6.変わらない形、変えたくない形
なんで莉子がいるんだろう。先に帰っているように伝えたはずなのに。
「莉子…いつからそこにいたの…?恵もしかして本当に莉子のこと呼んでたの?」
「いや知らない知らない。本当にこれは知らない」
大きく首を横に振りながら否定している恵をみて、嘘ではないことは分かる。
でもなんで…?
「帰ろうと思って下駄箱見たらみんなの靴が残ってるんだもん。私だけ除け者にして悪い人たちだ!」
頬を膨らませて見せる、わざとらしい怒り顔。
綺麗な頬が小さく丸くなって、小動物みたいだと思ってしまう。
「莉子いつからそこにいたの…?」
恐る恐る聞くと困惑した表情を浮かべる莉子。
「ん?亮平が『莉子です』って教室に入っていくところだよ?」
……そのタイミングなら。
聞かれてはいない…ちょっと安心してしまった。
友達としての嫉妬をしているというのであれば大した問題には見えないだろう。
気にする必要もないのだけど、どうしても本心の方で反応してしまう。
「でも」
莉子がそのまま言葉を紡いでいく
「有紗が私と一緒にいられなくなるかもしれないって、怖くなってる話をしてたことはわかる」
どうしてこの人は時折澄んだ空気を纏わせては、相手の瞳を奥を見透かしてしまうようなことができてしまうのだろうか。長く一緒にいると思考まで滲み出て見えるようになるのだろうか。
私にはそんな特殊な能力は無いのに。
見慣れた顔ぶればかりで、緊張の様子は見えないが
恵も亮平も、私か莉子の言葉を待っているように静かだ。
「私ね、石引君が好き。だけどね、それはここにいるみんなとの時間とか、関係を捨ててまで欲しいと思ってるわけじゃないの。私は欲張りだから、両方が欲しい!このままの私たちに一つ、石引君との関係を足してあげるだけにしたいの」
普段の和やかで少しぼやかしたような莉子の言葉とは少し違う、芯の通った声に意思を感じる。
いつの間にか力の入っていた体に、少し熱いくらいの柔らかい体がくっついてきた。
「だから有紗心配しないで。もしかしたら少しは変わっちゃうのかもしれないけど、私は変えたくないって思ってる。これだけは本当だから」
伝わってくる温もりと、穏やかだけど芯のある言葉に込められている"伝えたい"という思いを一身に受けて、私は抱きしめ返していた。
私は『友達としての関係』を変えたくないと理性ではそう思っているが、本心は違う。その理性と本能の板挟みになっている心が、より強い痛みを覚えるのは、全部私のせいなんだろう。
こんな素敵な人に好きになってもらえる石引君は本当に幸せ者だ。
せめて石引君自身が悪い人であれば、彼より私の方が幸せにしてあげられると実感することができれば、私の心の均整は軋まずに済みそうなのに……。
あまりにも残酷な諦めと嫉妬の感情を持つ自分を酷く軽蔑する。
この汚い感情の矛先が自分に向くことが、一つの自傷行為に似ていて、嫌な心地良さがあった。
「私もそうだよ莉子。ずっと一緒にいたい。大好きだから」
本当の意味は伝わらなくてもいい。勘違いしたままでいてねと心で呟きながら、"愛してる"を口に出すことを今だけは許してほしかった。
それからの日々は他愛のないものばかりだった。
夏休みを前に早く授業が過ぎ去ってくれと願う生徒たちの心の逸りを体現しているかのように、平凡で益体もない日々がすんなりと過ぎていった。
夏休みの直前、終業式を終えたその日の夜。
莉子から「お祭り一緒にいけなくなった」とグループチャットに連絡が来るまでは。




