後日談 ルーファス
「ただいま」
数日ぶりに深夜遅く帰宅する。妻の出迎えはない。別に構わない。居処も事情も見当がつく。
長年仕えてくれている執事のトーマに外套を渡し、荷物を片付けて、入浴し汗を流す。
そしてそっと二階の子供部屋に足を運ぶ。
愛する私たちの宝であるアンドリューは手作りのTレックス?(ドラゴンの親戚らしい)のぬいぐるみを抱きしめてくうくうと寝ている。その横の椅子に腰かけて、本を膝に乗せたまま背もたれに体を預け、眠るピア。
今日は茶会と言ってたか、よっぽど神経使ったんだな。
ピアの膝裏に腕を入れ抱き上げる。まったく軽すぎる、けしからん。そっと出口に向かうとトーマがドアを開ける。
「明日は休みが取れた。朝、声をかけないでくれ。アンドリューをよろしく」
「それはようございました。旦那様は働きすぎです。奥様、ここ数日あまり元気がありませんよ。お寂しいのです」
「……それは久しく領地に行けず、化石探しができないからだろう?」
そう軽口を叩きながらも若干焦る。ピアが元気ない?面倒くさいどこかの夫人にでも絡まれたのだろうか?ピアはニコニコと外見を取り繕えるが、実はかなり打たれ弱い。
トーマがそっと私たちの寝室のドアを開ける。
「おやすみなさいませ、旦那様、奥様。ごゆっくり」
「うん、おやすみ」
ドアが閉まる音とともに、ベッドに腰掛けピアの結い上げた髪を解く。ガウンの腰紐もとき、寝間着姿にしてベッドに横たえる。自分もガウンを脱ぎ捨てているとピアが寒さにブルっと震えた。隣に身を滑り込ませ、布団を引き上げその中で抱きしめる。
暖が戻り、ほおっと私の胸に吐息を吐くピア。
あの頃の……字の練習のためにと言って膝に乗せ、頰を寄せ合った頃のままにただただ可愛い。何度も黒髪の上にキスをする。その頭に頰をのせ、ようやくひと心地ついて目を閉じる。ああ、愛しい……私の唯一。
◇◇◇
八歳で顔合わせし、父に問題ないとみなされ、婚約した。可もなく不可もない相手だと思った。足を引っ張りさえしなければ誰でもいいと思っていた。貴族とはそういうものだ。
しかし、ピアは高熱で死にかけて、この世とあの世の狭間で予言を脳裏に刻みこまれた(後日その予言が当たった時はゾッとして、ピアの言を信じてよかったとしみじみ思った)。
それから事態は一変した。ピアは怯えのために従順な令嬢の仮面を外した。そして私に嫌われたくないから婚約を解消したいと吐露した。
「ルーファス様が愛しくて愛しくてたまらないのに、『おまえなど顔も見たくない』って言われるの……うっうっ……」
……待て?私と結婚すれば、パルメザン伯爵家は向こう三代は安泰なのだぞ?私の妻になれば公爵夫人不在の今、王族を除く貴族社会の女性の頂点に立ち、あらゆる贅沢が出来るのだぞ?常識の範囲の夫婦でいればそれが全て手に入る。というか、侯爵夫人の肩書き、それが一番この結婚の魅力ではないのか?
ピアにとっては違うのか……私に嫌われたくないということは……私に愛されたいのだということの裏返し……。
まさか、この女の子は、侯爵家の金でもなく、権力でもなく、私の愛が欲しいのか?
……そうか……この子は私自身が欲しいのだ。
なんて……愛らしい。
そう思うと一気に身体が熱くなった。胸の奥がオレンジ色に満たされる感覚。そして目の前の存在が、今逃したら二度と出会えない宝だと瞬時に察した。目の前で泣くピアは痛々しかったが、私以外の男のために泣くなど許せないと思った。
私は、一生経験するわけがないとタカをくくっていた、恋に、たった数分で落ちた。意外な人生の展開に驚いたが、すぐに落ち着いた。問題ない。ピアを手に入れればいいだけだ。
安心して私を愛せる環境を作るよ。だから泣くのは私の胸でだけ。
大事に大事に慈しみ、共に成長した。
パルメザン一族は学者肌が多いとは聞いていたが、意外にもピアこそがその血筋の集大成、神童だった。綿密な調査から地形を把握し、管理し、その地質から発掘されうる鉱物の推察、災害の可能性などを丁寧に分析する。小手先の金儲けでない、ひたすら地味で地道な作業によって国そのものの発展に寄与する女だった。
私は冷静にピアの露払いをして、群がる羽虫を蹴散らした。ジョン王自らピアの下に来て、私の見えぬところで調査依頼していたことは、想定外で腹が立ったが、せいぜい後ろ盾として有効に使わせてもらおう。
ピアのもたらす利権が欲しいわけではない。私の前ではただの私を一途に愛してくれる少女なのだから。愛するピアを権力闘争の渦になど巻き込ませるものか!
そうは言いつつも金は大事だ。ピアはそういった利権から貯まる一方の自分の資産で領地の職人を雇い、測量や採掘の不思議な道具を作らせる。やがてそれを量産させ、興味を示す若者に使用法を伝授し、人材を国中に派遣する。期せずして新たな技能集団を生み出して、領に雇用とお金を落とすピアの人気はスタン領とパルメザン領で絶大だ。
そして、ピアの心の奥深くに澱のように沈む、例の予言を叩き潰し、結婚した。ピアに涙ながらに「ありがとう、愛してる」と言われたとき、このために生きてきたと思えた。
◇◇◇
ところで、例のキャロラインのラム男爵家を家宅捜査すると、日の光で虹色に反射する奇妙な草の畑があった。専門家に調べさせてもこれといった成分は出ない。アレと同じ……
やがてその草の原産地が水面下で諍いの絶えない隣国だと判明し、陛下が憎憎しげに邸ごと全て焼いた。
◇◇◇
結婚したピアは自分の研究の手を止めて、侯爵夫人としての義務を優先してくれる。
ピアは化粧をすると一気に気品が出て美しさが増す。自分自身が価値を持つピアは何もアクセサリーをつけずとも美しいため本当は人前に出したくない。しかし、今腕の中にいる素顔のピアは少女のころとさして変わらず無防備で、こっちを外に出すよりもマシだと歯を食いしばって耐えている。
顔にかかっている美しい黒髪をかきあげて、額にキスをする。
「ん……」
さすがにピアが起きた。ぼんやりし、パチパチと瞬きを繰り返し目をこする。
「あ……ルーファス様、私、いったい……」
なぜベッドにいるか把握できていないピアを置き去りにして、唇を合わせる。
「ただいま、ピア。ピアもアンドリューも変わりない?」
「は、はい。おかえり、なさいませ」
「嘘だね、皆がピアの元気がないという。目の下にクマができている。夜眠れないから、アンドリューのところでうたた寝してしまったんだろう?」
ピアの瞳に陰りが浮かぶ。
「……いえ、何でもありません」
ピアに覆いかぶさり、顔の真横に肘を置き、両手で顔を挟み、額を合わせてプレッシャーをかける。
「気になるだろ?ちゃんと言いなさい」
ピアは観念した様子で、はあ……と息を吐いた。
「おとといの夜は……どちらに?」
「おととい、夜?……陛下と一緒にお忍びで、前王の忠臣だったチェルシー伯爵の見舞いに行ったこと?お気の毒にもう長くはあるまい……なるほど。チェルシー伯爵の後妻に何を言われた?ピア?」
チェルシー伯爵が亡くなられたら、爵位を継ぐ前妻の嫡男は容赦なくあの毒婦を追い出すだろう。あの女は今、次のパトロンを捕まえようと躍起だ。
「ルーファス様と楽しい一夜を過ごしたと……シャツは自分の用意したものを着ているから見ておけと」
クソ女!あの女は恐れ多くも陛下に手が滑って薬湯をかけようとした。それをかばい、シャツが汚れた。しょうがなく伯爵のものを借りたが執務室に戻ってすぐに着替えた。そう伝えれば、ポカンとして、
「え?ジョニーおじ……じゃなかった、陛下に?アリなの?」
「ナシだろ」
私はピアの小さな鼻を指でピンッと弾いた。
「痛っす!」
「ピア、私が母親世代の化粧オバケに靡くと思うなんて心外なんだけど?」
「は?お義母様世代?……やだマジでズキズキ痛い……」
「今日のお茶会、メガネしてた?」
「……してない」
「怒るよ?」
「ゴメンナサイ」
ピアは相変わらず無頓着で、自分の評価が低すぎる。こんなにも可憐で私に一途な女が腕の中にいるのに、余所見するわけがない。
顔立ち性格もさることながら、日々ピアの新作の地図を盗み見ようと、ピアを連れ去り他国で働かせようとやってくる襲撃者を追い払うのに、どれほど手を焼いていることか!
しかしピアは、キャロラインのときもそうだったように、男とは何かの拍子にあっさり自分への興味を失うものだと思い込んでいる。私が他の女と過ごしたとしてもピアは嫉妬したりしない。ただ、己に絶望するのだ。
ここはキチンと言い聞かせなければ……ピアが落ち込まぬよう慎重に。
「ピア。私は10歳からピア一筋だ。ピアにしか欲情しないんだけど?」
「……は?」
わざと意地悪にそう言うとピアが全身を真っ赤に染める。こんな清らかな妻が私だけのものなのに、他の女を触るとかありえない。
「私を疑ったピアにはお仕置きが必要だと思うね」
「あ、謝ったわ!」
「足りない。二度と疑わないように、身体に刻み込むとしよう」
ピアは瞬時に跳ね起きて、ベッドの上でピアの言う最大級の謝罪である、ドゲザをした。
「すみません、二度と疑いません、ルーファス様を信じてますっ!きゃあ!」
ピアを私の胸の上に引きずり倒し、腰をガッチリホールドする。
「ピア、愛している。ピア以外の人間など私にとっては小石のようなものだ。そこにいても気にもとめない。まあ役に立つならば、他の石と識別くらいしてやるが」
「小石……」
「ああ、もちろんアンドリューは別だよ。アンドリューは宝だ。ピアに泣き顔がそっくりだもの」
「泣き顔……」
「ピア、常にそばにいるわけにはいかないが、信じてほしい。ピアだけが特別で、私の人生の唯一にして最高のギフトだ」
ますます赤くなったピアが体を持ち上げるのを諦め、トスっと私の胸に顔を埋める。私の体に手を回し、ぎゅっと服を握りしめる。
「……もう……そんなこと言うから……私はますますルーファス様を好きになる……」
……こっちのセリフだ。私はいつものように、ピアの頭にキスを降らせる。明かりを消す。
この寝室は二人のためだけの世界。政治も社交もあらゆるしがらみを忘れ、ただピアを愛で、愛を乞う。
◇◇◇
翌朝、ピアは私の腕の中でピクリとも動かない。
「私の愛の重さ、思い知ったか?」
「……スミマセンデシタ……」
ピアが疲れ果て、カタコトで答える。私は満足してピアの顔中に好きなだけキスをする。
「ルーファス様……今朝は何時に出勤ですか?」
「今日は休み。ゆっくり寝られる」
「ホント?一緒にいられるの?……うれしい」
そっと目の前の私の胸にキスする妻。スタン侯爵ではなくて、ルーファスという一人の夫を望んでくれる妻。
「ピア、今君、甘えたな?」
「……は?」
押し倒した私は悪くない。
◇◇◇
「おとうちゃま〜!字のおけいこすりゅよ〜!」
昼過ぎ、痺れを切らしたアンドリューがTレックスとともに寝室に突撃してくるまで、私達夫婦は仲良く寝ていた。
字の練習に付き合ったあとは、三人で何をして過ごそうか?
ピア、スタン侯爵家はなかなか幸せだろう?私が己のプライドに賭けて、全力で守っているのだから。
おしまい。
お読みくださった全ての皆様、ありがとうございました(*^_^*)
今回はほのぼのしたお話でしたが、
泣きたい→優雅なお一人様を目指します
笑いたい→花粉症のない世界に行きたいと叫んだら異世界に飛んだ件
ガッツリ長編→転生令嬢は冒険者を志す……来月三巻とコミカライズ一巻発売!
と、色々書いてますので、是非目を通してください!
今後ともよろしくお願いしますm(_ _)m