贐(はなむけ) 2 C-15
「それで、もう一人の龍太郎は…事故って交通事故?」
ご自分のお話を終えて、お義母様は私にそう聞かれた。
「い……いえ、お酒に酔われてここから……転落死されたんです」
「志穂さんともここに住んでたの? 確かにここはお義父様のものだけど……原因は秀一郎が生まれたせい? あちらにも志穂さんとの間に秀一郎がいて、あなたと結婚してるんでしょ?」
驚いて声を上げたお義母様に、私はちょっと戸惑いながら肯いた。確かに、あっちの私は秀一郎さんの子供を産んではいるけど、結婚したのは明日香だから。でも、あっちの世界は私しか見えてないんだから、解りっこないんだけどね。
「でも、秀一郎さんは当時11歳にもなってましたし……ただ、あちらの秀一郎さんはお義父様と当時同じ病に罹られて、自分の枷を息子にも負わせてしまったことへの後悔からの衝動自殺だと思われていたんです」
「思われていたと言うと……やはり真相は別にあったのね」
「ええ、こんなことを今更聞かされたら、お義母様もショックを受けられるかもしれませんが……」
私は、自分の失態にもつながるこの事を言うのは本当は辛かった。
「いいえ、今更何を聞いていも大丈夫よ、私は」
だけど、お義母様の目はどんなものであったとしても、真実はすべて知りたいと語っていた。
「お義母様……いえ、あちらの私の母は、お義父様と付き合っていた頃、それとは知らずに流産していたんです。それを何かのきっかけでお義父様は知ってしまわれたんです。
それならば、自分たちは別れる必要なんてなかった。
実は……お祖父様と上河原の祖父との間には昔からの約束というのがあったらしくて、母もまた、本当に好きな相手から引き離されて結城に嫁いでいたんです。ただ、母は結婚後お義父様を愛するようになっていたんですが、お義父様は最後の最後までお義母様を想われていました」
それを聞いたお義母様は軽くため息をついてこう言った。
「自分が煮え切らなかったばっかりに、みんなを不幸にしてしまったと思ったのね。いかにも龍太郎らしい考え方だわ。それにしても、秀一郎の前に私に子供が出来ていたって本当?」
その言葉に私は肯いた。
「お義母様……月のものがとんだ後、辛くて会社を早退されたことがありませんでしたか」
「え、ええ……まさかそれ? あの時は私も妊娠を期待していたから、すごくよく覚えてるわ」
そうなのか、やっぱりあっちのママも期待してたんだ。だから……
「あちらの私はさぞ辛かったでしょね。それが龍太郎を死に追いやったとしたら、尚更……」
「助かりましたけど……真相が解った直後、あちらの母はお義父様の跡を追いました」
そう、あれは私が聞いた乃笑留さんの言葉に反応した、向こうの私があっちのママに正直に尋ねたことから起こった事件だった。
「そうでしょうね、私もその立場なら、きっとそうしていたと思うわ」
やはり、2つの世界はパラレルワールドなのだ。改めて私はそう思った。
「ありがとう、よく包み隠さず話してくれたわね。おかげですっきりとした気持ちで健史の処に行けるわ。ホントに、『お前たちには障害なんてやっぱなかったろ』って言われちゃうわね」
私の話を聞き終わった後、お義母様は本当に晴れ晴れとした表情で私にそう言った。
そして、お義母様はその年を跨ぐことが出来ずに、梁原さんの待つ遠い世界へと旅立って行かれた。
お義父様は、通夜の席でまるで子供のように泣きじゃくっておられた。
でも、葬儀の直前になって、お義母様に最初に贈ったというチープなステディリングをお義母様の左手薬指に填めると、葬儀会社の人に告別式会場にピアノを持ち込んでもらうように要請し、会葬御礼の際、一言参列者に断りを入れると、お義母様との馴れ初めの曲、ご自身のアレンジによる『アルビノーニのアダージョ』を演奏されて、お義母様への野辺の贐とされたのだった。