明かされた真実
本来ならば今日は国を挙げての結婚式だ。
余計な事をしている余裕はない。
だがしかし、訪れたのが力ある種族である魔女であるのなら。
扱いは丁重にしなければならない。
もし訪れたのがただの人間であったなら、今日は忙しい後にしたまえ、となった可能性の方が高いのだが、人知を超えた力を持つ種族となれば、会おうと思っても会えない事もあるのだ。
国王の権力はあくまでも国内の人間に通用するものであって、それ以外の種族にはほとんど通じない。
それでも権力を振りかざせば、最悪国が滅びる事にもなってしまう。
箒に乗ってふわふわ漂っているのを目撃してしまった以上、本人が魔女と名乗ったのを嘘だなどと言えるはずもなく。
ちょっと大事な用があるの、と言われて王は魔女の相手をするしかなくなってしまった。
息子の晴れの舞台でもあるというのにな……と思いながらも。
とりあえず王子様と竜の聖女様とやらを呼んでもらっていいかしら? そう言われたからこそ、二人に関わる話なのだろう。王はそう思っていたし、もしこの魔女が何らかの祝福や加護を与えてくれるのであれば……というあわよくばな気持ちで二人を呼んだ。
そうしてやって来た二人を見て、王は思わず目を瞠った。
息子のエリアスはともかく、一緒にやって来たのは見知らぬ老婆。
乳母を雇うにしても気が早すぎるし、乳母としても年がいきすぎている。
この場に関係のない老婆がやって来た事に、すぐさまつまみ出せと言おうとしたものの。
「久しぶりね、マルテノーラ」
王が口を開くより早く、ベアトリーセがそう言った事で。
「なんだと!?」
王は思わずそう叫んでしまった。
これが。
この老婆がマルテノーラ!?
王と共にこの場にいた近衛騎士や宰相も思わずぎょっと目を見開いてマルテノーラを凝視した。
「ベアトリーセ、ベアトリーセ……おかしいの。今日起きたらこんな事に……」
困り果てたように言うマルテノーラにも、どうしてこうなったかわからないらしい。
「あらそう? 予定通りだと思ったけれど」
「どういう事なの……?」
疲れ果ててしまった老女の声でマルテノーラが問う。
「真実を知りたいの? でもいいのかしら? 本当に?」
かすかに首を傾げる魔女に、マルテノーラは何かに思い当ったのだろう。
「まさか、貴方が……!?」
「あら、全部じゃないわ。私は時を操る事ができるけれど、でもそれだって自由自在じゃない。
操る範囲には限りがあるもの。
確かに私は貴方に魔法をかけたわ。
時を戻す魔法。それから、貴方の成長を早める魔法も」
「なんですって……!?」
「その、魔女殿。どういう事なのですか?」
ベアトリーセとマルテノーラの会話をこのまま聞いたところで、何が何だかわからないと思ったのだろう。エリアスが申し訳なさそうに声をかけた。エリアスが言わなければ、王が二人の会話を中断させてでも問いただした事だろう。
「真実を知りたい、という事かしら。
そうね、このままじゃ何もわからないまま年老いた彼女の扱いにも困るでしょう。
結論から言うわ。彼女が元に戻る事はない」
「そんな……なんとかならないのですか、魔女殿。
今日は結婚式なのです。それなのにこんな……花嫁として人前に出るにしても、これではあまりにも……」
今のエリアスとマルテノーラは、祖母と孫息子と言われたなら誰もが納得しそうだった。
これがひっそりとした結婚であるのならまだしも、昨日までとはがらりと変貌してしまったマルテノーラが花嫁として人前にこの状態で出たとなれば。
見世物扱いになったとしてもおかしくはない。
エリアスの内心では、こんな老婆と結婚式などと……という思いが確かにあった。
けれどもそれ以上に、マルテノーラが見世物になって周囲から色々と言われるかもしれない状況を避けたかった。だってそれはあまりにも……彼女にとっては酷い話だと思うから。
「なんともならないわよ。だってそれを選んだのは彼女だもの」
「え……?
いえ、いいえ。望んでいないわそんな事。何を言うの!?
性質の悪い冗談はやめてちょうだい」
「王様、今日の結婚式、中止にした方がいいわよ。理由はそうね、聖女様が倒れてしまったから。すぐに回復できる見込みはないから急遽中止。理由としてはそれがいい」
「ちょっと」
「だってそうだもの。仮にその身体の時間を戻したところで、すぐにこの姿に戻るわ。
それとも、原因を探って、またやり直せばって思ってる?
時を遡ってやり直せばこれも回避できるって?」
「一体どういう事なのです?」
誰もが思った疑問を最初に口に出したのはエリアスだった。
それを見て、ベアトリーセはかすかに微笑む。
「そうね、貴方は何も知らない。本来ならば死んでいた事も。この国が滅びていた事も」
魔女の言葉に王や宰相、近衛騎士までもがぎょっとした顔をした。なに、を……と小さく呟いたのは果たして誰だったか。
「本当はね、この国は滅んでいたの。
今から三か月前に。
その時に生き残った彼女に私は時を遡ってやり直すか聞いたわ。
私が巻き戻せるのは三か月が限界だから。
つまりは、今日から大体半年前に彼女は戻ってやり直したの。
本当なら魔物が発生して、次から次に現れてそれでこの国は対処に追われ疲弊して多くの犠牲が出たわ。
更には王都にドラゴンがやってきて、全てを焼き払っていった。この近くの町や村もね。
この場にいた人のほとんどは死んだわ。勿論王様も、王子様も。
生き残ったのは彼女だけ。
私はこの事態を回避できる方法を教えて、そうして彼女を三か月前へ巻き戻したの。
結果として滅びの道は回避できた。
こうして国は滅びず、多くの犠牲もでなかった。
物語ならこういうの、ハッピーエンドっていうのかしら?」
そう言って笑うベアトリーセの表情は艶やかで。
そんな場合ではないけれど、それでも思わず何名かはその笑みを見て一瞬呑まれ、直後気まずそうに目をそらした。
「こんなの全然ハッピーエンドなんかじゃないわ……!」
「あらどうして? 滅んだはずの国はこうして今日も存在しているし、死んだはずの皆は生きている。
あの日、全てが滅んだ後の真っ暗闇の中で一人途方に暮れていた貴方は、これをハッピーエンドではないというの?」
「そ、れは……」
ベアトリーセの言葉を全て否定できればよかった。
けれど否定などできるはずもない。
確かにこうして死ぬはずだった人たちは生きていて、国が滅びる道も回避された。
だが……
「魔女殿。もし時を戻せたとして、マルテがこうなる原因を取り除く事は可能なのでしょうか?」
言葉に詰まるマルテノーラの代わりとばかりにエリアスが問いかけた。
もし、まだ望みがあるのなら……そんな期待が瞳に見え隠れしている。
「無理よ。どうして今更になって私が姿を現したと思うの?」
「時を巻き戻したら、力を使った事で当分動けない、と貴方は言ったわ。ベアトリーセ。
回復したから、結果を見届けに来たのではないの……?」
「いいえ? 力はとっくに回復していたわ。
今日、この日を狙ってやってきたのはここから時を何度戻ったところでもう手遅れだからよ。
私はそれを伝えにきたの」
「それは、どういう……?」
「貴方は聖女などではない」
きっぱりと言い切ったベアトリーセに、周囲は一体何を言い出すのか、わけがわからず困惑した。
「時を戻す前に、私貴方に事態を解決できるかもしれない方法を教えたわね。
そして貴方はそれに従い実行した。
えぇ、それは良かったの。
ただ、私結界の綻びを作った原因の力を回収した後、それを誰も来ない場所に捨てる事を推奨したわ。
けれど貴方はそれで王都を滅ぼしたドラゴンを葬った。
王都を襲うかもしれないとでも思った?
回収した力をきちんと海の底や深い湖にでも沈めておけば、それでよかったのに」
「それは、それでも、もしまたあの竜がやってきたらって考えたら……とてもじゃないけど安心なんて」
「本当にそうかしら?
ねぇ貴方。
貴方の心にほんの少しでも、あのドラゴンに復讐してやろうって気持ちがあったのではなくて?
時を戻ってきて、今はまだ何もしていないドラゴンだけど、でも貴方はあのドラゴンが大切なものを奪っていった事を知っている。
今回は違っても、前回の恨みは残っている。
そして今回、思わぬ形で恨みを晴らす機会が訪れた。
ねぇ、貴方は復讐しようとなんてこれっぽっちも思わなかったのかしら?」
ベアトリーセがマルテノーラを見据える。
老婆になってしまった彼女の表情は深い皺が刻まれた事でわかりにくくなっていたが、しかし身体が一瞬強張ったのを確かにベアトリーセは見た。
「貴方にとってそこの王子さまは大切な人だったみたいだものね。
愛する人を殺されて、何も思わなかったなんて事がないっていうのは、私だってわかるわ。
でも、やり直したのであれば、その時点であのドラゴンは何もしていない状態だった。
それでも殺したのよ、貴方。
あのドラゴンが王都や各地に現れた原因を教えたのに。それらを解決したのだからそれでもう終わったのに」
「……確かに、そうなのかもしれない。
でも、許せなかった。エリアス様が死んだ時、どれほどの絶望がこの身を襲った事か……!
やり直せるって言われて飛びついたのだからわかるでしょう!?
大切なものを奪われた怒りをぶつけた事だって、後悔なんてしていないわ」
マルテ……とエリアスの呟く声がマルテノーラに聞こえていたかはわからない。
ここにいるエリアスは死んだ覚えがないので、そう言われてもよくわからないのだ。
「えぇ、そうよね。わかるわ。
大切な存在が奪われたなら、そしてその相手がのうのうと生きていたのなら。
憎いと思ったって仕方がない。
だから私は復讐に協力した。
友人の――貴方が竜と呼ぶドラゴン、アマディヤーナに」
「魔女殿、一体どういう事なのですか……?
その、時を遡ってきた、と言われても生憎体験した当事者ではないのでわからないのですが、それでも貴方の言葉が真実であるのなら、ヤッケヴェル王国は一度滅びた、という事で。
それを回避するためにマルテが時を戻ってきた。
国を滅ぼしたはずの竜をマルテが結果として倒した。
えぇ、はい、信じられない気持ちもありますが、本当なのだとして。
だとしたらそれは、マルテが竜へ復讐したことであって、魔女殿が竜の復讐に手を貸した、というのはどういう事なのでしょう」
「彼女は聖女ではない。
けれど、復讐なんて気持ちを捨てて、私の忠告に従ってあの石を捨てていれば。
貴方が復讐されることなんてなかったのにね。
二体の竜の呪いを受けて、それでよく竜の聖女を名乗れたものだわ」
「の、呪い……!?」
国王が目を白黒させて声を上げた。驚きからその声は裏返っている。
「えぇそう。呪い。
貴方たち人間はわからないかもしれないけれど、私たちにはそういうの見えるの。
だからね、一目見てわかったわ。あぁ、この人がネヴィを殺したのねって」
「ネヴィ、とは?」
「アマディヤーナの子よ。
我が子を殺された親が、復讐した。ふたを開ければそういう話ね。
ねぇ王様、貴方、ある日そこの王子様がいなくなって生きているか死んでいるかもわからなかったらどう思うのかしら? 心配くらいはするわよね?」
「う、うむ……それは、勿論」
「そんなある日、何食わぬ顔でその子を殺した相手がのうのうと暮らしているのを知ったらどう思うかしら?」
「それは勿論ただで済ませてなどやるはずが……!」
「そうよね。人間はそういうのすぐにわかるものではなくても、私たちには一目瞭然だったの。
だって彼女には、目印のようにその呪いが纏わりついていたのだから。
だから、彼女が大切にしているであろう王都と、そこに住む人たちをアマディヤーナは襲った。
時を戻してネヴィを助けるにしても、手遅れだったから。
でも、この時点で彼女は復讐されたなんて思うはずもない。
ただただある日突然災厄に見舞われただけとしか思わず、王都が滅んだ原因が自分にあるだなんて思わない」
突きつけられた内容に、マルテノーラは何かを言おうとして口を開くも――結局言葉にならなかった。
王都が滅ぶ原因が、自分にあった……!?
ベアトリーセに言われてもすぐに信じられるはずもない。
それに、呪いというのもそうだ。
呪われているのなら、では、聖女として今まで使っていた力はなんだというのか。
それこそが呪いというのなら、人々を癒す呪いだなんてそれこそおかしな話ではないか――
「ふふ、信じられないって顔してるわね。
あんなにもわかりやすい呪いだったのに、本当に人間てわからないのね。
いっそ清々しい程の無神経と言うべきかしら。
エルフだってドワーフだってハルピュイアだってニンフだって。
貴方を見たら呪われてるのなんて一目瞭然なのに。本人と同族だけが気付けない。
もしわかっていたならば、いつか身内が復讐するかもしれないと怯えていたのかしら?
いえ、そもそも呪われるのがわかっているなら、最初からあんなことしなかったのかもしれないわ」
いい事を教えてあげましょう、とベアトリーセはまるで話題を変えるように言う。
「私たちが人間に加護を与えるにあたって、勿論誰でもいいというわけではないの。
例えば力比べ。例えば知恵比べ。命がけの真剣勝負というのもあるかもしれないわ。
とにかく、そういった事をしてこちらが認められるだけの何かがあれば、力を貸してもいいと思うだけのものがあるのなら。
その時は加護となって力を与える事もあるでしょう。
そんな事をしなくても与えられる場合もあるけれど。
そういうのは稀ね。余程気に入られなければ無条件での加護なんてものは与えられない。
私たちもね、気に入った相手は贔屓するもの。つまりはそういう事なの。
どれだけ優れていたとしても、気に入らなければ加護なんて与えないわ。
だから、加護をもらいたいのなら一人の異種族に固執しないで色んな種族と出会うように努力した方がいい。……果たしてどれだけ時間がかかるかはわからないけれど。
こちらが認めた上で与える力が、貴方たちにとっての加護。
では呪い。これも区別がつかない人間にとっては加護に思えるかもしれないけれどね。
私たちからすれば全然違うもの。
こいつは敵だ、そういう印だもの。
貴方は竜を敵に回した。
そうしてそんな事実を知らないまま、聖女だなんて祭り上げられていた。
貴方が特殊な力を使えるようになったのは、ただの印よ。
こいつが自分を殺した奴だ。同族よ、どうか気をつけてくれ。同族よ、この敵を打ち滅ぼしてくれ。
そういう呪い」
加護があれば、自分たちも強い力を得る事ができる。
そう知られているからこそ、異種族に加護を望む者はいる。
しかしそう簡単に加護を与えられるわけでもないため、加護持ちはそこまで存在していない。
異種族がそもそも人前に堂々と姿を見せる事が稀なのだ。
人に紛れているといっても、それを見破る手段が人間にはないためそうなると異種族との接点などほとんど無い。
知らぬ間に気に入られて加護を与えられた、なんて人間もいるけれど、その場合加護に気付けるかは微妙なところである。
「その、呪いが、マルテに……?」
「えぇ、知らないとは言わせないわ。
私たちはいくら力を欲していても、異種族を食べたりなんてしないけど、人間はそうじゃないのね。
ネヴィがそう簡単にやられたとは思っていない。だから、きっと抵抗もできないくらい衰弱していたのだと思うの。
そして貴方は、そんなネヴィを見つけて助けるどころか殺して食べた。
結果貴方はネヴィの呪いを受けた。
そうね、ドラゴンの血や肉、心臓、そういったものってお伽噺の中では力を得る事ができる秘薬のような扱いをしていたりするものね。
確かに貴方は結果として力を得たかもしれない。竜の血肉を口にして、そうして貴方の中の魔力は増えた。そして呪いの力によって癒しの力が発現した」
「食べっ……マルテ、本当かい!?」
エリアスも流石にそこまでは想像していなかった。
確かに物語では、竜の血を飲んだとか、心臓を食べたとかで凄まじい力を得て英雄になった、なんて作品もある。
しかし実際にそんな事をする人間がいたかと言えば、まずいないとエリアスは思っていた。
竜がそう簡単に人前に姿を見せない事もそうだし、仮に人の中に紛れるにしてもその場合魔法で姿を変えるだろうから、竜だと気づかれないだろうとも。
人の姿になれる、というのは知られている。
だから、いくら人の姿じゃない時の竜であったとして。そして魔女の言葉からきっと生まれて間もないくらい小さな竜だったのだろうと思ったとしても。
いくらなんでも、殺して食べるというのはエリアスには考えもしなかったことなのだ。
例えばそれは、エルフがおなかが空いたと思った時に道端に人間の赤ちゃんが捨てられていたとして、ちょうどいいからこれを調理して食べよう、とかやらかすのと同じである。
流石にエルフはそんな事はしないだろうけれど、ざっくりいうとそういう事なのだ。
人と似た姿かたちをしていても、別の生命体だ。
とはいえ、自分と似た形状の生物を食べようとは中々思うまい。
エリアスは「美味しいですよ」と言われたとして、自分と同じような人の形をした生き物を食料として出されたとして、そうなんだ楽しみだなぁ、とどんな風に美味しいのかを想像して待つなどできそうになかった。
「アマディヤーナやネヴィは生命に関する力を持っていたから。
だから、ネヴィの呪いは癒しの魔法となった。
癒しの魔法なら、どういう理由があろうと他人に使う事に躊躇しないでしょう?
アマディヤーナはもっと単純。
ね、マルテノーラ。貴方、アマディヤーナを倒した後から異変があったのではなくて?
例えば、ちょっとした怪我が勝手にすぐ治るとか、身体の……そうね、爪とか、髪の毛とか、やけに早く成長していたんじゃないのかしら?
アマディヤーナは死ぬ間際、貴方に呪いをかけた。
貴方の体内の成長を早める呪いを。結果として怪我の治りも早まって、爪や髪の毛といったものの伸びが早くなっていった」
ベアトリーセの言葉にマルテノーラは思い当たる節しかなかった。
ネヴィの呪いはともかく、確かにあの竜を倒した後から、ちょっとした怪我はあっという間に治ったし、爪や髪は寝て起きたらぐんぐん伸びていた。
ベアトリーセの言葉がでたらめだなどとはとてもじゃないが言えなかった。
「代謝が良くなると言えばそうだけど、でもそれは正常な状態であればまだしも、呪われた状態でそれってつまりは、体内で凄まじい勢いで老化しているのよね。
それでも今までは、どうにか呪いに抵抗しようとしていたみたいだけど。
けれどもとうとう貴方の中にあった魔力は枯渇し、結果として今の貴方は無力な老婆。
こうして話をしている間にも、刻一刻と貴方は年老いていっている。
あぁ、でも安心して?
すぐに老衰で死んだりなんてしないから」
アマディヤーナの呪いは異様な回復能力ではない。
それは単なる副産物だ。
本当の呪いは不死。
アマディヤーナが死の間際に強く施した呪いは、ネヴィの呪いを取り込んでそう簡単に死ねない呪いとなった。
若い姿であったならまだしも、少し動くにも苦労しそうな老人の身体で不死となると、さぞ不便だろうなとしか思えない。
マルテノーラがベアトリーセのように魔女として魔法が使えるのなら、年老いた身体だろうと身の回りの事を自分でどうにかできたかもしれない。
けれど、マルテノーラの魔力はもう枯渇して二度と回復する事はないし、そうなれば老いた身に鞭打って自分の事は自分でしなければならない。
お優しい王子様はもしかしたら、今までの献身に報いて老いさらばえたマルテノーラの世話をするかもしれない。たとえ結婚しなくとも。使用人と小さな館を与えて、彼女が死ぬまでの面倒を見るのかもしれない。
けれど……
「アマディヤーナの呪いで貴方は死なないわ。いえ、死ねないと言うべきかしら。
貴方の見た目こそ老いさらばえたけれど貴方は不死となったの。
若返る事はできなくても、この先どんどん肉体が朽ちていっても。
アマディヤーナの呪いによって、魂だけになっても死なないで生き続けるわ」
不死、と言われて王は一瞬本当にあるのか……と言わんばかりであったが、しかしマルテノーラのような状態で不死、と言われてもな……と思い直した。
若く美しいままであるだとかであれば、まさしく理想だろうけれど。
あのような老婆になった状態で死なないと言われても、一体何を喜ぶ部分があるというのか。
若いうちなら子を産み育てるだとか、全盛期の肉体を保ったまま活動する事も容易だろうけれど。
歩くだけでもよたよたとした足取り、走る事すら難しいのではないだろうか。
若い女なら使い道はいくらでもあった。
若い男でも、不死であるなら戦場で活躍できるだろう。
だが老婆が不死と言われても。
一体何に役立つというのか。
王とて所詮人間だ。大いなる力というものに憧れはある。
ましてや、不老不死などあまりにも王道すぎる。一度くらいちらっと考えた事は否定しない。
いつまでも若いまま、永劫の時を国の頂点に君臨し続ける――
自らの治世でもって、いずれは世界を掌握できるかもしれない。人間としての短い一生であれば無理でも、不老不死となればそれが可能になるのではないか。
世界の覇権をこの手にできるかもしれない。
そんな風に、夢を見た事はあったけれど。
マルテノーラを見る。
不老不死というものを想像して、こんなにも心弾まない事、ある……?
むしろこんな状態で不死とか、どうにもならないのではなかろうか。
女性であるとはいえ既に老婆。若く美しい娘であれば使い道は如何様にもあっただろうけれど、しかし老婆では。
強い兵として利用できるような相手であれば、それこそ戦場で活躍もできただろう。なにせ不死だ。死んでも蘇り敵を滅ぼすまで戦い続ける事ができる。
だが魔女の言葉を全て信じるのなら、既にマルテノーラは聖女としての力も使えない。魔力が枯渇した以上、誰かを癒す事も不可能である。
力仕事というものは当然難しく、また針仕事などの細やかなものは……果たしてどうなのだろう?
老婆であっても目が良く見えて、耳も聞こえるのであればいいけれど、そうでなければ果たしてこの状態の彼女に何ができるというのか。
改めて考えてみても、やはり思う結果に変わりはなかった。
「時間を戻して貴方を逆行させたのは、そうするべきだと思ったからよ。
だって、気付いた時にはネヴィを救うには遅すぎた。
こちらにとっては復讐でも、貴方にとっては何もわからないまま襲われたという認識。
だから、一度はやり直す機会を与えたわ。
そうしてもし貴方が。
もし、アマディヤーナを貴方が直接殺すような事をしなければ。
アマディヤーナの呪いが成り立たなければ。
その時は私たち、諦めるつもりだった。
けれど貴方は、無かった事になった出来事の復讐を果たした。
貴方が復讐をするのなら、こちらも改めて復讐をするまでの事。
この先貴方は生き続ける。たとえ肉体が朽ちたとしても、魂になったまま転生すらしないでずっと。
魂だけだと人間に見る事はできないし、他の種族は……見える人はいるけれど、でもどうかしら。貴方に関わる人、いるかしら?
魂だけになっても呪いは残っているのだから、厄介ごとに巻き込まれたくない相手は決して近づかないでしょうね。
そうして魂が擦り切れてボロボロになって、最後に散ったとしても。
そうなった魂は転生できないから、貴方の意識が途絶えたとしても、貴方はずっとこの世界に留まり続けるの。
それは実質死と呼ぶものかもしれないけれど、でも、天国にも地獄にも貴方の居場所はないわ。死者が行くべき場所に貴方が行く事は決してないの。
それが、我が子を殺され食べられてしまったアマディヤーナが望んだ、貴方への復讐よ」
そこまで言うと、ベアトリーセは席を立った。カタリと小さな音を立て、椅子が動いた直後には、もう魔女の姿は消えていた。
「魔女殿!?」
エリアスが呼び止めようとした時点で、既に遅かった。
周囲を見回したところで既に魔女の姿はない。魔法で姿を消して隠れているというわけでもなさそうだった。
それでもまだどこか、近くにいないだろうかとエリアスが窓の外を見ようとしたところで。
天井からひらりと一枚の紙が落ちてくる。
ひらひらと不規則に落ちてくる紙をどうにか手に取ってエリアスはそこに書かれた文字を読む。
「ドラゴンの呪いは強力で、他の種族が関わろうと思う事はほとんどない。
彼女と共にいる限り、他の種族が貴方たち人間に協力する事は決してないと思いなさい。
私たちの復讐は終わったけれど、その存在を疎んで他の種族が敵に回るような事になる可能性がないなんて事、私は断言できないわ……だって……!?」
エリアスが読み上げた内容に、国王も宰相も近衛騎士も、反射的にマルテノーラへ視線を向けていた。
竜の聖女。
今まで人々を癒してきたのは事実である。
しかしその力の根源が、呪いによるものであったと明かされた今。
そして魔力が枯渇し、もう癒しの力を使う事はできないと明かされた今。
聖女としての力も使えなくなり、異種族が見れば呪われているというのが明らかになった老婆。
それが、マルテノーラである。
外側から扉がノックされる。
「あの、陛下? そろそろ結婚式の準備をしなければ間に合わなくなりそうなのですが……?」
外側から声をかけたのが誰であるかは中にいる者たちからすればどうでもよかった。
マルテノーラの今後についてどうするべきなのか……と悩んでいたが、そもそも悩む時間などほとんどなかった。
本来ならば、とっくにマルテノーラはドレスに身を包んで準備を整え、同じようにタキシードを着たエリアスを待っていた事だろう。そうして結婚式が行われるはずだった。
マルテノーラの身の回りの世話をしていた者たちは既に老婆となったマルテノーラを見ているし、彼女がそうだとわかっているけれど、他の者たちにまでその話は広まっていない。
だからこそ、エリアスがマルテノーラを連れてここまでやって来た時も、あの老婆は誰なのだろう……? という風に見ていた者はいても、それがマルテノーラであると知っていた者はいなかった。
刻々と時間は過ぎていく。
いつまでもこのままでいるわけにもいかない。
マルテノーラが若返る事などないと認めるしかない今、結婚式などどうしてできようか。
竜の聖女マルテノーラ。
彼女はこの国に無くてはならない存在になっていたけれど。
しかし、今の彼女がエリアスと結婚したとして、世継ぎを生むなど不可能だろうし、ましてや王妃としてエリアスを支えていけるかなど……考えるまでもない。支えられるばかりで、支える立場に回る事は難しいだろう。
王位継承権を持つ者は他にもいるけれど。
だがしかし、今のマルテノーラとエリアスを結婚させるのは……
王の悩みは長く続かなかった。
「竜の聖女……いや、竜に呪われし者マルテノーラよ……
非情であろうが、余は王として決断を下さねばならぬ……
此度の式は中止とする――」
もしエリアスが今のマルテノーラと生涯を共にすると誓ったとしても。
王として、それを許すわけにはいかなかった。