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手紙越しの旦那様  作者: 桜 みゆき


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1章  北の地へ 8

 夜。

 ネリーは広すぎるベッドの上で、薄い夜着の裾を握り締めてそわそわしていた。

「お、落ち着かない……」

 身に着けたことはおろか触ったことすら殆どない、上等でやわらかな薄絹は、纏っているだけで引っ掛けてしまわないかと不安になる代物だった。

 式が終わった後のネリーは、使用人達に総出でもみくちゃに、もとい、初夜に向けて全身を磨き上げられていた。それが全て終わる頃には、何もしていないのに疲労が溜まってくたくたで、あれよという間に寝室に放り込まれたのだった。

 そうなってしまえば、疲労から感じていた眠気もどこかへ飛んでいってしまい、何をしていたらいいのやらと、緊張は高まるばかりだ。それを紛らわせようと、ベッドの端で正座をして、壁の模様を何度も数える。

 その行為に効果がないことを認めざるを得なくなってきた時、コンコンという小さな音が聞こえ、肩が跳ねた。

「は、はい」

 扉が叩かれた音だと気付くと、いやに高鳴る心臓を抑え、慌てて返答をする。

 その声は掠れ、あまりに小さかった。外まで聞こえたのか怪しいものだ。しかし、扉はきぃと軋むような音をたてながら開くと、静かに公爵が入ってくる。

「公爵様」

 ネリーは、パッと頭を下げて平伏した。

「そんなに、畏まらなくていい。初日にも言っただろう?」

「で、ですが……」

 ネリーは少しだけ頭を上げて、近くまで来ていた彼を見上げる。

 婚礼の時とは違い簡素な格好をした彼は、胸元も多少緩められ、目のやり場には困った。しかし、それさえも(さま)になっている。パチッと目が合い思わず顔を伏せると、公爵はふぅと小さな溜息をついた。

 呆れられてしまった……?

 ノールヴィリニアに到着してからの三日間、ネリーは彼と殆ど接触する機会がなかった。婚礼を執り行う前だったため、それを特に不思議に思うこともなかったのだが。

 しかしそれはすなわち、彼の人となりを何一つ知らないということとほぼ同義だ。

 ここでもまた、手を上げられるのだろうか。

 家の主人は横暴なもの。それしか知らないネリーの心は暗く沈む。

 慣れてはいる。

 最近でこそ、その頻度は減っていたが、父から命令に従わないというだけで、何度殴られたか最早覚えていない。しかし、慣れたから、といって痛い思いをするのは嫌だった。

 公爵の手がこちらへ伸ばされる。

 残虐非道な北の悪魔――。

 そんな言葉が、頭に浮かんだ。

 ネリーはそれを、噂だと、噂に過ぎないものだと思っていた。使用人たちの雰囲気から、そう感じたというのもある。だが何より、曲がりなりにも貴族の娘を、そう易々と殺しはしないだろうと思っていた。思おうとしていた。

 だが、それはネリーの願望に近い。もし、そうでないとしたら――?

 彼の手が近付く。

 胸に広がる恐怖に、ネリーは身を固くした。

「……っ」

 だが、彼の手はこちらに触れることなく、隣を通りすぎていく。不思議に思い、その手を目で追いかけた。

「ネリー」

 突然呼ばれた名に、またぴくりと肩が跳ねる。しかし、今度は恐怖を覚えたからではなかった。

 いやむしろ、恐怖を覚えなかったことに驚いたのだ。

 自分の名前が、こんな風に優しく響いたのは、はじめてだった。

 呆然としていると、ふわりと何かが身体にかけられる。

 それは、真っ白なシーツだった。

「公爵様……?」

 どういう意図を持っての行動なのだろうと首を傾げる。彼はそんなネリーをじっと見つめて、不意に口を開いた。

「ロアン」

「え……?」

「そう、呼んでくれ」

「いえ……、ですが……」

 とてもそんな風には呼べない。そういう気持ちで見返してみるが、彼は首を横に振るだけできいてはくれない。

 彼の意図が本当に分からない。ネリーは困惑したまま彼を見上げる。

「気負わなくていい。私達は夫婦になるのだから」

 彼の言葉を額面通りに受け取って良いのだろうか。

 ネリーが戸惑っていると、彼は微かに口元に笑みを浮かべる。

「……っ」

 一瞬だけ現れた微笑に、目を奪われた。

 やはり彼は、とても美しい……。

「おやすみ」

 彼が近付いて、額に口付けを落として離れていく。

 子どもにするようなキス。しかし、ネリーの胸は高鳴った。彼が来る前の高鳴りとは違い、苦しいだけのものではない。

 ネリーが胸を押さえぼんやりしていると、彼は踵を返し、部屋を出ていこうとしていた。

「こうしゃ……、ロ、ロアン……!」

 勇気を振り絞り彼の名を呼ぶと、立ち止まって振り返ってくれる。ただそれだけのことに、ネリーは驚いた。

 自分のような人間とも、向き合おうとしてくれているのが、嬉しかった。

「お、おやすみ、なさい、ませ……」

 つっかえつっかえの拙いネリーの言葉に、小さく頷いたロアンは、また微かな笑みを残して、今度こそ部屋を出ていった。

「ああ……」

 頬がとても熱い。

 ネリーは彼が触れた額を抑え、パタンと閉まった扉を見つめるしか出来なかった。

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