5.名前を付けたらそれはハッキリとした輪郭をなぞる
ファミレスを退店し、背中を向けて歩き出す。
冷房の効いた店内から出た瞬間、夜になりきれない熱を含んだ空気が肌にまとわりついた。
太陽は身を隠し、車の往来はずっとずっと増えている。
信号待ちの交差点に並ぶヘッドライトの規則的な縦列が、夜の訪れを教えてくれていた。
「もし、恵と亮平に話しづらかったら私から伝えようか?」
「いや!それはいい!私からちゃんと話すよ。やっぱり友達だから自分の口から伝えたいの。言いづらいことも全部」
こんなに見た目もいいのに中身までいい。
神は二物を与えないなんて言うのは、どう考えても真っ赤な嘘だ。
「わかった。花火大会楽しめるといいね」
「今日は話し聞いてくれてありがとうね有紗」
無垢な笑顔を向けてくる莉子に、幸せになってほしいと思う気持ちもちゃんとあって、石引君と上手くいったのならそれが正しいんだろうと思う。
私の気持ちは親友としてのものだという認識だけ、莉子に伝わっていればいい。
「それじゃあまた明日ね」
そうお互いに言葉を紡いでそれぞれの帰路についた。
翌日、一同が集まったのは昼休みのことだった。
莉子は「あのさ、」と花火大会の話を切り出し、概要を話した。
「そういうことだから、今年はみんなと行けないかもしれないの…ごめんね」
ちょっと俯いて話す莉子からは心苦しさが滲み出ている。
私は昨日のうちに聞いているので驚きも何もないが、恵と亮平は静かに話を聞いている様子だ。
その表情には一抹の驚嘆のようなものを感じ取れる。
「莉子……」
先に口を開いたのは亮平だ。
「お前…石引ってあのバスケ部の石引…?やっぱ莉子が可愛いだけあって選ぶ相手もイケメンなんだな…」
亮介、お前の想い人が目の前にいるのに他の女子のこと可愛いっていうのは本当に肝が据わっていると思うよ。口が軽いというか素直というか。
「なんでそんな暗い顔をしてるのよ。素敵なことでしょ?友達の恋を応援しない友達がどこにいるのよ」
恵は優しく莉子に話しかけた。
分かっていたことだが、ここにいる面子は誰だってそれぞれの幸せを心から願える人たちなんだ。
莉子の顔がゆっくりと上がり、髪の陰に少し埋もれていた整った顔立ちがはっきりと見えるようになった。
その瞳にはうっすらと涙が浮かび、鼻の頭が薄いピンクに色づいていた
思わず机から立ち上がりハンカチを莉子の顔に当ててしまう。
「ちょっと…泣くことないでしょ」
「なんか嬉しくて…ごめんねって気持ちもあるけどさ」
両手でハンカチを握る仕草に、恋する莉子の熱を感じた。
「涙は恋が叶ったときか、石引を困らせるときにとっておいた方がいいんじゃねえの」
「デリカシーなさすぎ……」
恵が呆れたように亮平の腹を小さく小突く。
夏の昼休み。
窓から吹き抜けるぼんやりと温い風が、私たちの周りの少し湿った空気をさらっていった。
うつらうつらと船を漕いでいる間に放課後になり、莉子から一緒に帰ろうコールを受けたが、今日は宿題を忘れてきたせいで少し残ることになってしまった。
宿題というのは進路に向けての調査票だ。まるで白紙のままのため莉子には先に帰ってもらうよう伝えた。
「はぁ。別に将来やりたいこともないから困るなぁ」
適当に筆を少しずつ走らせ、『○〇大学進学希望』と書いた。進学希望は理由欄を書かなくていいというあまりにも消極的なメリットがあるからだ。
ガラガラと音を立てて教室の扉があき、目を向けると恵の姿があった。
「あれ?有紗残ってるなんて珍しいね」
「進路希望調査出し忘れてたの。希望も何もないんだけどさ」
「有紗らしいね」
恵は自分の机の中に手を入れて携帯を引き出した。
携帯を忘れて教室に戻ってきたんだと納得した。
「あのさ恵」
「ん?何?」
「花火大会のことなんだけど、莉子が今年来ないのなんだかんだ寂しくない?」
ほんの軽はずみで口にした内容だったが、思い返して未練がましいような話になってしまうかなと今になって思った。
「まーね。寂しくないって言ったら嘘になるけどさ。莉子は一度も好きな人がいなかったんだからきっとこれが初恋でしょ。あの容姿と性格なら振られることはないと思うけど、石引君と上手くいってくれたら素直に嬉しいなって思うよ」
「そうだね。私も嬉しいし、幸せになってほしい」
その通りだ。石引君と仲良く花火大会を過ごして少しでも距離が縮めば素敵なことだし、恋しているならいつか成就してほしい。
そうすればこの胸に蔓延るもやもやとした嫌な気持ちが晴れたり、私の恋を諦める足掛かりにもなったりするかもしれない。
「ははーん。さては有紗……嫉妬してるな?」
ぐうの根も出ないという状況を齢17にして初めて身をもって体験した。誰も恋愛感情でなんて思ってないだろうから、親友として、友達としての莉子との時間を奪われてしまうことへの嫉妬という意味で言ったのだろう。
「まぁ…そうとも言うか…」
「他に適切な呼び名があるのかな?」
「そう…としか言わないか…」
恵のやつ本当に意地悪な聞き方してくるな…恵なりの気遣いのつもりなんだと思うけどさ。
私は昔から自分の気持ちを言葉にしたり、意見を伝えることが苦手な性格だった。周りの人たちはみんな、心の中までは聞いてこようとはしてこない。だけど恵たち、この仲のいい4人はみんな本当はどう思っているのかなとかどう感じているのかなっていうことをすごく大切にしてくれている。
私の抱いている莉子に対する本当の気持ち以外は、きっとみんなには暴かれていくことになる。
それを漫然と許し、勝手に居心地を良くしてもらっていることに甘えていいのかと時々不安になってしまう。
ただ、莉子に対する恋心だけは別だ。この気持ちは劇物だ。
私たちの間柄に差してはならない液体の猛毒。一滴落ちればゆっくりと波紋を呼び、「気づいてあげられなくてごめんね」と今までの距離感ではいられなくなってしまう未来が見える。
人を慮る優しい人たちだから、壊したくない。莉子に痛みを与えたくない。
男が女に、あるいは女が男に恋をするのとはわけが違うのだ。私自身、マイノリティであることで居心地の悪さを感じたくはない。それは気持ちを向けられる側の莉子だってそうかもしれない。
もしかしたら彼女ならゆるりと笑って「嬉しいな」と一言溢すのかもしれないが。
それは関係を壊したくないと願う私の、楽観的妄想に他ならない。
少しの沈黙の後、恵がスゥっと息を吸ったかと思えば、乾いた明るい声色を私たち以外誰もいない教室に響かせた。
「莉子ーーー!有紗が寂しいっていってるよーーー!」
「おいやめろ!!やめてください!」
まさかいるのか、莉子本人が、聞かれたのか私のちょっと恥ずかしい気持ちが
ガラガラと教室の扉を開けて入ってきたのは―――
亮平だった。
「どうも莉子です。寂しかったんだね有紗~私の胸なら空いてますわよ」
コンッっと消しゴムが亮平の頭めがけて真っすぐ飛び、直撃した。
「莉子はそんなしゃべり方しない!っていうかなんで亮平なの!」
「高体連レギュラーに入れなくて、部活に行く理由もあんまないから今日休むんだってさ」
恵が淡々と説明してくれている。でも欲しい説明はそこではないんだ。
「てっきり莉子がいるのかと思ったじゃん…びっくりしたよ本当に」
「呼んだかなー!本物だよー!」
ガラガラと勢いよく扉を開けて入ってきたのは亮平の肩くらいまでしか身長のない可愛い体だった。
もう驚愕するというよりは頭の中が真っ白になっちゃって思考が止まっていた。




