幼馴染のお姉さんがいろいろとヤバい......
「ヨシくん、おはよう」
朝一番、目を開けると視界に入るのは夏姉の顔。そして学校から帰ってくると――
「お帰りなさい、ヨシくん。ご飯できてるから」
夏姉が僕より先に家にいる。
ここ最近、僕は夏姉の顔を親の顔より見ている。まあ、僕の両親が今は出張中で家にいないから仕方がないんだけど……。
それにしたっておかしい。だって毎日だよ! 毎日!
夏姉は僕より必ず先に帰ってきて夕飯を準備してくれたり、僕を起こしに来てくれる上に、朝食を用意してくれている。
それだけじゃない、僕の家の掃除や洗濯まで夏姉がやっている。
僕が何かしようとすると、「お姉ちゃんの私に任せておけばいいの!」と言ってくる。
夏姉だって高校に通っている。ちなみに夜間制でも通信制の学校と言う訳ではない。全日制だ。
つまり、学校以外の時間を僕のために相当割いていることになる。
だから僕は一体夏姉はどんな生活をしているのだろうか、と疑問に思うのだ。
そもそもこんなことになっているのは、僕の両親が共働きであることに起因する。
今時珍しいことではないものの、僕の両親は終日家にいないことも多い。家事も疎かになりがちだ。
そんなこともあって、ご近所さん――と言うより真隣の富沢さんの家の一人娘、夏姉に家事を手伝ってもらっている。
いや、手伝ってもらっているという表現は正しくない。家事の全てを夏姉にお任せしていると言った感じだ。
夏姉の本名は富沢夏歩と言う。そして僕の名前は、河波佳道。
僕は彼女のことを、僕より一つ年上であることと、夏歩の“夏”を取って夏姉と呼んでいる。反対に夏姉は、佳道の“佳”からヨシくんと僕のことを呼ぶ。
夏姉と僕の付き合いは長い。まだ僕が赤ちゃんだった頃のアルバムにまで夏姉は写っている。
いつ、どこで僕が夏姉と会ったかなんて言うのはナンセンスだ。
もはや僕にとって、夏姉は実の姉と変わらない。僕達は実際の姉弟と全く同じなのだ!
ごめんなさい。嘘を付きました……。
いくら姉弟だからって、姉が「一緒にお風呂に入ろ!」と言って、弟の前でいきなり服を脱ぎ始めたりするだろうか。
いくら姉弟だからって、姉が「うふふふ、ヨシくん眠るまで添い寝してあげるね!」とベッドに潜り込んできたりするだろうか。
否、断じて否! そんなことはあり得ない!
僕は夏姉との距離感が掴めないでいる。姉としてなのか、幼馴染としてなのか、もしくは通い妻として接すればいいのか分からない。
正直夏姉には感謝している。僕の部屋を含めた家の隅々まで綺麗にしてくれるし、作ってくれるご飯はおいしい。
もういっそのこと付き合ってしまえばいいのではないかと思う時もある。だけど、まだ僕には早い気がするのだ。
それに僕には好きな――と言うよりは気になる――女の子がいる。その子への気持ちがはっきりするまでは、夏姉と恋人になることはないと思う……。
なんと言うことだろう……。
気持ちがはっきりするまでなんて悠長なことを考えていたのがいけなかったのかもしれない。
僕は見てしまった。件の女の子、南春奈さんが、告白しているところを。
「加納くん、好きです……。私と付き合って下さい!」
相手は同じクラスの加納拓也くん。かなりのイケメンだ。
何故僕がこんな場面に出くわしたかというと、なんのことはない、宿題用のノートを忘れ、教室に取りに戻ったからだ。
そして教室に入ろうと戸に手を掛けたところ、南さんの声が聞こえてきたのだ。
夕陽が差し込み、オレンジ色に染まる放課後の教室。年頃の男女が二人きり。
写真を撮ってSNSに投稿すれば、バズりそうなほど雰囲気はバッチリである。
しかしそのせいで、僕は教室に入れない。その様子を陰で見ていることしかできない。
「よろしくお願いします」
加納くんの返事はOK。見事カップル成立だ。
…………………。
何となくブルーになる。別に南さんに恋い焦がれるほどの想いを抱いていたわけではないけれど、ショックと言えばショックだ。
けっ! やっぱり顔かよ! 何てことは思ってない。…………ホントだよ?
南さんは高校に入学して以来、初めて話した異性だったのだ。女性経験の少ない僕が気になったってしょうがないじゃないか!
僕はひっそりと、覗いていたことがバレないように忍び足で教室を後にした。
しかしどうしよう……。何だかモヤモヤする……。
こんな時にはやっぱりあれを買うしかない。男子なら誰でも読んだことのあるあの本を。
きっとスッキリするはずだ。明日からは何事もなかったかのように過ごせるだろう。
僕がブツを手に入れるために向かったのは、家の近所の書店。
「らっしゃい」
ここの店主のおじさんはやる気がない。
漫画には万引き防止用のカバーも付けられていなければ、本棚のジャンル分けも適当だ。
青年向けのコミックコーナーに成年向けコミックが混じりこんでいることがあるのだ。
無理もない。最近の青年コミックには際どい表紙のものがあるのだから。
文字がピンク色の背表紙が並ぶ本棚から、惹かれるタイトルのものを探す。あんまりじろじろとは見ない。流石に恥ずかしい……。
「!!」
そして、一冊の本にビビッときた。
『ずっと好きだった女の子が、あっさりイケメンに取られて指を咥えて見てる僕……』
これだ! これしかない!!
タイトルから察するに所謂BSSというジャンルだろう。今の僕にはピッタリだ!
コミックとコミックの間にブツを挟むという完璧な工作をして、レジに持っていく。
僕の小遣いはそれほど多くはないが、ここで隠蔽用の本を買わないという選択肢はない。おじさんに気付かれたら悶絶ものだからだ。
おじさんは淡々とバーコードをスキャンし、本来僕は買うことの出来ない本があることを、特に気にしている様子はなかった。
おじさんは客を目の前にして欠伸をする始末。だけど今はありがたい……!
「2000円です」
財布から千円札二枚を取り出しておじさんに渡し、ビニール袋に入ったブツを受け取る。そして僕は逃げるように店を出た。
やった! やったやったやったやった!
さっきまでの憂鬱な気分が消し飛んでいた。むしろ今は小躍りしたいくらいだ。
だが、まだ安心してはいけない。家に帰れば夏姉がいる。バッグを漁られることはないだろうけど、保管場所には注意が必要だ。
過去に一度、ベッドの下に隠したあれが夏姉に見つかったことがあった。見つけた夏姉は僕に何も言わなかった。
ただ次の日に「イメチェンしてみたの!」とか言って、あれに登場するキャラクターと全く同じ格好をしていたので、吐きそうになったことは覚えている。
だから絶対に見つからない場所に隠さないといけない。せっかく手に入れたブツとお別れする羽目になる。
「ただいまー」
「お帰りなさい、ヨシくん。もう少しでご飯できるからちょっと待っててね」
「うん、じゃあ先に宿題やってるよ」
大急ぎで自分の部屋に入る。そして、ダイアル式のロックの掛かる勉強机の引き出しを開けた。
「7220っと……」
ここにブツを仕舞えば、もう見つかる心配はない。
番号は適当に思い付いたものを設定している。僕以外は誰も知らない。夏姉といえど開けることなど出来ないだろう。
「ふぅ……」
ああ……楽しみだ。
さあ、夏姉が帰った後にじっくりと堪能させてもらおうじゃないか!
★★★★★
私の朝は早い。
ベッドから起きてまず最初にやることは、歯を磨くことでも、顔を洗うことでもない。
写真の中でとてもとてもとても可愛らしい笑顔を浮かべるヨシくんにチューをすること。これは絶対。
いずれは本物のヨシくんとキスをする予定だ。
しかしヨシくんはシャイボーイだ。年上でお姉ちゃんの私がリードして、そういう雰囲気を作らねばならないだろう。
身支度が終われば、ヨシくんの家に行く。合鍵はヨシくんのお母さんからもらっているので、インターホンを鳴らす必要はない。
ヨシくんが起きる前に私がやらなければならないことは、朝食とお弁当の準備。どちらも冷凍物は使わない。
愛する彼のために手を抜くことなど許されない。ヨシくんに食べてもらうものは全部手作りだ。彼の胃袋を私の愛情で満たしてあげるのだ。
食事の準備が終われば、ヨシくんを起こす。起きた後は、ヨシくんが着替えるので私はキッチンの椅子で座って待つことになる。
本当は着替えを手伝いたいのだけれど、恥ずかしがってヨシくんは手伝わせてくれない。未来の妻に対してそっけない。
小さい頃は、一緒にお風呂も入ったんだから気にしなくていいのに……。
ご飯を食べたら、今度は二人で学校へ向かう。腕を組みながら歩きたいところだけど、残念ながらそれも出来ない。
そしてもう一つ残念なことは、私とヨシくんはそれぞれ別の学校に通っている。私は女子高、ヨシくんは共学のところだ。
これは私の方が先に中学卒業後の進路を決めなければならなかった関係でやむを得なかった。
ヨシくんに浮気していると思われたくなかったし、また疑われる可能性を排除するため私は女子校を選択した。
よって私は、昼はヨシくんとは一緒にはいられない。どのみち学年が違うので、傍にいられる時間はそんなに変わらないんだけど……。
だから私は耐え忍ぶ。授業という地獄の時間を……。
――キーンコーンカーンコーン
授業の終わりを知らせるベルが鳴る。これでやっとヨシくんに会えるのだ。今日の授業も長かった……。
放課後になれば、クラスメイトは思い思いに過ごす。部活動や勉強、そして遊びに行ったりする。
誰も私に声をかけたりなどしない。皆私がヨシくんのお世話で忙しいことを知っているからだ。別に友達がいない訳じゃない
「いいなぁ。富沢さんは彼氏いて」
こんなことを言ってくる人もいるけれど、勘違いをしている。ヨシくんは彼氏じゃない。未来の夫だ。
そんな彼女達は彼氏を欲しがっているけれど、いつか教えてあげたい。彼氏よりも旦那様に尽くす方が圧倒的に幸せだと。
ヨシくんの家に向かう前に、スーパーに立ち寄る。そこで夕飯と明日の分の朝食と昼食の材料を購入する。
買い物が終われば、私にとってはお待ちかねの時間が待っている――。
――カチャ!
合鍵で家に入り、やることと言えばヨシくんの部屋の掃除。私はこれは自分へのご褒美だと思っている。
もちろん家全体を綺麗にするのだけれど、でも私は真っ先にヨシくんの部屋を綺麗にする。
何故なら――
「クンクン、これいい! あとこれも!」
屑籠の中に、ヨシくんの遺伝子が付着した丸められたティッシュがあるからだ。
実用性の高いものは、バッグに入れて持ち帰る。あとのゴミは、収集日にすぐ出せるように分別して一つに纏めておく。
「うふふふ、今日はたくさん!」
顔を全体を覆うほどのそれを手に入れることができて大満足だ。
………………。
あれ? おかしい。
だっていつもなら丸められたティッシュは精々二、三個しかないはずなのに……。
もしかしたら、ヨシくんは新しい本を買ったのかもしれない。
これは確認しなければ!
「7220っと……」
カチッ! とロックが外れる音がした。
ふふふ、ダメよ、ヨシくん。いくら私のことが大好きだからって、暗証番号を“なつねえ”なんて設定しちゃあ。
私はこうして、ヨシくんがどんな本を買っているのかを定期的にチェックしている。ヨシくんと素敵な夜を迎えるため、欠かせない作業。
そういうことをするには、ヨシくんの好みは知っておかないといけない。私は猛獣のようにヨシくんに興奮してもらいたいのだ。
「何よ……これ……」
引き出しには、にわかには信じがたいタイトルの本が入っていた……。
『ずっと好きだった女の子が、あっさりイケメンに取られて指を咥えて見てる僕……』
このずっと好きだった女の子とは、ヨシくんにとっての私のことだ。間違いない。
これはいけない。ヨシくんが変な方向に目覚め始めている……。
夫の性癖の管理は、幼馴染であり、姉であり、妻である私の役目。
――ビリビリビリビリ!
その本を燃えるゴミと一緒に出せるように細かく破いた。こんな本はヨシくんの手元にあってはいけない。
私は一度自分の家に帰り、代わりの本を持ってきて、引き出しに入れてあげた。
その本のタイトルは――
『幼馴染のお姉さんに食べられちゃった……』
「ふぅ……」
これで完璧。ヨシくんは道を間違えることはないだろう。
おっといけない! もう少しでヨシくんが帰ってくる。早く掃除を済ませなくっちゃ! それにご飯とお風呂の準備をしておかないと……。
「ただいま~」
「お帰りなさい、ヨシくん。ご飯まだできてないから、先にお風呂に入って頂戴」
「うん、わかった」
ヨシくんが浴室に入ると、私は着替えとタオルを浴室前の洗面所に持っていく。
「ヨシくん、着替えとタオルを置いておくわね」
「ありがと~」
シャワーからお湯の流れる音が浴室と洗面所に響く。
目の前の洗濯かごには、ヨシくんの脱ぎたてのパンツがある。まさに宝。このまま何もしないのはもったいない。
私はそれを――顔面に思い切り押し当てた。
――くんかくんかくんかくんかくんかくんか!!
ああ……幸せ……。
鼻腔をくすぐるその香りが、私の脳から大量のドーパミンを分泌させる。
窓ガラスにはスモークがされていて、浴室から洗面所で何をしているかは見えない。つまりヨシくんは、私が何をしているか伺い知ることはできない。
私としてはヨシくんの背中を流してあげたいのだけれど、幼馴染から恋人にステップアップするまではお預け状態。だから今はこれで我慢している。
ヨシくん、いつでもいいんだからね。私は準備万端。あとはヨシくんが勇気を出してくれるだけよ。
私、待ってるから!
最後まで読んで頂きありがとうございました。