食料確保
なんとか把握した現在地は、慣れ親しんだ通学路…かつ、"俺"が死んだ場所のすぐ近くだった。
なんで分かったかって?そこに、青と白の花が束ねられた綺麗な花束が置かれていたからだ。恐らく母さんが置いてくれたのだろう。父さんはしなさそうだからな。
今の季節は夏の盛りらしく、セミが先程近くの電柱ににやって来て鳴き出した。久しぶりに聴いたからか随分と五月蝿く感じられる。
それにしても暇だ。身体の動かし方をさっきから散々試していたものの、身体の疲れと空腹、なにより喉の渇きに耐え切れず今は座り込んでいる。黒い毛皮は太陽光を吸収して焼け付くように熱く、捨て猫が直ぐに衰弱する理由が分かりすぎる程分かった。親の庇護無しで、弱い子猫がどうやって生きて行けば良いというのだろうか。
そう言えば近くに川があったな…と思い出し、最後の気力を振り絞って立ち上がる。ダンボールから這い出て、今度はしっかりと左右を確認してから交差点を渡る。河原を抜けて走り、穏やかに流れる川に口を付けて水を飲む。橋の下に移動して太陽の光から逃れ、一息付いた所で空腹である事も思い出した。何かしら食べなければいずれ死んでしまう…。まあ既に一度死んだ身ではあるが、折角また命を得たのだから出来る限り生きたいとは思うのだ。
ちらりと横目で川の中を泳ぐ鯉を見る。あれは今の自分の身体より大きいし、そもそもまだ得たばかりの身体がそれ程自由に動くとは限らない。同じ理由で鼠探しも却下。やはり無難なのは残飯漁りだろうか。しかし一応人間であった身としては、ゴミ漁りというのは非常に気が引ける。率直に言って嫌だ。
最後に残る手段はやはり、虫だろう。イナゴなら食べていた事もあったしそれほど抵抗がない。蟻やらイナゴやら蜘蛛やらで当面は食いつないで、あとは早々に拾われるのを待つことにしよう。
蟻を食べるのは巣の入口で待って舌で舐め取るだけなので簡単だった。噛まれた時は痛いが、耐えられない程ではない。味は…まあ、酸っぱさがあるがそれほど酷いわけではなかった。他の虫に関しては…頭は死ぬ程苦いが、身体が大きいのでアリよりは食いでがあった(当たり前だが)。猫の体と空腹によって味補正があるからだろうか、案外まともな味だった。また、バッタに関しては幼い頃散々捕まえていた経験があったので、最初の数回以外は殆ど完璧に捕まえられるようになった。我ながら嫌な進歩である。
しかし、俺がこんな風にして大量の虫を、しかも生のまま食べていることを知ったら母さんは卒倒し、父さんは腹を抱えて笑い出すんだろうな…とそんな馬鹿げた想像をして、気が付いた。…気が付いて、しまった。
自分のこの身体では、彼らと話をする事はもう二度と出来ないのだ。
目が覚めた後のあまりの驚きに思考の外にあったその絶望が途端に押し寄せる。
母さんの優しい声も父さんの笑い声も、二度と自分に向けられることはないのだ。
死んだ後何も考えずに意識を失って、そのまま自我が消滅していたのならこんな事は考えずに済んだ筈なのにと神様を恨む。輪廻転生は結構だが、記憶はちゃんと取り去ってくれと。
それ以上食事を続ける気には到底なれず、とぼとぼとダンボールの置いてある場所に帰る。今帰る所がそこしかないと言う事実に俺の胸は締め付けられる。生きてみたい、とは言ったものの、生前関わった誰とも二度と話すことは無いという孤独は気が付いて後は凄まじく、到底耐え切れない程の重さを持って俺を押し潰した。確かに昔はことあるごとに「猫になりたい。忙しい日常を離れてのんびりだらだら昼寝したい。」などと言っていたものだが、それは飼い猫に生まれる事前提の願い事であって…。