太陽系美少女と、静かな黒髪
教室に戻った中嶋洋平は、反射的に教室全体を見渡した。
いた。
窓際の一番後ろ。
黒髪を肩に流し、小さく背中を丸めて席に座っている女子生徒。
さっき校舎裏で眼鏡を拾った、あの子だ。
教科書を机の端にきっちり揃え、配布プリントを一枚ずつ整えている。入学初日の浮ついた空気とは無縁みたいに、そこだけ温度が違う。
(同じクラスか……)
確認したい。
あれは偶然だったのか。
呪いが効かなかったのは、ただのタイミングか。
そのとき。
「もしかして、中嶋くん?」
背後から弾む声。
振り向いた瞬間、教室の空気が一段階明るくなった気がした。
明るい茶色の髪は肩で跳ね、小さなピアスがきらりと光る。制服の着こなしはどこかラフで、スカート丈も規定ギリギリ。わざとじゃないのに、自然に着こなしている感じが腹立たしいくらい様になっている。
小麦色の肌。大きめの目。笑うと口元がきゅっと上がる。
健康的で、屈託がなくて、太陽みたいなタイプ。
「渡嘉敷玲奈。出席番号、隣だよね?」
ああ、ナとト。さっき説明があった。
しばらく授業や行事でペア行動になるらしい。
「……ああ、よろしく」
「よろしくー。あ、あたし沖縄から引っ越してきたばっかなんだよね。だから友達ゼロ。中嶋くん、責任取って仲良くして?」
さらっと言う。
距離感が近い。物理的にも、心理的にも。
「沖縄?」
「うん。海しかないとこ。いやあるけどさ、海しかないイメージでしょ?」
にっと笑う。
その瞬間、視線が合う。
――しまった。
完全に一メートル以内。
一秒。
二秒。
三秒。
「……え?」
玲奈の呼吸が止まる。
頬がじわりと赤くなる。視線が逸れて、でもまた戻る。半歩近づく。
(はい、発動確認)
「なんかさ……中嶋くん、近くで見ると……」
言葉が途切れる。けれど逃げない。
「……あたし、今ちょっとドキッとした」
自分でも不思議そうに笑う。
沖縄育ちの太陽系美少女でも、呪いの前では例外じゃない。
「まあ、いっか。ペアだし。仲良くしよ?」
距離が自然に縮まる。
(通常運転だな……)
ほんのわずかな興味を、即席の“恋”に押し上げる。
それがこの呪い。
「ねえ、連絡先交換しよ?」
スマホを軽く振ってみせる玲奈。
洋平は一瞬だけ、窓際を見る。
黒髪。
俯き。
静か。
(今それどころじゃない)
「あー……ごめん、渡嘉敷。あとでいい?」
玲奈は一瞬きょとんとしたあと、すぐに笑った。
「え? うん、いいよ? どうしたの?」
「ちょっと確認したいことあって」
確認。
そう、確認だ。
洋平は教室の端へ向かう。
数人がちらりと視線を向ける。玲奈も見ている。
窓際の席の前で立ち止まる。
距離、一メートル以内。
「……俺、中嶋洋平。同じクラスだよな」
少女は少し驚いたように目を瞬かせ、小さくうなずいた。
分厚い黒縁眼鏡の奥の瞳は、光を反射して少し見えづらい。
「……香坂、雪姫」
その名前を聞いた瞬間、なぜか胸の奥が小さく引っかかった。
雪姫。
静かな名前だ。
「よろしく」
そう言うと、雪姫の頬がふわっと赤くなる。
(……発動?)
判断がつかない。
赤い。でも、距離は縮まらない。
「眼鏡、大丈夫だった?」
「う、うん……大丈夫……ありがとう」
視線が落ちる。
ノートの端を指でぎゅっとつまむ。
(これ、どっちだ……?)
いつもならもっと分かりやすい。
距離を詰める。
連絡先を聞く。
目を逸らせない。
でも雪姫は違う。
少し迷うように唇を動かした。
「あの……」
洋平の喉が鳴る。
「私……あんまり目立つの苦手なの……」
小さな声。でも、はっきりしている。
「だから……みんなの前では、あんまり話しかけないでほしいな」
俯いたまま。
けれど逃げない。
一瞬、思考が止まる。
発動しているなら、距離を詰めるはずだ。
避けないはずだ。
でも雪姫は線を引いた。
「嫌とかじゃないの……その……ちょっと恥ずかしくて……」
ちゃんと自分の意思で。
(……なんだこれ)
効いていないわけじゃない。
頬は赤い。声も少し震えている。
でも。
流れが、いつもと違う。
「……分かった」
口に出すと、なぜか胸が少し重い。
(なんで俺が撃沈してんだよ)
普通なら喜ぶところだ。
自分を好きにならない女子。
なのに。
雪姫は、ほっとしたようにほんの少しだけ笑った。
その笑顔が、妙に引っかかる。
派手じゃない。
でも、ちゃんと心に残る。
席に戻りながら、洋平は思う。
玲奈にははっきり効いた。
あれはいつものパターンだ。
でも香坂雪姫は。
呪いは作動しているはずなのに、
どこかで踏みとどまっている。
一人だけ、仕様が違う。
後ろでは玲奈が、明るく手を振っている。
太陽みたいな美少女。
窓際には、目立たない黒髪。
(……面倒くさいな)
そう思ったのに。
気づけばもう一度、窓際を見る理由を探している自分がいた。




