メビウスの輪 M-19
あっちのママが死んだ……
告別式での龍太郎さんの演奏に泣きながら目覚めると、現実でも「アルビノーニのアダージョ」が流れていた。こっちでもママが聞いているのだ。
……そう言えば、今日は龍太郎さんの月命日の日だ。お互い遺された方の2人は、パラレルワールドの双方の岸辺で呼び合っているのかもしれない。
それにしても、ヤナのおじさんが好きな相手が龍太郎さんだなんて……びっくりを通り越して鳥肌立っちゃった。
そう言えば秀一郎が前に、『気がつけばいつも見られている様な気がする』って言ってたっけ。あれって、思いすごしじゃなくって、本当にそうなのかもしれない。あれは、彼が昔を懐かしんでるのではなく、龍太郎の面影が残る秀一郎の事を愛おしんで見ているが、正解なのかも。だから、秀一郎は無意識にでもその空気を感じ取って『怖い』と思ったのだ。
ヤナのおじさんが志穂さんと結婚したのは、ママと龍太郎さんの二人が別れた時、『君なら海を渡しても構わない』と龍太郎さんに言われても、本当は龍太郎さんの方が好きな彼はそれを聞き入れることが出来なかった。そのために後々龍太郎さんは死ぬことになってしまった。そう思っているからだと思う。
ママが私の言葉に反応して、自殺未遂を起こした時、おじさんはひどく取り乱していた。まるで呻くかのような声で、『俺のせいだ』って言うのも聞こえたし。ただ、あの時は、あの場にいるみんなが自分のせいだと思っていたのかも知れないけれど……
そう、誰のせいでもないのだ。当の龍太郎さん本人でさえ、ママを愛するが故の行動だったのだから。そして、少しずつみんなが悪いのかもしれない。
だけど、微妙に形を変えながら同じ道を歩んでいる私たち。あっちのママが死んだ今、誰かが亡くなったりしなきゃ良いけど…そう思いながらリビングに出て行くと、ママが眉間を押さえて苦しそうにしている。
「ママ、どうしたの?大丈夫!?」
まさか、こっちのママまで!?
「あら? 未来おはよう。一体何、慌ててるの?」
私の言葉にママは顔を上げて驚いた様子でそう言った。
「ねぇ、どこか辛いの?」
「えっ、いいえ? 新聞読んでて疲れただけよ。元々ど近眼だからと思って裸眼で読んでるけど、もうそろそろ老眼鏡買わないとダメだわ。何か寂しいわね」
「ホントにそれだけ? ホントに大丈夫なの?」
「ウソじゃないわよ、おかしな子ね。どうしたの、今日は。それより、早くしないと二人のお弁当間に合わなくなっちゃうわよ。私は未来みたいにキャラ弁なんて作れないからね」
必死になって聞く私に、ママは首を傾げながら笑って答えた。そう言いながら、ベースのおかずはちゃんと用意してくれている。後は私が達也やほのかの好きなキャラクターに似せて盛り付けるだけだ。
「ママもやりだすと凝る方だと思うけどな」
と私が言うと、
「そうよ、分かってるからやらないの。子供おっぽりだして仕事してる罪滅ぼしよ。それくらいあんたがやらなきゃね。」
なんて答えがママから返ってきた。
「はいはい、分かりましたよ」
私はそう返事して台所に立った。
……その時、電話が鳴った。ママが出た。
「はい、もしもし飯塚です。なんだ、秀一郎君? えっ? 分かったわ、すぐ行くから。〇〇病院ね」
私は〇〇病院という言葉に凍りついた。それは、あっちのママが入院していた病院名。一体、誰が!?
電話を終えたママは、唇をプルプル震わせながら、こう告げた。
「明日香が……明日香が急に苦しみだして、その上不正出血まであるらしくて……秀一郎君が救急車で病院に運んだからって連絡が……私、いまからすぐ病院に行ってくるから。マーさん、マーさん!!」
そして、パパにもそのことを知らせるために、ママはバタバタとママたちの部屋に駆け込んで行った。
明日香に下された診断は卵巣のう腫。しかもすでに破裂した状態だった。すぐに手術が行われて、明日香は卵巣の一つを失った。
それにしても、結婚間もない明日香がどうしてこんな病に冒されなければならないのだろう。
性格は明日香の方が私よりママに似ている。あの子はあっちのママと同じようにかなり辛くても我慢をし続けたんだ、きっと……
「ねぇ、未来。明日香が未来に折り入って話があるって言うんだけど。二人きりで話したいんだって」
病院から帰って来たママが私にそう言った。
「うん、解った。じゃぁ、明日はママが保育所に迎えに行ってくれる?」
「解ったわ」
一体明日香は、私に何の話があるのだろう。そう思いながら私は、翌日明日香の病室を訪れた。
「明日香、ごめんね。昨日は来れなくて。少しは楽になった?」
「うん、もう大丈夫だよ。それに、気にしないで、お姉ちゃんにはたっくんやほのちゃんがいるんだもの。こっちこそわざわざ来てもらってゴメンね」
明日香は私の謝罪の言葉に笑顔でそう返した。
「でね、今日わざわざ来てもらったのって、お姉ちゃんに折り入ってお願いがあるのよ」
「お願い?」
「ねぇ、お姉ちゃん……たっくんとほのちゃんは、秀君の子供だよね。あの子たちを秀君の子供として認知したいの」
「……!……あの……それは……違う……」
私はその台詞に一瞬言葉を失いしどろもどろに訳のわからないことを口走った。
「違わないよ、たっくんのしぐさは秀君そっくりだよ」
「あ、あれは…あんたたちの方が私よりあの子たちの面倒を見てくれてるから、達也は秀一郎の真似をしてるだけのことだわ」
私は、ドキドキとどっと流れる汗を感じながら、辛ろうじてそう答えた。
「ううん、それだけじゃなくて二人の目元も似てるわ」
「違うったら、ちがうって!!」
私はそこが病室だということも忘れて、大声で否定していた。
「ゴメンね……私、たぶん罰が当たったんだわ。私、お姉ちゃんが秀君が好きなのも、秀君がお姉ちゃんを好きなのも知ってた。お姉ちゃんに子供が出来たとわかって、子供たちのパパの名前も明かさないでお姉ちゃんが産むって言った時に、私はその子たちが秀君の子供だって判ったよ。
だけど……私も好きだったの。秀君を誰にも渡したくなかったの。だから、何も知らないフリをし続けたわ」
「だからって認知? 明日香、あんたにはもう一つ卵巣が残ってんだよ。それで秀一郎との子供産めば済むことじゃない。あれは、事故みたいなものだし、そんなので認知だなんてダメだよ」
私は明日香から繰り出された認知と言う言葉に当惑し、つい子供たちを秀一郎との子供だと認める発言をしてしまっていた。
「だけど、私にも子供が産まれたら、2人はどうなるの? 秀君と距離を置かなきゃならなくなるじゃない。あの子たちは秀君の子供なんでしょ? 秀君をちゃんとパパと呼ばせてあげなきゃいけなくない?
今回の事で私、踏ん切りがついたの。一つの卵巣の私と、あの病気にかかった秀君となら、たぶん望んでも授からないだろうってみんな思うだろうから。今なら受け入れられるわ、きっと」
どうして明日香はこんなに自分が苦しむことになることを自ら提案したりするのだろう。
こんなに近くにいるのに、父親と呼ばせてやれないことを私も不憫に思ってはいたけど、それは仕方がないと思っていた。
赤の他人が妻の座に納まっているのなら、声高に認知を主張してちゃっかり愛人の座に納まることもできる。でも、明日香は私の妹だ。姉の私にそんなことが出来る訳がないじゃないの。ましてや、そのことによって明日香から子供を産み育てる選択肢まで取り上げるなんてことは、考えるのもイヤだ。
「とにかく、お断りだわ! そんなことをしたって、誰も幸せにはならないじゃない!!」
私は悲鳴のようにそう言い放つと、病室を後にした。
認知なんてダメ、認知なんて絶対に!!
でも、明日香は自分たちの子供は持たないんじゃないかと思った。
みんなが幸せになるには…どうすればいいんだろう。
そうやって思いを巡らせていたとき、私の頭に一つの単語が思い浮かんだ。
……そうだ、あの方法なら…今なら、間に合うかも知れない。
私は、子供たちを寝かしつけた後、パソコンを開いて検索をかけた。
そして、思っていた項目を探し当てた。
――見つけた!明日香も子供たちもが幸せになる方法を!!――
そして、その画面を私は、ずっと涙を流しながら見つめ続けた。