1章 北の地へ 1
穏やかな秋の日。抜けるような青空の下、ネリーは箒で庭を掃いていた。
背に垂らした平凡な茶色の髪を、枝垂れかかるたびに鬱陶しげに掻き揚げながら、空を見上げる。
「なんて、良い天気……」
掃除日和。ではあったが、つい溜息をつく。
そもそも、この仕事はネリーのものではない。だが、仕事を押しつけてきた侍女は、どこかへと姿を晦まし、もうどこにも見当たらなかった。
「終わらせられるかしら……」
王都にある貴族の邸宅が立ち並ぶ通りの片隅にあるこの屋敷は、周囲と比べるとたいして大きい部類の敷地面積ではなかった。しかし、一人で掃除をするとなると、話は別だ。
再び手を動かしながら、ネリーはぽつりと呟く。
たった一人で今日中に終わらせられるか、という意味も勿論あった。だがそれ以上に、この仕事を完遂する上で、避けなければならないことが――
「ネリー様」
聞こえた声に、ビクッと肩を震わせて、ゆっくり後ろを振り返る。
今、一番聞きたくなかった声。
そこには案の定、怖い顔をした家令がいた。
頭を抱えたい思いを押し殺し、ネリーは箒を後ろ手に隠しつつ、彼に笑顔で向き直る。
これ見よがしに溜息をつく家令が、ものすごく、こわい。
「……貴女は、この屋敷のお嬢様であらせられる、自覚はおありですか」
えへへ、と誤魔化し笑いをすると、彼の眉間に深い皺が刻まれる。
避けなければならないこと――、それは、この屋敷の家令であるこの男に、掃除のような雑務をしている場面を見られないことだった。
彼の顔には、眉間以外にも実年齢以上に皺が刻まれている気がしたが、それはネリーの現状も無関係ではないだろう。
未だに真剣に怒ってくれる彼に、ネリーは苦笑した。
「だって。誰も、そんな風に思っていないでしょう?」
彼は溜息をつき、小さく横に首を振る。そして、チラリとネリーの背後、植え込みの方へ彼が視線を向けると、それがガサリと動いた。
「あんな所で、見張ってたの……」
どこかに駆けていく侍女の後姿を見ながら、ネリーは肩をすくめる。記憶が正しければ、それはこの庭掃除を押し付けてきた侍女だった。
「……罰しましょうか」
同じように呆れ顔の家令に、ネリーは首を振る。
「いいえ、キリがないもの」
「貴女は、つくづくお優しい事で」
それが褒め言葉ではないことは、重々承知していた。しかし、最早どうしようもないことでもある。ネリーは曖昧に微笑んで、侍女の去っていった方向を見た。
ここは王都にある、ルフュー伯爵家の邸宅。
そこで小間使いのようなことをしているネリーは、この家の長女として生を受けた娘のはずだった。