第一話 春の出会い
春の季節、帝都近郊の町クリスに、一人の男の子がやってくる――
3月22日、メルフィーナ帝国、帝都メルフィン近郊の町、クリス。
自然が豊かんだこの地で、住人たちは穏やかに過ごしている。
まだ早朝ですが、酒場や雑貨屋など店で、もう人が集まっている。
そんな普通な朝に、一人の男の子が、この町に足を踏み入れる。
「ここがクリスか…本当に故郷と違う景色がしているな。」
少年は、スーツケースとパンフレットを持っていて、クリス駅から出ていく。
「故郷ではまだ雪解けが始まる頃だったのに、ここはもうこんなに花が咲いている。あれは桜ですか、故郷では見えないですね。」
駅前の広場の中心で、一本の大きな桜の木が立っていて、その下にいくつかの男女たちがベンチで座っている。
「あれはたぶんカップルかな。あと学園は…奥にいる一番大きい建物だな。」
オーシャンブルー色の瞳は、あたりを見回っている。
駅からまっすぐに道、その最奥で、大きな建物がある。
帝国随一の学校、メルフィーナ魔導学園、その主校舎。
少年は、今日からこの学園入学することになる。
「さて、町の探索はまたあとにして、今は学園に向かないと。」
真新しい制服に包まれる少年は、学園に向かって歩い出す。
「それにしても、本当にいい町だな。自然が豊かなのは伊達じゃない。」
学園への並木道で歩きながら、少年は周囲を見回る。
春のクリスは、あちこち花が咲いて、鳥やミツバチも空で舞っている。川は町の中で流れて、魚たちが川の中で泳ぎっている。
町の外の周りには、森が満ちていて、数本の鉄道線と道路が中を通り抜ける。
「故郷の景色もいいですが、ここも違う魅力が…あれ?」
少年は、ふと立ち止まる。
遠くない先に、一人の女の子が自動販売機の前でしゃがみこんでいる。
「自動販売機か。最近量産が始まったばかりと聞いていますが、もう実用化されていて、さすが帝都近郊だな。それにしても、あの女の子はなにしてるんだ?」
女の子のことが気になり、少年は近づく。
「うーん、あと少し、もう少し…ダメ、やはり取り出せない。」
女の子は手を自動販売機の下に伸ばし、必死で何かを探している。
スカートから、チラリとパンツが見える。
(白だね…って何見ているんだ俺は。)
女の子は、失くした物を必死に探して、後ろにいる少年のことも気づいていない。
「うぅ、もう少し…」
見ていられないか、少年はつい声をかける。
「あの…」
「きゃ――!」
悲鳴を上げて、女の子は飛び上がる。
「え?あなた、誰?」
長い金髪の女の子は、そのルビーみたいなひとみで背後にいる少年を見つめる。
(うわ、かわいい…ってそういう場合じゃないか。)
少年は軽く咳払いする。
「コホン…ただの通りすがりです。何か困っているように見えましたが、もしかして落し物ですか?」
「はい、そうですが…」
女の子の目から疑問の色が滲む。
「この自動販売機の下に落ちたのですか。どれどれ…」
そう言って、少年は地面に腹ばいして、自動販売機の下を覗く。
「うーん…確か何があるようだな。この位置なら、まだ手が届く距離かも。どれどれ…よし、拾った。」
標的の物を手に入れたか、少年は身を起こし、女の子に手を伸ばす。
「お探しているものは、もしかしてこれですか?」
手のひらには、青い蝶が飾っていた、一枚の髪飾り。
「ああ、これです!本当にありがとうございます!」
女の子は髪飾りを受け取って、前髪に飾る。青い蝶は、陽の光に照らされ、淡く青く光る。
「その髪飾り、すごく似合いますね。ところでその蝶、もしかしてモルフォですか?」
「似合いますか。えへへ、ありがとうございます。モルフォはですね、私の故郷でよく生息していて、その青い色はとっても気に入っています。そしてこの髪飾りは、私の入学を祝って、知り合いの職人さんに頼んで作りましたの。だから、とっても大事にしています。さっきここで鏡が見つけて、髪を整こうかなと思って取ったら、手が滑って自動販売機の下に落ちてしまって…」
「そんな出来事もありましたか。そういえば、さっき『入学』って言いましたけど、その制服とリボンの色、もしかしてお前もメルフィーナ魔導学園の新入生ですか?」
女の子は、少年と同じデザインの女子制服とミント色のリボンを着ている。
「はい、そうです。さっきは驚くてよく見えませんでしたけど、あなたも同じく新入生ですね。」
「はい。俺の名前はローラン。これからよろしくお願いします。」
「私はメインフィナ。よろしくお願いします。」
「メインフィナですか、いい名前ですね。それじゃ、早く行きましょう、始業式はもうすぐ始まるみたい。」
「あ、そうでした!」
学園へと続く並木道。
そこで、一人の少年と、一人の少女の、並んで走っている姿があった。
メルフィーナ魔導学園、始業式。
荷物を学園側に寮まで送りさせてもらった二人は今、大講堂で学園長の訓辞を聞いている。
「最後は、若いものたちに、私からの祝いを送ろう。」
講壇上にいる若い女性は、メルフィーナ魔導学園の学園長、ミリアム・レオンハルト。
聞いた話では、学園長も魔導学園の卒業生で、卒業したあと軍に入り、メルフィーナ国防軍が設立した以来の一番若い将官になって、でもある日いきなり退役を宣言し、母校に帰って学園長の座に就いた、という経歴らしい。
「優秀な人材の集まりだが、くれぐれもこの学園の校訓を忘れないように。」
「『帝国人たるものは、文武両道に育つべし。』っという、先代陛下のお言葉を。」
その「先代陛下」とは、約500年前にメルフィーナ魔導学園を創立した、そしてメルフィーナ中興の祖とも言われる「アレクサンドルⅢ世」のこと。
そして、かの皇帝の理念通り、メルフィーナ魔導学園が培った学生たちは、魔導工学と機械工学のエリートだけでなく、軍界、芸術界、外交界、商界、色んな場面で活躍している。
「それでは、学生の皆さん、良い一年を過ごすように。あなたたちの成長を期待している。」
始業式は、その一言と共に幕を下ろした。
始業式が終わって、一年生たちが掲示板の前に集まっている。
そこには、新入生の班分け表を張っていた。
一足先に所属クラスを確認したローランは、今クラスの前に立っている。
表札には、「1-3C」が書いている。
(ここは、これから俺が3年間過ごすクラスか。)
感慨深そうに、ローランは一歩踏み出す。
自己紹介の時間。
「それでは、次、ローラン・ヴァレンシュタイン。上がってください。」
クラス担任のセレスティア・ランドラールは、「ローラン・ヴァレンシュタイン」という名前を黒板に書く。
呼ばれたローランは、一歩講壇にあがる。
「ローラン・ヴァレンシュタイン、北の辺境町『サナト』出身です。どうかよろしくお願いします。」
自己紹介が終わって、ローランは軽くお辞儀をする。
「ザワザワ――」
クラスの中が騒ぐ。
辺境町サナト。それは帝国の北の方にいる小さな町。
クリスよりもちょっと小さめですが、冬の景色と天然の温泉は、帝国内に知れ渡る。
そして、そのあたりを治める伯爵家、「ヴァレンシュタイン家」の本拠地でもある。
ローランは、その伯爵家の一人っ子という。
「ふぅ…」
講壇から降りて、ローランは自分の席に腰を落とす。
「まさかローランさんはサナトの伯爵家出身とはね。サナトは、以前家族旅行の時何度も行ったことがある。温泉に浸して、雪の景色に包まれて、本当にいい気持ちです。」
背後から、今朝知り合ったばかりの少女、メインフィナ・フィオールの声がする。
「俺も驚きましたよ。まさかメインフィナさんは、かの名門・フィオール家の出身だなんて。いや、話し方も改める方がいいでしょうか。」
フィオール家は、帝国歴史の中でも、数少ない由緒正しい名門の一つ。
その先祖は、かの大戦で「アカツキ」のリーダー、そしてメルフィーナ帝国初代皇帝「シャルルⅠ世」の側近であり、大戦の終結と戦後の復興にも力を尽くし、建国後も皇帝家を補佐して、帝国と魔導技術の発展に多く貢献した。
そして帝国の拡張と共に、フィオール家は帝都南の方の都市・クラツェリと、帝国最初の「公爵」の爵位が授けられる。
公爵が授けられた家族が増えた今でも、フィオール家は他の公爵家より地位が高い。
皇族の護衛も、必ずフィオール家から武芸が優れた人を選ぶ。そんな特別な家族。
「そんなにかしこまなくてもいいのに。だいたい、フィオール家って言っても、私は分家の出身ですし。それに、公爵家に生まれたことは、色々と生活が制限されたこともありますし。マナーとか、教養とか、社交とか、小さい頃から多くのものを学ばなきゃいけなくて、同年代の子たちと遊ぶ機会もない、本当にうっとうしいです。」
過去のことを思い出したのか、メインフィナは力なき机に伏せる。
「あはは…それは災難ですね。うちは伯爵家と言っても、父はほとんど放任主義で、よほどのことでもない限り何も言わない。」
「いいな、私もそんな家に生まれたかったな。」
「やめた方がいいと思いますよ。放任主義っていうのは、つまり家事全般も自分でやらなきゃいけないことだ。今思い返すと、あれも父による教育の一環かもしれないな。」
「うーん…確かに家事全般は面倒くさいですね。」
「それに、両親はメインフィナさんに厳しいですが、ちゃんと大事にしているじゃないですか。じゃなきゃ、わざわざ職人に頼って、こんな綺麗な髪飾りを作るわけもないですし。」
「うん、それもそうですね。」
メインフィナは身を起こし、軽く頷く。
「それでは、ホームルームはこれまで。今日は日曜日なので、後の時間は自由活動とする。寮分けも廊下の掲示板で貼っているので、自分で確認するように。」
セレスティア担任は、その一言と共に、教室から出て行った。
「さて、これからどうするか…」
ローランは、廊下でふらふらと歩く。
メインフィナは、ホームルームが終わった途端で、クラスのみんなに囲まれた。
その多くは、メインフィナに通じてフィオール家に関わりたいという。
「メインフィナさんも大変だな。やはり家格の違い、というべきか。ならば、学園内の施設も確認し…うん?」
ローランは、ふとあるものを見つけて、立ち止まる。
壁には、一枚の絵が飾っている。
その絵には、燃え盛る火、戦っている大勢の軍勢。
そして、一隻の純白の飛行船が描いている。
(なんだ、この妙な感じ…)
ローランは、その場で絵を見つめて、必死に何かを思い出そうとしている。
「そこの君。ちょっとどいてもらえませんか?」
突然かけられた声で、ローランは我を返す。
そばには、大きい書類の山を抱えている、片目隠れの銀髪の少女がいた。隠れていないエメラルド色の瞳は、書類の山の横からローランを見つめている。
「あ、ごめんなさい、廊下でぼんやりして。」
ローランは慌て道を譲る。
「…その絵、気になりますか?」
少女は書類を抱いたまま、ローランに問いかける。
「うーん、なんというか、ちょっと何かが引っかかるような…」
「この絵は、うちの卒業生が、かの大戦をテーマにして描いたもの。まだ正式なタイトルはありませんが、学生の中では、こう名付けている。『特異点』、っと。」
「特異点…」
「そう。君はかの大戦についてどこまで知っているかはわからないが、この絵が描いた光景を境に、終わりが見えない戦争が、終結に向かって動き出し始めた。だから、特異点。」
「そうですか、色々教えていただき、ありがとうございます。あ、そういえば、自己紹介まだでしたね。俺は、ローラン・ヴァレンシュタインと申します。今年入学した一年生です。」
「そう、君はサナトを治める伯爵家の人間ですね。私はエリセ・ラクエール、君より一つ上で、生徒会長よ。それじゃ、お先に失礼します。」
書類を抱いたまま軽くお辞儀し、エリセはローランの側を横切る。
「あの、エリセ先輩!」
「まだ何がありますか?」
「先輩、その書類、重そうですよね。よろしければ、俺は運ぶのを手伝います。」
「別に気にしなくていいです、さっきも一人でここまで運びましたし。」
「いえ、そう言わずに。さっき色々教えていただいたお礼も兼ねてですし、それに、何より女の子を苦労しているのに見ぬふりをするなんて、俺には到底できません。」
「…君、本当にお節介な人ですね。分かりました、それでは、お言葉に甘えます。」
数秒考えて、エリセは軽く頷く。
「そこはせめて『お人好し』って言ってください、先輩。」
ローランは半分の書類を受け取って、エリセの後を追う。
(きっと気のせいですね。どこかであの絵を見たことある、ということだけでしょう。)
歩いてから数分、二人は生徒会室に着く。
「ありがとう、ここで置けば大丈夫ですよ。」
「もしかして先輩、これを全部一人でやるつもりですか?」
「そんなわけないでしょう、これから生徒会一同で処理しますから。」
エリセは、ちょっと呆れた目でローランを見る。
「そうでしたか。ごめんなさい、誰もいないですからつい…それでは、お先に失礼します。」
謝って、ローランは生徒会室から離れる。
「ふぅ…長く鍛錬しなかったせいか、ちょっと疲れたな。」
生徒会室外の廊下で、ローランは肩を揉みながら歩いている。
「それにしても、まだ半日なのに、なんか充実した感じがするな。」
廊下の窓から、中庭の景色が目に収める。はしゃいでいる学生たちの姿が、あちこち見える。
ちょっと遠いグラウンドで、部活している学生たちの姿もいた。
「本当に、この三年間は色々楽しめそうな予感がするな――おっと。」
その時、ローランの持っていた通信機が鳴る。
遠距離通信は、つい近年まで確立したばかり技術ですが、その便利性ゆえ、すでに帝国全土に広がって、諸外国も導入しつつある。
ローランが持っているのは、父が知り合いに頼んで手に入れた、最新鋭の機種。通信とメールだけでなく、画像の送信とビデオ通話もできる、最新鋭のタイプ。
「どれどれ…あはは、本当に災難でしたね。それじゃ、困っているお嬢様を迎えに行くか。」
通信機のディスプレイにて、たった一言が表している。
「助けて、囲まれて一歩も動けない。」
送信元は、今朝知り合った女の子、メインフィナのアドレス。
苦笑いを浮かべながら、ローランは自分の教室へと歩き出した。