見出した希望
沈んでいた意識がふわりと浮くような感覚。
同時に周囲が騒がしくなった。
ぱち、と目を開ける。
マルテノーラがそうして見たものは、賑わう王都だった。
広場にある時計塔が見える。
時間は昼。
明るく、少し前までの真っ暗闇が嘘のようだった。
……否、嘘ではない。
三か月後の夜には、あの暗闇が訪れるのだ。
三か月、本当に巻き戻ったのだろうかと一瞬疑って早速確認してみたが、どうやら本当に三か月前に戻っていた。
もっと正確に言うのなら、三か月ぴったりではなく、それプラス半日ほどが巻き戻っていた。
この頃から各地で魔物が発生し、人里を襲う事件がそこかしこで報告され、騎士団も事態の解決に奔走し始める事になる。
今はまだそこまで忙しくはないが、これから忙しくなるのだ。
そう、前回はただひたすらに魔物が出た場所に騎士を派遣し討伐をして、それの繰り返しであったけれど。
そうして徐々に疲弊したところで王都にまで魔物がやってきて、それでも。
それでも、魔物だけならまだどうにかできたはずだった。
そこに竜がやってこなければ。
魔物だけなら、下手に外に逃げたりしないで建物の中に隠れたりするだけでも安全だったはずなのだ。
勿論絶対に安全とは言わないが、それでもあえてドアを開けて中に入ってくるような魔物ではなかった。
体当たりなどで壊れた建物の中に入り込む魔物はいたかもしれないが、わざわざ建物を壊そうとするほどの知恵があったわけでもない。
余程建物の中から美味しそうな匂いがしていたのであればともかく、そうでなければ建物の中で息を潜めているだけでも助かるはずだったのだ。
だが、竜はそれを嘲笑うかのように、全てを壊していった。
最初から竜が現れていたのなら。
被害が出る事は免れないがそれでもどうにかして逃げ出していただろう。
逃げられるかどうかはまた別の話になるけれど。
地下に隠れる事ができれば。
ブレスが届かない場所であったなら。
助かる可能性は存在していた。
今度は助けてみせる。
あの悲劇をまた起こしてなるものか。
マルテノーラは決意を新たに神殿から王城へ行くため、馬車に乗った。
魔物たちによる被害で各地で多くの怪我人が発生した、という報告がくるのは今からもう少し後の話だ。
普段であれば、怪我なんて薬草や回復薬で治すのだけれど魔物によって多くの被害者が出てしまい、小さな村や町では薬が足りなくなってしまった。
だからといって放置していては、民が減っていくばかり。
魔物が減った後で、民までもが減ってしまえば働いて税を納める者たちが減るわけで、それはつまり国全体の損失である。
もう働く事のできないくらい年老いた老人ばかりが被害に遭った、とかであれば見捨てるという可能性も出ただろう。
けれども前回マルテノーラが向かった先で癒した者たちは、老若男女問わずであった。
怪我が治れば働く事ができる者たち。
今はまだそれができずとも、成長すれば可能になる幼子。
それらを見捨てるわけにはいかなかった。
マルテノーラは聖女で、いずれはエリアスと結婚する。
彼が治める国で、民がいなくなるような事になってしまってはならない、と前回マルテノーラは自分の限界を超える勢いで治療に回ったのだ。
結果は……あの有様だったけれど。
もしあのままマルテノーラがこうして時を逆行する事なく過ごすことを決めていたのであれば。
あの後果たしてどうなったのだろう。
王都だけではない、近くの町や村にもどうやらあの竜は襲いに行っていたようだし、ヤッケヴェル王国のほとんどはあのまま竜に滅ぼされていたと言われてもおかしくはない。
愛する者を失ったマルテノーラがあのまま生きていくにしても、希望を失った状態で何をしていたか、何ができたか……こうして今考えてもやはりわからなかった。
ベアトリーセが時を戻すという提案をしてくれなければ、きっと自分は心が死んだまま生きていたに違いない。竜を倒そうと考えるにしても、マルテノーラがそれを達成するには難しすぎた。
長い年月をかけても成し遂げられない可能性が高すぎて、であれば鬱々と日々を過ごしていくだけであるような気がする。
そうならないためにも、最愛の人を今度こそ失わないためにも。
マルテノーラはここで失敗するわけにはいかないのだ。
ヤッケヴェル王国内に現れた魔物をどうにかできれば、少なくともあの竜が現れた日、王都にはもう少し騎士がいたはずだし、そうなれば王都に現れた魔物だってもっと早くに倒せていた。
そうすれば、もしかしたら竜が現れた頃には民の多くを避難させる事もできたかもしれない。
竜が現れる前兆があれば、もっと早くに人々を逃がせたかもしれない。
各地で魔物が出なければ、マルテノーラだって人々を癒すためにと馬であちこち駆けまわる必要はなくなる。
そうであれば、エリアスと共にいられた。
王都に戻ってきて、最愛の人の死を目撃するなんて事……仮に共にいたとして、それでも竜に勝てなくとも。
(ダメね……切り替えなきゃ。それはもう済んだ話で、まだ訪れていない話。
今度はそうならないようにしないといけないのだもの……)
ぎゅっと手を握り締める。
ベアトリーセから教えてもらった事はちゃんと覚えている。
大丈夫。きっと、大丈夫。
――城についてマルテノーラはエリアスの元へと案内された。
近隣で、今まで以上に魔物の目撃情報が増えてきたから警戒しつつあった頃だ。
何かあってからでは遅いとなって、兵は派遣されていたがそれでも被害を抑えきれず騎士たちが討伐隊を組み出陣する流れとなったのだ。
それでも、前回はこの段階では兵を派遣するだけで問題ないとされていた。
あの時はエリアスも、マルテノーラだってそれで問題ないと思っていたのだ。
「マルテ」
「エリアス様……!」
案内された執務室。
マルテノーラの姿を目にしたエリアスが目を細め、柔らかな声で呼ぶ。
そんな彼の姿に。
マルテノーラは思わず泣きそうになった。
いくら時間を逆行してきたとはいえ、それでもその前に見たエリアスは既に物言わぬ骸だったのだ。
もう二度とマルテノーラの名を呼ぶことも、こちらを見て微笑む事も、触れ合う事すらも、何もできない。
最後に触れた彼はすっかり冷たくなっていて。
いくら覚悟をきめたといってもマルテノーラにとっては昨日の今日だ。すぐに気持ちを切り替るのは難しく、そのせいでエリアスは、
「何か、あった?」
前には口にしなかった問いを投げかけたのである。
「いいえ、いいえ。何でもありません」
「そう? 何もないのならいいんだ。
けれどマルテ。どんな些細な事でもいい。君は気持ちを閉じ込めてしまう悪い癖があるからね。
思った事や疑問に感じた事はどんどん言葉にして欲しい」
「は、はい……っ」
「うん、それじゃあ早速話し合いといこうか」
「そうですね」
前回とは少しばかり異なるやりとりになってしまったが、これくらいなら大丈夫だろう。
これから何が始まるかと言えば、会議である。
現時点ではまだ魔物が発生したといってもそこまでではない。
それでも被害に遭った町や村はあるし、今はまだ薬草や回復薬で怪我を治す事もできてはいるけれど、この先それすら難しいくらいに魔物はやってくる。
騎士たちだってそうやって各地に駆り出されて、疲労が溜まってそのせいで思わぬ怪我をした者たちだっていた。
後々の事を考えるのであれば、早い段階でマルテノーラが癒しに回りそれぞれの町や村にある薬の消費を抑えておくだとか、そういう方向に話を持っていくべきなのだろう。
しかし――
「あの、いいでしょうか?」
「どうしたんだい、マルテ」
「その、魔物の発生についてはどこから、だとかどうして、だとかそんな疑問を口にするのは今更だとわかっているのですが。
魔物除けの結界についてはどうなっているのかなと思いまして」
「結界?」
マルテノーラの言葉に疑問符を飛ばしたのは騎士団長だった。
「はい。我ら人間が扱える秘術ではありませんけれど、しかしこの辺りはかつてエルフが暮らしていた森があった場所です。
今はもっと奥へ移り住んだと言われていますが、それでもこの辺りには魔物が近寄ってこないような結界があったはず。だからこそ今まで魔物は現れなかった。
でもここに現れたという報告があるのなら、結界に何かあったのではないかと思いまして」
「エルフたちが結界を壊した、もしくは破棄した、と?」
「その可能性もありますが、どちらかといえば我々が知らぬ間に壊した可能性の方が高いのかも。
エルフたちが森の奥に移り住んだとしても、この辺りはそれでも以前住んでいた場所。何かの拍子にまたこちらに戻ってくるつもりだったかもしれないのなら、結界はあった方がいい。
だって魔物に荒らされずに済みますもの」
「確かに二度と戻らないつもりならともかく、安全地帯をあえて狭める必要はない、か……」
「もし、誰かが何もわからないまま壊したりした結果、そこに魔物が近寄る事ができてしまった、というのであれば」
「その結界を修復できればここら一帯に関しては解決できる?」
「その可能性はあるかと」
「……殿下」
「あぁそうだね。まずはきちんと調べるべきだろう」
「それから、こちらも。
ここにはかつてドワーフが暮らしていた炭鉱がありましたけど、こちらも北の山へ引っ越してます。
魔物除けの結界は確か……何かの折にこの辺りで作られたお酒を買いに来るかもしれないから、とここも残ってるはずなんです」
「そう、なのか……?」
「はい。なので、ここにも魔物が出たというのなら、やっぱり結界に何かがあったとみるべきかな、と」
初耳だ、と言わんばかりの騎士団長に、マルテノーラは机上に広げられた地図の、ここと、ここも、と指をさしていく。
ヤッケヴェル王国にはいくつかの人ではない種族が暮らしている。
そうはいっても普段は人前に姿を見せないし、見せても人が暮らす街中で一緒に過ごすという事はほぼないけれど。
それでもいる事は確認されているのだ。
そういった種族と争う事になれば滅びるのはこちらになる可能性が高いので、森を切り拓くにしても細心の注意を払わなければならない。
しかしそういった種族にとっても魔物は面倒な存在なので、基本は近寄れないよう結界を周辺に施しているのだ、とベアトリーセは言っていた。
戦って勝てない相手じゃないけれど、でもいちいち相手にするのが面倒。
人間たちよりも力を持った種族にとって、魔物というのはそういう認識なのだそうだ。
前回のマルテノーラはそんな事実など知らなかった。
森の奥深くや人が滅多に立ち寄らない山、洞窟の奥深く、そんな場所に暮らす力持つ者の存在を知ってはいても、わざわざ確認しようとそういった場所に足を踏み入れるなどしようと思った事はないからだ。
そうでなくとも、同じ国に暮らしているとはいえ他の種族にとっては同じ国の民という認識がない。
人間たちが勝手に作った里。あくまでもそういうスタンスだ。
人間たちと関わる事に忌避感がない者たちとて、そのままの姿で人前に現れる事は滅多にないのだとか。
魔法で人間に化けて、そうして紛れている事が多いとベアトリーセは言っていた。
そうでなければ、力を求めた人間たちから加護を求められるから、とベアトリーセに言われマルテノーラは納得したのだ。
この国の町や村のほとんどはどうやらそういった他の種族が作った結界のおこぼれにあずかっているらしく、だからこそ今の今までそういった場所にはあまり魔物が近寄ってこなかった。
ところがその結界に何らかの問題が起きて、そのせいで壊れたのであれば魔物が近寄ってくるのは当然の事。魔物にとって人間など簡単に狩れる獲物なのだから。
勿論、ただやられっぱなしというわけでもないが、それでも他の種族と比べれば人間が一番狩りやすい獲物である、と言われてしまえば納得するしかない。
「マルテ、君は一体どこでそんな事を……?」
「その、かつて、加護を得た時に少しだけ聞いた事があって……」
「そうだったのか」
「はい、もっと早くに思い出していれば良かったんですけれど……」
「いや、そんな事はない。そんなものがあったなんて、今まで知らなかった。
ところで、もしその結界とやらが本当に壊されていた場合、どうすればいい?」
「確かに、修復するにしても、我らには結界を作るという事そのものができないのだ。であれば直すのだって」
エリアスの言葉に騎士団長が渋面を浮かべる。
実際結界を作るのは、力ある種族で魔物が寄ってこないよう魔法の力がこめられている。
だから特に力のない人間が真似たところで何の意味もない、とベアトリーセも言っていた。
もし人間たちが自在に結界を作る事ができるようになれば、今以上に未開の地は減るだろうけれど。
加護を得た者たちでもその方法は知らないのだ。少なくとも今まで人知を超えた力を持つ者たちから加護を与えられた者たちの中にいなかった。
「はい、それに関してはお役に立てそうです」
マルテノーラは結界を作れるわけではない。ましてや、修復など以ての外。
しかしベアトリーセから教わった方法は、聖女と呼ばれるマルテノーラだからこそ可能なもので。
もし結界に問題が生じているようなら。
全部が壊されていたらどうしようもないけれど、一部だけなら治癒の魔法を応用しての修復は可能なはず。
そう、ベアトリーセから言われて教わった方法を、城につくまでの間の馬車の中で実行していたのだ。
頭の中はまだ整理がつかずぐだぐだと考え込んでいたけれど、それでもやるべきことはやらねばならない。
結界はそもそも他の種族が各々の方法で作り出したもの。
魔法によるそれらは大地と密接に結びついているのだとか。
逆行までにあまり時間をかけられなかったため、ざっくりとしか教わらなかったけれど。
マルテノーラが持っていたアミュレット。宝石のような輝きはないけれど、それでも綺麗な石が複数使われたそれは、彼女にとっての宝物である。
これは前回の時もずっと身につけていたものだ。
見た目は質素ではあるけれど、使われた石は上質なもので。
マルテノーラにとっては大切な物。
聖女として各地を移動するマルテノーラの旅の安全を祈るお守りとして、エリアスから贈られた物だ。
時を戻ってきたマルテノーラは、未来からあれこれ持ち込めたわけではない。
肉体そのものが過去に戻ってきたのではなく、あくまでも精神だけが戻ってきて今の自分と合わさったのだから、未来からあれもこれもと持ち込む事は不可能で。
持ち込めたのはベアトリーセから教えられた知識のみ。
だから最初、躊躇ったりもしたけれど。
エリアスから贈られた大切なお守り。
それをバラすのは、本当はとてもイヤだったけれど。
しかし贈られてから今までずっとマルテノーラが身につけていた事もあって、アミュレットはマルテノーラの魔力と上手く馴染んでいたのもあり、もし結界に異変があるのならそれを修復するために使う物としてうってつけだとベアトリーセに言われたのだ。
アミュレットを大事にして、代わりの物を用意するにしてもそれが間に合わなければまたあの悲劇は訪れる。そうして再びエリアスの死を目の当たりにするような事になれば、マルテノーラは後悔してもし足りないだろう。
助ける機会をみすみす捨てるような真似をするなど、それでは一体何のためにこうして戻ってきたというのか。
エリアスに事前に相談する、というのも本当は考えた。
けれど、期間はたったの三か月。
今から結界があるだろう場所を騎士たちに確認してもらって、それから改めて結界を修復させるための石を渡してもう一度、などとやっていては時間がかかりすぎる。
どうして魔物が大量に発生するようになったのか。
今まで人里に近づかなかったはずの魔物が町や村を襲うようになったのか。
ベアトリーセは確証はないと言っていたけれど、それでもこれしか考えつかないと言っていた。
それぞれの種族が結界を作ったのはかなり昔の話のようなので、確かに綻びが出たとしてもおかしくはないとも言っていた。
結界を作った時期が同じだとは思っていない事も、エルフやドワーフが作った時期が異なった上で、結界の寿命が同じタイミングに来る事はあり得ない話ではない事も。
ドラゴンがヤッケヴェル王国を襲った原因はわからないが、もし結界の綻びによる魔力の乱れのようなものが原因であれば、結界を修復さえできれば或いは……と。
魔物除けの結界とはいえ、作った種族ごとに違いがある以上それらは同じ効果であったとしても当然別物である。
本来ならば作った種族に修復を頼むのが確実ではあるけれど、滅多に人前に姿を見せない相手を探すのにどれだけ時間がかかるかもわからないし、仮に見つけたとして結界の修復を頼んだとして。
快く引き受けてくれるとは限らない。
住処を移したから前に作った結界は壊れても構わない、なんて言われてしまえばどうしようもないのだ。
一つの種族に交渉を持ちかけるだけならまだしも、複数の種族にとなれば、いくら騎士たちを分散させて同時進行でやろうとしても三か月で全てを終わらせるのは到底無理だとベアトリーセも言っていた。
マルテノーラも流石にそれはわかっている。
ベアトリーセから教わった方法でアミュレットに使われていた石を外して分けて、そこに丁寧にマルテノーラの魔力をこめた物。
これを使う事で、結界周辺に漂う魔力を集めて結界を修復させるのだと、マルテノーラはエリアスに告げる。
「ごめんなさいエリアス様、貴方から頂いた物をこんな風に……
でも、あまり時間がないという予感がしたので……」
時間がない、ときっぱり言えればいいのだが、しかしエリアスたちはあの恐ろしい未来を知らないのだ。
聖女としての力で未来が見えたのです、と嘘を吐く事も考えたが、しかし最悪の未来を回避できた後で未来について聞かれてもマルテノーラには答えようがない。
最悪の未来を回避できたようなので、その力は消えてしまいました……なんて誤魔化すにしても、エリアスは聡い。きっとそんな嘘は見破られてしまうだろう。
好きな相手であるからこそ、マルテノーラは意味もなく騙すようなことはしたくなかった。
今はまだ嫌な予感がしたから……という風に言っておけば嘘にはならない。
実際これを放置したままでは後手に回り、最悪の未来がやってくるのだ。
即ち、ヤッケヴェル王国の滅亡である。
「いや、構わないよ。早急に国を、民を救いたいと思っての事なのだろう?
きみの役に立ったのなら、そのお守りの形が変わる事なんて些細な話だ」
贈り物をこんな風にしてしまった事に、もし嫌な気持ちにさせてしまったらどうしようと思っていたけれど、しかしエリアスは咎めなかった。
それどころかアミュレットはまた用意すればいいと言ってくれて、マルテノーラの口からはエリアスの名が自然と漏れ出ていた。
危うく感極まるところであったが、どうにか直前で押し留めて魔物除けの結界を発動させる源のような物があるとされる位置をざっくりと示す。
「朧げな記憶で申し訳ないのですが、かつて結界について聞いた時、たしかこう……小さな神殿のような、あ、いえ、人間が入るようなサイズではなく、それこそ小人が入れるかどうか、といったような本当に目立たない小さなものらしいのですが、とにかくそういうのがあるらしくて。
それぞれの種族によって見た目は多少異なるらしいのですが、とにかく森や山の中で目立たないようひっそりと存在しているのだとか。
本来ならば人間には見えないようになっているらしいのだけれど、もし結界が壊れかかっているのならめくらましの魔法も薄れているだろうから、見慣れない小さな家とか神殿みたいなものがあれば、間違いなくそれだと思ってくれてよろしいかと」
「それを見つけたらどうすればいいのだ?」
「小さな扉のような物がついているはずで、それを開けると中に結界の秘術が刻まれているらしいのです。
そうしたら、そこにこの石を近づけてくれれば、修復が始まるはずです」
修復が無事に済めば、魔物も近寄れなくなるし周囲も安全になる。道中は魔物と戦いつつ祠と呼ばれるそれらを探さねばならないだろうけれど、結界が無事修復できれば帰りは安全だ。
そう言われると、魔物を倒しながら原因を探るよりはそう難しく聞こえない。
「あ、それから。結界を修復した後のこの石は魔力を使い果たしてしまうけれど。
必ず持ち帰ってきてほしいのです。
バラバラにしてしまったけれどこれはエリアス様から贈られた大事なもので、それから……結界の壊れ具合によっては追加で修復するための魔力をまた込めなければならなくなるかもしれないから。
持ち帰った石の状態から、魔力の消耗具合を調べる事もできるはずなので」
そう言えば、騎士団長を含めて会議に参加していた者たちから微笑ましげな眼差しを向けられてしまったが……こう言えば余程の事がない限りは石を持ち帰ってくれるだろう。
マルテノーラにとって結界の修復も勿論重要ではあるが、ベアトリーセの話だと結界が壊れかけていたとして、その場合可能性は二つあると言われていた。
一つ、時間の経過による劣化。
これは自然にそうなってしまうので、その場合は魔力を足せばどうにかなるとの事。
一つ、何者かが意図的に壊そうとした場合。
もしこちらであるのなら、結界修復に魔力を使った後、その何者かが使っただろう魔力の残滓をこの石に移すようにするのだとか。
ベアトリーセに教えられたままにやっているだけなので、仮に誰かが壊そうとした術に用いた魔力の残りを回収してどうするのかと思ったけれど。
結界が綻んだ際の魔力の不和が、ヤッケヴェル王国にドラゴンが襲撃をかけた原因の可能性が高いらしく。
ベアトリーセは言った。
「もし結界に意図的に綻びを作ってヤッケヴェル王国を崩壊に導こうとした誰かがいるのであれば。
流石にそれはこっちじゃどうにもできないけど、でも、その元凶の魔力を閉じ込めた上で他の場所に運べば、少なくともドラゴンの怒りはその場所に向かう。
王都を含めたこの国が襲われるのは避けられるはずだわ」
結界に手を出せるのは、人間には無理だろうからそうなると力ある種族だ。
それをマルテノーラが指摘すれば、そこなのよねぇ、と悩ましげにベアトリーセは項垂れたのだ。
「ただの人間にできないのなら、それ以外の種族がやったって事になるんだけど。
そうなると、意図的にこの国を滅ぼそうとしたわけじゃない可能性のが高いのよね。
ただの愉快犯の可能性もあるわ。
でも、どのみちあのドラゴンは魔力の不和を感じ取ってやって来た可能性が高いもの。
それなら役目を終えた後の石はそれこそ海に捨てるなりしておけば、王都が襲撃される事にはならないでしょ。
海まで行けなくても、人が滅多に近寄れないようなところにしておけば少なくとも犠牲者は出ないわ」
結界を無事に修復できても、その後に結界に綻びを作るよう仕掛けた術を代わりに封じ込めた石をそのままにしたら、結局あのドラゴンがそれらを壊しにやって来るかもしれない。
ベアトリーセの話が本当にそうであるのなら、石を持ち帰らなければ意味が無いのだ。
「――それに。
逆に言えばそれを持っていればあのドラゴンはやってくる。
おびき寄せるのに使えるって事でもあるわ」
だからね、とベアトリーセはどうしてもというのなら、と前置きしてマルテノーラに教えてくれたのだ。
「貴方が余計な争いをしたくなければ、海の底だとか、誰もやってこないような、他の種族も住んでいないような洞窟の奥だとかにそれらの石をそっと捨てておけばいい。
でも、どうしてもあのドラゴンを倒したいのであれば。
結界を綻ばせドラゴンを不快にさせる力を逆に利用して、あのドラゴンを仕留める、っていう方法もあるのよ」
どんな方法!? とマルテノーラが食いつくのは早かった。
普通に考えたなら、マルテノーラが竜に立ち向かうのは無謀な話だ。
けれど、それでも。
いくら時間を戻したところで。
マルテノーラにとっては大好きな人と、故郷とを失う原因になった存在だ。
やりなおして平和になったところで、あの竜が生きている限りいつまた何かの拍子に厄災としてやってこないとも限らない。
時間を巻き戻した今はまだ、仇と言っていいものかは微妙だけれど。
それでもマルテノーラがあの絶望を忘れるなどできるはずがないのだ。
過去に戻ったからこうしてエリアスと再会できたけれど、それでもマルテノーラから最愛を奪った事にかわりはない。
倒せる方法があるというのなら。
マルテノーラは躊躇う事なくそれを選んだ。