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16.月下美人

花火大会当日の朝

携帯の通知で「13時集合ね」と今日の集合時間などの予定を確認しあっているメッセージで目を覚ましたのが9時頃だった。


浴衣の着付けは10時から。

思ったより時間がないことに気づき、寝ぼけたまま口に押し込んだ朝食は味もよく分からず、喉を通ったという感覚だけが残った。

外出の準備をしながら、カバンに優しくバレッタを忍ばせる。コトッと音が鳴った瞬間、朝のぼやけた頭が少し冴えたような気がした。

今日一日を共に過ごす、大切なもの。


洗面台に映った自分の顔や髪は、整っているとは言い難いような荒れ模様ではあったがどのみちプロに結ってもらうのだと簡単に櫛を通しておくだけにした。

母に呼ばれ、ばたばたと着付け教室へと向かい、到着した時刻は10時を少しだけ過ぎていた。


「ごめんねー、少し遅れちゃって」


そう母が気さくに声をかけた相手はとても綺麗に着物を着こなしていて、背筋の伸びた立ち姿から品の良さが滲み出ていた。母の友人だと聞いてはいたけれど、思わず姿勢を正してしまうほどで、体に少し力が入るのを自分でも感じた。


「あらー来てくれてありがとうねー。毎年浴衣を着たいって予約してくれる人が減っていく一方だから、本当によかったわ。あなたが有紗ちゃんね」


着物を着た女性が口を開くと、最初に抱いていた印象とはまるで違う当たり障りの優しい声と喋り方で、和やかな笑顔が似合う人だった。


「あの、今日はよろしくおねがいします」


不慣れながら会釈と挨拶をし、カバンからバレッタをそっと取り出し手渡す。受け取る婦人の手は皿のように構えてくれていて、大事に優しく受け取ってくれた。


「このバレッタ、大切なもので、これに似合うようにできますか」


「えぇ、もちろん。おばちゃんに任せてね」


たじたじしながら伝えた言葉を受け止めてくれて安堵が漏れ出る。母が着付け教室の壁際にある椅子へと腰を掛けて携帯を取り出していた。

写真を撮って父に送るつもりなのだろう。


「これなんかどうかしらね」


そういって差し出された着物は濃い紺色で、月下美人の柄の施されたものだった。夜にだけ花開くその白い花はどこか凛としていて、近寄りがたいほどの美しさを持っている。


曰く、バレッタが白く綺麗に発色していること、私自身の身長が少し高くスレンダーなこと、凛とした印象を前面に出して、可愛さを小さく散りばめた方が素敵になるだろうとの提案してくれたのだ。

髪飾りも月下美人を模した綺麗なものを用意してくれて、私が頷いているだけですべてが決まっていく。

少しの化粧と髪結いをし、最後に頭にパチンとバレッタをつけた音の響きが、されるがままになっていた意識を現実へと引き戻してくれた。


慣れた手つきで着付けてもらっていた私の体は、動きの残身に重さを感じる日本伝統の衣装を纏っていた。着付けの手際の良さに感嘆している間にそのすべてが終わっており、気づいた時には高校生であることを疑わしく思うほどに輪郭の綺麗な体躯が眼下に備わっていた。


鏡で顔を見せてもらうと、月下美人の髪飾りの横にオパールのバレッタが、存在感をしっかりと放ちながら寄り添っていた。


「どうかしら、お気に召していただけるかしらね」


「…はい、とても綺麗です」


鏡に映る女性が自分であるということが信じられないほど、シルエットも目に入る色も全てがプロの手によるものだと実感させられる。


近くに寄ってきた母が何枚もシャッターを切り続けていて、少し気恥ずかしい気持ちで無意識に顔をそらさずにはいられない。


「あの、ありがとうございました。バレッタにもよく似合っていて本当にすごいです」


そう伝えると、先生はにこりと微笑んだ。


「有紗ちゃんがそのバレッタをとても特別に思っている気持ちを上手く汲み取れてたら嬉しいわ。今日の花火大会が終わった後、そのバレッタのことがもっともっと特別になること祈っているわね」


着付け教室を後にする時も、先生は手を振る所作でさえ気品に溢れていて少し羨ましく思ってしまう。何かを極めた人や打ち込んだ人にある特有の魅力を持てる人に私もなってみたいなと思わざるを得なかった。


母が会場の待ち合わせ場所まで送ってくれるというので、この姿をいつもの友達たちに見せるという面映ゆい気持ちを抱えながら、車内でコンビニで買った軽食を口にする。


カタン、カタンと車が揺れるたび、心臓が強く鼓動を打つ感覚と混同してしまって、おにぎりの味など感じる余裕が私にはなかった。

莉子もきっと、綺麗な姿で会場に現れるのだろう。

石引君に魅力的だと思ってもらうために、私と同じように、あるいはそれ以上に準備を重ねて。


少しの嫉妬と羨望と、愛する人の幸せを祈る気持ちが、今日の私の心臓を動かしているような気がした。


これが儚い恋だとしても、ただ一度だけでもあなたに会いたいと思ってしまうのは、傲慢だろうか。


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