1.「価値」というもの
「普通」とは違うっていうことはその価値観だってびっくりするほど違ってくるってことだ。
ありふれたものが誰かの大切なもので、誰かの大切なものが誰かにとってのゴミだったりする。
同じ名前で呼ばれる「気持ち」でも重さが違うことだってある。
だからみんなすれ違って、心を測り間違えて、それでも伝え合って一緒にいようとするんだ。
そういった全てが私は羨ましい。
物語や絵画、そういった作品というのは作者の生きている間には価値がつかないようなものがあるという。
先生が黒板に向かったまま、まるで独り言のように流していた話だったけれど、高校生だった私はその言葉に少しだけ心を掴まれていた。
誰だったのかなんてもう覚えてない。
その時代には理解されない気持ちだって、時間を経ることで価値を得て、本人の知らないところで偉業だと褒められる。
作者は生涯賞賛の声を知らないまま命を果たし、苦悩することを周りは憐れむだろう。
でも、私は、生きている間に相手に自分の気持ちを知られたくないと思った。
もし知られるのだとしたら、それは私が死んで、私という存在がこの世界から完全に消えた後がいい。
本当は、こう思っていたんだよって。
そんなふうに、時間を隔てて、静かに知られたい。
そういう意味で、生前に価値を与えられなかった偉人たちのことを、私は少しだけ羨ましいと感じたのだ。
私、「曽野 有紗」の初恋は小学生の頃だった。
足の速い「コウキ」という男の子が、運動会で全力で走っている姿を見た瞬間。
ただそれだけだった。
当時は、足が速いという理由だけで十分に格好良く見えてしまう、そんな単純な世界だった。
今思えば、なんて分かりやすい価値観だったんだろうと思う。
今はもう苗字も顔も薄らぼけていて覚えていない。そんなもんだ。
周りにいる友達たちもみんな「コウキ」という男の子を好きになる人が多くて、妙な安心感と負けたくないって気持ちがせめぎあっていた。
違和感を覚えたのは、中学生になってからだ。
とても仲のいい親友、若竹 莉子と、他に何人かでお泊り会をした日のこと。
「パジャマ着てみんなでお泊りだ~」
気の抜けたようなその一言で企画が成立してしまうほど、私たちは仲が良かった。
他にも2人ほど声をかけて、お菓子でも持ち寄ろうって話をして、私の家に集まることになった。
「莉子ー。チョコ買いすぎじゃない?夜に食べるんだよ?」
「いいじゃん!こんな時じゃないと夜にチョコなんて食べないでしょ~」
一度それぞれ帰宅してから、夕暮れ時に再集合し、通学路沿いのスーパーに立ち寄った。
四人で並んで買い物をするだけで、胸の奥が少し浮き立つ。
けれど、みるみるカゴの中身がチョコ菓子で埋まっていく様子に一抹の不安を抱えずにはいられなかった。
「私甘いものばっかりだと飽きるかも」
「やっぱポテチ?甘いのとしょっぱいので無限にいけちゃうね~」
大量のお菓子と2ℓのお茶を入れたカゴは想像以上に重たくて、袋は二つに分けることになった。
今からこの量の油というかカロリーというか……そういったものが胃に入るんだと思うと、想像するだけで少し胸焼けしてしまっている。
私の家に着いた頃にはビニールの持ち手は細い紐のようになって、持ち歩くのに痛みを伴うほどだったがこれからの楽しい時間を思うと些細な事だ。
「先にお風呂に入っちゃおうよ~!乙女だからね!」
「なんで私の家なのに莉子が仕切ってんの」
小さなみんなの笑いが零れて、雰囲気が和やかになるのを感じた。
莉子は、多少の横暴も突飛な言動も、その性格と、壊れそうなほど整った輪郭のせいで許されてしまう人だった。
人気者で、美人で、憧れの存在。
どうして私とこんなに仲良くしてくれているのか、不思議に思うほどだった。
全員がお風呂を終え、パジャマ姿で私の部屋に戻ってくる。
見慣れない格好の友達は、どこか幼くて可愛らしかった。
私が強い違和感を覚えたのは、あどけない莉子の姿を目にした、その瞬間だった。
大きく心臓が跳ねて、息が浅くなる。
整った顔立ちに、似合いすぎるパジャマ。狙ってもできないような異性も同性も射止める奔放で優しい性格。
中学生にもなれば気持ちの名前くらいは知っている。
これは「恋」に似ている。
でも女の子を好きになるなんて確信がなかった。
ただただ可愛すぎてびっくりしただけ?そんな風に思っていた。
曖昧だった気持ちが、はっきりと形を持ったのは、その夜。
好きな人の話題になった時だった。
ずっとこの時間を楽しみにしてきて、そのためにお菓子も買ったしパジャマまでみんなで用意した。
ここにいる仲良し達で秘密を共有して、こそばゆい喜びを噛みしめて、みんなの面映ゆい一面に心を弾ませて…
そうしたら絶対楽しい夜になって明日学校で「楽しかったね」なんて4人で話をするんだろうなって……
なのに私の心はお菓子なんか食べてないのに胸焼けしたような気分だった。
莉子が男子の名前を口にするたびに、視線を突き刺してしまう。
どんな表情をしているんだろう。
どんな気持ちになっているんだろう。
気になって、気になって、居場所がなくなっていく。
「莉子は好きな人いないの?」
「莉子に惚れられてるやつなんていたら許せないな…!」
周りは笑い声を上げ、「なんでよ〜」と無邪気に盛り上がっている。
私はちゃんと笑えていただろうか。
「私はね」
その言葉の切り出しに、浮足立っていた心も和やかな場の雰囲気もすべてをひっくるめて、静寂がこの場に降り立ったように思考が冴えわたり、頭の熱が一気に引いたような感覚になった。
『私は莉子のことが好き』
そう自覚するには、十分すぎる瞬間だった。




