生きてるってことも知らせないで……」
私はパパの棺に跪いて泣いた。そしたら、それを聞いていた明日香が私の肩に手を置いて言った。
「お姉ちゃん、パパはね、お姉ちゃんがカナダにいる事、知ってたよ」
「えっ……?」
私は驚いて顔を上げた。
「ゴメン、お姉ちゃんには黙っててって言われたんだけど、私、パパとママと秀君には言っちゃってたんだよね」
「もう、みんな知ってたの……」
明日香の横にいた秀一郎が無言で肯いた。
「あのね、パパが倒れたのって、今回が最初じゃないんだ。もう、5年ぐらい前なの。お姉ちゃんからメールもらった時にはさ、もう自由に動けない状態だったんだ。でも、あの電話でそんなことを言ったらお姉ちゃん心配するでしょ? カナダなんて言ったら、おいそれとは戻ってこれないだろうし……だから、言えなかったの。」
もう5年も前に倒れて、自由に動けなくなってた――ああ、だから明日香は『今のパパはカナダには迎えには行かないよ』と言ったのだ。と言うより、『行けない』というべきなのかもしれない。そう言えば明日香は『今度は本当に危ないの』とも言っていた。
「パパね、お姉ちゃんがカナダにいるって話したら、怒るどころか『そうか……生きているんだな。子供までいるのか』って泣いてたよ。私、アンヌちゃんやテオドール君の写真を送れって言ったでしょ? お姉ちゃんも一緒に写ってるのねって注文付けたよね。ほら、これ……」
明日香は私の送った写真を取りだした。写真は綺麗にラミネートされてあった。
「あれ、私じゃなくって本当はパパが欲しがったの。だから、枕元に常に置いとけるようにって、秀君がラミネートしてね。パパ、いつもその写真を見てたよ」
明日香にそう言われても、私にはパパが涙を流しているところを想像することはできなかった。
「パパさ、『俺に話したことは未来には内緒にしろよ。あいつは今でも、俺の事をカナダまで連れ戻しに行くような頑固親父だと思ってるんだろ。ならそうしといてくれ』って言ったんだ。ホント、お姉ちゃんとパパって、昔からそっくりなんだから……」
そして、明日香はそう言って声を詰まらせた。