中2-春(1)
もし、一つだけ願いが叶うとしたら…
この環境から逃げ出したい…
僕を知らない人がいないところに行きたい…
横田沢翼、進級し始めての後輩が出来たことで調子に乗っている中学2年生。後輩からの「翼先輩」「横田沢先輩」は何回聞いても気持ちが良い。
「杜都もそう思うだろ?」
「いや、全く」
天王寺杜都が呆れながら言った。
「即答だな。少しくらい思えよ」
「思えないから、そう答えただけで…」
杜都とは、去年コンビニでのとある出来事をきっかけに仲良くなった。2年になり、クラスは分かれてしまったが、たまに二人で出かけたりしている。
この日は古着屋に行く予定だ。
「にしても、今年のイーグルス、調子悪いな。去年は、初めてクライマックスシリーズに出たのに…」
翼の声には悔しさが滲んでいる。
「監督変わった影響とか」
「去年の勢いを、今年に持ってくれば…」
「例年通りに行かないからね、野球は」
杜都は淡々と言った。翼は以前からきになっていることを聞いた。
「そいうや、杜都って贔屓チームないのか」
一緒にイーグルスの試合を観に行ったりしてるが、翼に付き合わされていると言った方がよい。
「ない」
「即答かよっ。もしかして、イーグルスの試合を観に行くの嫌々だったとか」
「それも違うかな。野球の試合を見るのは好きだからね。東京にいるときは、何回か東京ドームでの試合を観に行ったなぁ…」
懐かしそうに呟く杜都。翼はふと思う。
杜都って東京にいたときの話しをしないよなぁ。
両親を亡くし、実兄は行方不明。
姉の樹志花曰く杜都は自分自身については話さない。
些細なことでもいいから、杜都の過去が知りたい。
「ジャイアンツファンなの?」
「違うよ。祖父と父はジャイアンツファンだけど」
この父というのは、実の父親なのか、それとも養父のことなのか。
「僕がジャイアンツファンじゃないのか、意外なの」
「えっ?」
「ずっと黙っていたから、そうなのかと思って」
ただ単に、翼はどう返事してよいのか迷っていただけだ。
「…東京ドームに何回か行ったことがあるというからさ…」
「まぁ、あえて言うならジャイアンツファンかもしれないけど」
「間違ってないじゃんか」
「そうだね、ごめん」
翼の頭の中に、「杜都は(あえて言うならだけど)ジャイアンツファン」とプロフィールが追加された。
「好きな選手って、阿部慎之助?坂本?」
「特にいないかな…一応、高橋由伸のレプリカユニフォーム持ってるけど…」
「俺、マー君のユニ持ってる」
「…何回か見たことあるから、知ってるよ…」
「待て、こらっ!」
突然図太い声が聞こえてきた。二人は声のする方を見た。
一人の少年が血相を抱えて走っている。後ろには顔の怖いおっさん。
少年はこちらに向かっている。避けた方がいいのか。翼はまたも迷っていたが、そのまま少年が突進してきた。倒れる二人。少年は素早く立ち上がりどこかへ行った。
「翼君、大丈夫?」
杜都が心配した声で聞いてきた。
「あぁ、大丈夫…んっ…?」
翼の手には腕時計があった。
「ぶつかってきた少年のかな?」
「お前はさっきのガキの仲間かっ!」
顔の怖いおっさんが更に怖い顔で翼を睨んでいた。
「仲間というのは…」
「さっきのガキに、うちの店から万引きするよう命令したのか」
「万引き!」
翼は去年も万引き犯に間違えられたことを思い出した。