似ている(M-2)
「ママ、お客さん連れてきたよ!」
陸君はお家であるお好み焼き屋「いたくら」の中に入ると、開口一番そう言った。
「陸、お帰りなさい。いらっしゃいませ…あの、すいませんどのような関係の方でしたでしょうか」
それを店先で出迎えた陸君のママは、最初彼が友達を連れてきたのかと思っていたみたいだけど、友達と言うより教師と言ったような年齢の私が入って来たのでそう聞いた。
「えっ、駅で拾ってきた」
「はい、彼にナンパされました」
そして、陸君がふざけてそう返事したのを受けて、私もそれに乗ったら、陸君のママはギョッとしたような顔になった。
「あ、ウソウソ、ウソです。私この辺初めてなんです。だから、食事できるお店とかわからなくて、駅で息子さんにお伺いしたら『ウチにおいでよ』って言ってもらったんです」
「なんだ、そうなの?」
それを聞いて陸君のママは笑顔になった。
「ホント、すごくソースのいいにおい。ますますお腹空いてきちゃった。でも、このモダン焼きって何ですか?」
私はメニューを見ながらそう言った。
「あ、それ?お好み焼きにソバが入ってる奴」
陸君は私に水を勧めながらそう言った。
「へぇ、そんなの初めて。じゃぁ、豚玉モダンかな、これください」
「修司、オーダー。豚玉モダンお願いします」
「はい豚玉モダンね。かしこまりました」
奥から男の人の声がした。たぶん、陸君のパパだろう。すかさず陸君のママが私の座った座席の鉄板に火を入れる。
やがてお好み焼きの生地と焼きそばの麺を持って男の人-修司さんが出てきた。
「いらっしゃいませ」
と言うと、手際よく生地を鉄板に流し、横でソバを焼き始める。それを生地の上に乗せると、上から少し生地を被せてお好み焼きの生地でソバをサンドした。
「マヨネーズかけます?」
修司さんがソースを塗る中、私は陸君のママにそう尋ねられた。
「美味しければ……」
お好み焼きは食べたことがない訳ではないけれど、モダン焼き初体験の私にはどっちが美味しいか判らないもの。
「マヨがキライじゃなきゃ間違いなく美味いと思うよ。加奈子はほら、未だにマヨ恐怖症だからな」
「マヨ恐怖症…ですか」
マヨネーズが嫌いじゃなくて怖いの?そんな病気は…ある訳ないわよね。
「こいつデブだったからさ、そういう高カロリーなもんには恐怖心感じるの」
「だったら、女性はみんなそうですよ」
修司さんのニヤニヤ笑いでの言い草に、私はそう返した。
「それが半端じゃなかったんだから。とんでもないデブだったんだぜ」
「それ、未だに言う!? こっちでその事を知ってる人なんて、修司の昔からの友達くらいしかいないんだから。わざわざ宣伝しなくていいでしょ」
尚もデブを強調する修司さんに、陸君のママ-加奈子さんが笑いながらガンガンと肘鉄を食らわせていた。
「今はナイスバディーだから言えんだぞ。俺は自慢したいの」
「だから、それって自慢にならないってば」
そうやって2人はじゃれ続けていた。何かラブラブだなぁ、この2人…何だか昔のウチの両親みたいだ。でも…
そう思ったら私の目からいきなり涙があふれ出てきた。
「ねぇちょっと、どうしたの?!」
完成したお好み焼きを前にしていきなり号泣した私を、加奈子さんは心配そうに覗き込んだ。
やばっ、泣いちゃった。早く涙を止めたいのに、そう思うと後から後から涙が流れた。
「ごめんなさい、母に……似てたから」
私はしゃくりあげながらようやくそれだけを加奈子さんに言った。
「お母さんに?」
泣いて上手くしゃべれない私は、こくりと頷いた。
「とにかく食べて、保温だけど長く置くと下のほうが硬くなっちゃうわ」
加奈子さんは優しくそう言った。
「あっつ、でも美味しい」
口に入れるとまた涙が出た。私、どうしたんだろう。何でこんなに泣き虫になってるんだろう。普段は妹の明日香の方が泣き虫で、お姉ちゃんはホントにクールだって言われてるくらいなのに…
「泣きたいときには、うんと泣くほうが良いんだってよ」
陸君がそう言った。
「そして叫ぶ。例えば、『パパなんか大っ嫌いだぁ!』とかね」
「その意見には賛成だけどな、何で台詞が『パパなんか大っ嫌いだぁ』になるんだ?」
陸君の台詞に修司さんがちょっと口を尖らせながら尋ねた。
「だって、9年前のそれが実感だったんだから。それくらい大事件だったんだよ、小学三年生にとって横浜から日進への引越しはさ」
そうか、ここの家族の言葉に違和感を感じないのって、元々関東に住んでたからなんだ。でも、という事はつまり……
「もしかしたら、陸君って高校生なの?」
「もしかしなくても高校生だよ。高校二年生。じゃなきゃ、あんな時間に駅から出てきゃしないよ。」
「えーっつ!」
私が驚いて声を上げると、陸君は口をへの字に曲げてため息をついてこう言った。
「そんなに驚かなくて良いだろ?うー、まったく凹むよなぁ。どうせ、僕はガキっぽいですよ」
「だって、オレとか言ってないし」
「言ったらこの人が怒るの!」
陸君はそう言うと加奈子さんを指差した。そして、私の耳元に口を寄せると、
「だから、学校では僕なんて言ってないよ」
と加奈子さんに聞こえないように囁いた。
そうよ、あの人だってそうなんだから…あの人も私の前ではわざと意識して「俺」って自分のことを言ってた。私だけにそう言ってくれるのが、私は嬉しかった。
「陸、何耳打ちなんかしてるの?お姉さん嫌な顔してるじゃない」
だけど、私があの人のことを思い出して顔をくしゃっとさせてしまったから、陸君は加奈子さんに叱られた。
「いいえ、違うんです。思い出しただけ。陸君がその……知ってる人に似てるなと思って……」
私が駅で他の誰でもなく陸君に声をかけてしまった理由は――
あの人に似ているからだと思う。顔じゃなく、背丈でもない、空気そのものが。
私は食べながら自分のことを少し話した。千葉に住んで東京で仕事をしていた25歳、つい昨日までの私の事を。
「じゃぁ、ご馳走様でした。」
食べ終わった私は、お金を払って「いたくら」を出ようとした。
「飯塚さん。ねぇ、未来ちゃんって呼んで良い?その大荷物で、これからどこに行くつもりなの?」
出入り口を開けたところで私は加奈子さんにそう呼び止められた。
「これから泊まるホテルに…」
そう、手近なビジネスホテルでも探さなきゃ。
「今から探すんでしょ?それなら今日はウチに泊まらない?」
そしたらいきなり加奈子さんがそんなことを言い出すもんだから、私は驚いた。
実はこの時、加奈子さんは私が自殺する事を心配していたらしいのだ。そりゃそうかもしれない。修司さんと加奈子さんのラブラブ振りを見ただけで号泣した大荷物の私は、そう思われても仕方ないかもと今なら思う。
でも、私はこれっぽちもそんな気はなかったのだけれど。少なくともその選択肢だけは取るまいと心に決めていた。
苦い記憶を思い出させることで、それはきっとあの人を立ち直れなくなるほど傷つけてしまう事が解っているから。
その苦い記憶が、私とあの人を引き寄せ運命付けたのであったとしても。
「そんな…初対面の方のお宅にいきなり泊まるなんて、滅相もないです。」
「私、何だか始めてあった気がしないのよね。未来ちゃんの話もっと聞きたいな。」
だけど、私が遠慮がちに断っても、加奈子さんはなおも食いついてきた。そう、私も陸君に声をかけた時から初めて会ったという気がしなかった。この出会いは必然なのかもしれない。私があの人と、それよりもずっと先、ママとあの人のパパとが出会ったことすらも必然であったように…
半ば呆気にとられている男性陣を尻目に、強引に加奈子さんに押し切られる形で、私はその日板倉家にご厄介になった。
奥に通されると、受験勉強をしている陸君の妹、瞳ちゃんを紹介された。
「あ、気にしなくていいよ。あたしたち、ママのおせっかいには結構慣れっこだから。あの人のは、今に始まった事じゃないのよ。」
瞳ちゃんはそう言って笑った。
とは言え、眠れないままぼーっと板倉家の天井を眺めていた私は、あの人と出会いを思い出していた。