贐(はなむけ) 1 C-14
その後、治療は少しは行われた。でも、それもいくらかの延命にしかならないとお義母様は思われたのだろう、自宅に戻ることを強く希望された。
とは言え、社長になってしまったお義父様が長い間仕事を放り出す訳にもいかず、その仕事を秀一郎さんが代わりにやれるはずもなく、子供たちを飯塚の両親に預けて、私がお義母様のそばにいることになった。
もしかしたら親子だったかもしれない私たち。その私たちが嫁姑として同じ一つ屋根の下にいる。何だか不思議な気がした。
そして、着替えを持って私はお義母様の部屋に入った。その時、私の目にあのフォトスタンドが映った。伏せられてはいなかった。
「未来さん、わがまま言って本当にごめんね。だって、最後くらい人間らしく過ごしたいじゃない?」
お義母様はそう言って私に軽く頭を下げた。
「そんな、最後だなんて……早くお元気になってくださらなくっちゃ」
「ふふふ、そんなウソはいいのよ。私は自分のことくらい解っているし、それを悲しんでもいないわ。寧ろ、長く生き過ぎたくらいよ」
「お義母様……」
お義母様はいつものように優しく微笑まれてそう言ってから、
「未来さん、あなた健史の事はどこまで知ってるの?」
と唐突にそう聞かれた。
「いえ、こちらの梁原さんを知ってる訳ではないんです」
私は少し逡巡してからそう答えた。
「こちらの?」
私の言葉にお義母様は案の定首を傾げた。とても理解してもらえるとは思えないけど、私は私の見ている世界をお義母様に正直に話そうと思っていた。
「もう一人の私と言うか……私は夢でお義母様がお義父様と結婚しなかった世界とつながっているんです。
私が、お義母様と初めてお会いした時、お義母様の顔にビックリしてたのを覚えておられます? その夢の中では、お義母様は父と結婚していて、私の母なんです。お義父様の方は母と結婚して秀一郎さんが生まれて……私はやっぱり秀一郎さんとの子供を産んでいるんです。ただ……お義父様は秀一郎さんが11歳の時に事故で亡くなられてます」
そこで、私は一旦口ごもった。やっぱりこんな話信じてもらえそうにもない。すると、お義母様は驚いてはおられたけど、
「続けて」
と言われた。
「その世界では、梁原さんの方が今も御存命なんです。お義父様が亡くなられて7回忌を終えてから、母は梁原さんと再婚しました。私、秀一郎さんと出会った直後からその夢を見るようになって、秀一郎さんが何故梁原さんに似ているのか、なのにどなたのお話にも出てこないのか不思議だったんです。山で遭難されたんですね、梁原さん。で、あの……お義母様、秀一郎さんは……」
「ええ、健史との子よ」
おずおずと切り出した私に、お義母様は肯きながらそう答えた。
「そうよ、秀一郎の父親は健史よ」
そう言ったお義母様はやはり微笑まれていた。
「私と龍太郎が一度別れた30年前のあの時、健史は傷心の私の許に現れたわ。龍太郎に遠慮してたけど、ずっと私の事が好きだったって。私は龍太郎の心の穴を埋めるために、健史と付き合い始めたわ。だけどね……」
「だけど?」
「私は気付いてしまったの。健史の本心、あの人は私じゃなくって、龍太郎が好きだってことにね」
「まさか!」
同じ男性のお義父様の方を好きだったなんて……私は、一瞬自分の耳を疑った。
「いいえ、本当よ。一番初めは龍太郎にものすごい対抗意識を燃やしてるだけなのかなって思ってたけど。健史って、あまりにも龍太郎に似せようとするようなところがあったから……それって、後から考えると自分が龍太郎になりきって私に接することで、彼に近づこうとしてたんだと思うわ。
だけど、そのまっすぐな気持ちが却って私を捉えたの。同じ男を好きな同志として心を通わせるうちに、私はいつしか龍太郎よりも健史に惹かれていたわ。
そんな時……秀一郎の妊娠が判ったの。健史もすごく喜んでくれて、すぐに私の両親のところにもらいに行くと言ってくれたわ。でもね……その翌日、健史は私と龍太郎に置き手紙だけを残して忽然と姿を消したのよ」
「何故?」
私は思わず聞き返してしまった。そうだ、何か私の中に引っ掛かっていたのはこの事……何でもうすぐ一緒になろうと思っている恋人がいながら山に登ったか。山男ならありがちなのかもしれないけど。あっちの梁原さんは山男じゃない。ということはこっちもそうじゃないと考える方が妥当だ。
「もう一人の私を知っているなら、あなたは龍太郎の事も知ってるんじゃない?」
続いてお義母様は私にこう尋ねた。
「何が……ですか?」
知ってはいたけど、私の口からは言えなかったから、私は聞き返すしかなかった。
「彼が通常では子供は望めないと診断されていたこと」
続くお義母様の言葉に、私は黙って肯いた。
「健史はね、龍太郎が私をどんなにか愛しているか解っていたの。だから、そんな私たちが別れないで済むようにするには、自分が龍太郎の代わりに子供を儲けて、私を彼に返せば良いんだと考えたのよ。そして、私の妊娠を確認した彼は、一人で真冬の雪山に消えたの」
「お……お義母様は、お義父様のお身体の事を知ってらしたんですか?」
私がそう言うとお義母様は頭を振った。
「いいえ、私がその真相を知ったのは、龍太郎と結婚するほんの少し前。それまでは私、健史は自分では逆立ちしたって一緒になれないのに、女の私が簡単に彼と別れたことを恨んでいるのだと思っていたわ。龍太郎も人が変わったみたいに私を好きだとあからさまに口にするようになったし、解らないことだらけだった。
でも、結婚式を間近に控えた日、私の身体が安定するのを見計らって龍太郎が真実を話してくれたのよ。『僕には普通では子供は持てない。それで、僕の身内に君がひどいことを言ったりされたりするのが怖くて一度別れた。そして、そのことを健史にだけは正直に言って、彼に君を幸せにしてくれって言ったんだ。だけど、それがこんなことになるなんて思わなかったよ』ってね。
ただ、龍太郎は健史が自分の事を好きだなんてこれっぽっちも思ってなくて、私の事を本気で好きだったんだなって思ってたみたいだけど。」
自分の身を挺してまで、お義父様の想いを結ばせようとした梁原さん。彼はそれほどまでに、お義父様を愛していたのか。私はその壮絶な生きざまに、胸が痛くなるのを感じた。




