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やり直す話  作者: 猫宮蒼
3/8

望まれた未来



 幸いにして、というべきだろうか。


 ベアトリーセの見立てはほぼ当たっていた。

 各地でそれぞれの種族が施していた結界の在処を見つけるのに少しばかり手間取りはしたそうだが、それでもどうにか発見し、騎士たちは見事結界を修復させそこにあった何者かが仕掛けた綻びの術の残滓を回収してきてくれた。


 彼らが持ち帰ってきたそれを、後はこれを浄化するだけ、と言って受け取って。

 この時点でマルテノーラの目的の半分は達成できたと言ってもいい。


 そして時間もまた、時を戻ってから二か月が経過していた。

 あの絶望を迎えた日まであと一月。

 しかし前回とは圧倒的に違う。

 前回はこの時点でマルテノーラは既に聖女として人々を癒すために王都を出発しいくつかの町や村を巡っていた。そうして一月後、ようやく王都へ戻ってその途中で異変に気付き馬を急がせ――


 滅びた王都を見た。

 既に息をしてすらいない愛する人を見た。


 前回の二か月前の会議の時点では、そこまで危機感がなかった。

 けれどもそこからあっという間に魔物が増えて、そうしてヤッケヴェル王国は後手に回り続け――滅びた。

 各地を巡り癒すといっても、王国全土を巡ったわけではなかった。

 あくまでも、王都周辺。


 それでものんびりと旅をしていたわけではなかった。

 王国の辺境に位置する町や村までは巡りきれずとも、あの時点では確か増え続けた魔物から逃げるように王都へ人が集まりつつあった……という噂だけは耳にしていた。


 確かに、思い返してみればそれ以前に立ち寄った時よりも顔ぶれが変化していたような……とは思う。

 ただ、前回は既にマルテノーラもかなり疲弊していたからどこかから逃げてきたのだろうなと思うまでにそこそこの時間を要した気がする。


 ヤッケヴェル王国はそれなりに広くはあるが、しかし未開の土地も多いため人が移動できる場所は限られている。森の奥深くにエルフが住んでいる事も、北の山にドワーフが暮らしている事も、ベアトリーセに言われなければ知らなかった。それは、あまりにも自然の奥深い土地へ行くとなると魔物と遭遇した場合危険だからだ。

 各種族たちが作った魔物除けの結界があると言われても、その結界の効果範囲外の部分で魔物と遭遇すれば命の保証はない。

 あくまでも彼らは自分たちの生活している範囲の安全だけを確保しているので、そこから外、それ以外の人里へ続く道まで結界を施す必要がないのだ。

 ベアトリーセの話ではそういった種族が人里へ姿を見せる場合、人間に見せかける変身魔法もそうだが、道中で魔物と遭遇しないための魔法を使っているらしく、途中の道にまで結界を張り巡らせる必要が無いのだとか。


 だからこそ王都以外の町や村の場所は限られている。

 本来それらすべてを巡るとなるともっと時間がかかるものだが、しかし周辺の町や村だけを急いで回るだけならば、三か月でどうにかなりはした。

 どうにか、といってもかなりの強行軍だったが。


 前回マルテノーラが王都で絶望を見た時、彼女は一人ではなかった。

 護衛がついてはいたのだ。

 しかし王都の異変を感じ、ここまでくればあと少しだからと護衛騎士に先行させてあの時彼女は一人だった。


 ……そういえば、とふと思う。

 先に行かせた彼らはあの時どうなっていたのだろうか。

 既に滅びた王都を見て絶望したのはそうだろうけれど、後からやってくるであろうマルテノーラと合流しよう、としたとしても。

 あの時そうはならなかった。


 では、もしかしたら竜が襲う以前に他の魔物にやられたか、それとも竜が暴れた際に被害に遭ったか……

 どちらにしても生きていたとは思えなかった。

 既に時間を巻き戻った今となっては、考えたところでどうなるものでもないけれど。



「これならどうにか間に合いそうね……」


 ともあれ、各地で結界が施された祠を見つけた彼らは、あらかじめ言われていた通りにマルテノーラが渡していた石を使い結界を修復してみせた。

 結果として魔物たちの発生はほとんどなく、周辺の町や村が襲われたという報告も前回とは打って変わってほとんどない。

 既に発生した魔物に関しては騎士たちが倒している。前回はどちらかというと魔物を倒しつつの調査が目的だったが、しかしその調査をする以前に魔物の数が多すぎて被害が多く出てしまった。

 けれども今回は結界が無事に直ったために前回の被害はほとんど無いと言ってもいい。


 前回は既にマルテノーラも馬に乗り各地を大急ぎで回って人々を癒していたけれど、今回は王都で彼らの報告を待つために神殿で日々過ごしていた。複数の隊に分けて派遣された騎士たちが一斉にそれぞれの結界のある場所へ向かい、そうして修復し戻ってくるのに流石に全員同時に戻ってきたわけではないけれど、報告を聞くためにマルテノーラも度々城に移動していたし、その間にエリアスと話をする事も増えた。


 前回は、王都を出て三か月エリアスと話をする機会がないまま、そうして戻ってきてみれば既に物言わぬ骸である。


 身分を考えればマルテノーラが王子と結婚など本来ならばできないが、聖女になった事でそれは叶った。

 だが、肩書に甘えていてはすぐにその立場からも追われる事をマルテノーラは理解していたからこそ、各地へ移動し聖女として精力的に活動していたのだ。


 前回だって、戻ってきたらいよいよ結婚式が間近だった。

 前回は、魔物が発生したと言ってもそこまで大きな被害にならないだろうと思っていたし、この戦いが終わればようやく状況も落ち着くだろうから、結婚式はそれからにしよう、となっていたのだ。


 前回は結婚式どころではなかったが、今回は違う。


 既に魔物に関して事態の終わりは見えてきたのもあるために、結婚式は無事に挙げる事ができそうだ。

 前回予定していたよりも早く、行われるかもしれない。

 既にドレスは用意されている。

 細かな部分の修正も終えて、あとは式を待つばかりだ。

 魔物が人里に現れるようになった異種族が作っていた結界の綻びにいち早く気付き、そしてそれを修復する術をもたらした事で、マルテノーラの聖女としての名はより広まるようになった。


 結界が無事に発動しているなら、その近辺の町や村はほぼ安全である。

 かつてあのあたりに町や村が作られた時は、この辺りにはあまり魔物が寄ってこないな……ここなら多少安全か……みたいな感じだったと言う。当時を生きていた者は既にいないが、それでも書物に残された情報からそう読み取れた。


 何か知らんが安全だったとかいうふわっとした理由だったそれは、マルテノーラのもたらした情報によってハッキリとしたものになった。

 一応安全っぽい、というのが結界のおこぼれとはいえほぼ安全である、に変わっただけとはいえ、それはかなり大きい。

 理由がわからなければいつやってくるかもわからぬ魔物へ対策を練るにしても、見当違いなものだっていくつかあったが結界が近くにあるから安全であるとなれば。

 その結界が施された周辺の見回りなどを強化し、再び結界に綻びが出ないよう注意すればいいだけの話だ。

 守りを固める場所がはっきりした事で、そこに住む者たちも効率的に巡回し異変に気付けるよう対策がとれるようになる。


 前回のように、魔物に襲われた事で怪我をして、それを治すために使われる薬が不足するという事態も今回はなかった。

 事前に対策した事で被害者はぐんと減ったのだ。


 直接巡って人を癒す事をしたわけではないが、事前にそうなるのを防ぐ事ができたのも聖女によるものだとなって、聖女の名声はより高まった。


 エリアス王子は素敵な人で、だから彼と結婚したいと願う貴族の娘たちは聖女が失脚するのを願っていた部分もあったと思う。

 流石に聖女を直接的に害するような真似こそなかったが、あわよくば……というのが透けて見える時はあった。だからこそ、マルテノーラは人気稼ぎであろうとも、聖女としての活動を精力的に行い民衆を味方につけた。


 前回のように目に見える癒しの力を使って、という事はなかったがそれでも複数の町や村の平和に貢献した事で、そして異種族の作った結界についてエリアスたちも知った事で。

 前回以上にマルテノーラの名声は一層強くなったと思える。


 前回を知っているマルテノーラはともかく、そんな事を知らない者たちから見ても、多くの町や村が救われたのだ。あのまま結界の事を知らなければ、いずれ町や村は魔物に襲われ多くの人々が死に、多くの民が死ねば税を納める者も減り、貴族たちの暮らしもままならなくなっただろう――と考えた貴族たちはそれなりにいた。


 何より、エリアスが聖女により一層熱い眼差しを向けるようになった。

 これで聖女を陥れようとすれば、最悪それを実行しようとした者だけではなく連座で処罰されてしまうかもしれない。


 エリアスに憧れを抱く令嬢たちは、憧れを捨てきれないままそれでも聖女との事を祝福するしかなくなってしまったのだ。



「――できたわ」


 各地で結界の修復に使われた石。

 ベアトリーセのできれば当たってほしくはないけれど……という考えは困った事に当たってしまった。

 経年劣化で結界が壊れかけていたわけではなく、何者かの妨害がされていたのだ。

 石はそのための魔法が封じ込められた状態でマルテノーラの元へ戻ってきた。


 もし、そうなっていたのなら。

 それはきっと何者かがあのドラゴンを利用するために用いた可能性が高い。

 その目的が何なのかはわからないけれど。

 ヤッケヴェル王国を滅ぼすのが目的だったのか、それともヤッケヴェル王国が滅んだのは他の目的の副産物だったのか……黒幕の考えはわからないが、それでもあの竜がいなくなれば国の危機は去ったと言えるだろう。


 竜という強大な存在が残り続ければまたそれを利用しようと考えるかもしれないが、そもそも竜がいなくなれば、少なくとも強大な力を利用して何かをしようとは考えられない。

 ヤッケヴェル王国を滅ぼすにしても、そうなれば森の奥深くに住むエルフや、北の山にいるドワーフ、それ以外の場所で隠れ住むようにしている他の種族の力を借りるにしても、確かに彼らは人間から見て強大な力を持つとされているが、しかし竜には及ばない。


 であれば、国は安泰である。


 あの竜さえいなければ。



 結界を修復した事で、今マルテノーラの手元にある石に何者かの悪意がこもった術の残滓が集められている。


 これを、それこそ誰の手にも渡らない場所に捨ててしまえばあの竜は王都を襲いに来ないだろうとベアトリーセに言われても、それでも安心できなかった。

 ベアトリーセはあのドラゴンは恐らくシェルヴァ山脈に住むドラゴンだろうとも言っていた。


 シェルヴァ山脈。

 マルテノーラがかつて暮らしていた故郷から更に南にある山々。

 険しい山で、山の麓には魔物が多く生息していると言われていたので、誰も近づこうとはしなかった。


 山の向こうにヤッケヴェル王国とは別の国があるけれど、山を越えての交流はなかった。

 山の麓には魔物が。そして山頂はドラゴンの縄張りと言われているのだ。

 そんな山を越えるなど、命がいくつあっても足りない。


 なので実際お隣の国ではあるけれど、そちらの国との交流はほぼ無いと言ってもいい。

 山を越えずにお隣の国へ行くとなれば、海を渡りぐるりと回りこむようにして行かなければたどり着けないのだ。


 正直どちらの国にとってもそこまでして頻繁に交流しようとまでは思わなかったらしく、そちらの国との関係はそれこそ大陸が二つくらい離れた他の国と同じくらい薄かった。

 シェルヴァ山脈に魔物やドラゴンがいなければ、恐らくは山を越えての侵攻もあったかもしれない。

 奇しくもどちらの国にとってもあの山は隣国の侵攻を防ぐ守りとなってしまっているのである。


 たとえあの竜が本当にシェルヴァ山脈で過ごしていたとしても。

 あの竜がいなくなったからとて、隣国があの山脈を越えてこちらに侵攻しようとはならないだろう。

 竜がいなくなれば今度は魔物が麓から更に縄張りを広げるだけだ。


 魔物たちは竜を怖れている。

 力の差がありすぎるが故に、自ら死にに行くような真似はしない。


 だがだからといって魔物たちは人里に侵攻もしていない。

 それは、他の種族が作った結界が作用しているからなのだろう。

 結界の効果範囲外にいる人間たちを魔物は狙っている。

 そう考えると、今までの事もほとんど納得がいくものだった。



 ベアトリーセに教えられたとおりに、石の中に封じ込められた残滓を一つにまとめていく。

 そうして最後にマルテノーラの魔力を集めて覆うようにすれば、魔女の言葉のとおりに一つの石が出来上がった。


 黒い石は、まるで王都を襲った竜のような暗く深い色をしている。

 黒は黒だと思っていたが、しかし明らかにこの黒はマルテノーラが今まで見てきた黒の中で最も濃いものだった。


「あと、少し。

 あと少しで、ちゃんと終わる……!」


 これをもし、誰も来ないだろうと思っている場所へ捨ててきたとしても。

 本当にそうとは限らない。


 人ではない種族がたまたま拾い上げ、そうして何かに利用するかもしれないし、そうでなくとも、またどこかの人里に捨てられないとも限らない。自分の生活圏から追い出すように捨てた先が、他の種族の住処である可能性はどうしたってあるのだから。


 そうなった場合、そちらへ竜が向かったとして。


 犠牲になった場所に暮らす種族によっては、何者かの陰謀を感じ取るかもしれない。

 結果として人間たちが原因だとなったなら。

 きっと、その時彼らは報復に出るだろう。


 人よりも強力な力を持つ種族の多くは、それぞれの暮らしをして積極的に人と関わるような事はない。

 だがそれらが一斉に人間に敵意を持って襲ってくるような事になれば。

 竜が王都を襲った時ほどではないにしても、それでも、多くの犠牲は出るだろう。


 ――いいや、そんなのは建前だ。

 本心でマルテノーラはどうしてもあの竜が許せなかった。


 大切な場所。大切な人。それら全てを奪っていったあの竜が。

 殺してやりたいくらい憎かった。


 自分にそれだけの力はない。

 思うだけで殺せるのなら、世の中の全ての生命はとっくに絶えているだろう。

 けれども。

 ベアトリーセが教えてくれた方法。

 竜が暴れまわる原因になったであろうこの力。

 少しばかり手を加えて、その力をあの竜を滅ぼすために使えるように変化させた。

 やり方は思っていたより簡単で教えられた時、実は拍子抜けしたくらいだけれど。


 けれど、ただの人間にはできないのだと言われた。

 他の種族から加護を与えられ、魔法を扱えるようになったマルテノーラだからこそできるだけで、加護も与えられていない魔法を扱えないただの人間であれば、確かにこんなことはできなかった。


 前回の絶望を迎えた時まであと一月。

 それまでにすべてを終わらせたい。


 そうして全ての憂いを払った先で、ようやくエリアスと結ばれるのだ。


 ぎゅっと、竜を滅ぼす力を秘めた石を握り締める。


 あの竜が本当にシェルヴァ山脈にいるというのなら、近くにいけばあの竜はきっとこの石の力を感知して、そうしてやって来るのだろう。

 前回は各地の結界の綻びが原因だった。時間の経過とともに綻びも強くなっていった事で、あの竜にとって不快な何かを感じ取りそうして暴れた。

 けれども今回はその不快の原因はこの石だけだ。

 ヤッケヴェル王国のあちこちの町や村を焼き払われる事もない。


 結界を修復した後で、この力を浄化するための儀式をするとあらかじめ伝えてある。

 それが終われば、この国に平和が訪れる事も。


 流石に聖女一人で行動させるわけにはいかないと護衛はつけられるだろうけれど、儀式の間だけ一人にしてもらえればそれでいいと言ってある。

 シェルヴァ山脈に近い町。

 すっかり寂れてしまった、かつての幼いマルテノーラが過ごしていた場所。


 急げば行って帰ってくるだけで大体一月はかかるだろうけれど。

 前回と違い今回は戻ってきたら竜に滅ぼされるだなんてことはない。


「今度こそ守ってみせる……!」


 慣れた様子で旅支度を済ませ、そうしてマルテノーラは神殿を出た。

 前回のように帰ってきたら全てを失っていたなんて事にはさせない。

 今度こそ幸せになるのだと。

 マルテノーラの瞳には強い決意の光が宿っていた。




 ――馬車でのんびり進むのであれば、目的地まで行くだけで一月かかっていただろう。

 けれども悠長にしている暇などないとばかりにマルテノーラは馬に乗り、そうしてかっ飛ばした。


 結界に綻びを生じさせた原因の、不穏な力を閉じ込めた石の浄化。

 そのままにしていては魔物がこれに吸い寄せられるようにやってくるかもしれない、人間からすれば恐ろしい力。

 使い道によっては邪魔なやつを排除できるかもしれないが、結果発生した魔物を対処しきれなければ仕掛けた側も破滅は免れない。

 自分の手に余る力を秘めた災厄を閉じ込めたような石の事は、国からしても早急にどうにかしたいというのが本音だった。


 だからこそマルテノーラが急ぎ馬で駆けていく事には誰も反対しなかった。

 精々、そんなマルテノーラの護衛にあたる騎士が若干苦労するくらいだ。

 だがそれで結果的に王国に平和が訪れるのならば、原因もわからぬまま増え続ける魔物と戦い続け疲弊し命を落とすかもしれない状況と比べればマシな方だろう。


 一刻も早く王国に平和を。


 そんな気持ちでマルテノーラは多くの者たちに見送られた。


 彼女が無事に戻ってくれば、その後に待っているのは王子エリアスとの結婚だ。

 聖女がこの国の王妃となる。

 国を平和に導いた聖女が、この国を守り続けてくれるというのは民にとっても待ち望むべき事であった。


 道中馬を休ませる必要はあったけれど、それでもかなり急いだ事で目的の場所にたどり着いたのは出発してから十二日目の事だった。

 行きは下手をするとこの力によって他の魔物が呼び寄せられるのではないか、という思いもあった。

 けれどもマルテノーラの力で纏め上げたそれは、他の魔物には感知できなかったのだろうか。懸念していた程魔物と遭遇する事はなかったのだ。

 それもあって、思っていたより少しだけ、目的地へ到着したのだとも言える。


 寂れた町は、人がほとんど住んでいなかった。

 それでもかろうじて営業していた宿で部屋をとり、そうしてマルテノーラは儀式のための準備をするからと言って、町はずれへ一人で向かう。

 護衛としてつけられた騎士も本当はついていきたかったが、この儀式は今までやったことがないから失敗しないためにも、なるべく一人でと言われてしまえば無理に同行もできない。

 離れた場所で待機するのが最大限の譲歩だった。


 護衛は町の出口部分で待機して、マルテノーラは見送られる形で町を一度出た。

 そうして進み、シェルヴァ山脈が良く見える位置に立つ。


 幼い頃、この辺りはまだ少しだけ木があって、小さな森のようになっていたっけ……そんな風に思いながらも、シェルヴァ山脈を見上げた。

 ここからでもよく見えるが、実際に麓まで行くとなればかなりの距離がある。

 幼い頃はあの山の向こうに何があるのかもわからなくて、想いを馳せた事もあった。



 物心ついた時には家は没落した後で、貧しい暮らしをしていたマルテノーラはよく食べ物を求めてこの辺りまで来ては、木に生っていた果実をどうにかして落としては拾い集め、それで飢えをしのいでいた事だってあったけれど。


 今はそれらの木々もすっかり伐採されてしまって、随分と開けた場所になってしまっている。


 幼いころはもっと大きな森だと思っていたけれど、今見るとそうでもなかったのだな……と感傷にふけりながらも、マルテノーラは石を掲げるように空へと向けた。


 ベアトリーセは恐らく綻びの力を感知したなら、嫌でもあのドラゴンは誘き寄せられるでしょうと言っていたから。

 そうしてやって来たのなら、その時にこの石の力を解放すれば。

 ドラゴンに致命傷を与える事になると言われたからこそ、慎重にタイミングを見計らって、とも言われた。


 危険な目に遭うくらいなら、その石を誰もやってこないような場所に捨てる方がいいとも言われていたけれど。それこそ住処のシェルヴァ山脈の麓あたりに捨ててしまえば、魔物相手に暴れて石の力がそのうち薄れたら後はもうそれで終わるとも言われはしたけれど。


 自分から大切なものを奪ったあの竜がのうのうと生きているのが許せなかった。

 今回はまだ奪っていないけれど、それでももしあの時、ベアトリーセが暗闇の中孤独に震えるマルテノーラの前に現れなければ。

 あの竜は、そんなマルテノーラの絶望を知らずに生き続けていたのだろう。


 強者に弱者の気持ちなどわかるはずがない。

 踏みにじったものが取るに足らないものだとしか思っていないに違いない。

 だが、その踏みにじった取るに足らないものは、他の誰かの大切なものだった。


 きっと、今までにだってそうやって誰かの大切な何かを踏みにじってきたはずのあの竜に。


 今こそ報いを与えるのだ。


 これが聖女として相応しくない思いであったとしても。

 それでもマルテノーラはその道を選んだのだ。



 影が落ちる。

 まだ明るい時間であるのに急に暗くなり、マルテノーラは空を見上げた。


 竜だ。


 竜がその翼を広げ、旋回しつつもこちらへと近づいてきていた。



 町の入り口で待機していた護衛たちが駆けつけるまでの間に、決着をつけてやる。

「覚悟、しなさい……!」


 マルテノーラは躊躇わなかった。

 今更躊躇うなど、するはずもない。


 タイミングを見計らって、そうして。


 ここだと思ったその時に、マルテノーラは石の力を解放した。

 石から解放された力は光となって竜を貫く。

 悠々と飛んでいたはずの竜は、その直後に力を失ったかのように墜落した。


 ある程度マルテノーラに近づこうとしていたからそこまでの高度はなかったけれど、それでも竜の身体が墜落した時の音は凄まじく、こちらに駆け付けようとしていた護衛が思わず足を止めるほどだった。


 マルテノーラが立っている位置よりやや離れた前方に落下した竜はまだ僅かに息があるらしかったけれど。


『……娘ヨ……』


 その巨体とは似つかわしくない程細やかな声だった。

 それが竜から発せられたとマルテノーラはすぐに気付けなかった。


「喋った……!?」

 そして気付いて驚く。


『我ガ……願イ……』


「何よ、まさか命乞い!?」

『成就、セリ……』

「えっ!?」


 どういう事かと問うよりも早く、竜の身体が崩れていく。

 ぼろぼろと、乾いた泥が剥がれ落ちていくように。


 てっきり助けてくれとかそういう事を言うのかと思ったのに、願いが叶ったというような事を言っていた。

 どういう事かと問いかけようにもその時には既に竜の身体はほとんどが崩れていて。

 竜の頭もその時には落ちて崩れて消えてしまったので。


「聖女様!」

「ご無事ですか!?」


「え、えぇ。問題ないわ」


 護衛が駆けつけてきた時には、マルテノーラが決意したように決着はついていた。

 一瞬だがかすかにマルテノーラの身体が淡い光に包まれた事は、昼の明るさによって誰も気づかなかった。

 マルテノーラ自身も気付けなかったのである。

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