Jump into ×××!
僕の赤くほてった顔を見て、彼女は余裕たっぷりに微笑んだ。
「駄目だ、こんなの」
「どうして?」
室内に夕日が差し込んでいる。白いプリントも茶色い机も、ほんのり蜜柑色だ。いつも地毛だと言い張る栗色の長い髪にすっと手を通して、かきあげる。そんな何でもない簡単な動作なのに、彼女がやるとやけに色っぽい。そういえば彼女の第一印象も大人びている、だったと、思考の隅で思う。ふうとため息をついて自分を落ち着かせた。
「……遊びは終わりだ。からかうな」
「冗談じゃないことくらい、解っているでしょう」
じっと、彼女はこちらを見る。僕の心の奥の奥を覗かれているようで、額に冷や汗が垂れた。これ以上は入り込んで欲しくなくて、慌てて立ち上がり、「もう帰るから」と早口で言う。
「待ってよ」
左手首に強い感触――彼女の手の冷たさを感じ、振り返らないまま答えた。
「……なんだ」
出来る限りの低い声を出し、気丈に振舞う。
「こっち、向いてよ」
ぐいっと引っ張られ、抵抗出来ずに元のイスに戻る。彼女はさっきよりさらに近付いていた。挑戦的な顔で笑う。
「私はちゃんと気持ち伝えたんだよ、ものすごい勇気出して。なのに、逃げるの?」
「逃げるもなにも……!」
「逃げてるよ」
僕の声を静かに遮る。
「自分から」
彼女の目が色濃く非難を訴えている。僕の前でくるくると変わる彼女の瞳の色。人の瞳とはこんなにも表情をゆたかに語るものなのだろうか。僕はそれから目を逸らすのに必死になる。
「何を言っているのか、さっぱり」
「いい加減素直になってよ」
「ぼ、僕は子どもじゃないんだ!」
「大人は自分の気持ちを隠さなきゃいけないわけじゃないわ!」
ぴしゃりと彼女に言われると、僕はもう口を噤むしか術はない。
彼女が僕の手をとる。ひんやりと冷たい。何かを求めるように、指を絡ませて来た。
「……認めてよ」
彼女の顔が近い。長いまつげを見せるかのように伏せられた目に、薄くつり上がった唇。かみつくようにだらしなく、ほんの少し口を開けて……。すべてのパーツが僕の瞳に妖艶に映る。
「――私のこと好きだ、ってこと……」
彼女の熱を左頬に感じる。流されてはいけない、と思えば思うほど、くらくらと視界が白黒して、眩暈がする。無意識に僕は机の上のプリントを掴み、クシャ、と皺を作ってしまっていた。
「馬鹿を、言うな」
プリントがまるで命綱であるかのように、僕はそれを掴んだまま離す事が出来ない。彼女はそんな僕の震える指を一瞥し、くすりと微笑してから手を伸ばしてそっと薬指を撫でた。
「禁忌の恋、私好きよ。ロミオと、ジュリエットみたい」
夢見る乙女のようなとろんとした瞳に、素直に見とれてしまう。彼女の細い指が僕の首もとに滑る。彼女の唇が僕の耳元に近づき、息をなめらかに吐き出して歌うように、ささやく。
「そう、思わない? センセ……」
ぞくぞくぞく! と鳥肌が僕の全身を勢い良く駆け抜けた。
今まで僕は、順風満帆な人生を送ってきた。高校、大学ともそこそこレベルの高いところへ行き、教員採用試験は一発合格。大人しい性格、平凡な容姿。恋愛歴もいたって普通。きっとこのまま僕は教師を続け、そのうち人並な女性と結婚し、老後を迎えていくのだろうと思ってきた。ああ、なのに。
僕は彼女の手首を掴み、首もとから離した。彼女がゆっくり、大きくまばたきをする。
僕のものではないと、否定し閉じ込めた想い。彼女を初めて見てから、そして彼女を知るたびにますます募っていく、生徒への愛以上の感情。
イケナイ、イケナイ。理性が叫ぶ一方で、僕はこのタブーを犯したいと、強く願ってしまう。彼女の手まねきに呼ばれるように、僕の内をドンドンと激しくノックをする。
「僕の所為じゃない」
そう、ちがう、僕は悪くない。混乱したままうわ言のように口から言葉が漏れる。
「嘘つき。最初にはまったのはセンセのくせに」
彼女は妖しげに微笑みながら腕をのばし、僕の両肩にかけた。広げた僕の足の間に彼女の華奢な足が入り込み、ぐんと距離が縮まった。誘うような顔つきで言う。
「キスしてよ」
「な……っ」
「私に迫られたから、なんてずるい。センセからキス、して」
ぺろりと唇の端を舐める。ほんのり湿ったそれがなんとも艶めかしい。彼女は決意のこもった顔つきで見据え、鼻と鼻をくっつけた。積み重ねた理性のガラスタワーが、激情の強い風を受けて揺らぐ。心拍数がどんどんあがるのがわかる。きっと次に彼女の声をこの耳元で受けたら、こなごなに割れて散ってしまう。予感が確信になり、脳内を駆ける。それを読み取ったかの如く、彼女が耳朶を舌で擽った。
「逃がさない。私と一緒に――――」
足元に広がる闇。何処までも暗く、深く、果てが見えない。ここに墜ちたら、絶対に無事では済まないと、ゴォンゴォンと鈍い警鐘が聞こえる。――でも。
今はこの背徳感でさえ心地よい。真っ逆さまに落ち続けて、ぐしゃりと玩具のように自分の身体が潰れてしまうのも悪くないと思える。
それになにより、先のことよりも今は、目の前の彼女の香りを感じていたい。ひたひたと迫る罪の感覚を拭うように目を閉じ、そして――。
ガタン。
イスが倒れる音が遠くに響いた。
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