最終話 ――がくえん――いきたい――
本日中にエピローグ投稿致します。
―――1月7日(土)
再び、中学生3名は蓼園総合病院最上階に足を運んだ。
前日の面会では、憂が早々に気絶。頭部CTなど緊急検査と相成り、話すことなど出来なかったのである。
前日の解散後、3名は自宅まで送ると言う愛の申し出を丁重にお断りし、蓼学のそこそこ騒がしいグラウンドの隅で語り合った。
『あの子が優って……。お姉さん、正気か?』
『嘘吐く人じゃねぇ……』
『じゃあ、拓真くんは信じちゃったの?』
『いや……』
『まぁ、そうなるわな』
こんな会話に終始した。信じられないまま、最上階のVIPルームを後にした。もちろん、愛からも病院関係者からも口止めの上で……。
誰かに話してしまいたい衝動に駆られたが、優の人生に関わると言われてしまっては、そうもいかなかったのである。
全ては明日の再訪問で判明する事だ……と。
中学生たちの2度目の訪問。
可能な限りの万全な体勢が取られた。
「憂さん? お友達が……来ます」
「お願い。走ったり……しないで……」
「大丈夫……だから……」
こう何度も何度も言い聞かされている。
その上、午後休診の土曜日であり、渡辺や看護部長も手空きだ。憂の周囲には、出せるだけの病院関係者が配置されている。
家族は来ていない。彼らを迎えに行った姉・愛に任されたらしい。病院関係者はそう認識しているが、この日も愛が家族の同行を突っぱねたのである。
何でも兄・剛が重症らしい。血染めの妹の姿自体はトラウマとなっていないらしいが、血を分けた兄弟……。兄妹かも知れない。その憂の自殺が大きな衝撃を与え、部屋に引き籠もってしまっているのだ。
憂の伊藤への恐怖心は衰え知らずだ。
その伊藤も前日とは異なり、近くに控えている。だからこそ、憂は緊張の面持ちで言い聞かせられる言葉に大人しく相槌を打っているのである。
そして、インターフォンが広い病室内に鳴り響いた。
憂の両手が裕香と恵に捉えられる。どれだけ言い聞かせても、忘れてしまっては元も子もない。憂の信頼度は、現時点でだだ下がりしている。
すぐに、NSの扉が開かれた。
島井が待機していたのである。
島井が入室し、続いて愛、千穂、拓真、勇太……と、憂にとって、懐かしい友人たちの顔ぶれが見えた。いや、懐かしくは無いのかも知れない。
なんせ、憂が目覚めたのは12月26日である。まだ、10日ほどしか経っていない。
訪れた3名に合わせるかのように、憂は立ち上がった。そして、ゆっくりと歩みを始める。両手を専属の女性看護師に繋がれたままであり、どこかで見た捕まった異星人の写真のような姿だったが、3名の中学生たちは困惑の表情を消し去れない。
お互いに距離を縮めつつ、憂は次第に笑顔に。3名は次第に顔一面に悲しみを湛えていった。憂の足を引きずる様が哀しみを誘ったのかも知れない。首と右手首の包帯の影響もあるだろう。
「千穂――! 拓真――! 勇太――!」
……両手を捕らえていなければ、またも転んだかも。それだけの勢いを見せ、憂は彼らに向けて進んだ。歩んだ。
小鳥の求愛を思わせる声に、3名の足は止まった。
やはり、どこからどう見ても女の子……。しかも小中学生だ。優の訳がない。
……そんなところか。
3名の足が止まった故に、憂は10m以上を歩く事となった。
進むたびに、ペースは落ち、息を切らし始める。島井も姉も彼らを促したが、彼らの足は止まったままだった。
「はぁ――はぁ――」
到着まで、少しの間、きつそうな顔を見せたが、残り1mほどの位置まで歩くと、笑顔に切り替わった。
「みんな――ひさし――ぶり――!」
「はぁ――はぁ――」
息は切らしたままだが、憂は次の言葉を発した。普段より、随分と饒舌だ。
「「「……………………」」」
返答は無い。当然ながら憂を優と認識できていない。
「――でか!」
今度は目を丸くした。千穂の両サイドに立った、勇太と拓真を交互に見比べ、最後に千穂に視線を注いだ。
「千穂も――せ――のびた?」
……さほど変わっていないだろう。自分が小さくなっただけだ。既に自身の変化は忘却の彼方なのだろう。
「「「……………………」」」
3名は未だに口を閉ざしたままだ。だが、その表情には変化が見られている。戸惑いと疑念が入り混じったものだ。だが、今の憂にはその変化を感じ取れない。
……何故だか、小首を傾げてしまった。
片手ずつを取っている女性2名が優しく苦笑いした。姉はハラハラと成り行きを見守っている。島井と渡辺の目は観察する目だ。
伊藤は車椅子をそっと、憂の後ろに付けた。いつ座っても問題ないように。
「なんで――いっしょ――?」
千穂と拓真の目が変わった。遅れて勇太も。
憂は記憶していた。千穂と拓真・勇太がそこまで距離が近くなかった事を。
「拓真――」
「勇太――」
……怒り顔だ。黒目がちな瞳を細め、何やらアピールしているかのようだった。全く怖くはない……が、勇太に関しては魅せられたように惚けてしまった。可愛い印象が一瞬で綺麗に切り替わってしまっては無理もない。千穂も拓真も魅せられたまではいかないまでも近い何かを感じてしまったはずだ。
「――あれ?」
続いての表情は困り顔だ。描いたものではない、天然の困り眉が出現した。
拓真サイドも憂もじっと見詰め合っているような構図だが、憂の目線は3名を通り過ぎているかのようだった。
そのまま1分……。
2分……。3分……と、無味な時間が形成された。
「――わすれた」
『まぁ、いいや』と顔に書いてあるようなあっけらかんとした顔して言った。
その少し後だった。
「……優……なの?」
中学生の内の1名、千穂が遂に口を開いた。様々な疑問を抱えつつも、その中に真実を見出せそうな……。そんな様子だった。
「――うん」
何を今更……。不思議そうな顔で小首を傾げた……かと思えば、「――あ! そう――だった――」と表情を暗くしてしまった。
「ボク――すがた――」
すぐに泣き出した。
「うっ――うぐ――ごめん――」
「ごめん――拓真――勇太――」
「千穂もぉ――ぐすっ――」
自らの姿が大いに変わった事を思い出した。おそらく障がいについても……。
「……優……なのか……」
最初に手を伸ばしたのは拓真だった。
その差し出された大きな手に触れる事なく、膝から崩れ落ちた。ポロポロと大粒の涙を流したままに。
「うぅ――拓真――ごめん――」
「ぜんこく――いけな――」
言葉は最後まで続ける事なく途切れた。
その憂の前に、そっと膝を付き、長毛の絨毯に半ば埋もれた小さな手に触れたのは、優の彼女だった千穂だ。
「生きてた……優が……」
彼女の瞳からも綺麗な涙がこぼれ落ち、白いダッフルコートを濡らしてしまったのだった。
この日、彼らは長く、同じ時間を憂と共有し、彼女を優であると確信していった。
彼らの優との繋がりは深かったらしい。だからこそ、核心へと至ったのである。
……そして、彼らとの邂逅は憂にとって、大きな物だった。
彼らは安易に面会する事が出来なかった。それは阻まれた。
謎の美少女・憂への面会。彼ら、優との距離が近かった3名が、足繁くこのVIPルームを訪ねたのであれば、大きな矛盾点と成り得る。バレねば問題は無いが、大きなリスクは排除したかった。
無戸籍児救済に乗じた戸籍の偽造など、危ない橋を渡った意味が灰燼と化す。
だからこそ、逢う機会は非常に少なかった。
憂は想いを募らせていったに違いない。
この面会から1ヶ月としばらく。
与えられたノートに筆圧の弱い、震える字で書き取りを行なっている最中の……突然の言葉だった。
『――ボク――ふつうに――くらし――たい――』
『――がくえん――いきたい――』
『――いえに――かえりたい――』
ノートを濡らしつつ、はっきりと告げたのだった。
……なかなか逢えない友人と彼女への想いが、この発言を生んだのだろう……と、島井は目を細めたのだった。




