壊れてしまったお皿と同じ、壊れてしまった愛は戻らないの。さようなら。エルンスト様。どうかお元気で
エルンスト様が好き。たまらなく好き。
だから、婚約を解消された時には悲しくて悲しくて‥‥‥
フランティーヌ・アシェル公爵令嬢には、エルンスト・ルイド公爵令息というそれはもう美しい婚約者がいた。
エルンストは金髪碧眼の18歳。同い年のフランティーヌともうすぐ結婚式を挙げる予定だった。
フランティーヌはその日を指折り数えて待っていたのだ。
三年前に結ばれた婚約。
エルンストは紳士で、何かとフランティーヌに優しかった。
完璧な男性だったのだ。
「愛しのフランティーヌ。君の為に赤の薔薇を100本買ってきてあげたよ」
「まぁ、嬉しいですわ。エルンスト様」
だから、エルンストの為に出来る限りの事をやろうと、頑張って来たのだ。
フランティーヌも銀髪碧眼でとても美しい。長い銀の髪はフランティーヌの自慢だ。さらに美しさに磨きをかける為に、美容にも気を配った。
ルイド公爵家にいずれ嫁入りする。
だから、ルイド公爵家に頻繁に顔を出して、ルイド公爵夫人に屋敷の事を教わったりしていた。エルンストの妹のジュテリーヌとも仲良くなり、色々と話をする仲になっていた。
本当に幸せだったのに。
エルンストがある日、ルイド公爵家の客間に家族を集めて言ったのだ。
そこにはフランティーヌも呼ばれていた。
フランティーヌに向かって、
「私は君と婚約を解消して、アマンダと婚約することにする」
「アマンダ?何故、わたくしと婚約解消を?至らない点がありましたか?」
「アマンダは私を喜ばしてくれた。褥でのアマンダがなんと素晴らしい事か。それに比べて君は‥‥‥さすがに公爵家の令嬢に結婚する前に手出しは出来ないからな。君がアマンダより身体が素晴らしいとは思えない。私はアマンダの事を愛しているんだ」
と、言い出したのだ。
エルンストの両親のルイド公爵夫妻と妹ジュテリーヌもその言葉に驚いていた。
ルイド公爵が怒りまくって、
「なんてことを言うんだ。どこの性悪に引っかかった?すぐさま白状しろ」
エルンストは、
「アマンダは性悪ではありません。酒場で健気に働く市井の女性です。私はアマンダと結婚したいのです」
ルイド公爵夫人が、
「アマンダという女にこの公爵家の夫人が務まると思っているの?」
エルンストは眉を寄せて、
「でも、私はアマンダを愛人にしたくはありません。アマンダに言われたのです。私と結婚して私を正妻にしてと。愛人は嫌だと」
フランティーヌはあまりの衝撃に倒れそうになった。
まるで知らなかったのだ。アマンダ?浮気をしていたの?
わたくしに対する態度に不信な点は無かったわ。
エルンストの妹、ジュテリーヌが、
「お兄様。市井の女と結婚するのですね?それは譲れないのですね?」
「ああ、私はアマンダと結婚して、この公爵家を継ぐ」
ルイド公爵は青筋を立てて、
「はぁ?お前は、貴族の結婚をなんだと思っているのだ」
「私は味気ない結婚をしたくはないのです。アマンダの豊満な身体に癒される結婚を」
全員が押し黙った。
ジュテリーヌが、
「お兄様を廃籍致しましょう。こんな愚かな男に由緒あるルイド公爵家を継がせる訳にいかないのでは?」
エルンストは慌てたように、
「何故、廃籍になる?私が嫡男だぞ。私は今まで父上に習って公爵家の事を学んで来た」
フランティーヌは言ってやった。
「わたくしだって、結婚前から公爵夫人についてこちらの家の事を学んで参りました。それなのに貴方は婚約解消をして、アマンダという市井の女と結婚したいですって?わたくしと貴方との婚約は公爵家同士の当主が決めた約束事ですわ。それを守れない貴方は貴族でいる資格はありません。そういう事ね?ジュテリーヌ」
ジュテリーヌは頷いて、
「そういう事よ。お父様お母様。そうですわね?」
ルイド公爵は頭を抱えて、
「お前がこんなに愚かだとは思わなかった。エルンスト。性悪女に引っかかっていたとはな」
公爵夫人も、
「こんな愚かな息子じゃ、この家を任せておけないわ」
エルンストは、
「私が愚かですか?ただただ、アマンダに恋をしただけです。アマンダと一緒ならどんな苦難だって。アマンダに公爵夫人の仕事をこれから教えればいいじゃありませんか。フランティーヌ、解ってくれ。君は私を愛していたはずだから、慰謝料とか言わないはずだ」
フランティーヌは拳を握り締めて、
「慰謝料はしっかりいただきますわ。エルンスト様から。ルイド公爵家には色々と教えて頂いて親切にして頂きました。ですから貴方自身に請求致します。必ず払って下さいませ」
エルンストは、
「私はルイド公爵になるんだ。公爵家からいくらでも払ってやろう」
ルイド公爵は、執事に合図を送った。
執事は使用人達を呼んで、エルンストを縛り上げた。
「私は跡継ぎだぞ。アマンダと結婚するんだ。なんでこんな目に」
ジュテリーヌが、
「お兄様ったら、本当に話が通じない。あんなひどい男だとは思わなかったわ」
フランティーヌも同意して、
「わたくしも‥‥‥エルンスト様はわたくしにとても優しかった。街にお忍びで連れていって下さって。プレゼントも色々と下さったわ。それがあんな酷い人だったなんて」
思い出が蘇る。
馬にも乗せて貰って、エルンストと草原を駆けた。
とてもとても幸せで。
街にお忍びで行って、首飾りや腕輪を買ってくれた。
「とても素敵だ。似合うよ。フランティーヌ」
「有難うございます。エルンスト様」
本当に幸せで。ひとつひとつが走馬灯のように蘇る。
悲しみのあまり涙が零れた。
エルンストとの婚約は数日後、解消された。
彼はルイド公爵家を追い出された。
フランティーヌは、悲しかったが、彼の事を忘れることにした。
雨が降っている。シトシトと雨が、
エルンストがアマンダの働いている酒場の店に訪ねてきた。
「家を追い出されてしまった。アマンダ。私を泊めてくれないか?君と結婚したいと言ったら追い出されたんだ。君は私を養う義務がある」
アマンダは笑った。
「あら、いい気味だわ。追い出されたのね。貴方は破滅したのね」
エルンストは驚いたように、
「何を言っているんだ?」
アマンダが両手をポンと叩いた。
エルンストは頭の中の霧が晴れたようなそんな気がした。
アマンダは笑いながら、
「この首飾り、よく利くわね。ほら、正気に戻ったでしょう。アタシの姿をよくみてごらん」
赤毛で美しいアマンダ。そのアマンダの姿が、中年の女性に変わっていく。
茶髪の冴えない中年の女性は笑って、
「私の子が殺されたんだよ。アンタが乗っていた馬車にね。アンタは金を投げつけて謝りもしなかった。私の子はまだ10歳だったんだよ。30歳の時にやっと授かった宝物だったんだ。それなのに。アンタら貴族は何も覚えていないんだろうね。だから私は全財産なげうって、誘惑の首飾りを買ったんだ。アンタが夢中になっていたのは、アタシだよ。100年の恋も冷めただろ」
エルンストは目を見開いた。
美しかったアマンダが、赤毛で妖艶だったアマンダが、その辺にいる冴えない中年の女。
誰かが通報したらしい。
誘惑の首飾りは、使ったら死刑になる程の、禁じられた首飾りだ。
それを使ったと言い切るアマンダ。
その言葉を聞いた通行人が通報したのだ。
しばらくして騎士団がアマンダを捕まえに来た。
アマンダは笑いながら、
「私に後悔はないよ。アンタは行くところもない。さっさと死ぬんだね。ハハハハハハ」
エルンストは唖然とした。
二年程前、馬車に乗って、飛び出して来た子を馬車がはじき飛ばした。
市井の娘だったので、泣く母親に金を投げ与えた。
それが恨まれていたなんて。
ああああ、自分はルイド公爵になる道を。これから先、生きる道を絶たれたのだ。
エルンストはいつまでも雨に打たれているのだった。
フランティーヌは、とある日、ジュテリーヌとルイド公爵家のテラスでお茶をしていた。
ジュテリーヌが、優雅に紅茶に入れた砂糖をかき混ぜながら、
「執事が市井に放り出された兄を回収して、公爵家が良く知っている商会に預けたって言っていたわ。だって、フランティーヌ様への慰謝料をお兄様は払わないとならないでしょう?」
そして、紙を差し出して来た。
アマンダという女が誘惑の首飾りを使って、エルンストを騙して誑かしていたという事が書いてあった。誘惑の首飾りは使った者を魅力的に見せ、正常な判断力も狂わせる力がある。
ジュテリーヌは、紅茶を一口飲んでから、
「お兄様は誘惑の首飾りのせいで、フランティーヌ様の事を‥‥‥だから許してあげて」
フランティーヌは紅茶のカップを手に取って、にこやかに、
「すんだ事ですわ。恨まれていたのですね。エルンスト様は‥‥‥誘惑の首飾り。たとえ、誘惑の首飾りのせいだとしても、わたくしを婚約解消して、アマンダという女と結婚するとあの人は言ったのです。その心の傷は一生残りますわ。慰謝料、働いて払って下さるのでしょう?」
ジュテリーヌは微笑んで、
「ちまたでは変…辺境騎士団が屑の美男を引き取って教育するっていう噂が流れておりますけれども、変…辺境騎士団じゃ、お金が稼げないでしょう。だから、商会に預けました。しっかりと働いてフランティーヌ様への慰謝料を払ってくれるのでしょうね」
フランティーヌは頷いて、
「新しい婚約者を探さないと、ただ心の残りなのは、ルイド公爵家の事を学んだのに、生かせなかった事ですわね」
ジュテリーヌが、
「わたくしが家を継ぐことは、婚約者は嫡男で、こちらに婿入りは無理だって言われましたの。ですから、フランティーヌ様には、一族の有能な男性を誰か紹介致しますわね」
「有難う。ジュテリーヌ。嬉しいわ」
ルイド公爵家が紹介してくれる一族の男性は、きっと有能なのだろう。
ただ今は‥‥‥
無くしてしまったエルンストとの愛を、ただただ、悲しく思うフランティーヌであった。
― 壊れてしまったお皿と同じ、壊れてしまった愛は戻らないの。さようなら。エルンスト様。どうかお元気で ―




