父親(前編) 2 M-12
「あ、そうだ、良いのがあるんだ。お姉ちゃんも飲む?」
その後、秀一郎はサイドボードからワインを取り出すと、ガラスのローテーブルの上に置いた。
「あ~、いいの? そんなの隠し持ってて」
「良いんだよ、俺もう未成年じゃないんだから。別に隠してないし」
そう私が茶化すと、秀一郎は口を尖らせてそう返した。そう言えば、彼は最近20歳の誕生日を迎えたばかりだったことを思い出した。
「でも、飲んでも大丈夫なの?」
「大丈夫って……病気の事を言ってるんなら、もう8年も前に完治してるよ」
私が身体の事を心配しているのだと分かると、彼はウザそうにそう言いながら、自分と私の分のグラスを取り出した。
「そんなにいつまでも心配しないでほしいよ。父様だって結局再発はしなかったんだし、俺は父様より症状はずっと軽かったんだ」
「ゴメン」
彼は病気の事を心配されるのを一番嫌うのだということくらい、解っていたはずなのに……
YUUKIの一部の人間は、秀一郎が跡を継ぐことを是としない。そういう輩にとっては、秀一郎の病気は一番オイシイ部分。持って行きようによっては、欠格要件にすることもできるかもしれない。だから、今でも龍太郎さんの謎の死が病の再発を苦にしてだという噂が後を絶たず、秀一郎もいずれ再発すると声高にいうものもいたりするのだ。
……それよりも、秀一郎は自分が父親と同じ病を得たことで、遠巻きにでも自分が父を死に追いやったかもしれないとでも思っているのだろうか。
「いいよ、謝らなくて。それより、お姉ちゃん、俺に何か相談したいことあるんだろ。話、聞くよ」
「あ…相談なんて別にないよ」
続いて秀一郎の口をついて出てきた言葉に、今度は私が身を強張らせた。
「うそつき、話聞いてくださって顔してるよ」
「してないわよ」
一転、笑顔になって言う秀一郎から顔を背けて、ぶっきらぼうに私は返した。
「ま、いいや。とにかく飲もうよ」
そう言うと彼は、私にワインの入ったグラスを手渡した。私はそれをあおった。
「へぇ、良い飲みっぷりだね。」
私は正直なところ、忘れたかったのだ。そして…彼に勧められるままに何杯もお代わりしていた。
でも、私は飲むべきじゃなかったんだ……
私は、ママのようにお酒に強くない。それに普段飲みつけないワインだったから、酔う加減もよくわからなかった。
「克也に二股かけられてたの……しかも、相手は親の決めた婚約者でさ、勝ち目ないのよ」
酔った勢いでポロっと出てしまった。秀一郎は私のその台詞に黙って目を瞑った。
「でもね、内心良かったかなって思ってる。私、克也に飽きてきてたしね」
そう言った私の目から涙がこぼれる。内心ホッとしているのは事実だった。秀一郎への想いの隠れ蓑に、言われるまま克也と付き合っただけだから。だけど、嫌いではなかったし、まだ飽きてもいなかった。
「お姉ちゃん、強がらなくていいよ」
「強がってなんかいないわ!」
私はそう言うと、秀一郎から背を向けた。
「じゃぁ、何で泣いてる訳? 自分の泣いてることも否定して、それでもまだ自分の気持ちを押し殺し続ける訳? そんなの身体に良くないよ。思いっきり泣けば? 俺の胸で良ければ貸してあげるからさ……ほら。」
すると、秀一郎は私の前に回り込んで、私の頭を彼の胸に押しつけさせた。私の心臓はものすごい音を立てて打ち始めた。
「良いって言ってるでしょ! 私、帰る!!」
それを悟られないように、私は慌てて帰ろうとした。帰ろうとしたんだけど、私の身体にワインは思いの外回っていて、すっと立ち上がることができなくてよろけた。
秀一郎は私の正面にいた。だから、私は逃げようとしたのに、逆に思いっきり彼の胸に飛び込む格好になってしまったのだ。
そんな私を秀一郎は強く抱きしめた。
「好きだよ……おねえちゃん。ううん、未来」
私は驚いて顔を上げた。すぐ近くに秀一郎の顔があった。
「秀……一……郎……」
「俺は未来の事がずっと前から好きだった。もう、あんな奴忘れてしまえよ。俺が、いるから」
そう言って、秀一郎は私に口づけた。魂まですべて持っていかれるような激しいものだった。
秀一郎も酔っているだけ――私はそう思いながらも身動きすらもできなかった。私は酔っていなくても秀一郎の事が好きなのだから。
そしてそのまま……私たちはつながり、私は秀一郎の最初の女となってしまった。