父親(前編) 1 M-11
そんなこんなで、私は板倉さんちに挨拶した後、バタバタと少ない荷物をパパの車に詰め込むと千葉の自分の家に帰って行った。
「お姉ちゃん、心配したんだから!名古屋っていったい何!?」
家に帰った私は、玄関もそこそこに明日香にそう言って泣かれた。
「秀君もね、ものすごく心配してたんだよっ!」
そして何の防御もしないうちに繰り出された秀一郎の名前に、私は身を強張らせる。
「ゴメン……秀一郎にはあんたから謝っといて」
「何で? お姉ちゃんが帰って来たって言ったら秀君飛んでくるよ。自分で謝れば?」
私の返事に、明日香はそう呑気に答えた。
「秀一郎はあんたの恋人でしょ!? あんたが言ってよ、私疲れたの。少し寝かせて」
私はそう言って自分の部屋――とは言え半分は明日香のでもある部屋の自分のベッドに横になった。
まったく、泣きたいのはこっちの方……
秀一郎と明日香が初めて会ったときから惹かれあっていることは誰の眼からも明らかだった。
だから、私は自分が年上だと言うことを抜きにしても自分の気持ちを押し殺して2人の幸せを願うことができた。
――できたと思っていた。
だけど、克也と彼の婚約者の翠さんとの関係を知って文句を言った私に、克也は冷たく言い放った。
「んなことを言やぁさ、お前だって同じじゃん。お前だって、俺よかあのガキの方が良いくせに。何が好みなのかねぇ、あんな鼻たれが」
「やめてよ、秀一郎のこと悪く言わないで」
「ふんっ、まぁいいか。けどよ、あいつ妹のカレシじゃなかったっけ? そんなお前が俺に文句なんか垂れてどういうつもりだよ」
私はそれに言い返せなかった。私が克也と付き合っていたのは、あの子たちから私の本心を隠すための隠れ蓑だったのだから。
だからといって、私はこのまま克也と馴れ合って、広波克也の 『愛人』を続けるつもりはなくなっていた。
克也と別れた私の足はいつしか、最近ヤナのおじさんと志穂さんが再婚したことで一人暮らしを始めた秀一郎のマンションへと向かっていた。
「お姉ちゃん、いきなりどうしたの」
秀一郎はドアを開けて私の顔を見ると、そう言った。秀一郎は、明日香に倣って私をお姉ちゃんと呼ぶ。
「引っ越しどう?ちょっとは……すごいな、随分片付いてるじゃない」
私はついこの間引っ越したばかりなのに、随分と片付いている室内に目をやってそう言った。
「ああ……ヤナさんがね片付け魔なんだよ。あの人が来るたびに何も言わないでも部屋が片付いていくんだ」
「何よ、他人事みたいに。それに、ヤナさんって呼んでいいの?お母様の旦那さんでしょ?」
「そうなんだよね。全然現実感ないんだけど。でも、呼び方のことは、今までどおりの方が良いってヤナさんが言ってさ」
私の言葉に、秀一郎はため息交じりでそう答えた。
「ふつう、死んだ元の夫と暮らした家にそのまま住みたいなんて言う男がいる?」
ま、経済的にそうならざるを得ない人もいるけど、結城家の場合経済的な要因はない訳だし。でも、子供にとってそれは気持ちのいいものではないと思う。ましてやあんな亡くなり方をした前夫の思い出がいっぱい染み付いた家には間違っても入ろうとはしないだろう。妻をあの場所から引き離そう……普通の夫ならそう考えるはず。
「母様とヤナさんって、父様の思い出話に終始してるんだ。何だか2人でいたって3人で過ごしているみたいな…そんなで結婚なんて違和感だったんだけど、ま、ヤナさんは良い人だし、母様が良いならそれでいいんじゃないかと思ってたんだ。要するに結婚なんて2人の問題なんだし。でも……俺、怖いんだ」
秀一郎は、私の前でだけ自分のことを意識的に俺と言う。
「怖いって何がよ」
「ヤナさんの目、あの人の俺を見るときの目だよ」
そう言った時、秀一郎は明らかに少し怯えていた。
「家にいたときさ、気がつくといつでも目が合うんだ。もしかしたら、俺がリビングにいる間はずっと俺のことを見てるんじゃないかと思うくらいにね」
「バカね、考えすぎよ。確かに、秀一郎ってあの頃の龍太郎さんにそっくりだってママも言ってるわ。だから、ヤナさんも懐かしくなってつい見ちゃうのかもしれないわ。だけど、たぶんそれだけのことよ」
「うん……」
軽い調子で言った私の言葉に、秀一郎は歯切れ悪く返した。
「それにさ、YUUKIでも一緒だったわけでしょ。きっといろいろな思い出がヤナさんの中にあるのよ。そんなに心配しない」
私はそう言って、秀一郎の肩を叩いた